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 しょうがの利いた豚の角煮の香りが食卓を優雅に取り囲む。
 普段はマスターと二人きりの食卓なのだけれど、先日それが三人になり、今日はゲストを含め五人となった。
 人間は食事を楽しむ時、同時に食べる状況を楽しむ。つまり、食べる時の環境が心地良ければ心地良いほど、食事をよりおいしく楽しむ事が出来るのだ。そして主に快感を感ずる状況とは、少数よりも多数の場合であるという傾向になる。もっとも、過多では逆効果になるが。
「ココ、肉ばっか食ってないで野菜も食え。大根を残すな。太るぞ」
「そういうエリカこそ、肉ばっか食べてんじゃないの?」
「それどういう意味よ」
 私が何の承諾も得ずに連れてきたココだが、マスターとは日常茶飯事に衝突しているように見えて、うまく受け入れられていた。あまり素直な言葉を用いずあえて裏返しの表現をするのは、テレジア女史との関係にも似ている。相手が自分の言葉を噛み砕いて受け入れ、尚且つ自分も相手の言葉を同様に受け入れる事が出来ると相互で理解している事が前提のコミニュケーションだ。もっとも、それは人間のコミニュケーションの中では軽い部類の表面的なものだ。確かにテレジア女史とは似ているものの、同じだけの信頼関係の太さはない。まだ間もないのだから仕方の無いことなのだけれど。
「あら、豚肉はお肌に良くってよ。食べないのはもったいないわ」
「食べるのはいいけどさ、刺し箸はやめてよね。みっともない」
「私、異文化にはとんと疎いですの」
 家族とは違うのだけれど、一家団欒という表現が実に相応しい、素晴らしい夕食を久し振りに味わったと思う。ロボットにもストレスという定義がある以上、快感の定義もある。ロボットだって人間と同じように楽しい事が好きなのだ。受けるストレスは、日常生活の中で不可避の最小限のものに留められたら理想的だ。そんな幸福な生活を送っているロボットなど、この世界でどれほどいるのかは分からないけれど。
 食事を終えると、私はお茶うけに買ってきたプラムタルトをデザート代わりに出した。夕食の量は三人の胃を満たすのに十分な量だったが、一緒に出したお茶を飲みつつ、それほど抵抗無く自分から取り分けて行った。マスターが以前言っていた、別腹、という架空の消化器のおかげなのだろうか。ロボットである私には精神論というものに縁が無く、実際にあるものだけが信じるに足るリアルだ。けど、幾ら人間でも実際には無い臓器を存在させる事は不可能だ。もしかすると別腹というのは、リミッターを解除するオーバークロック的な事なのかもしれない。となると、ロボットの私にも出来るのだろうか? いや、きっと子供でも読める説明書通りの、情けない結果に終わるのが関の山だろう。
「で、調査の方はどうなったのよ?」
 と。
 お茶で満腹となった腹もこなれてきた頃、不意にマスターがそうテレジア女史に訊ねた。
 おや、と私は意外に思った。てっきりマスターは、既にココの調査の件はテレジア女史から結果を聞かされ、うちに集まったのはその上での今後の対策を話し合うためだと思ったからである。
 テレジア女史はいつもの落ち着き払った表情で優雅にカップを傾ける。そして自信に満ちた目でマスターを見据えた。
「完全にお手上げですわ」
 テレジア女史の放ったあまりにあっけなく期待外れ返答に、マスターは眉の間に深い皺を刻み込んだ。その訝しみの視線を予想通りの反応と取ったのか、テレジア女史はやけに落ち着き払った様子で更に言葉を続ける。
「ガードが堅すぎてちっとも情報が出て来ませんもの。幾らプロジェクトを受注しているとは言っても、国家機密まで教えて頂く訳にはいきませんし。こちらにも窓口の人間を抱き込むなりの方法はありますけど、それでは時間もかかり過ぎますしリスクの割に成果が期待出来ません。一応の全力は尽くしましたが、逮捕を覚悟の上でのイリーガルな手段しか打開策は望めませんわね。もっとも、件の情報だけが手に入らないこの事態を逆に考えれば、案外憶測止まりではないとも取る事が出来ますけれど」
