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 夕方。
 すっかり短くなった日が落ちる前に買い物を済ませた私は、リビングを綺麗に片付け台所でお茶の準備を整えていた。
 ココはソファーの上でごろごろと寝転がりながら、ディスプレイに移るテレビ番組を見ている。しかし面白いチャンネルが見つからないのか、手元のリモコンでチャンネルを忙しなく変えている。民放では子供向け番組が減少傾向にあり、専門チャンネル化の傾向にある昨今、うちには子供向け番組を見る人がいないためチャンネルの契約をしておらず、ココが見たいような番組は今の時間帯にはないのである。もっとも、ココもそういった番組に夢中になるような年齢ではないと思うのだけれど。
 夕食の下拵えも終わった。一応テレジア女史の事も考え一人分多く用意している。今日の献立は豚の角煮と蛤の汁物、ホウレン草と海苔の胡麻和えだ。後は軽く火を通すだけでいつでも出す事が出来る。お茶の準備も万端だ。買い物に行った際、スーパーの中のテナントに入っている洋菓子店でプラムタルトを買っている。あの店はそれほど値段は高価ではないのだけれど、幅広い層から人気を集めているから味の心配はいらないはずだ。
 後はマスターが帰って来るだけだ。
 マスターの帰宅を待ちながら私はじっと時計を見つめていた。リビングの時計はアナログ式の壁掛け時計なのだけれど、心なしかデジタル時計を同じように見つめるよりも時間の経過が待ち遠しく思えてしまう。どちらも刻む一秒は同じなのに、針と液晶の違いがそれほど印象を変えるなんて。マスターは時計はアナログに限ると言うけれど、私は自分のシステムに内臓されたデジタル時計の方が好きだ。アナログはどうしても針が意図的にと留まっているような気がして、気持ちがそわそわしてしまうからである。
 と。
「あ」
 私の聴覚素子が、こちらに向かってくる車の音を捉えた。この辺りは通りが狭いため滅多に車も通らない。だからマスターが帰って来たと考えて間違いないのだ。
 すぐさま玄関前へ飛び出し迎え出る態勢を整える。それとほぼ同時に、一台の車が角を曲がって減速しながらこちらに向かって来た。
 その車は世界的に有名なメーカーが生産する高級車だった。シンプルで重厚感がある独特のデザインは、一目見ただけでそうだと取る事が出来る。窓は全てミラー加工が施されて中の様子が伺えず、またタイヤも含めた材質は全て防弾仕様だ。光を乱反射する構造だから、軍事用レーザーであっても撃ち抜く事は難しいだろう。
 車は一度通り過ぎ、ゆっくりとバックして家の前に横づける。微かな振動音を吐いていたエンジンが静まり、おもむろに運転席のドアが内側から開かれた。ゆっくりとそこから一人の人影が現れる。
 あれは……?
