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 場所は応接間に移った。
 目の前のソファーには、あの老紳士とホークが並んで座り、そしてローテーブルを挟んだこちら側のソファーには私とマスターが並んで座っている。
 それはもう何度も経験している構図だった。マスターの元でセミメタル症候群の治療を受けたロボットの所有者は皆、その診断結果と今後の対策の説明をこのようにして受けるのだ。あくまでセミメタル症候群とはロボットだけの問題ではなく、ロボットと所有者双方の問題だからである。
 ふと私はラボでのホークの言葉を思い出した。確かに老紳士とホークは、一見すると何の摩擦も無く円滑な関係を築いているように見えるのだが、どこか余所余所しい雰囲気が否めなかった。それは決してこの二人に限った現象ではない。セミメタル症候群の影響は本人だけではなく関わる周囲の人間にも何らかの形で及ぶ。だから人間関係に亀裂が生じるのは当然なのである。
 それを具体的に現す一例として、ソファーの座り方がある。老紳士とホークは同じソファーに座ってはいるものの、二人の間には他人とも親類ともつかない微妙な距離感が保たれている。ただ、不謹慎だが面白い事に、その距離は一様に共通しているのだ。何かしら法則のようなものがあるのだと、これを見る都度いつも私は考える。
「では、彼の症状についてですが」
 そうマスターは落ち着いた口調で話し始める。すると、老紳士の視線が食い入るようにマスターに突き刺さり、反対にホークはさも憂鬱そうに視線を膝の間で組んだ手に落とした。
「御指摘の通りセミメタル症候群でした。ですが典型的で初期の症状です。今後のコミニュケーションのやり方によって十分回復出来る範囲でしょう」
「対話療法というものでしょうか?」
「そんなとこです。心配はないですよ」
 マスターはまるで友人にでもするように、ニッと笑ってみせた。私もこれまで何度かマスターと一緒にセミメタル症候群を患ったロボットを見てきたが、今回のホークの件は確かに比較的軽微なものだ。ホークは所有者との関係がうまくいかなくなっているものの原因は朧げに自覚しており、ただそれが口に出来ないためストレスを感じているだけなのである。過去に最も酷い症例では、人間で言うノイローゼに近い自殺願望を持ったロボットがいた。メディアからの知識で得た人間の自殺法を実践するという奇行を繰り返す症状が見られ、さすがにカウンセリングだけで治療は出来ず、マスターは治療のたびにエモーションシステムを洗ってはパッチ処理をかけていた。人間でいう投薬治療のようなものだが、それに比べたらホークの症状は遥かに軽く悲観する要素は全く無い。
 けれど、それでも老紳士の表情から曇りが消える事は無かった。むしろ苦悩の皺がより一層深く刻まれたように見える。
 どうしてなのか、私はその理由にヶ見当がついていた。ここを訊ねる人間の内的傾向にも共通するものがあるからである。
「しかし、私は……分からないのです。ホークとどう接してやればいいのかが」
 深い溜息。彼の苦悩の重さがそのまま滲み出ているように思えた。
 すると、
「そんなことを考えてる時点で間違ってるわ」
 マスターはあっけないほど明るい声で答えた。
「ロボットが求めているのは、人間と同じ扱いよ。あなたはホークを心のどこかで道具としか見ていないの。人間が造った物、だから一線を引いた付き合い方をしなくてはならないってね。それが知らず知らず自分の言動に出てしまって、ロボットは敏感に感じ取り孤独感や疎外感を覚えるのよ」
 ね、とマスターはホークに向かって首を傾げて訊ねた。しかしホークはマスターの言葉を理解出来ていないのか、もしくはそれに対する自分の反応を見つけられなかったのか、ただ一時だけ目を合わせて再びうつむいた。
「ただ、自分の子供だと思えばいいのよ。良い事は褒める、悪い事は叱る、たったそれだけの事じゃない。わざわざ教えなくちゃいけない?」
「その、私には子供はいませんから……」
