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 今日は天気も良く、午前中に干した洗濯物は昼にはすっかり乾いてしまった。
 私は二階のベランダに出ると、洗濯物を小脇に抱えた洗濯籠の中へ集めていた。日差しは空気の冷たさを忘れさせるほど温かく、干した布団が生き生きとしているような気がした。本当に気分の良い日である。こんな時は何か良い事があるかもしれないと、ロボットには似つかわしくない不確定要素に期待感を持ってしまう。
「ラムダー、どこ居るんだよー」
 と、その時。
 バタバタと階段を上って来る足音が聞こえて来た。ココが私を探しているようである。
「こちらですよ」
 そう足音の主に声をかける。すると、その足音がこちらの部屋に飛び込むように勢い良く入って来た。真っ青な髪を元気良く揺らし、飛び込んできたのは十代初めの幼さの残る顔立ちの、一見すると中性的に見える女の子。つい一昨日、とある事情で我が家に引き取ったのだ。
「お昼は済みましたか?」
「うん、ちゃんと食器も台所に片付けてきた」
 ココはマスターが学生の頃に着ていた服をまとっていた。ハイスクールの頃のものなのでサイズが一回りほど大きく、袖は先をまくらなければ手がすっぽりと隠れてしまう。それでも見られる程度に着られるのは驚きだった。マスターがよほど小柄だったのか、ココの成長が顕著だったのかは明言しないけれど。
「あ、そうだ。エリカがね、これから友達のとこ出かけるって。帰りはその友達に送ってもらうって。えーと、なんて名前だったかなあ」
「もしかして、テレジア女史の事でしょうか? ミレンダ=テレジア」
「ああ、それそれ! その名前! 夕方には戻るから、お茶菓子の一つでも用意してって。やすーいヤツでいいから」
 通常、来客に対してわざわざ廉価なもの用意するよう指示するのは失礼に当たる事だ。となると、うちに来るのはテレジア女史だろう。ココ本人を交えた何か大切な話をするのかもしれない。
 マスターはテレジア女史とは仲が悪いように見えるけれど、本当は心内で互いを認め合う無二の親友だ。いつもちょっとした諍いが絶えないのは、一度歩む道を互いが違えたからばつが悪いのだと私は何となく思っている。人間とはプログラムのように0と1で簡単に割り切れるものではない。それをきちんと理解し切れないのは、私のエモーションシステムの成長が未成熟だからだろう。
「なあ、ミレンダってどんな人?」
「テレジアグループという名前を聞いた事がありますか? 時々テレビコマーシャルのスポンサーにも出ていますが」
「あ、なんか聞いた事あるかも。昨日やってたロボットプロレスとかもそうだったなあ」
「テレジア女史はそのテレジアグループの総帥なんですよ。つまり、一番偉い人です」
「ふうん。でも、なんでそんな偉い人がエリカなんかと友達なの?」
「ハイスクールからのご縁だそうですよ」
 メタルオリンピアの時点ではテレジア女史はまだグループ統括役員の一人でしかなかったが、担当した人間型戦闘用ロボット『シヴァ』の収めた華々しい成績と前総帥の年齢も考え、実力十分と満場一致で総帥に推されたのである。
 テレジア女史が正式な総帥に就任したのは極最近の事だ。就任式の招待状はマスターの元にも届き、しょうがないなあ、と言いながらもきちんとした正装で窮屈な思いをしながらテレジア女史の就任挨拶を聞いた事を覚えている。しかしその就任式には、いつもテレジア女史の傍にいるはずのシヴァの姿は無かった。前回のメタルオリンピア、種目ギャラクシカの決勝戦で私が大破させて以来、フレームの総入れ替えを初めとするオーバーホールとそれに伴う精密なバランス調整を続けているとは聞いていたが、とうとう就任式には間に合わなかったらしい。マスターと私の関係のように、テレジア女史にとってシヴァは無二の変えがたい存在だ。自身の重要な転機をたった一人で迎える事となって、内心穏やかではなかったはずだ。テレジア女史はマスターに似て、人前では絶対に弱みを見せない性格だ。幾ら悲嘆に暮れていても、公の場で涙を流すのは恥として毅然と振舞うのだ。
