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 ホットプレートの上で静かな鼓動を響かせる赤いやかん。
 私は同じ赤色のティーポットを綺麗に洗って乾いた布で拭いて窓越しの日光へ当て、その間に茶葉の選別を始めた。
 今日のお客様は非常に精神的にまいっているように見受けられる。よほどの心労に苛まれたに違いない。だからこそ、ここを訪ねたのだろうけど。
 そんな時に飲むお茶は、やはりこれがいいだろう。何度か過去のデータに問い合わせてみるが、いずれも一番高いスコアは同じ結果だった。
 茶葉を仕舞う棚には、赤やオレンジといった暖色の缶が段階良く綺麗に並んでいる。この整理の仕方は私が任意で行ったものだ。ある一定のルールに従った整理法が、一番見た目に分かりやすく必要なものを取り出しやすいというデータに基づいたのである。
 その棚の中から黄色い缶を取り出し、蓋を開けて茶葉の状態を確認する。鮮度、香味、色艶共に良好。カビ等の悪性の雑菌が繁殖している様子も見られない。
 品質には全く問題ない事を確認した私は、先程洗ったばかりのティーポットを持ってきた。今日は天気が良いため日差しも温かく、布で拭いても僅かに残った湿気は既に無くなっていた。その中へ、ティースプーンで計りながら茶葉を正確に入れていく。投入する茶葉は、通常定められた人数分投入するものだが、実際は一人分多く投入するのが通例だそうだ。それは、お茶が濃ければ薄めれば良いだけの話で、しかし薄いお茶は濃くする事が出来ないからだ。なんとなく非効率的な気もするが、それが人間にとって当たり前の習慣であるなら、私もそれに従わない理由は無い。
 不意に、やかんがけたたましく金切り声を上げ始めた。すぐさま私は茶葉を収めたティーポットをホットプレートの傍に置くと、注意しながらやかんを持ち上げて中の熱湯をポットに注ぎ蓋を閉めた。
 茶葉を蒸らしている間に私はカップとソーサーの準備をする。お茶菓子も一緒に探したが、無くなりかけたクッキーの詰め合わせしか見つからなかった。量も一人分しか無い。けれどマスターが、誘惑されるから出来るだけ自分の目にお菓子を触れさせるな、と言っていたのを思い出す。マスターはただ何か飲むものがあれば良い、あまり伝統的なこだわりとは縁薄い人だ。なら、マスターの分のクッキーが無くても問題は無いだろう。
 頃合いを見計らい、私は白いお盆にソーサーとカップをそれぞれ四つずつ並べ、いずれも均一になるようお茶を注いだ。そして心地良い香りを立てるティーポットとクッキー、それからハニーポットを並べる。埋め尽くされたおぼんをそっと慎重に持ち上げ、私はキッチンを出て応接間へと向かった。
「失礼します」
 応接間はたまたま使っていなかった部屋をそれなりに使えるよう取り繕っただけという事もあり、二組のソファーが硬質ガラスのローテーブルを挟むように沿え付けられ、後は本棚が三つ並んでいるだけだった。しかも中に収まっている本はほとんど使わなくなったものばかりである。
 その老紳士は、そんな殺風景な応接間を気にする様子も無く、ソファーに浅く腰掛けたまま膝の上で手を組みうつむいていた。視線はどこか一点を見つめているが、靴のつま先は常に落ち着きなく上下している。それに、加齢のためではない顔色の悪さがよく目立った。
 私はそっと老紳士の傍らに立つと、テーブルの上におぼんを置き、彼の目の前にソーサーとカップを一つ差し出した。
「カモミールです。鎮静作用がありますのでお召し上がり下さい。蜂蜜などは一緒に如何でしょうか?」
 今までこちらに気が付いていなかったのか、ふと突然現れたかのように老紳士は軽く驚きの表情を浮かべ、一度こちらに目を向けてから再びカップへ戻した。
 綺麗な金色の水面を老紳士はしばし見つめる。やがてぎこちない仕草でカップを手に取ると、おそるおそる口をつけ一口だけ飲み込んだ。そして、
「ありがとう」
 と私に向かってそっと微笑んだ。安堵には程遠い表情だったが、少しでも緊張がほぐれてくれれば私はそれで嬉しく思った。
 クッキーと二つのポットをテーブルに並べ再びおぼんを手に持つと、私はそっと一礼し応接間を後にした。
 次に向かうのはマスターの居るラボだ。