 子供がいなければ子供を育てられない訳ではないが、子供がいないから接し方が分からないというのは確かに正論だ。けれど、人間は生まれつき子供の育て方など知識として持ってはおらず、その中で授かった子供を如何にして育てようかと模索する事が子育ての大半なのだととある評論家が言った。つまり、老紳士の言葉は正論であると同時に、自身の行動力や実行力の無さを露呈するものでもあるのだ。
 いないから知らなくて良いというのは論点そのものがずれている。しかし、この場所この構図で、この言葉、もしくは類似する言葉を聞いたのは一度や二度では無い。子供を育てた事が無い、もしくは育てる事に自信がない人が多くロボットをセミメタル症候群に陥らせているのだ。
 根本的な原因は明白である。コミュニケーション能力の不足と指導力の無さは努力で幾らでもカバー出来る。しかし彼らにはその努力しようという気持ちがすっぽり抜け落ちているのだ。
 これらの論理はマスターが行き着いた、セミメタル症候群に対する一つの答えだ。私はただ部分的に意味だけをくみ取れる程度にしか理解出来ていない。けれど、確かに私は一人で歩く力など持っていないから、誰かに道を指し示して欲しいと思う。それが無くなってしまったら、きっと私もホークのように思い悩んでしまうだろう。
「ああ、もう。面倒臭いなあ。とにかく、ロボットだとか人間だとか、一度そういう定義を忘れなさい。彼は、ただ体が人工物であるだけで中身は人間と変わらないのよ? でも、稼働年数ぐらいにしか心が成長していない、いわば子供なの。だから、きちんと人間が手を引っ張ってあげなくちゃならないの。それとも、まさか人間との接し方も知らないなんて言わないよね?」
「しかし、ロボットである事に変わりはないですよ。私は人並みに分別をわきまえた人間だ。人間とロボットを混同する事なんて出来ない」
 それは私に対して放たれたのではないのだけれど、思わず胸の奥がちくりと痛む言葉だった。人間とロボットを混同する人間は社会では異常な思想であり、それがロボットであればセミメタル症候群の患者とされてしまう。私もそういった考え方を一般的な良識として認識しているのだが、改めて主張する事はまるで人間に歩み寄ろうとするロボットを拒絶しているように聞こえ、自分の存在を否定された気分になってしまうのだ。
 すると、
「じゃあ今まで、そんな風に扱ってた訳? 便利な道具だなって。そういうのが分別なんだし」
 マスターは口調を一転させると、わざと老紳士を嘲るかのような言葉を言い放った。
 真意ではない、とすぐに私は思った。マスターは誰彼構わず他人を貶すような言葉を安易に口にする人間ではないからである。
「それは違う! 私はホークを実の息子のように思っている!」
 その言葉に敏感に反応した老紳士は、急にいきり立って驚くほど強い口調でそう言い放った。
 あまりに意外な様子に私は少なからず驚きを覚えたのだが、それ以上に驚きを見せたのは傍らのホークだった。まさか老紳士がこれほど感情を露にするのは彼自身も初めて見たのだろう。
 そんな老紳士の様子を見て、マスターは物静かに構えたまま彼の表情を見つめていた。やがて何かを見つけたかのように、ゆっくりと口を綻ばせて笑みを浮かべる。
「なんだ、ちゃんと分かってるじゃない」
 は、と老紳士は息を飲んだ。マスターの言葉に乗せられてしまった事に気が付いた、そんな表情である。
「その気持ちでいいのよ。無理に人間とロボットを区別する必要は無いわ。自分で思った通りに接してやればいいの。良い事は褒めるし、悪い事は怒る。問題はあなた自身なのよ。自分は力が足りない事を自覚する事、それが出来れば自ずと道は開けるわ。問題が分かったのなら、後は考えること。考える事を怠らなければ、きっと少しずつ良い方向へ向かえるわ」
 人間とロボットとのコミュニケーションの問題の大半は、自分が正しいという先入観だ。ロボットとは生まれながらにして成人に相当する知識は与えられているが、精神構造そのものはほぼ幼児に近い。それを人間が理解してやらなければ、子供に大人の論理を理解させる事が不可能であるように、必ずロボットとの関係に亀裂が生じてしまうのだ。