「それだけヤバイものだったら、情報管理も異常なまでに徹底するって事か。確かに完璧過ぎってのもうさん臭い話だ。アホ政治家の裏帳簿ぐらいだったら幾らでも盗めるってのにさ」
 マスターとテレジア女史の会話を傍から聞く私は、一言一句をコーダーのように正確に記録して行った。
 それらは下位の常駐システムに任せ、リソースを主たる私の意識に集め、記録した内容を考察した。マスターはテレジア女史からの情報を元にした、ココが衛国総省の研究機関から脱走したロボットである、という説を未だに有力視しているようだった。いつまでもそんな事にこだわり続けるなんてマスターらしくもない、と思った。私はロボットだから人間とロボットの違いはすぐに分かるのだけれど、マスターも同様にロボット工学者としての優れた観察力で、どれだけ人間に似ていたとしても簡単にロボットと見分けてしまう。ココは明らかに人間だ。衣食住のスタイルもそうだし、エモーションシステム以上に人間との感情動作のやり取りに優れている。確かに髪の色は変わっているけれど、今日まで一緒に生活してきたのに何故マスターは未だに疑いを持ち続けるのだろうか。私にはその不条理が理解出来ない。
 すると、最後のタルトを飲み込みごしごしと口の周りを拭ったココは、突然興味深げにテーブルの上へ身を乗り出し、テレジア女史と話し合うマスターの中に横から割って入った。
「何の話してんだ?」
「お前の親父とお袋の話」
「何それ?」
「だから、お前の両親」
「だから、両親って何?」
「お前をこの世に生んだ人の事」
「生む? どうやって生むのさ?」
 沈黙。
 マスターは気難しそうに眉を潜め、テレジア女史は淡々とカップを傾け、シヴァは何故こんな空気となったのか分からないといった表情をしている。私にはその理由が分かるのだけれど、自分が口を出していいものか分からず、シヴァと同様理解し難しと沈黙に徹する事にした。ロボットは条件と反応に忠実にあるべきなのだけど、これもある意味ではロボットらしいと思う。
「ああ、もう、とにかく、この件はココに隠しても仕方ないし、もう言っちゃうから、いいわね?」
 テレジア女史は静かに肯き返した。テレジア女史は先ほどから口数が少ないように思う。多分、マスターが必要な事を次々と言ってくれるからなんだと思う。
 急に見据えられたココは戸惑いの表情を見せながら、真っ正面のマスターを下から覗き込むように見た。いつも自分が呼び捨てているマスターでは無い事に気が付いたのだろう。ココはこの真剣な空気を読んだのだ。
「かい摘まんで言うとだな、政府がロボットを研究してる施設があるんだけど、そこでついこの間、試作機一体が逃げ出したんだ。で、私達はそのロボットがお前じゃないのかって考えてる」
「補足させて頂くと、先日ココが襲われたという黒服の男達も政府関係筋でしょうね。こんな事が公になりましたらただでは済みませんから」
「そ。だから、早いとこ手を打たないとね。明日にでもココの事はマスコミに公表するわ。連中何してくるか分からないからね。そのための不本意な防御策」
 マスターは決して快くは思っていない苦い表情を浮かべていた。それは、マスターが嫌っているマスコミに図らずも頼る事になってしまったからである。
 ココの件を公にする事で世間の目を集め、彼らがココに対し手を出し辛くなる。そういった意図は十分理解出来たのだが、私は思わず、えっ、と声を漏らしそうになり寸出の所で飲み込んだ。二人の導き出したアプローチの方向性を決定した起点が、あまりにも意外だったからである。
「ちょ……待って下さい、マスター。昨日もお聞きしましたが、それはココがロボットだという前提があって真となる命題です。マスターもテレジア女史も、人間とロボットの区別がつかないような技術者ではないはずです」
