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「アルジュベタ=マータの父親は、自分の妻を組織に売って金を得たと、そういう訳か」
「これは立派な人身売買です。法務省は人身売買を黙認するどころか自ら進んでその市場を広げているのですよ。これを悪と呼ばずして、一体何を悪と呼びましょうか。そのような組織にあたなは従うというのですか? いいえ、あなたは正義感の強い人間です。だからこそ、衛国総省へ入ったはず。たとえ身内であろうとも悪は悪、許しておくべきではないと、あなたもお分かりですよね?」
 一般国民にして見れば、衛国総省も法務省も同じ政府機関であり身内同士のように思っているだろう。だが実際はほとんど接点の無い別組織であり、身内と呼ばれても違和感しか抱けない。しかし、かと言ってビジネスライクな関係であるかと言えばそうでもなく、むしろ互いに協力し合う親類関係と同じである。だからこの手の質問に対しての答えは同じで、衛国総省の人間として正しい行動は決まっている。
「ああ、分かっている。だが、それを知った上で俺はお前を廃棄する。秩序とはそういうものだ」
「あなたには……あなたには正義は無いのですか!?」
「ある。これが正義だ。一般人が無料で手に入ると思っている秩序は、すぐに崩れてしまう非常に脆いものだ。それを何とか紙一重の所で繋ぎ止めているのが俺達の正義だ。紙一重の秩序を守るためだ、例外は認められない」
「国家のためには、余計な枝葉は切り捨てる事も厭わないと言う訳ですね」
 その通りだ、と俺は躊躇わずに首を縦に振る。いや、断言するには躊躇いがあったからこそ、言葉が出なかったのだ。
 更に言葉を続ける。
「俺は、これまで数多くのロボット犯罪に関わってきた。お前のように正義や法律に対して疑問を持つロボットも少なくは無い。だが、衛国総省としての正義とは個人個人の倫理観で変わるようなものではない。常に不変だ。だから何を言われようと答えは変わらない」
「そうですか。あなたにも譲れない信念があるのですね。正義は相対的なものである事ぐらい、分からない訳ではありません。法務省を使ってあなたを言い包めようという考えが甘かったです。でも、安心しました。世の中にはまだあなたのような人間がいてくれて。あなたに似た人間がもっと増えてくれれば、いつかは法務省の問題も解決されるでしょう」
「法務省の件は交渉の為の嘘じゃないんだな?」
「ええ、そうです。この事はアルジュベタ=マータも何とかしようと考えていた時期がありました。結局、断念させられてしまいましたけれど」
 断念したのではなく、させられた、か。
 おそらく法務省が事前に察知して、何か公にならないような手段で妨害したのだろう。アルジュベタ=マータが著名な人間で影響力も持っている以上は、お決まりのセオリーで失踪させる事は非常に危険だ。そういった意味でも、アルジュベタ=マータは法務省にとって面倒な人間であったに違いない。既に重度の認知症でまともな活動が出来なくなっている以上、法務省は今度こそアルジュベタ=マータからは監視を解くだろう。もしもアルジュベタ=マータが未だに活動が出来る状態であったなら、任務の内容が暗殺に変わっていてもおかしくはなかった。
 ここ数日の間、アルジュベタ=マータについて数え切れないほどの資料を読んだ。彼女の人生は、二十代から今日まで一貫した慈善活動だけである。ただひたすら紛争地域へ赴いて支援活動をしたり、貧困層への奉仕活動を行ったり、本当にそれだけの繰り返しである。源流派の法王には、アルジュベタ=マータの宗旨が別な派閥でなければ、すぐにでも聖列に加えたいと言わしめたほどだ。
 自身は結婚もせず家庭を作らないで慈善活動にひたすら打ち込んだ結果国家に敵視されるなんて、本人にとっては理不尽以外の何物でもないだろう。俺は東洋の思想である因果応報を信じている。人に尽くしてきた事はそのままの形で報われるべきなのだ。それを、決して軽視できないほどの善意を、政府が摘もうとするのはやはり横暴だ。
「全体構え方止め。今より俺の指示があるまで一切動くな」
 その言葉に、周囲が僅かにざわめいたのを感じた。そして目の前のロボットは、今の俺の言葉に対して大きな疑問符を浮かべ眉を潜めている。
「何をお考えになっているのですか?」
「これが、俺が個人として行使出来る精一杯の正義だ」
 俺は両腰に携える二丁の短銃をそれぞれの手で抜いた。
 十六連装のセミオート仕様、弾丸は全て対戦闘型ロボット用の特殊弾頭の劣化ウラン弾になっている。これ一丁で重戦車すらスクラップに出来るという化物である。しかも反動を極限まで相殺出来る特殊なバレルを使用しているため、通常の拳銃の倍以上の初速を持つ弾丸ですら、片手で容易に扱えてしまう。戦闘型ロボットであろうと、当たり所によっては一発で機能停止へ追い込んでしまう事が可能だ。
「一対一だ。俺に勝てれば、この場は見逃してやる」
 銃身同士を擦り合わせ安全装置を解除する。そしてその銃口を目の前のロボットに向けゆらりと構えた。
 彼女は始めこそ俺の行動の意味が理解出来ずにそんな俺を訝しげに見ていたが、やがてこの意味を理解したらしく表情を少しずつ緩めていった。どことなくその表情に、俺は病室で面会したアルジュベタ=マータの顔が重なって見えた。目の前のロボットに入っているパーソナルはアルジュベタ=マータの作り出した裏の人格であるのだが、やはり根本にあるものは一緒なのだろう。ただ異なっているのはアプローチの方法だけで、彼女もまたアルジュベタ=マータのように人に尽くす優しさのようなものの素質を持っているのかもしれない。
『ちょっと、隊長! 正気ですか!?』
 場の沈黙を、突然襟元の通信機から飛び出してきた声が薄く濁す。俺は返答に一声も割かず、銃底で通信機を叩き潰した。これで、カオスの中に俺の命令が聞けない人間がいない限り、もう邪魔は入ってこない。逆を言えば、今後俺がどのような状況に陥ろうとも、少なくとも最低限の援護すら期待出来ない状況を作り出してしまった事にもなる。
「私に情けをかけるつもりですか?」
「あの晩、お前を逃がしてしまったのは状況判断の甘かった俺の責任だ。それを俺自身の手で始末をつけるというだけの話だ。どう解釈してもらおうと構わない」
 二つの銃口を真っ直ぐ彼女の眉間に定め、俺はゆっくり静かに自らの構えを作る。体は中心線を相手から外す半身の姿勢、利き腕である右の銃は口元ほどの高さで水平に、左の銃は胸ほどの高さでゆらりと前方へ垂直に構える。軸足の踵は僅かに浮かせ、前足は親指と中指の間に体重を集める。この構えはボクサーのそれに非常に良く似ている。火器を持たないモデルですら接近でも人間を力で圧倒するロボットに、人間が対抗するための最大効率と最大速度を重視した構えだ。ほとんどは我流でしかも発展途上だが、この構えからの戦略は戦闘型には確実に効果がある。だがそれよりも、この構えには儀式的な精神効果の意味合いが強い。自分の能力を遥かに上回るロボットと事を交えるという覚悟こそが最大の武器と成り得るのだ。精神論ではあるが、意思の統合された人間ほど強いものはない。
「やっぱり……あなたは優しい方ですね」
「進んで貧乏くじを引く、馬鹿なだけだ」