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「容体は安定していますが、御存知の通り認知能力に問題があります。あまり刺激的な内容の会話は病状の悪化に繋がりますので、その辺りの配慮をお願いいたします」
「ああ、分かった」
 翌朝、自宅から直接市内の衛国総省の管理下にある総合病院へ向かうと、昨夜の内に連絡した通り警備員の方から奥へ通された。応接室で幾分か待たされた後、この病院の看護士のまとめ役であるという看護長がやってきて、アルジュベタ=マータの収監されている病室へ案内される事になった。看護長は護衛官を三人引き連れている。いずれも屈強な体躯で、いかにも格闘技訓練を長く施された雰囲気である。しかも腰にはモップほどもあるスタンロッドを携帯しており、上着の中にも銃器を忍ばせている。万が一の場合は殺してでも脱走を防げとでも命令されているのだろう。明らかに病院には似つかわしくない人種である。
 本館から離れ、今は一般の受診者は通されない旧館へとやって来る。しかし、名前こそ旧館とあるものの内装は新館とあまり変わらない真新しさがあった。表向き、この病院は衛国総省の関係者が多く入院する軍人御用達の病院という事になっている。しかし実際は、市内で最も多くの犯罪者を治療目的で収監している医療施設の整った監獄である。一般的な受診者なら新館で治療を受けて終わりだが、犯罪者はこの旧館で治療が終わろうとなかろうと、警察を初めとする各機関の監視を初めとする各種公務を受ける事になる。脱出など到底不可能で、こう見えても設備はほとんど実際の監獄と変わらず、しかも内部の情報は外へ知らされる事が無いため下手な抵抗は逆に己の寿命を縮めてしまう。もっとも、ここに収監されるような犯罪者は、怪我や病気で気持ちが弱り、ほとんど抵抗する気も持てないのが実情だ。
「こちらです」
 アルジュベタ=マータが収監されていたのは、旧館の一番奥、何度もセキュリティエリアを潜った特別警戒区域の一室だった。アルジュベタ=マータは今、政府にとっても非常に大きな問題を抱えた存在である。出来る限り一般人の目には触れさせないのは勿論のこと、万が一の状況が発生する危険性も最大限警戒しなければいけないのだ。本来、この区域に収監されるのは政治犯等の重犯罪者だが、法務省にしてみれば今のアルジュベタ=マータの存在はこれらと同等なのだろう。
「面会は出来るだけ手短に済ませて下さい。物の授受も行わないで下さい。一応、これまでの検査の結果から害意は無いものと判断していますが、機械の算出するデータに確実はありません。我々は部屋の外で待機していますので、くれぐれもお気をつけて」
 看護長が扉のロックを外す。手動式のその扉を自分で開き、室内へ足を踏み入れた。その部屋は内装や家具の色が薄みがかった青で統一された、まるで精神病患者のためのような病室だった。窓は真正面に一箇所だけあるものの、当然の事だが強化ガラスがはめ込まれていて、入ってくるのは日光のみである。空気の入れ替えは全て空調で行っているのだろう。
「あらあら、これは随分とお若いお客さんですね」
 部屋の隅にあるベッドの上。そこで上半身を起こした姿勢で本を読んでいるのは一人の老女、アルジュベタ=マータだった。アルジュベタ=マータはこちらに気付くと老眼鏡を外し笑顔で俺を出迎える。驚くほど当たり前の対応に意表を突かれ、第一声を放つタイミングを外してしまった。
「私は衛国総省対ロボット班のマイケル=グランフォードです。先日の事件の経緯について、お話を伺いに参りました」
「御丁寧にありがとうございます。私はアルジュベタ=マータと申します。ベッドの上から失礼いたしますね。この歳になると自分で立つどころか、普通に座るのも大変なの。歳は取りたくないものね。せっかくのお客様にお茶も出せないなんて」
 確かアルジュベタ=マータは、自分の記憶をロボットの体に全て転送してしまったはずだ。現に、あの時にロボットのアルジュベタ=マータが、元の体に残っている記憶には障害があり自分の名前も分からないと言っていた。なのに今、アルジュベタ=マータははっきりと自分の名前を口にしている。これは一体どういう事なのだろうか。
 ひとまず俺はアルジュベタ=マータのベッド脇まで歩み寄ると、そこにあったパイプイスへ腰掛けた。部屋のドアは外から閉められ鍵がかけられる。万が一の事態に備えているのだろうが、最優先されているのは俺の安全よりもアルジュベタ=マータの身柄のようだ。もっとも、俺はわざわざ護衛してもらう必要はないし、向こうもそのつもりは無いだろう。ここへ案内されるまで、あれほどセキュリティエリアがあったにも関わらず、俺は一度もボディチェックを受けなかったのだ。
「さて、こんな年寄りにお若い方がどんな事をお訊きしたいのでしょう?」