 洗濯物を取り込み終わると、サンダルを脱いで部屋の中へ入った。ガラス戸を閉めようとしたが、吹き込んできた風が心地良く、しばらく開放して空気を入れ替える事にした。人間は部屋着では肌寒いかもしれないと思ったが、ココは閉まっている側のガラス戸に座るだけで特に何も言わなかった。日差しも温かいから、風が当たらない所では気にするほどでもないようだ。
 私もその傍に座って洗濯籠の中身を一度フローリングの上に並べると、一つ一つ整理しながら形を整えて畳んでいった。けれど、それほど洗濯物の量がある訳でもなく、すぐに終わってしまう作業だった。後はそれぞれタンスに仕舞うだけである。
「ホント、ラムダって人間みたいだよね」
 ふと、そんな私の仕事を見ていたココが感心したように溜息を混ぜながら言った。
「そう言って頂けると幸いです」
「って事はさ、やっぱ人間になりたいなあとか思う? 出来る出来ないは別にしてさ」
 ココの放った何気ない質問に、私は思わずきょとんとしてしまった。その質問は、これまで一度も受けた経験が無かったからである。
「特にこだわりはありません。今、こうしてココと向かい合っている自分が人間であろうとなかろうと、それは大きな問題ではないですから。それに、ロボットだからこそ出来る事もあります。そういう意味で、特にこだわらないんですよ。私はただ、自分が出来る事でマスターに仕えるだけですから」
「なんか言ってる事よく分かんないや。とりあえず、どっちでもいいって事だね?」
 そんなところです、と私は曖昧に微笑んだ。
「アタシだったら絶対に人間になりたいって思うんだけどなあ。だって、ロボットはおいしいものとか食べれないじゃん」
 ココはにっと歯を見せて笑った。そればかりですね、と私が笑って見せると、なんだよう、と気恥ずかしそうに小突いてきた。
 もしも人間になれるならどうする、か。
 それは、ロボットは人間よりも格下の存在である、という前提に基づいていなければ意味をなさない問いだ。私は、人間は必要だからロボットを作った訳だからロボットがいなければ人間は困るだろうし、ロボットも人間がいなければ生きていく事が出来ないから、本質的には同等の立場だと思う。けれど、事実上のロボットの格は人間よりも下だ。人によっては、時に犬猫よりすらも遥かに軽んじられる。人工物は代替えが幾らでも可能だから、その容易さだけ個の価値が薄れ、結果的に人にとっての重要度は下がらざるを得ないのだ。
 自分が人間になる事が出来たら、一体何が変わるのだろうか。
 多分、今と何も変わらない。そう私は思った。体が鉄から肉になっただけで、私という自我は今のまま宿り続けるのだし、マスターに仕える事を存在意義とする事実も何一つ変わりはしない。強いて言うなら、ただポーズだけの食事が本当に必要な作業になるような、それら人間的生理に対応しなくてはならなくなるだけだ。
 どちらでも構わない。それが素直な私の気持ちだ。けれどその裏には、出来るならばなりたい、という気持ちも隠れているのかもしれない。固執がなければ、いちいち考える必要は無いからである。
「ラムダー、そこいるー!?」
 と、その時。部屋の中へ一つの声が飛び込んで来た。
 声紋パターンをいちいち検証しなくとも、その声の主は分かった。私が間違えようもない、マスターの声だ。
「はい! ここに!」
 私はすかさずベランダへ飛び出し、外に向かって顔を出した。マスターは丁度玄関から数歩ほど離れた所に立ってこちらを見上げている。上着を羽織っており、如何にもこれから出かけるといった風貌だ。
「ちょっくら出掛けてくるから! 留守番よろしくね!」
「分かりました! お気をつけて!」
 そう元気良く見送る私。
 これが、私がここに存在する意義である事を強く噛み締められる瞬間だった。
 数字では言い表せない、震え出すほどの喜びが込み上げてくる。だから、私は人間だとかロボットだとかいう区分けにこだわりはないのだ。この感触さえあれば、人であろうと機械であろうと大した問題ではなく、本当に大切なのは自分の意思と存在意義といった性質的精神的なものなのだから。
「ラムダー。終わったらお茶にしようよ。昨日のジャム入れて飲むやつが飲みたいよ」
「はい、分かりました。でも、お茶菓子はありませんよ?」
 答える私に、ちぇ、とココはおどけた舌打ちをして笑った。



TO BE CONTINUED...