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 翌朝。検査入院の予定も構わずカオスのオフィスへやって来た俺は、上着を脱ぐよりも先に局長の部屋へ乗り込んだ。既に局長は出勤しており、何やらディスプレイと睨み合いながら書類の束と格闘している最中のようだった。おそらく昨夜の事件の後始末といった所だろう。
 ノックも無しに飛び込んだ俺に対し、局長は前髪をかきあげながらゆっくりと顔を上げる。しかし俺は局長が口を開く暇も与えず、開口一番言い放った。
「局長、これはどういう事なのか説明して欲しい」
 そういきり立つ俺に対し、局長は溜息一つ漏らさず、ただゆっくりと眼鏡を外しながらデスクの上に肘をついた。
「グランフォード、頭に血が昇ると言葉が拙くなるのはあなたの悪い癖よ」
「そんな事はどうでもいい。今回の任務は本当に法務省からの依頼で間違いないんだな?」
「何か疑う余地があって?」
「アルジュベタ=マータは、ああロボットの方だ、あいつは戦略麻酔を所持していたぞ。衛国総省でなければ手に入らない、第二級機密兵器だ。どうしてそんなものを持っているんだ」
「戦略麻酔、ですか。確かにそれは大事ですね。情報漏洩の可能性も視野に入れる必要が出てきました」
「だから、どういう事なのかと訊いている」
 局長はゆっくりと席から立ち上がると、すぐ側のダッシュボードに歩み寄ると、保温機にかけられているコーヒーを紙コップへと注ぎ、一つを俺に差し伸べながら再び席へ戻った。それは即ち、落ち着けという俺へのサインだ。
「確かに私はカオスを任される立場ではありますが、衛国総省の事を何でも知っている訳ではありません。カオスは歴史的にも浅く立場もそれほど強くありませんから、そんな所に本当の機密情報はそうそう落ちてきませんよ。あなたと私とで、持っている情報はほとんど変わりありません」
「……そうだな。悪かった。責めるような言い方をして」
「いいえ。それよりも、真相を逸早く解明出来るよう、お互い協力しましょう」
 口に含んだコーヒーが意外と苦く、口の中でそっと舌を丸めた。普段、安物ばかり飲んでいるから、本物のコーヒーの苦味が分からなくなっているようである。
「まずは、現在の状況を確認しましょうか」
 現在、ロボットのアルジュベタ=マータは逃走し行方をくらませている。一方、人間のアルジュベタ=マータは衛国総省の管轄下にある国政病院に保護されている。一応の監視は立てているが、医者の診断では認知症が進み到底一人では生活出来ない状態だと言う。
 報道規制はかけられていないが諜報部による情報操作は既に完了していた。公には、暴走したロボット達がアルジュベタ=マータを人質に取って立てこもり、そこに突入したカオスが負傷者を出しながらも無事救出を果たした事になっている。いつものように、所轄には情報を連携せず衛国総省でごく内々に処理した形だ。
「アルジュベタ=マータの容態は順調なそうよ。ただ、当分は事情聴取も認められないでしょうし、たとえ認められたとしても何かしらの情報を聞き出す事は不可能だと考えて間違いないわ」
「だろうな。逃げたロボットの行方に繋がる手掛かりを期待していたが、これは無いものとして諦めた方がいい。それよりも気になるのは、やはり戦略麻酔だ。あんなもの、一般人がどう逆立ちしたって手に入る代物じゃない。間違いなく内部に流出させた人間がいる。アルジュベタ=マータの縁近い人間だと考えるが、今回の騒動に噛んでいる人間は衛国総省にいないだろうか。特に、ロボットを送り込んだような実行犯にだ。まず足場固めをしなければ、この先も先手先手を取られ続けてしまう」
「アルジュベタ=マータの元へロボットを送り込んだ各所有者は諜報部が捜査を行っています。相手は素人ですから、すぐに片はつくでしょう。ですが、そう簡単に口は割らないでしょうね。アルジュベタ=マータの、言わば信奉者ですから」
「諜報部には自白剤があるだろう」
「グランフォード、そういうものは存在しないのよ。表向きは」
 そうだったな、と肩をすくめる。衛国総省の建物内だったから良かったものの、これが公道での会話だったら間違いなく懲罰ものだ。
「カオスとしてはひとまず、戦略麻酔の出所を探らないといけないでしょう。省内でまともに動けるのは私ぐらいですから、あなたはこの件に関してはあまり目立つ動きはしないようにして下さい」
「やはり衛国総省に内通者がいるという事か」
「おそらくアルジュベタ=マータの信奉者でしょう。信奉者が衛国総省に入ったのか、衛国総省に入ってから信奉者となったのか。どちらにしても身内を探る訳ですからややこしい状況ですね。それはさておいて、マイク、今日は病院に戻りなさい。あなたに何かあったらと考えるだけで不安になるわ」
「分かったよ。この続きは明日にでも聞かせてくれ」
 局長のオフィスを後にすると、俺はひとまず自分のデスクへついた。元々デスクワークにはあまり縁の無い職務だけに、机の上には雑然とした様相が広がっている。ここで作業をするのはせいぜい経費の精算をする時ぐらいだ。その割に大層な備品が用意されているのだからおかしなものである。
 ロックされている引き出しから、普段携帯している短銃を取り出し上着の中のホルスターへ差し込む。スペアの弾倉は同じ上着の外ポケットの中へ入れ、代わりに清算の済んでいない領収書を取り出して引き出しの中に放り込んだ。僅かな手荷物の準備を済ませオフィスを後にする。出入り口で身分証明の確認と簡単な手荷物の検査を受け、そのまま地下の駐車場へエレベーターで向かう。すると、
「あ、隊長! おはようございます。やっぱり来ていたんですね」
 エレベーターの扉が開いた直後、いきなり現れたのはレックスの顔だった。
「レックス、お前も今日は検査入院のはずだ」
「隊長こそ。別にどこも異常ないから大丈夫ですよ。それよりもテレビ見ました? あのコメンテータ、カオスが無謀な作戦を行ったから怪我人を出したって。まるでうちがヘマしたみたいな言い方ですよ」
 そう朝も早くから血圧を上げるレックスに俺は溜息を漏らしそうになった。そのテレビの内容が気に入らなくて出勤してくるとは、まるで子供の発想である。しかしよくよく考えてみれば、自分も大してレックスと変わりは無い。昨夜の任務で不可解な事があり、それで居ても立ってもいられなくてこんな早くから乗り込んだのだから。
「実際ヘマをしたのだから仕方がない。それに批評家が無責任なのは今に始まった事じゃない。それよりも病院に戻るぞ。戦略麻酔は後々に神経に悪影響を及ぼす事もある。今日はおとなしく医者の言う事を聞け」
「え、悪影響ってマジですか!?」