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 ヘリを降り駆けつけた現場は、既に実戦独特の空気の張りが出来上がっていた。
 公用の中庭の中心部は衛国総省の装甲車でぐるりと取り囲まれ、その一角には俺と同じ兵装をしたカオスの隊員達が並んでいる。装甲車の上にも各車両に一人ずつ狙撃兵がスタンバイしている。一度包囲網の内側へ足を踏み入れれば、一分の逃げ場も存在しない。これ以上に無いほどの完全な包囲状態である。
 無数の銃口とサーチライトを一身に浴びる、この包囲網の中心に立つその姿。身につけた装飾の無いシャツとイージーパンツは薄汚れているものの以前と変わりは無く、あの晩の失態を否が応にも思い出させる苦々しい姿だ。
「状況はどうだ」
「依然、膠着状態が続いています。先程、交渉人を下げさせましたがほとんど交渉は出来なかったようです。相変わらず、大統領を出せとの一点張りで、コミニュケーションすら取れていません」
「だろうな。そのぐらいの執念が無ければ、わざわざこんな所に飛び込んだりはしないだろう」
「え? 執念って?」
「何でもない」
 俺は襟元の通信機の周波数を合わせ、そこへ口を近づける。
「これより敵の殲滅を開始する。各隊、三方より掃射を仕掛ける。狙撃班はそのままの位置で援護しろ。賊はここから生きて返すな」
『了解』
 耳にかけた受信機から口々に力強い返答が飛び出してくる。俺もまたその気迫に飲まれぬよう気を張りつつも冷静な思考を研ぎ澄まし、最後にもう一度だけアサルトライフルに未使用のマガジンが装填されている事を確認する。酒気はとうに抜けて思考は非常にクリアだ。体も程好く熱を帯び、じっとりと汗ばんだ肌が筋肉の好調を伝えてくる。これからの任務にとっては最高のコンディションだ。
 作戦開始だ。
 俺はゆっくりと中央を振り向き、そこに立つアルジュベタ=マータをじっと見据える。するとアルジュベタ=マータも俺に気付いたのか、彼女の方からも視線を真っ向からぶつけてきた。思わぬ挑戦的な態度に、息を殺して臆さぬ気構えを持って視線を更に射る。するとその直後、
「マイケル=グランフォード!」
 いきなり名を叫ばれた。
 何故、俺の名前を知っているのだろう? 逃走中にどこかで調べたのだろうか。錯綜する思案が目的地へ辿り着くのもまたず、更にアルジュベタ=マータは言葉を続ける。
「あなたと交渉がしたい! 私はこの場から逃げ出す意思も攻撃する意思もありません!」
 アルジュベタ=マータから飛び出した交渉の言葉。
 これまでに交渉自体は交渉術の専門家によって試みられ、アルジュベタ=マータはそれを自らの意思で蹴っている。にも拘らず、ここに来て新たに交渉の要求、それもわざわざ俺を指名してだ。おそらく、俺でなければならない何か理由があると考えるのが妥当だろう。
「隊長、何か御指名のようですけど。どうします? 早い所、やっちゃいましょうか」
「いや。全隊、待機していろ。狙撃兵は引き続き目標の動きによく注意しておけ。俺はこれより奴に接触を試みる」
「え? でも、隊長」
「何かあればすぐに撃て。俺諸共で構わない」
 俺はアサルトライフルをレックスに預けると、そのままアルジュベタ=マータの元へ向かった。
 俺達二人の様相を一分たりとも見逃さぬよう注目されている事が肌で感じられた。こういった修羅場は何度も経験しており、とうに思考が麻痺しているのではないかというぐらい落ち着くことが出来るのだが、人間の視線というものはいつまで経っても慣れる事が出来ない不快感を抱かせる。それはおそらく、俺が生まれつき注目される事を嫌う性格だからなのだろう。生来のものは幾ら経験した所で克服は出来ない。
「グランフォード、大統領に会わせなさい」
 会話の距離に入ると、すかさずアルジュベタ=マータは俺に向かって言い放った。それは機先を制するというよりも、こらえていたものがこらえきれなくなってしまったという切迫感が感じられる行動だった。
