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 翌朝。
 昨夜の事件は一部の朝刊で大きく報じられていた。見出しは大統領府に侵入者とあり、記事の内容は諜報部の情報操作通り爆発物を所持した単独テロ犯が侵入を試みるも親衛隊にあえなく拘束された、と書かれていた。大統領府でのそういった事件は大して珍しいものではなく、三日も経てばすぐに人々の記憶から消えてしまうようなものだ。
 オフィスに入った俺はすぐに局長の部屋へ呼ばれた。呼ばれる理由は分かっている。俺は上着を自分の席の椅子にかけてそのまま向かった。
 部屋には局長の他に見慣れぬ男性が一人、応接スペースのソファーに座っていた。入ってきたこちらには軽く視線を向けるだけで、自分から言葉を話そうとはしない。その陰気な雰囲気はおそらく、衛国総省の統括管理部の人間だろう。
「グランフォード、こちらは衛国総省管理室のギルバート氏です。今回の事件について詳細確認のためお越し頂きました」
 管理室とは、衛国総省の各部が正常に機能しているのかどうか監視を行う機関だ。衛国総省の人間には、法律の枠から外れた特殊な権限が与えられていたり、一般には知り得ない情報を閲覧する機会があったりする。それらが正常な業務のために使用されるのは良いのだが、不正な利用を行って不当に利益を得ようとする者もゼロではない。そういった人間を取り締まるためには、風紀を正し典範を厳守させる役割が必要になるのだ。
「まずは事実確認をしたい。あなたは昨夜、大統領府の敷地内へ向かいましたが、その目的は?」
「大統領府に、手配中のロボットが侵入したため、その迎撃のためです。武装はホワイトクラス、移動には衛国総省の軍用ヘリを使用しました」
「現場に居たカオスの人員に指示を出したのはあなたですか?」
「自分が指示を出したのは、移動途中の状況確認を除き、現場に到着してからです」
 俺は場所をギルバート氏の正面のソファーへと移し腰を下ろした。
 個人的な事だが、俺はこの管理官という人間が非常に苦手だ。嫌悪までしなくとも、出来ればあまり関わりたくない人種である。彼らは現実主義を謳っておきながら総じて物事を穿った見方をし、揚げ足を取るのが非常に巧い。とにかくきな臭い匂いのする所は、何が何でも不正を見つけてやろうと粗探しをするのだ。それはもはや風紀とか典範とかをどうこうするレベルではない。強引に違反の既成事実を作り出し罰する事で、衆目への見せしめとしているのである。
「全隊へ攻撃命令を出さなかったのは、どういった判断からですか?」
「ターゲットが自分を名指しで交渉の要求を行って来たからです。交渉人の交渉は事前に行い決裂していたため、何か理由があると判断しました」
「その結果、何故あなたは部隊に攻撃の停止命令をしたのですか? 好き好んで危険な状況を作り出したようにしか思えませんが。交渉は通信機だけでも行えるし、包囲しているのであればもっと確実で安全に事を処理出来たはずです」
「それは自分の判断ミスです。銃撃戦をせずに解決出来ると判断しました。大統領府という場所ですから、個人的に劣化ウラン弾も使いたくは無いという気持ちもありました。ですが、予想外に交渉がうまくいかなかったのと、それに対するフォローが遅れてしまったため、ああいった事態に陥ってしまいました」
「一部から、あなたが決闘を申し込んだという証言もありますが」
「そのような事実はありません。一対一を希望したのは、あくまで冷静に交渉へ臨んで貰うためです」
 そうですか、とギルバート氏が言葉を遮った。
 ふとスーツの襟元に指を伸ばすと、何やらボタンを操作するような仕草を見せた。どうやら今の会話は録音されていたようである。こう堂々と行うのは局長も了承済みだからなのだろう。そもそも、カオスは不祥事を起こした側である以上は誠意を示すためにも多少の無理も利かせなければならなかったはずだ。
「グランフォードさん、では最後に一つだけ」
「何でしょうか」
「侵入したロボットと交渉された訳ですが、その会話記録はありますか?」
「いいえ。録音機の電源を入れ忘れましたので」
「どのような会話を?」
