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 自宅に戻ったのは、丁度正午を過ぎた頃だった。
 衛国総省を出た後、どこかに寄って時間を潰してから帰ろうと思ったのだが、後ろから管理室らしき車につけられていたので真っ直ぐ帰らざるを得なかった。俺が何か不祥事を起こさないか待ち構えているのだろうか。本当にそれを監視したいのであれば、もう少しうまく尾行をするべきである。案外、わざと下手な尾行をして俺にプレッシャーをかけているのかもしれない。
 突然帰ってきた俺に対し、夕霧は別段何も訊ねず普段通りに相対した。夕霧が俺に対して興味が薄い訳ではない。ただ、俺自身も自覚出来ない表面的な変化を夕霧は察知したのだろう。夕霧は自分のエモーションシステムは壊れていると言ってはいるが、実際は非常に繊細な感性を持っていると、こういったさりげない気遣いからも俺は思う。
 遅めの昼食を取り人心地つくと、コーヒーを飲みながらテレビを眺め始めた。こんな時間にテレビを見ることは随分稀で、あまり馴染みの無い番組に初めこそ新鮮さを感じたものの、すぐに内容はさほど変わらない事に気が付き飽きを生じさせた。
 普段から休みがあまり自由に取れないことを不満に思ってはいつつも、いざこうしてまとまった長い休みになってしまうと初日からしてこのように時間を持て余してしまう。もしかすると俺は、言うほど休みが欲しい訳ではなく、ただ世間一般の常識に合わせているだけなのかもしれない。仕事以外に、それも常に死と隣り合わせのような危険なものにしか生き甲斐を感じられないなんて、随分と病的な話ではあるのだけれど。
「夕霧、俺は一ヶ月の停職となった。しばらくは仕事に出ない」
「左様ですか」
 ふと思い出したように、夕霧に訊ねられなかった事を口にしてみる。しかし夕霧はいつものように目を伏せたまま、ただそう事実だけに頷いた。
「理由は訊かないのか?」
「それこそ、私が無神経にお訊ねして良いものか憚られるものですから」
「仕事でヘマをしただけだ。そこまで神経質になる必要は無い」
「御主人様はお疲れですから、多少の判断ミスも仕方ありません」
「そうだな」
 どこでそんな気休めの言葉を覚えたのか。
 元々、気休めや慰めは肌に合わないから夕霧にも特別覚えさせるような事はしてこなかった。もしかすると、知らぬ間にアイダが教えたのだろうか。もしくは、どこかのメディアから拾った情報から学習したのか。
「御主人様、代わりといっては差し障りますが、お訊ねしても宜しいでしょうか?」
「言ってみろ」
「何故、弁解をされなかったのでしょうか? 現場では御主人様が絶対、ですから御主人様の語る真実こそ信憑性が最もあると思われるのですが」
「俺は口下手だ。何を言った所で見苦しくなる。それに、事実を歪曲してまで我が身を守ろうとするのは、俺の性に合わない」
「ですが、社会で生きていくため時にはそういった事も必要かと」
「死活問題まで及ばなければ、無意味に騒ぐ必要は無い。たとえ真実はそうじゃないと訴えかけた所でどうなる? そもそもの原因は法務省にあった。それに法務省は人身売買を行っている。そんな事を公にしてみろ。政府の信用はガタ落ちだ。俺とてどういう目に遭うか分からない。公僕は所詮、国家の奴隷なんだよ」
「申し訳御座いません。私が物を知らぬばかりに、口が過ぎました」
 そう夕霧は目を伏せながら顔を俯ける。その仕草に俺は、ハッと思い出したように自分の言葉の暴力性に気付き息を飲んだ。まさか夕霧に当たるなんて。それほど自分が苛立っているなんて気付きもしなかった。いつも冷静なつもりで極めて激し易い、俺の悪い癖だ。
「夕霧、ここに来い」
 夕霧に謝る事も出来ず、俺はいつものように夕霧を呼びつけた。夕霧は静かに頷いて俺の隣へ座ると、そのままそっと割れ物を扱うように俺の頭を太股へ預けさせる。
 夕霧に謝れないのは、夕霧がロボットであるからだ。たとえ俺が謝った所で夕霧は何一つ満足はしない。むしろ負い目すら抱くだろう。ロボットとはそういうものだ。人間に対等するよりも、人間との接点を存在意義にする。自ら諍いの元を作ったりはしない。もっとも、俺にもロボットに自らの過ちを認めたくは無いというさもしいプライドもあるのだけれど。
 ロボットとは言っても、夕霧の感触は心地良かった。人間と変わらぬ温かさと柔らかさを兼ね備えている事、そして常に自分の都合に合わせられる理由が良心を痛めない。無論、それが人間性を疑われる理由の一旦に成り得る事は自覚しており、それ以上を夕霧に対して求めたりはしない。だが、傍から見ればそんな所でいちいち揺れる俺は非常に危ういのだろう。だからアイダは俺が夕霧と物理的に接触する事にナーバスなのだ。
「御主人様は神経を張り詰めさせ過ぎているようにお見受けします」
 何を思ったのか、夕霧がそっと俺の額の上に手の平を重ねてきた。その手は女性らしい微かな体温の低さを感じさせる。
 額に手を置かれるのは視界が狭まるため鬱陶しかった。けれど、俺はあえて夕霧のさせたいようにさせた。夕霧にも自由な意思があって、何かしら尽くそうとするための意図がある。それを邪険にするのは、ロボットそのものの存在意義を否定する事に等しい。
「また仕事の愚痴でも聞きたいのか?」