 現れたのはタキシードを身に纏った一人の青年だった。
 青年は一度周囲をぐるりと見回すと、何かを確認して運転席のドアを閉める。そして後部座席へと向かって静かにドアを開けると、すっと中へ左腕を差し伸べた。
 白い手袋を嵌めた彼の手を女性らしき手が取り、同じ優雅な仕草で車の中から現れる。それは夜の闇に負けないほど存在感のある真っ赤なパーティドレスに身を包んだテレジア女史だった。
 テレジア女史は私の方へ視線を向けると、静かに微笑をたたえた。実に気品に溢れる優雅な姿だと私は思った。
 そして、
「さっさっと降りろっての。気取ってないでさ」
 車の中から聞えて来る忙しない声。振り返ったテレジア女史は、座席に向かって呆れたように目を閉じ唇を結んだ。
「あなたは相変わらず品の欠片もありませんのね」
「うっせ。お前がけばいだけだ」
 続いて降りてきたのはマスターだった。マスターはいつものジャケット姿だったが、テレジア女史と並んで立つと実に対照的であった。ただし、背景を考えれば浮いているのはテレジア女史の方なのだが。彼女の普段着は、一般人にとっていささか華美過ぎるのである。
 すると、青年はマスターに向かってじろっと鋭い視線をぶつけた。今の発言に対する非難の意思表示のようである。
 そういえば、この人……。
 大分雰囲気は変わりはしたが、彼についてのデータはしっかりと持っていた。しかし、まさかこんな所で会うとは思ってもいなく、私はむしろ自分の導き出した人相データの照合結果に驚いてしまった。
「シヴァ、この子が誰か覚えているかしら?」
「はい。久方ぶりです、ラムダ」
 呆気に取られながらも、差し出された手を取って握手に応ずる。シヴァの両手は白い手袋に包まれているが、触った感触は通常の生活換装ロボットとは違う硬質なものだった。おそらく戦闘用に換装されているのだろう。
 シヴァは私と目を合わせそっと微笑する。それが更に私を驚かせた。私の知るシヴァはもっと無機的で無表情な、絵に描いたような戦闘用ロボットだったからである。目の前のシヴァは、まるで感情を持っているかのようだ。
「ようやくシヴァの調整が終了しましたの。ですが、エモーションシステムはまだ稼動したてですから、当分はある程度学習するまでキャラクターが安定しませんの。多少の違和感は許して下さいね」
 驚いている私を察したのか、そうテレジア女史が補足してくれた。
 以前にシヴァがオーバーホールを機にエモーションシステムを搭載するという話は聞いていた。しかし、未だ世界で誰も戦闘用ロボットでの成功例は無い。戦闘用ロボットは自らの姿勢制御や状況判断などの処理に莫大なリソースを用いるため、エモーションシステムを安定稼働させる事が出来ないのである。だから、一切の無駄を省いた理想的な戦闘仕様を維持しながらこれほど自然に感情表現が出来るシヴァは驚愕に値する事なのである。
「そういや最初の起動実験じゃあ、突然逆上して研究棟に大穴空けたんだっけ?」
「……私ともあろう者が、消し去りたい失敗です」
 テレジア女史はマスター同様に世界でも指折りのロボット工学者だ。その彼女ですらこのような失態を演じなければならないほど、戦闘用への組み込みは難しいのである。その構図は水と油の関係に似ていて、エモーションシステムと戦闘アルゴリズムとでリソースを取り合い、どちらかが占有してしまうか、互いがシステムとして成立出来ず共倒れとなってしまうのだ。そのためエモーションシステムに斑が生じ、必然と人間で言う所の情緒不安定と同じ症状を引き起こしてしまうのである。
 なるほど、と私は溜飲の下がる気持ちだった。
 いつどんなタイミングで感情が制御出来なくなるのか分からないシヴァを公にするのは確かに得策ではない。就任式に出席しなかったのも当然の判断だ。特に、渦中の対象に遠慮する事をしないマスコミに対して安定しきっていないシヴァを接見させるのはあまりに危険付きまとい過ぎる。
「ラムダ、夕食の準備ってしてる? やっぱ御飯先にして。お腹空いちゃった」
「はい、すぐに御用意出来ます。テレジア女史もどうぞ」
「ありがとう。いただきますわ」
 そして私達は家の中へ入ると、二人をリビングへと通した。私はマスターのジャケットを受け取って、形を整えてから玄関傍の上着掛けにかける。
「おかえり〜」
「こら、ココ。寝そべって見るな。背骨曲がるぞ」
