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 少しだけ、私の日常が変わりました。いつも一人で行く買い物なのですが、今日は同伴する人がいます。どちらかと言えば、子守に近いものだけれど。
「なー、また昨日のスーパーに行くのか?」
「ええ、そうですよ」
 正午前。冷蔵庫を確認した所昼食の材料に乏しいかったため、私は夕食の買出しも兼ねて買出しに出ていた。
 私の手が連れるのは、ココという名前の女の子。
 歳にしてみれば十代前半といったところだろうか。しかし、その口調と髪をすっぽり覆い隠すフットボールチームのロゴが入ったキャップのせいで、どちらかと言えば男の子のように見える。顔立ちは目鼻立ちがはっきりして瞳の大きく、確かに女の子らしいのだけれど、表情や立ち居振る舞いが全く男の子のそれなので、思わず勘違いしてしまうのはマスターや私だけではないはずだ。
 普段は夕方になってから出かけるのだけれど、今日は二日分ほどあったはずの食材の減りが予測よりも早かったためである。理由は簡単な事で、ココが体格の割に食欲が旺盛だったからだ。男女問わず、それは十代を迎えた者にとっては決して珍しい事ではない。体が成長するために栄養を多く求めるため、結果としてそれが食欲に反映されるのだ。そして、マスターは体調に関して非常に敏感で、食事の量もいつも抑え気味に留める事が多い。食材はそれに合わせて購入するのだから、単純に倍近く食べるココが入ればこうなって当然なのだ。
「エリカはどっか行ったの? 朝ご飯食べたらいつの間にかいなくなったけど」
「御友人の元へ出かけられました。なんでも、重要なお話があるとかで」
 友人とは無論、ミレンダ=テレジア女史の事だ。彼女はマスターと肩を並べるほどの優秀な技術者であって、ハイスクール時代からの馴染みである。けれど私の場合、女史が製作した私とは兄弟機に当たる戦闘用人間型アンドロイド、シヴァとの方が馴染みが深い。かれこれ半年以上も姿を見てはいないのだけれど。
「ふうん。ま、うるさいのがいなくて楽だな」
「あの……そういう言葉は、出来れば私のいない所でお願いします」
 ココは私と違ってマスターに対し遠慮というものがない。平気で敬称を怠り、不遜な態度を正面切って取るふてぶてしさは、初めマスターは不快感を示してはいたものの、一夜明けた頃には既に矯正を諦めてしまっていた。今はそれよりも重要な件があり、テレジア女史の元へ赴いたのもそれが理由なのである。
 それにしても、随分と急な事になってしまった。
 未だココの素性ははっきりと的を得ないのだが、マスターの決定によりしばらくの間ココをうちで保護する事になった。いわゆる居候と呼ばれるものなのだが、世間一般の居候とは違って非常に態度は横柄だ。十代の頃は恐いもの知らずとは言われるけれど、ココの場合はそれとは違い、どうもこれまでに常識的な教育を受けていない節がある。つまり、物事の良し悪しや常識的な礼節が分からないのだ。それらの事は教えられなければ身にはつかないのだから、ただ一方的に怒るのではなく、きちんと正しい事を教えてやらなければならない。
「ラムダって、喋り方が人間っぽいけどさ、その言葉遣いって疲れない?」
「そんな事ありませんよ。あらかじめ決められたテンプレートに当て嵌めて発声しているだけですから」
「ロボットだな、やっぱ。でも、そのくせ人には説教するんだよな。変なロボット」
 そういう彼女の言葉には悪意は感じられなかった。どちらかと親しみを込めた言い方だ。
 言葉とは非常に解読が困難なもので、同じ意味を持つ言葉でも使い方や言い方、放つ本人が変わるだけで意味合いが千差万別に変わる。ロボットである私はどうしても単方向型の理解をしてしまいがちな傾向にあるから、いつも人間との会話には最大限の注意を払う。エモーションシステムの成長はそれらの誤差を補正してくれるのだけれど、そればかりに頼ると逆に成長が止まってしまうのだ。
 スーパーに着くと、やはり昼前という事もあって買い物客の姿は夕方同様に多く見られた。私は人間の作法に倣い、入り口に並べられたカートを回し、それを押して店内へ入って行った。
 今日の献立はどうしようか。
 マスターとココの食事の嗜好は正に正反対と言って構わないだろう。マスターはとにかくカロリーと栄養摂取効率に気を使い、ココはただひたすらボリュームによる満腹感を求める。極端な表現を用いれば菜食主義者と肉食動物だ。その双方を満たす献立となると、これまでに経験が無いだけに悩み所である。
「ねえ、ラムダ。これ買ってよ、これ」
 丁度私が野菜コーナーから出ようとしたその時。いつの間にか傍を離れていたココが、何やら手にして揚々と戻って来た。ココが持ってきたのは真っ赤な包装紙に包まれたチョコレートバーだった。昨日の民放のCMで新商品として宣伝されていたのを見て、覚えていたのだろう。チョコレートに交ぜられた三種類のナッツそれぞれの異なる食感を売り文句にしていたが。
「いけません。マスターには、勝手な買い物を許可されていませんから」
「一つぐらいいいじゃんかよ。どうせエリカなんて黙ってりゃ分からないんだろうしさ」
「ですが、そういう命令ですから」
「もう、ロボットはいつもそうやって命令命令ばっかりだ。いいよ、こっそり持って行くから」
「やめて下さい。それは犯罪です」
「じゃあ買ってよ。こっそり買うか、見逃すか、二つに一つだよ」