「それで御主人様の気が休まるのであるならば。人は話す事でストレスが緩和させるという話を聞いた事があります」
「そうか。なら、話した方がいいのかもしれないな」
 それから俺はゆっくりと昨夜に起こった出来事の一部始終を話して聞かせた。俺が大統領府に向かった事。そこにいたのは数日前に取り逃がした手配中のロボットであった事。最後の最後で俺は情けをかけ決闘という形で葬ってやった事。夕霧がどこまで理解出来ているのか、何も問いかけてこないから俺には分からない。けれど、相手に伝わったかどうかを度外視した一方的な会話は気分を楽に解いていった。愚痴を並べるのは、幼い子供がストレスを発散するために泣きじゃくるのと同じ事なのだと思う。
 結末はいつものように、結果に対する後味の悪さと、自分を棚に上げた人間のロボットに対する非難の念を抱いて終わる、そんなものだった。
 あれだけ大層な口上を並べロボットをどうにか助けてやりたいと思う自分と、ただひたすら機械的に任務を合理的にこなすべく冷徹に引き金を引く自分。ロボットが人間味を帯び始め、人間が機械的に生きる世の中に疑問を思ったり、自分だけは人と違うのだと一線を引いたスタンスもたった一度の実戦でかなぐり捨てたり、人間なら法だけでなく時には温情を持つべきだと思いながらも昨夜のように平然とロボットを一人始末しては立場を守るために嘘までつく。いつも自分が思い通りにならないと苛立ち、けれど自分を一体どうしたいのか具体的な方針もビジョンも出せない事に更に苛立ち。そんな日常の中で、知らず知らず心が磨耗しているんだと思う。人はそうやって丸くなる。何事も寛大に受け入れる大きさを持つのではなく、ただ興味や執着を失っていくのだ。
「……ん?」
 突然、テーブルの上に置いていた電話が鳴る。夕霧は無言でそれを取り俺に差し伸べてきた。受け取ってディスプレイを確認する。
 電話の主はアイダだった。
『マイク、不貞腐れていないかしら?』
「何もかも忘れて眠ってしまおうと思っていた所だ」
『今日はそれで構わないわ。明日からは海軍の第二演習場へ行ってもらうから。懐かしいでしょう?』
「海軍の? 何故だ。俺は停職中のはずだが」
『そうよ。でも、軍歴のある一般人を臨時講師として迎えるのは不自然ではないはずよ』
「ものは言い様だな」
 つまり、俺の停職処分は示しをつけるためだけの形だけの処分であったという訳か。
 それはある程度アイダが裏々で動いたから実現したのだろうが、本当にそんな事で良いのかといささか拍子抜けする。単にカオスには、俺の居ない間の代役がいないから、たとえ停職中であろうと使えるものは使おうという事なのだろう。人使いの荒さは否めなかったものの、俺にはその方が気が楽である。
『明日からカオスの訓練はそこで行わせるわ。今後に備えてきっちりと鍛えておきなさい』
「やれやれ。ようやくまとまって休めると思ったんだがな」
『覚悟しておきなさい。この案の発案者はレックスよ。他にも大勢の賛同者がいたわ。くれぐれも彼らの期待は裏切らぬようにね。みんなあなたのファンみたいなものだから、ちょっとやそっとじゃ音は上げないわ』
「随分と人望があるんだな、俺は」
『気付かなかったのかしら? あなたらしいわ、他人に興味が無い所』
「そうでもないさ。君にはたっぷりと興味がある」
『バカね』
 そうおかしそうに息を吹くアイダ。自分でも、こんなに自然にジョークが飛ばせるほど気が綻んでいたとは意外である。しかし、今の俺の姿をアイダが見たらどう思うのか、それを想像すると心なしか胸がざわついた。
『マイク、ついさっき連絡があったのだけれど、アルジュベタ=マータが病院で息を引き取ったわ。心臓発作だそうよ』
「そうか。誰か看取ったのか?」
『彼女が解雇したはずの家政婦が看取ったそうよ。一般人は入れないようにしていたんだけれど、院内に彼女の信奉者がいたようね』
「それぐらい構わないさ。あれだけ人のために尽くして生きてきたんだから、孤独の内に死ぬのはあんまりだ」
『私もそう思うわ。だから、犯人はあえて捜さない事にしたわ』
 不思議とアルジュベタ=マータの訃報に感慨めいたものは込み上げてこなかった。ある程度予想していたからだと最初考えたが、きっと昨夜自分が引き金を引いた相手と重ねていて、既に終わった事だと整理をつけているのだろう。
 アルジュベタ=マータが分裂症を患っていたのか、非科学的な亡霊に取り憑かれていたのか、今となっては確かめる術は無いのだけれど。どちらも彼女には違いないのかもしれない。一つの魂を二つに割り、その片方が無くなってしまったから、もう片方も無くなってしまった。オカルトを通り越して文学的ですらあるが、どうせ真実は誰にも分からないのだ、自分はそう認識しておいてもいいだろう。
『そうそう。さっきパパが管理官からあなたの報告を聞いたそうよ』
「さぞ憤慨しているだろう。命令違反は軍法会議ものだ」
『そうでもなかったわ。つまらない命令に従うよりも、あえて決闘するぐらいの気概が軍人には必要だと喜んでいたから』
「困った省長だ。ところで、こっちが否定した事をあえて報告した所を見ると、やっぱり管理室は省長に俺の首を切らせようとしたんだな?」
『ええ。でも、とんだ失策のようね。あなたがモーリス省長のお気に入りだって知らなかったんですもの』