「まさかあ、そんな簡単に骨なんて曲がる訳無いじゃん。あれ? エリカの友達?」
 ごろりと仰向けになってソファーに転がっていたココは、まるで空を見上げるように顔を向けてそのまま二人を見た。
「はじめまして。あなたがココかしら? 私はミレンダ=テレジア、こちらがシヴァよ。よろしくね」
 テレジア女史はにっこり微笑みながらそっと手を伸ばして握手を求める。ココは今のままの姿勢でいる事が失礼だと思ったのか、おずおずとソファーに座り直して握手に応じた。テレジア女史に対して随分素直なようだ。下手にねじ伏せようとするよりも、毅然とされる方が苦手なのだろう。
「ココ、挨拶はちゃんと立ってして下さい」
「はーい、分かってるって。うわー、シヴァっていうんだ。背ェでけえ。ラムダよりもカッコいいなあ」
 ぴょんとソファーから飛び上がったココは、まるで何かに期待しているような輝いた瞳でシヴァを見上げた。そんな経験はこれまで無かったのだろう、シヴァの顔には戸惑いの表情が浮かんでいた。
「ミレンダ様、こういった時はどうすれば……」
「持ち上げてやればよろしくて?」
 シヴァは過度の注目に居たたまれなくなり助けを請うたが、テレジア女史は愉快そうに冗談交じりに答えた。的を得ていない返答にシヴァは更に困惑の色を見せ、尚もじろじろと遠慮の無い視線を浴びせてくるココにたじろぐばかりだった。
 私はシヴァに対するココの素直な感想に、少しだけ胸を痛めた。今日までココの世話をしていた私以外の人に少しでも心が傾いた事に許せないと思ってしまったのである。人間で言う所の独占欲、もしくは嫉妬心だ。そんな感情に囚われるのも、私のエモーションシステムが人間に近づいているからこそである。けれどこればかりは素直に喜ぶ事が出来なかった。嫉妬心に駆られる自分が酷く醜く思えたからである。それに、ロボットのくせに嫉妬するなんておかしな話だ。
「ほら、さっさと席につく。ラムダ、お茶」
「はい、ただいま」
 ダイニングテーブルを囲んだ四人の前に、私は予めそこに用意していたティーセットをそれぞれの前に整えた。初めはシヴァの分はどうしようか悩んだが、これは儀式的なものであるし自分も普段そうしているから、同じようにカップを並べソーサーとティースプーンを添えた。すると、私と同じ事をシヴァもしているのか、さして疑問符を浮かべず軽く会釈を返して来た。その姿に、マスターとテレジア女史は何もかもがこれほど対照的であるのだけれど、ロボット工学者としての根本にある理念は全く同じものを見た。
「今、お茶の方が温まりますので」
 そして私はやかんに水を入れ火にかけた。ティーカップは予め温めておくのが正しいルールなのだけれど、夕食の準備が出来るまでの場繋ぎである事と、テレジア女史がそれほど細かなルールには拘らない性格であるため、手間をかけるのはいつも時間に余裕がある時にしているのだ。
 水を収めたばかりのやかんは未だ静かに沈黙したまま、青い炎に下から炙られ続けている。その間に私はティーポットの準備を始めた。
 と。
 不意にシヴァはそっと目の前のカップを手に取った。そしておもむろに持ち上げると、まるでそこにお茶が入っているかのように自らの唇へと傾け始めた。
 何をしているのだろう?
 思わず向けてしまった私の視線に気づき、シヴァはきょとんとした表情を返す。そして、微苦笑するマスターやテレジア女史の様子に気づき不思議そうに二人の顔を交互に見た。
「なにやってんのさ? まだ入ってないよ」
「いえ、ロボットは人間のように飲む事が出来ませんから、ポーズだけでも取るのが礼儀かと」
 口を挟んだココに、カップを離してそう何の臆面も無く答えた。その憮然とした表情は以前の感情の無いシヴァの姿を連想させたが、今の仕草には思わず噴出してしまいそうなほど愉快でならなかった。
 そんなシヴァを見かねたテレジア女史は、横からそっと手を伸ばしてカップをテーブルの上へ置かせた。しかしシヴァはどうして置かされたのか理解出来ず、相変わらず憮然とした表情で首を傾げた。
「ミレンダ様、私に御不満が御ありでしょうか?」
「そうではないわ、シヴァ」
 テレジア女史はシヴァの頬をすっと撫で、シヴァはその手を優しく取って恭しく口付けた。
 そんな二人にマスターは、露骨に眉を潜めてみせた。



TO BE CONTINUED...