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 買い物を終え、私は日の暮れた家路についた。
 街灯の人工的な光に照らされた歩道は、昼間とは違って目に痛いほど強く照らし出されている。私はあまり街灯の光は好きになれなかった。明度は決して高すぎる訳ではなく、むしろ暗視機能の弱い私の目にとっては白昼と同等以上に視界の精度を保ってくれる便利な公共物だ。もしも光が眩し過ぎれば、適量に感度を絞れば良いだけの話だ。けれど、日光と街灯とでは光の質に決定的な差異がある。光の波長や色彩など分析すれば多々あるのだけど、生活換装である私の人工視覚にそこまでの分析能力はない。機能面だけで考えれば、人間と同等程度の視力だろう。だけど、日光と街灯との違いは明確に分かった。それは私が明度以外の視点から光というものを認識しているからに他ならない。機能性以外を認識する必要性など私には無いのだけれど、そんな事をするのはそれだけ私の思考レベルが人間に近づいているからだ。
 私は自分のエモーションシステムの成長に、いつしか喜び以外の感情を覚えるようになっていた。
 エモーションシステムが成長するという事は、私が人間に近づくという事。即ち、生れ落ちた時に定められたマスターとの心理的な距離が狭まるという事なのだ。主たる人間との主従関係によってのみ自らのアイデンティティを確立できるロボットにとって、人間に等しい思考を手に入れる事は一つの究極系である。肉体的に人間そのものへ進化する事は現在の科学力では不可能であるが、精神の進化は現実的に可能なのだ。そもそもロボットとは、人間が人間を創造する思想の一派から生まれたものなのだ。その究極の一端に辿り着く事は、人間だけでなくロボットの喜びでもあるのだ。人間とロボットの境界線を意識するのは、人間よりもロボットの方が強い。
 これ以上感度を落とすのは視覚の認識力を落とす事に繋がるのだが、私はあえて少しだけ感度を落とした。そうする事で街灯の光が僅かに薄暗くなり、人工的な力強さを感じにくくなるからである。自分に対して何一つ益になる事は無いと知っていながらも、精神が欲するという理由だけで非効率的な事を行う行為を、拘り、と呼ぶ。地球上でそんな事を行う生物は人間しかいない。つまり、私の人間性を証明する一つの理由だ。
 私はロボットとして特殊な部類なのだろうか?
 それは私にとって喜ぶべき事であった。何故なら、人間を模造したロボットがロボットらしくないという事は、反義的に人間らしいという事だからである。
 しかし、何故だろうか、私はあの子の言葉が耳から離れなかった。
 変なロボットだ。
 その言葉は、人間らしいのか機械然としているのかとは違う意味合いを持った尺度だ。変な、という表現はむしろ私がロボットとして正常に機能しているのか否かという意味合いが強い。
 私にはバグがあるとでも言いたいのか?
