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 時速三百五十キロのサイレントモードでくすんだ夜空を駆ける軍用ヘリ。そこから見下ろす都心部の光景にはメディアで何度も使い古された表現しか思い浮かべられない自分に小さく溜息をつく。
 カオス用の装備には幾つかの種類があったが、ヘリに用意されていたのは最重要任務の際に着装するホワイトクラスの装備だった。一式にかかった開発費用は小国の国家予算に匹敵するという、我が国渾身の科学力の産物である。試作品の多いブラッククラスとは異なり、全ての兵装が完成品、実用レベルを可能な限り高めている。これだけの兵装が用意されるカオスがどれだけ重い責任を負わされているか、上役の意図が垣間見える。単純にモーリス省長が身内贔屓しているのではない。この国が抱える一つの重要な問題であるロボット犯罪、それに対する政府レベルの責任を負わされているのだ。要するに、全ての政府関係組織の皺寄せが来ているだけである。そうでもなければ、カオスのような実績も薄い新設チームに国防レベルの兵装支給は有り得ない。
「現場までどれぐらいだ?」
「残り三分です。隊長、準備は宜しいでしょうか?」
「ああ、こっちは大丈夫だ。急いでくれ」
 これほどの重装備の任務は随分と久しぶりだ。さすがに大統領府が現場とあっては事件の重要性はトップレベルである。
 全身を包む光吸収素材で出来たアンダーウェア、各部には動きを妨げないデザインで作られている反動性硬化プロテクタ、メインとなるアサルトライフルは使い慣れているモデルではあるものの、劣化ウラン弾の連続使用に耐え得る強度を持っている。他にも挙げ続けたらキリが無いほど、とにかくホワイトクラスの兵装は徹底して高品位のものが揃っている。単純に考えて戦闘能力は飛躍的な上昇が見込めるものの、逆に考えれば普段とは違う兵装を身に着けているという事が余計な緊張感を作り出したり、もしくは予想外のトラブルを引き起こす原因になるのではないかという危惧もある。
 大統領府にアルジュベタ=マータが侵入した。
 今回の事件を要約するとそういう状況だった。もちろん、ここで言うアルジュベタ=マータとは逃走中のロボットの方だ。どんな理由で大統領府に押しかけたのかは分からないが、愚かしい行動の一言に尽きる。その場所は、この国では不法侵入者にとって最も危険な場所だからである。大統領府は元々セキュリティを理由に報道関係者の立ち入りには厳重な管理体制を敷いており、劣化ウラン弾のような国際的に使用が論議されるような兵器すら使用しても公になる事はないのである。
 俺はヘリ内に備え付けてある通信機器を手に取った。コンソールを操作し、カオスで使用している帯域へ合わせて通話を試みる。
「グランフォードだ。誰か現場の状況を伝えろ」
『え、隊長ですか!?』
 返答はすぐに返って来た。応答したのはレックスである。
「レックスか。まあいい、状況はどうなってる?」
『えっと、それがですね。現在、ターゲットは大統領府の敷地内、公用の中庭のほぼ中心付近にいます。カオスで包囲していて、未だに膠着状態が続いています。交渉人を使ってターゲットとの意思疎通を試みているんですが、今の所は全くと言っていいほど会話が出来ていません』
「そうか、思ったよりもいい報告だ。よし、交渉人はもう下げさせていいぞ。俺が到着次第、殲滅にかかる。フォーメーションの確認をしておけ」
『了解しました』
「それと、アンチパラライザーは持っているな? 全員に飲ませろ」
 俺はジャケットの胸ポケットからアンプルケースを取り出し、中から白い錠剤を一つ取り出して口の中へ放り込み噛み砕きながら嚥下した。これは前回アルジュベタ=マータに使用された戦略麻酔に対する中和剤だ。ただし、副作用として効果が持続している最中は通常の麻酔も一切利かなくなってしまう。つまり、どんな大怪我をしようとも治療に麻酔は使えないため、万が一負傷してしまえば途方も無い激痛と戦わねばならなくなる。これを飲むにはそういう覚悟が必要なのだ。もっとも、カオスの実働部隊にはわざわざ覚悟を決めなければ飲めないような人間は一人としていないのだが。
「向こうは何か要求を出しているか?」
『大統領との面会を要求してます。ただ、大統領は先週から公務で出先に居ますので、大統領府には居りません』
「不幸中の幸いか。面会の目的は分かるか?」
『そこまでは、まだ。交渉人に確認します』
 今頃、法務省はこの状況を喜んでいるだろう。
 先日の事件はロボットのアルジュベタ=マータに逃走されるという、カオスにとってはあるまじき失態に終わってしまったが、それ以上に苦々しく思ったのはアルジュベタ=マータの存在を公にしたくない法務省の方だ。第三者が、このロボットと人間のアルジュベタ=マータが同一人物であると証明するのは難しいだろうが、内部告発の可能性や目ざといマスコミを考えれば潰せるものは潰さなければ安心は出来ないだろう。そんな折のこの事件だ。今回は、大統領府に不法侵入したロボットを処分するという絶対的な大義名分がある。カオスが出動するのは当然の事、その兵装がホワイトクラスであろうと何ら違和感は無い。
 しかし、法務省がこれほどアルジュベタ=マータに拘るのか、どうしても気に掛かってならなかった。現在、法務省は連合国医師協会と同様に人体のサイボーグ化には反対の意思を示している。科学的な問題もさる、ことながらほとんどの理由は生命の倫理についての観点からだ。
 その理屈を俺は、人間と機械との境界線を引き辛くなると法改正等の問題で面倒になるからと考えていた。だが、そんな程度の理由で果たして、わざわざ衛国総省に武力介入をさせ、厄介な偽装工作まで手配するだろうか。サイボーグ化の成功例が出てしまうと何か思わしくない状況になるのだろう、と曖昧に考える程度にしていたが、その状況とはかなり深刻なもののようである。一国の省庁を動かすのだから、国民の生活に非常に密接したようなものなのかもしれない。
 やがて見えてきた大統領府の建物。その外観は近代的なビルのようで、幾つかのサーチライトによってライトアップされている。だが、その敷地内の一画には明らかな物々しい雰囲気を醸し出す箇所があった。装甲車が所狭しとそれを取り囲み、空域一帯にはこのヘリと同型のものがライトで地上を照らしながら旋回移動をしている。どうやらアルジュベタ=マータはその場所にいるようである。
 ざっと見た限り、この空域にはかなり厳重な報道規制がかかっているらしく、マスコミ関係は完璧に締め出されているようである。その事がこれからの仕事の状況に、俺を安心させた。俺は、出来るだけ自分達の仕事の様子をマスコミに記録されたくないと常々思っている。その理由は、きっと俺自身が心のどこかでカオスの仕事に罪悪感を感じているからだろう。犯罪を犯したロボットの処分が仕事であるカオス、だが実際はそれ以外のロボットを処分する事も多々ある。カオスはこの国の生活をロボットから人間を重視するよう右傾化させるための組織ではないかと、そんな疑いを持った事は一度や二度ではない。俺はそんなカオスの姿を浅ましく思っているのだろう。何事もビジネスライクに割り切れない自分が疎ましく思う。
「これより着陸します!」
 さて、行くとするか。
 俺はアサルトライフルを握り締めた。
 法務省は何より体裁やメンツに拘る。もう失敗は許されない。衛国総省、カオスの威信を地に落とす訳にはいかないのだ。