 ラボは家の一番奥にある地下への階段を降りた先にあった。何故そういう構造を選んでいるのか疑問に持つ人もいるが、それはマスターの扱う情報のほとんどが非常に機密性の高いものだからである。ロボット工学者であるマスターは、その研究内容は非常に価値が高く、それを狙う者は後を絶たない。ラボが地下にあれば侵入する手段を制限する事が出来るし、視覚的にも制限されるから内部の詳細な間取りも外から調べにくい。世の中にはマシンの電磁波の周波数を受信してマシンデータに変換するような機械があるそうだが、信憑性はともかくとして、地上よりも地下にあった方がセキュリティ性が高いのは明白である。
 地下へ降りる階段の前では、常時ロックがかかっている耐衝撃ドアが道を閉ざしている。地下に用事がある場合には、パスワードを入力した上で自分の輪郭パターンをスキャンさせなくてはならない。勿論入退室は全てログに記録されている。一個人でこういった施設を持つのは珍しい事ではなく、逆に監視カメラが無い事の方が珍しいのだ。
 最近は科学技術の発達により犯罪も急速に巧妙化しており、人に可能な注意の範囲で未然に防ぐ事が出来なくなっている。マスターに言わせれば、猿には道具を使いこなす力はあるけれど、人間には機械を扱う力がないから、だそうだ。けれど世間の風潮は、あらゆる犯罪の原因は用いられた機械にあるとされている。自らの意志とは関係なく存在してしまった機械だってあるというのだけれど。
 私は眼球に搭載されている赤外線インターフェースを開くと、ドアの横にある読み取り部分にパスワードを信号化して送信した。続いてカメラが私の輪郭をスキャンし、通行が許可されているパターンとの比較を始める。
 ほんの一秒後、審査処理を終了させたドアはロックを解除して私に道を開けた。通って間もなく、ドアはまた自動的に閉じてロックをかける。用がなければ常にロックするのがセキュリティロックの基本だからである。
 そこから下り階段を十歩ほど降りると、再び別のドアがあらわれた。今度はロックのされていない、ラボの入り口である。
「失礼します」
 私は一度ドアをノックし中へ入る。
 ラボは私のメンテナンスを除いて、マスターが一人で使うのがほとんどであるためそれほどのスペースはなく、本棚と機材を並べただけで歩く事の出来る場所は非常に限られてしまう。単純に部屋が狭いだけだ、とマスターは言っていたのだが、一度ラボを目にしたテレジア女史は、基本的な整理整頓がなってないだけだと酷評した。どちらが正しい判断なのかは、私は基本的にマスターを基準にして物事を考えるのだけれど。
 ラボではマスターが一人の青年と向かい合って座っていた。いや、彼は人間ではなかった。青年の姿を形取った、正真正銘、人間型ロボットである。
 彼の固体名はホーク。ルーンメーカー社が二年前に発売した、完全受注生産の特注モデルだ。髪は短く切り揃えられた清潔感のある黒、目は強力な暗視機能を搭載したモデルに見られる赤の瞳が輝いている。背丈は私よりも一回り大きいだろう。データによると、このモデルの一番の特徴は非常に繊細なパワーコントロールであるそうだ。そのため彼の主な役目は生活上の補助である。
 彼が本日の患者だ。
 マスターはホークの前でカルテに何かを書き込んでいる。基本的に診察の段階ではデータを電子媒体に残さない。マスターにとっては紙媒体の方が信頼性が高いからである。
 個体名ホーク。稼働年数一年十カ月。エモーションシステムを内蔵している。
 一般的にこれだけの稼働年数が経過していると、エモーションシステムは人間のそれとほぼ遜色の無い高度なコミュニケーションを行えるほどに成長している。親しい仲ならば言葉が無くとも通じ合える、そんな関係現象を実現出来るのだ。
 ロボットとの会話は限りなく人間同士との物に近い円滑なものとなった。これにより何かしらの支援機能を持ったロボットの作業効率は格段に上昇し、多大な貢献を果たした。けれど、それと同時にある一つの問題が浮上した。人間と同等の高度な思考能力を持つ事は、同時にロボットに『悩む』という特殊な負荷状態を発現させてしまったのである。
 それはとある権威団体によって『セミメタル症候群』と名付けられた。セミメタルとは本来、金属と非金属の中間に位置する物質の事だが、この場合は金属は人工物、非金属は人間の事を指す。セミメタル症候群は、ロボットが人間との境界線に限りなく近づいたために起こってしまったストレス症の総称で、世界で初めてロボット特有の現象として定義された病気だ。
 本当の意味で認知され始めたのは最近の事だが、溯れば良く似た症例が幾つも発見された。今の人間にとってロボットは生活の必需品であるため、すぐさま早期対策と根本的解決を目的とした各機関が世界中で発足されたものの未だにフォーマット以外の決定的な解決法は見つかっていない。そのせいで半ばなし崩し的にセミメタル症候群は不治の病とされ、治療法はエモーションシステム自体のフォーマット以外に他無い、というのが世界標準となってしまっているのだ。