 頑として譲る隙を見せない、あまりにも頑なな表情で私を見据えるココ。ロボットの私にも、それが冗談で強情を張っている訳ではない異が分かった。
 仕方が無い……。
 渋々私は頷くと、チョコレートバーをカートの中へ入れるよう促した。途端にココは満面の笑みを見せると、すぐさまカートの一番奥へチョコレートバーをゆっくり慎重に押し込んだ。
 ここはちゃんと買ってあげて、後でマスターに正直に報告しよう。命令違反ではあるけれど、違法な行為を知っていながら容認するよりはいい。
「ラムダって扱いやすいね」
「どうしてですか?」
「どっちか選べって言えば、きちんと選んでくれるもの。人間っぽいとこもあるけど、選ぶしか出来ないからやっぱロボットだ」
 そうですか、と私は機嫌良さそうなココに向かって曖昧に微笑んだ。
 けれど、ココの言うそれは正確ではない。私にも人間と同じような提案する能力はある。今も本当は、一切要求は無視し盗ませぬよう監視する、という強攻策もあったのだけれど、それでは幾らなんでも可哀想だと思ったので、あえてココの上げた選択肢から選んだだけに過ぎないのだ。
 しかし、私は反論しなかった。ココの言う通り、私はロボットであるから人間の言う事に口を挟み過ぎてはいけないのだ。だから、何かを言われても肯定も否定もせず曖昧に微笑む事が正しい時もあるし、そうする事がよりロボットらしい。人間がロボットに求めるのは、必ずしも同じ人間のそれとは限らないのである。
 それからぐるりとスーパーを一周した後、レジにて精算を終え、品物を袋に詰め込んで家路についた。
 いつもよりも買い物の量が多いため、珍しくスーパーのビニール袋も一枚貰って運ぶ事になった。それで私の両手は塞がってしまい、ちょろちょろと周囲を駆け回るココに漠然とした不安感をかきたてられる。ココは精算済みである事を示すスーパーのシールが貼られたチョコレートバーを手に、さも上機嫌に飛んだり跳ねたりしている。家に着くまでこんな調子なのだろうか。
「今夜の夕飯は何?」
「挽肉が安かったのでハンバーグにしようと思います。マスターの分は豆腐で作りますが。ココはハンバーグは好きですか?」
「さあ? それって何なの? 俺はあんまり外の食べ物は知らない」
 首を捻るココの態度に嘘は感じられなかった。
 現状でココに対する認識は、これまで極めて閉鎖的な空間で育てられたため一般的な文化に対しての知識が非常に乏しい、というものだ。食事も特定のものだけを決まったサイクルで与えられていたのであれば、こういった事態も止む無いのだろう。
「分からないのに訊いたのですか?」
「それぐらい酌んで、分かるように説明しろよ」
 どんっ、とココが軽く私の脇腹を肘で突付いた。子供のするそんな事でロボットの私がどうにかなる訳ではないのだけれど、さすがにこればかりは見過ごす事が出来なかった。私はじっとココの顔を上から見据えた。
「私に対しては構いませんが、そういった言葉遣いや態度はあまり良くありませんよ。女性が自分を呼称する時は、私、とする方が一般的です」
「別にいーだろ、そんなのはさあ。説教臭いなあ、お前」
 ふん、と顔を背け、ココは私を遠ざけるように軽やかなステップを前方へ三つ踏んだ。慌てて私は歩を早め、ココとの距離を先程と同一に保つ。
「差し出がましいかもしれないですけど、私はココの社会的評価を憂慮した上で進言しています。ですから、必要不要は御自身で判断して構いませんから、ただ聞き流すのではなく、せめて一度ぐらいは見当して下さい」
「言ってる事が難しい。もっと簡単に」
「私が口煩いのは、ココのためを思っているから、という事です」
「俺のため……? ふーん」
 すると、ココはぴたりと口を閉ざし、後頭部で指にチョコレートバーを挟んでぶら下げ、手を組んだまま空を仰いで何やら考え事を始めた。それから丁度十歩の間そうしていると、急に何かを思いついたように一息つき、私の方を見上げてた。
「まあ、考えといてやるよ。ラムダの言う事だからね」
 そう言ってココは、にかっと口を開けて笑って見せた。
 ココは言葉遣いに難があるものの、私に対して好感を持っている事が良く分かった。感情表現がストレート過ぎる点もあるけれど、大概の人に嫌われるような人間ではない。
「それにしても、ラムダはエリカにいっつもこき使われてむかついたりしないの?」
「いいえ。私の役目はマスターに御仕えする事ですから」
「じゃあ、無茶苦茶な事を言われても平気なんだ?」
「そうですが、マスターはそのような人間ではないと信じていますから」
「そう思わされてるんじゃないの? 設定でさ」
「設定は大して重要ではないんですよ。大切なのは、誰が自分をどう必要としているか、ですから」
「ロボットは辛いねえ」
「そうでしょうか?」
 そうだよ、とココは笑い、くるっと回って見せた。しかし最後の着地がうまくいかず、よろよろと態勢を崩してしまいばつの悪そうな照れ笑いを浮かべる。私はそれに対して、ただ曖昧に微笑んでみせた。
 私が辛いと感じる事は、少なくともマスターとの日常においては一度も感じた事は無い。辛いと思わぬようプログラムされているからではなく、ただ存在意義を噛み締める喜びがいつも私を取り巻いているからだ。
 どれだけ外見や立ち居振るまい、思考や感情が人間に近づいても、ロボットとはそういったものなんだと思う。与えられた存在意義を全うするため、ただ愚直なほど、主人とその設定に従い続けるのだ。



TO BE CONTINUED...