「大統領に対する不満でした。どうして人間の言う事を聞かなければならないのか、と」
 ギルバート氏は満足とも不満とも取れぬ曖昧な表情で頷くと、最後に一つだけ小さく呼気を吐き、静かにソファーから腰を上げた。
 どうにか嘘をつき通せた。同時に安堵が込み上げてくる。しかし、そんな事でうっかり真意を悟られてしまわぬよう、俺は意識して感情を殺し憮然とした表情に徹した。
「今回の件については全て省長へ報告するつもりです。事件解決が著しく遅延したの要因はあなたの判断ミスにあるようですが、実質の被害は少なく侵入者の排除自体も確実に行えていますし、また法務省からも高い評価を受けている以上はさほど重い処分にはならないでしょう。あなたはこれまでにも多くの功績をあげて来た人間です。今後はこういった、多少の注意で回避出来るような稚拙なミスを起こし晩節を汚さぬように」
「お心遣い、感謝いたします」
 ギルバート氏はそのまま颯爽と部屋を後にした。事務的で機械然としたその仕草が見えなくなった事に、緊張した空気が解けて行くのを感じた。最後の最後まで嫌みったらしかったが、思ったよりも感情が逆立つ事は無かった。やはり嘘の証言をしているという後ろめたさが怒りに火をつけないのだろう。
「グランフォード」
 と、その時。局長がデスクの前へ来るよう硬い視線を送って来た。俺は継続して憮然とした表情を作りながらそこへ向かう。
 デスクを挟んで局長と向き合う事は多々あったが、今日ほど後ろめたさを抱えていたのは初めての事である。いつもは決まって仕事上の不満をぶつけるためだけに来ていたのだからだろう。
 昨夜から残務処理に追われているせいか、顔には疲労の色がくっきりと浮かんでいる。それでも普段と同じ存在感を示すための気丈な振る舞いが、空気の密を上げて比喩的な息苦しさを感じさせる。
「今回のあなたの行動に関して、衛国総省として到底軽視できるものではありません。理由まで説明しなくとも理解出来ますね?」
 無言で頷く。
 俺の判断により、本来ならばこれ以上無く迅速に解決しなければならない大統領府での事件、その解決を著しく遅延させてしまい、結果的に二次災害の危険性、大々的な対報道用の情報規制と操作をしなければならない非常事態を作り出してしまったのだ。現場の指揮官でもある俺に弁解の余地は無い。
「本来なら刑事的な処罰も検討せねばならないのですが、先程のギルバート氏がおっしゃったように、法務省は例のロボットを確実に破壊したとしてあなたを高く評価しています。この事を考慮され、あなたの処分はモーリス長官直々に多大な寛容を戴きました。ここに身分証と銃を置きなさい。本日よりあなたを一ヶ月の停職といたします」
 俺はもう一度小さく頷き、身分証と銃を黙ってデスクの上に置いた。衛国総省から俺に与えられたあらゆる権限は、この身分証があって初めて行使が可能となる。そのため身分証を持たせられない停職期間中はほぼ一般人と変わらなくなる。だが、懲戒免職に比べれば遥かに軽微な処分である。たった一ヶ月の間、おとなしくしているだけで済むというのだから。
「何か言う事はありますか?」
「寛大な処置に感謝いたします。今回の自分の行動には猛省を重ね、その上で復帰いたします」
 そうですか、と局長は目を細めながら伏せ、小さな息を吐く。それが疲労によるものに思えた俺は、一言言い残して踵を返しドアへと向かった。個人的な自分なりの気遣いだった。少なくとも俺がここに居続けた所で何の気休めも与えられないからである。
 しかし、
「グランフォード」
「なんでしょうか?」
「いつものように反抗しないのですね」
「自分が反抗するのは、理不尽な事に対してだけですから」
 振り返らぬまま、局長の部屋を後にする。
 オフィスには内勤の面々が揃っており、一様にこちらを伺いつつも露骨な興味を示さぬよう自分の机に向かう、そういった奇妙な緊張感があった。今回、俺が何をしでかしてしまったのか知っているのだろう。常勤の者はともかく、シフト勤の中には昨夜あの場に出動していた者もいる。彼らは特に複雑な心境だろう。そういう状況も考え、俺は出来るだけ誰とも視線を合わせず自分の席の上着を取り真っ直ぐオフィスを後にした。