 マスターは一時期そういった機関に所属していた事があったが、すぐに意見の対立で仲違いし脱退してしまった。その拍子にマスターは機関の総括をパイプイスで殴ってしまい、書類送検で済んだものの各機関からは永久追放となった。それ以来、マスターはこうして個人での活動を行っている。その内容は、セミメタル症候群に侵されたロボットをフォーマットせずに対話両方と僅かなパッチ処理で治療するというものだ。マスターの行為は世界の定説に異を唱えるのと同義であり、当然マスターのしている事は非科学的だと批判は殺到したのだが、当の本人はまるで意に介さず、そればかりか『お前ら自分の脳ミソこそフォーマットしろ』とマスコミを通じフォーマット推奨派を挑発してしまう始末だ。
 世間にとってマスターは完全に悪人以外の何物でもない。しかし、それでもマスターを頼ってここを訪ねてくる人間は後を絶たなかった。それは、マスターの主張が決して間違ったものではない事の証明なのだと私は思う。
 私はまずホークの前にそっとカップを差し出した。すると私の方を怪訝そうに見上げながら、恐る恐るソーサーを受け取った。そして、
「お気遣い恐縮ですが、私は飲めませんが……?」
 ホークは私がロボットである事と、自分がロボットである事を私に知られている事を認識している。通常、ロボットには食物や飲料を摂取する機能は搭載されていない。それを知りながら自分に飲み物を出す私の行動が理解出来ないのだ。
 すると、
「形だけよ、形だけ。カップに口をつけるくらい、出来るでしょ? うちでは当たり前にしてる事よ」
 マスターの言い放ったその言葉に、ホークはまたも怪訝な顔をするものの言われた通りに従った。
 続いてマスターにもカップを差し出す。マスターはいつものようにカルテに視線を注ぎながら右手だけ伸ばしてきてカップを受け取った。空間の位置関係を把握しているから出来る芸当なのだと私は思った。
 そのついでに、そっとカルテを覗き込んでみる。どうやら一通りの聴取は終えたらしく、ホークの症状が簡潔に走り書きされていた。内容から察するに、一ヶ月以上前から所有者との間に疎外感を覚え、説明困難な孤独感に悩まされているそうだ。所有者とは先程の客室に座っていた老紳士の事である。
 はて、と私は首を傾げた。エモーションシステムを持ったロボットが、道具のように扱われ虐待されるケースは少なくない。しかし、私にはあの老紳士が決してそんな事をするようには見えなかったのだ。あんなに顔色を悪くし苛立って、酷く心配しているように見える。
「大体の事は分かったわ。で、何がきっかけでそう思うようになったの?」
 マスターはカップを口に傾けなら、カルテを見つつそう訊ねた。
「分かりません……いつの間にか、私とマスターとの距離感が酷く遠く思えるようになって。片時もお傍を離れた事がないのに、絶えず自分が一人で居るような、そんな孤独感に苛まれるのです」
「自分の役目は? 与えられた責務を無視した事は?」
「私は自分の力が及ばずに役目を果たせなかった事はありますが、そのものを放棄した事は一度もありません。私にとっては従事する事が全てなのです。だから、たとえ及ばなくとも誠心誠意尽くしてきたつもりでした。なのに……主は結果の如何に関わらず、必ず決まってこう言うのです。よくやった、と。私の行為の評価は可も不可も関係無く、全てその言葉統一されてしまうのです。それとも、それ自体が元から評価に値しないのでしょうか? ならば、私が心を持つ事に何の意味がありましょうか。こんなに辛い思いをするぐらいなら、いっそエモーションシステムを外してしまいたい……」
「あなたは正当な評価が受けたいから、自分の役目に従事しているの?」
「いえ、違います。私はただ……うまく言えませんけど、主にもっと沢山の言葉を戴きたいと、そう思うのです。失態を演ずれば喜んで叱責を受けます。なのに、如何な結果になろうとも私にはたったあの一言しか無い……」
 ホークは物憂げな表情でじっとカップの中を見つめた。その仕草はどことなくあの老紳士に似ているように思えた。
 ホークが黙り込むなり、マスターは再び何事かをカルテに書き始めた。そして最後に一つ、とんっ、と大きく点を打つと、
「なるほど。典型的なセミメタル症候群だ」
 小さく肩を持ち上げて呼気を吐いた。



TO BE CONTINUED...