 自分で自分にバグがあるかどうかを自覚するのは、人間が自分の健康状態を完全に把握出来ないのと同じで非常に難しい事だ。しかし、会話や行動からそうと感じ取れるバグならば、どうしてマスターが気づかないのだろうか。
 子供の言う事だ、ただ自分の幼稚な意図にそぐわない行動を取られたからそう言っただけなのだ。私にバグがある事にすれば、少なくとも自分の中では自分を正当化出来るのである。
 何にせよ、私も少しどうかしている。いつまでも取るに足らない子供の言葉を気にするだなんて。いや、そもそもロボットの気がどうかしてしまうなんて事はあるのだろうか? それこそセミメタル症候群ではないか。大丈夫、私は何の問題も無い。
 オートバランサーの制御と平行し、スーパーからずっと続けている私の思考は、自分は正常であると認知していながら非常に不安定に揺れ動いていた。これは一体どういう事なのか、と更に上位の統括思考で観察し分析を行う。
 そもそも私は、ロボットに対する人間の悪意というものをメタルオリンピアを通じて体感しており、意識の根底には人間に対する恐怖心が根付いている。大半の人間にとってロボットとは便利な道具でしかない現実、自分に対する害意には非常に脆い点があるのだ。それが、たとえ自分が社会的正義を貫いたにも関わらず逆恨みとして向けられた悪意だとしても、アシモフの三原則をロボットが人間の如何なる意志にすら干渉する事を禁ずる枷と考えるのが世界共通なのであれば、紛れも無くその悪意はロボットへの蔑視なのだ。
 ロボットは人間に捨てられる事を何より恐れる。自律行動の自由を与えられていても、何かを基準にしなければ何も出来ない、無自我の存在だからだ。ロボットは必要とされるからこそロボット足り得るのであって、人間に拒絶される事は死刑宣告にすら等しいのだ。
 私は極めて現実的にロボットという立場の不具を理解している。だから、その弱みに付け入る人間の悪意が恐ろしくてたまらない。自分には拒絶する事が出来なくとも、悪意に従えば、体が、魂が、悲鳴を上げるのだ。
 しかし、それはあくまで大局的な観点だ。私は自分が人間を恐れる理由は知っている。けれど、私が従属するのはエリカ=鷹ノ宮という人間ただ一人だけだ。極論を言えば、それ以外の全てから拒絶されようと自己を保つ事が出来るのだ。名も知れぬ子供一人に拒絶されようが、私には何の関係も無い。ましてや、自己の存在意義が崩壊するなんて絶対に有り得ないのだ。
 件の事についての結論が得られた思考をクローズした私は、本日購入した品物の内訳をリストアップし買い漏れが無いか確認作業を始めた。そしてそれぞれの購入にかかった費用を、ホットライン経由で自宅のサーバーにある家計簿データベースの出費項目へそれぞれ登録していく。支出が行われたらすぐに計算する必要は無いのだが、何となく先延ばしにしておくのは何らかの拍子で失念してしまいそうで不安になるのだ。ロボットに失念する事など有り得ないのだけれど、それもまた私の獲得した人間性の一つなのだろう。
 大通りから住宅街へ続く細い通りへ抜ける。
 街灯の間隔が広まり、やや周囲が薄暗く感じるようになった。私は目の感度を元に戻し、オートバランサーを再調整した。光は依然人工的な印象が否めないものの、大通りのような明るさが無いだけでも随分と目に優しく感じられた。
 私の住む家は住宅街の一角にあり、日も暮れると辺りはしんと静まり返ってどこか物寂しい気がした。家々の窓からカーテン越しに漏れてくる温かい光が無機質な通りを賑やかに飾り立てている。けれど、それが一人で道を歩く私の孤独感を一層刺激して、自然と足取りも早くなっていった。あの光の元では、それぞれがそれぞれ家族の団欒をしているからである。私はマスターと二人で暮らしている。私が一人外出していれば、マスターも自宅で一人過ごしている事になる。そこへ一秒でも早く戻りたいと思うのだ。マスターが孤独に苛まれているのでは、という不安感もある。けれどやはり一番の理由は、早く自分が寂しさから解放されたいという想いだ。
 最後の交差点は信号が丁度青く点灯していた。私は駆け足で歩道を渡り、家の方向へ角を曲がった。
 この通りの傍らに私の家があるのだが、街灯の数は更に減って薄暗いと言うよりも暗いと表現する方が近く、傍目には廃墟が連なっているように思えた。少ない街灯の数の中には壊れて点灯していないものもある。マスターは以前、市役所のその旨を伝えたのだが一向に改善される様子は無く、結局自分で直そうと勝手に街灯へよじ登り、それを目撃した近所の住民に通報された事があった。公共物へ勝手に手を加える事は犯罪であるため書類送検となったが、マスターは以前にも同様の事件を起こしているため、役所から要注意人物として要最低限の事でしか書面等を受け付けてくれなくなってしまった。
 私もこういった所に税金を使用するのは正しい事であると思うのだけれど。世の中の構造が理不尽なのは、必要以上に利益を求める馬鹿がいるせいだ、とマスターは憎々しげに言った。需要と供給のバランスが均一にならないのは、少なからずそういった一部の人間の不正のせいなのだろう。
 感度を上げて視界を明るく保ち、歩調を若干早める。
 さあ、早く家に帰って夕食の準備をしよう。マスターもお腹を空かせる時間帯だ。
 それは自分に対する理由でもあるのだが、自分の行為と他者を常々比較する事は私の思考をクリアにするのだ。今、自分がしなければならない事を非常に明確化するからである。
 と。
「ん?」
 ふと私の感覚素子が、日常生活からは発生し得ない何かの異音を捉えた。すぐさま足を止めた私は詳細なデータを収集するため、リソースを視覚以外の感覚素子に集中させ、機能を最大レベルまで解放する。
 居たぞ、こっちだ!