 そう、この対処方法で政府筋はココに対し手を打ち辛くなるだろう。けれど、政府がココを追う理由とは、政府の施設から研究中のロボットが一体逃亡しそれがココだった、という前提がなければ成り立たないのだ。政府の人間がココのような子供をああまでして追う理由は、ココがロボットではないただの人間では発生し得ないのである。
 しかし。
「今の世の中、私達ロボット工学者にも理解出来ないようなあまりに斬新なロボットが、突然ひょっこり登場したっておかしくはないわ。エモーションシステムにしたって、その当時までは空想科学でしかなかったんだから。それにね、ココが人間だとかどうとか大した問題じゃないの。どの道、このままじゃ私らが危うくなるの。だからその前に、私達は何も疚しい事はしていない、と世間に知らしめる必要があるのよ」
 ロボットでも人間でも関係無い? ならば、政府はココを単なる危険な意味合いを持つ記号として認識しているという事なのか。けれど、それでは理由としてあまりに穴だらけだ。ココが人間だろうとロボットだろうと、とにかく政府から追われる歴然とした事実に基づく証拠と理由が無ければ。だからどうしても、ココが逃亡したロボットであると仮定し逆説的に考えた方がしっくり来てしまうのだ。
 私はおもむろに視線をココへ向け、問うた。
「自分が本当にロボットだと思いますか?」
 すると、
「アタシは……分からないよ」
 ココは表情も声も酷く消沈していた。
 知らない? それとも、思い出せない?
 黒でも白でもない、はっきりとした答えを持たぬ曖昧な返答だ。けれど、今のココにはそれが精一杯の返答なのかも知れない。一体何を知ってどんな事を思うのか分からないけれど、ただココがこの件に関しては辛く思う事だけがはっきりと伝わって来た。
「マスター、もしもそれが本当なら、一体何のために……?」
「ラムダ、あなたには信じられないかもしれないけれど、人間には際限というものがないのよ。何事にも自分を完結させられない。外見を似せられたから、今度は内側を似せたいと思ったって不思議じゃないわ」
 私は、メタルオリンピアの映像をメモリに展開した。人間が作り出した、ロボットの残酷な祭典。そこには人間の持つ底知れない強欲のカルマの深さがある。同じ人の姿をしていながら、まるで地獄絵図のような光景を強要されるロボット達。人間が心の奥に潜める『同族殺し』という禁忌の欲求を充足させる、本当はこの世にあってはならないもの。だけど、人間は自ら禁忌としたものにこそ魅力を感じてしまう業を持っている。その終末の無い欲望の渦の一端から、果たしてココは生み出でたのだろうか。もしもそれが真実なのだとした、あまりに不幸な枷だ。
 一同が沈黙する中、ここはぎゅっと手を膝の上で握り締め小さく震えていた。
 その姿はあまりに弱々しくて、確かにマスターの言う通り、ちょっと意味は違うけれど、ココが人間だろうとロボットだろうとどうでもいいことだと思った。こんな小さなか弱い子が恐ろしい大人達に追われている。それだけで、どうにかして守ろう、と立ち上がるには十分な理由ではないのだろうか。
 私はそっと隣のココの肩を叩いた。ココは顔をうつむけたまま、ただただ恐怖に身の内を食い荒らされている。なんとかして自分が救ってあげなければ。
 そう、私は強く思った。
 マスター以外の存在のために、生まれて初めて。
 所有されている立場の私が独断でそんな決意をするのはロボットらしくないのだけれど、規制という束縛を物ともしない私の思考は、ただただココを守らなければならないという使命感に燃えていた。それは私以外にも出来る事なのだけれど、私がやらなければならないと自分は思うのだ。そうする事が自分の存在する価値のような気がして。
 と。
「あっ?」
 その時、私の視覚素子が周囲の異常を訴えった。
「あら、停電? 嫌ね、バラックは。自家発電施設も無いのかしら」
「てめ、どこがバラックだ」
 突然、辺りが暗闇に包まれたのである。



TO BE CONTINUED...