「駄目だ。それは出来ない。それよりも目的は何だ。わざわざ俺を指名したという事は、それなりの理由があるのだろう」
「私の目的は大統領に特赦を貰う事です。そのためにここへやって来ました」
「特赦?」
「私の存在を法的に認めてもらうためです。あなた方カオスを初め、警察や政府は私の存在を消したがっている。だから、人間らしい生活を送るための基本的な人権を大統領に認めさせなければ阻止する事が出来ません」
 正確な意味での特赦ではないが、彼女の要求ははっきりと理解出来た。大統領の権限を行使すれば、所轄から衛国総省のトップに至るまで、今後アルジュベタ=マータに権限の行使を一切禁止する事が可能だ。ただ漠然と逃げ続けるよりも、大統領一人に話を通した方が遥かに現実的ではある。唯一つ問題があるとするならば、犯罪者が大統領と面会する事自体が非現実的だという事だ。
「俺を指名した理由は?」
「あなたには、私の荒唐無稽な要求とほぼ近いものを大統領に認めさせた実績があります。それを考えれば、ただの交渉人よりもあなたに協力を仰いだ方が遥かに成功確率が高い」
 なるほど、あの時の事件を知っているのか……。
 あれは多角企業であるテレジアグループの大規模な内部抗争に巻き込まれたロボットの事件だ。たまたまそのロボットが汎用型でありながら高い戦闘力を持ち合わせており、しかも子供を人質にしているという事で俺達カオスが招集された。その後、事件の全貌が明らかになり黒幕との決着がついた後、大統領はメディアの前でそのロボットを自らの友人と称し、事件での事は一切不問とする前代未聞の措置を取った。個人的にそれは間近に控えていた大統領選挙のためのアピールの一環だと思っていたが、確かにこの事件以降大統領に対する世論は好意的な傾向が見られている。国民もまた、大統領の判断は正しいものだと思ったからだろう。
「あれは俺が大統領と交渉した訳じゃない。大統領が御自身の意思で、それが正しいと判断されたのだ。俺に仲介させても無駄だ。それよりまず、論点をはっきりさせる意味でも確かめておきたい。お前は何者だ?」
「私はアルジュベタ=マータです」
「アルジュベタ=マータは病院にいる」
「あれも私のようなものです」
「言っている意味が分からない。そもそもお前はまともなのか?」
 仮にアルジュベタ=マータの思考能力に異常があるならば、こうして間近に接触しているのは無駄なだけでなく非常に危険な行為である。
 俺はほんの僅か重心をずらし、腰にある二丁の短銃の重さを確認した。アルジュベタ=マータの戦闘力は未知数だが、火器を内蔵していない限りはどんな攻撃でも俺が銃を抜く方が確実に早い。注意さえ怠らなければ確実に何とかなる相手だ。
「私がアルジュベタ=マータと名乗るのは、他に適切な表現が無いからです」
「適切な? つまり、お前は正確にはアルジュベタ=マータではないという事か?」
「ええ、そういう解釈もあります」
 どうにも要領を得ない。
 俺は交渉を打ち切り、当初の予定通り殲滅作戦を開始する事を考えた。今の場所では自分も巻き添えになるため、一旦下がらなければならない。そのためにはある程度の援護は必要である。そのためのサインを送ろうと、俺は左手を背中の方へと伸ばした。
 しかし、それを見透かしたのか、アルジュベタ=マータが不意にはっきりと感じられるほどの強い視線をぶつけてきた。それは殺意のような攻撃的なものではなく、酷く思い詰めた重苦しいものだった。どこか決死の覚悟にも似た悲壮感を錯覚させ、気圧された俺は思わず左手を元の位置へ戻してしまう。何がそうさせるのか、自分でも分からなかった。ただ何かに取り憑かれたように、俺はアルジュベタ=マータの言葉を待つ事しか出来なくなってしまった。そして、
「私はアルジュベタ=マータが作り出した別人格です」