「まずはあなたについて教えて欲しい。あなたは自分の記憶、魂をロボットの体へ転送した。それは間違いありませんね?」
「ええそうよ。間違い御座いません」
「ならば、今こうして私と話しているあなたは一体何者ですか? ロボットの方は、あなたは名前も離せない記憶の残骸のような言い方をしました。今のあなたは全く普通に私と会話をしています」
「私もアルジュベタ=マータとしか答えようがありませんわ。むしろ私の方こそお訊ねしたいくらいです。あのロボットは一体誰なのでしょう? 少なくともあれは私ではありませんわ。人様に向かってあのような振る舞いをするなんて」
 それはおそらく戦略麻酔の事を言っているのだろう。
 世間的にアルジュベタ=マータは長年の人道活動を行った慈善家の人間で知られており、人を傷つけるなどもっての他で、ましてや武器の類などを所持していたとは到底考えられていない。もしも世評をそのままに受け取るならば、確かにアルジュベタ=マータがああいう振る舞いに出るなんて考えられないだろう。だが、彼女が俺からの追求を逃れるために嘘をついている可能性も否定は出来ない。ただ問題になるのは、今の彼女にはどれほどの思考能力があるのかだ。
「あのロボットに攻撃的なプログラムがされていた事は?」
「さあ、私は存じ上げませんわ。ロボットは業者に任せ切りでしたので」
「発注は御自分で?」
「おそらく。確か自宅の書斎に注文書の控えがありました。私の筆跡でサインがされていましたから間違いは無いと思います。この歳になると物忘れも酷くて、あまり良くは覚えておりませんの」
 ロボットの方は既に諜報部が業者を洗っている。もしもそこにきな臭いものがあれば、とっくにカオスに連絡が来ているはずだ。今の所、その線は薄そうである。ただ、アルジュベタ=マータ本人が発注の事実を記憶していないのが気に掛かるが、年齢的な事や元から認知症の問題もある。あまり気にする必要は無いだろう。
「現在、あのロボットは姿をくらましていまして行方を捜査しています。何か手がかりになりそうな事はありませんでしょうか?」
「申し訳ありませんが私には何とも。私はここの所、忘れる事が多くなってあまり思い出せませんの。昔の事だけでなく、ほんの少し前の事でもね。だから隠居する事にしましたのよ。本当に歳は取りたくありませんね」
「では何故、ロボットの権利主張なんて活動を始めたのです? 確か体力的な理由で引退されたはずですが」
「あら。それは誰の事です? 誰か別の方と勘違いされていますわ」
「いいえ、あなたに違いありません。お忘れなのですか? あなたが活動を開始された時は、どこの紙面もトップにあなたの写真が載っていました」
「幾らなんでも、そんなに大それた事をしていたら思い出せますわ。まだお若いのに。お仕事のし過ぎでお疲れなんですよ、きっと」
 初めこそ思ったより普通に見えたのだが、やはりアルジュベタ=マータにはほとんどまともな記憶が残っていないようである。認知力だけは正常に近いだろうが、肝心の記憶力がこれでは話にならない。衛国総省が知りたいのはあくまで逃走中のロボットの情報だ。あまり期待も無く訪問したのだが、こう予想通りの展開になるとそれはそれで落胆も否めない。
「どうやらそのようですね。今日の所はこれで失礼させていただきます。自宅に戻ってゆっくり休ませていただきますよ」
 これ以上の長居は無用だ。早速本部へ戻り、今後の対策を検討しなくてはいけない。逃げたロボットの捜査は諜報部に任せるとして、今後の問題はやはり内部の共犯者の洗い出しだろう。
「またいつでもいらして下さいね。あ、そうそう。一つ頼まれて戴けませんでしょうか?」
「はい? 何でしょうか。私に出来る事でしたら」
「実は家に姉が住んでいるの。きっと私がどこの病院にいるのか分からないのだわ。ですから、ここの場所を教えて欲しいのです」
「なるほど、分かりました。きっと御連絡いたします」
「ありがとうございます。親切な方」
 そうアルジュベタ=マータは嬉しそうに笑みを浮かべる。
 俺は昨日、アルジュベタ=マータのデータを一日中洗っていたのだが、現在彼女は自宅で一人暮らしをしている。以前は住み込みの家政婦がいたが、丁度ロボット権利活動を始めた辺りに暇を出している。家政婦は派遣センターに在籍の確認を取っているが、確かに存在する極普通の人間だった。アルジュベタ=マータとの付き合いは長いそうだが血縁関係でもなければ、年齢はアルジュベタ=マータより一回りも下である。よって彼女の言う姉は自宅に存在していない。
 アルジュベタ=マータの言う姉とは一体誰なのだろう? 家政婦をそう通称している訳でも無い限り、彼女の身辺には該当する人間はいない。認知症の背景からすると誰かを誤認していると考えるのが妥当なのだが。さすがにこういう情報は諜報部に連携出来ないが、念のため調べておいた方が良さそうである。何事も、慎重過ぎるという事は無いのだから。