 追え! 絶対に逃がすな! 殺しても構わん!
 聞こえてきたのは、物々しい雰囲気のする男達の声と足音。直後、サイレンサーを使用していると思われるくぐもった銃声が続けて三発、聞こえてきた。硝煙の有無までは確認出来なかったものの、まず銃器類のそれを使用したものと思って間違いないだろう。
 用いられてる単語は元より、住宅街で発砲している事実からして、とても穏やかなものとは思えなかった。確実に何か違法な行為が行われている。それも、日常には決して馴染む事のない重大なものだ。
 ちっ、ジャムったぜ。
 ちょこまかしやがって!
 聞こえてくる音は徐々にこちらへ近づいてくる。誰何が追う誰何が、こちらに向かって逃げているからだろうか。しかし、路地からわざわざ広い通りへ向かうのは、障害物を無くすため銃にとっては都合が良い。その上この時間帯であれば目撃者が現れる可能性など皆無に等しい。それを考慮出来ないという事は、それだけ追い詰められているからなのだろうか。
 私はマスターに、極力面倒事には首を突っ込むな、と言われていた。それは、マスターが世間から否定的な風評を受けているため、私が問題を起こせば互いの首を絞める事になるからである。マスターは元より、私も最悪の場合廃棄処分されるかもしれないのだ。マスターは自分が幾ら前科をつけられようとも微動だにしない人だ。けれど、自分の大切なものが傷つくことは毛先ほどでも耐える事が出来ない。マスターにとって私を失うことはこの上ない苦痛なのだ。
 だがその一方で、マスターはこうも言った。人の道から外れる事だけは絶対にするな、と。
 息づかいの数は四つ。その内三つは、二十代から三十代半ばほどの男性のものだと推測出来た。しかし、最後の一つはトーンが二段ほど高く、彼らに比べてテンポが速いように思う。さほど歳を重ねていない子供のものだろう。逃げているのはこの子供だ。
 善悪の判断とは、人間にすら困難である、統一された基準の存在しないものだ。しかし、私は迷わずその判断を下した。銃を持った大人三人に追いかけられる子供を救う事が、悪と評されることなんて絶対に有り得ないと思ったからである。
 買い物袋を手にしたまま、私はすかさず感覚素子が捉えたその場所に向かって飛び出した。状況はすぐ側まで迫り来ていた。だから私にとって必要なのは、たった一度路地へ曲がる事だけだった。
 見つけた!
 私の感覚素子が遠隔的に把握していた事象を視覚素子だけで認識する。推察レベルでの情報が視覚素子から得られる精確な情報によって更新され、メモリ内に幾何学的な戦略図へ変換され展開して行った。まるで蕾が一気に開花する感覚に似ている。
 それは何とも異様な光景だった。
 最も私から近い位置に居るのは、フットボールチームのキャップを被りシャツを身に纏った子供、そしてそれを追いかける、真っ白なワイシャツに黒いスーツを着込んだ三人の男達。
 突然現れた私に、四人が一様に驚きを見せた。人間とロボットでは想定外の出来事に対しての状況判断にかかる時間には大きな開きがある。だから仕方のない事だが、私は判断を終了していない四人から、新たな敵、として認識された。



TO BE CONTINUED...