 エモーションシステムとは、単なる思考回路ではない。人間の精神そのものの模写なのだ。そこに懐古的なロボットの理屈を押し付けた所で、ロボットは自らの存在意義に疑問を生ずるだけである。エモーションシステムを搭載した以上、それはただの道具ではなくて魂の宿った人形なのだ。マスターの言葉を拝借すると、高度なロボットが誕生した事で人間は考える力が衰え、ロボットを扱うには幼稚すぎる生物に退化してしまった、けれどそれについて無自覚な人間が多過ぎるからセミメタル症候群のような病魔が生まれたのである。
「ホーク、今まですまなかった。こんな愚かな私を許してくれ」
 老紳士はうっすらと目に涙を浮かべると、傍らのホークの肩を痩せた指で掴んだ。ホークは彼の手にそっと自分の手を重ね、この家に来て初めて真っ向から老紳士の顔を見据えた。
「主、私は一度たりともあなたをお恨みした事はございません」
 まるで憑き物が落ちたかのような、あれほど消沈していたとは思えない朗らかな表情だった。きっと、自分の苦しみを理解された喜びが今のホークにそんな顔をさせているのだろう。
 二人の姿が非常に微笑ましく思った。ロボットにとって最大の幸福とは、自分を完全に理解してくれる人間に仕える事だと私は思う。相互理解とは人間同士でも難しい事なのだから、人間とロボットが完全に理解し合う事は不可能なのかもしれないけれど、理解しようとしてくれる人間に出会えるだけでも十分に幸せだ。けれど、決して二人が羨ましいとは思わなかった。何故なら、マスターと私の関係もまた、このように理想的なものだからである。
「ドクトル鷹ノ宮、私はあなたに会えた事を神に感謝したい。あなたがいなければ、私もホークもきっと永遠にすれ違いながら暗闇を歩き続けていたでしょう」
 老紳士は正面切って言い放つ謝辞を、マスターに対して何ら惜しもうとはしなかった。けれど、
「やめてってば。私は好きでやってる事だし。それで食っていけりゃ都合いいのよ」
 マスターは薄く頬を赤らめて照れ笑いを浮かべ、まともに目を合わそうともしなかった。マスターは真っ向から謝辞を受ける事が苦手だからである。正当な評価を受けているのだから、私は拒否する理由は無いと思うのだけれど。やはり、私にはまだ人間の事が完全に理解出来得ていないようだ。時々思う、自らの人間的成長への飽和状態は、いわゆる一種の驕りなのだろう。
 私は人間らしく生きようとする努力はしないが、人間を理解しようという努力は惜しまない。反対に、自らをどれだけ人間に近づけるかに懸命なロボットもいる。どちらが間違いでどちらが正しいとは誰も決めてはいない。どちらも、同じ向上心に他ならないからだ。
 セミメタル症候群はそんな過程の中でぶつかる壁の一つであるとも私は思う。それを乗り越えられるか否かで、どれだけ人型ロボットに対し暗黙の内に架せられた『人間』という命題に近づけるのかが大きく左右される。しかし、人間にとってもロボットにとっても、セミメタル症候群とはあまりに未知数の大きいものだ。人間に理解出来ない事全てをただ一概にそう呼んでいるだけだとしても決して間違いではないほどに。だから、たとえ全てを理解している訳ではなくとも、乗り越えるには導き手が必要なのだ。決して背を押す訳でも無く、真実の片鱗を教える訳でも無く、ただ見失った自分の居場所を知らしめ選択肢を示す導き手が。
 マスターが好きでやっているという言葉に嘘は無い。だから、誰よりも真剣に前向きにこの問題に対して取り組んでいるのだ。私はマスター以上のカウンセラーは世界に存在しないと確信している。たとえ世間はマスターを良識の欠落者とあざ笑っても、私の考えは絶対に変わる事は無いし、事実こうして導きを求めてくる人も後を絶たないのだ。いつかマスターに対する理解は一般的なものになるはずである。
 もう一つ、ここを訪れる人間に共通する傾向がある。それは、必ずマスターに対して深い感謝の意を現す事だ。
 歩むのは自分自身であっても、見えなかった目を開いてもらう事はそれだけで大きな勇気が得られるのだ。



TO BE CONTINUED...