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 それは突然の出来事だった。
 暗闇の中にけたたましく響き渡る、ガラスの割れる音。暗闇では私の視覚素子はほとんど機能せず、聴覚素子が捉えた情報を頼りに状況を推察した。
 周囲の空気が冷たく張り詰めたものに一変したのを、体表の素子がひしひしと感じ取る。非日常的な時間の始まりを、誰もが暗黙の内に意識した。
 割れたのはリビングのガラスの音。それも音からして小石や野球ボールが飛び込んだのではない。もっと大きな質量を持つものが突き破ったのだ。
 誰かがこの家に無断で侵入した。
 一体、何のため? 強盗や物取り? いや、彼らはこんな手の込んだ方法で家屋を襲ったりはしない。それに、ここは住宅街。人が出払った昼間の時間帯に空き巣で入った方が遥かに安全で効率的だ。つまり侵入者は、私達自身のいづれかに直接的な用件があるのである。
 どうすればいいのだろう。
 予想できる用件はどれも決して穏やかなものではない。明らかに我々の中の誰か、もしくは無作為に害を加えようとしている。具体的な危機に瀕した今、ロボットである私が真っ先に対応しなくてはならない。主を守る事もまた、ロボットとして当然の存在意義だ。けれど私にはその方法が分からなかった。それは今の私が生活換装であるためそういった機能が無いだけでなく、集団を護衛する戦闘アルゴリズムを持ち合わせていないのだ。私の持つアルゴリズムは、一対一か一対多、多対多の三種にしか対応していない。
 すると。
「全員リビングへ避難して下さい」
 行動を決定できずおろおろと立往生する私を尻目に、毅然とした態度で周囲に言い放った。
「リビング? 今のそっちから聞えて来たぞ」
「いいのよ、ココ。ここはシヴァの言う通りに」
 シヴァの指示に疑問を口にするココ。確かにガラスの割れる音はリビングの方から聞こえてきた。となると、賊はそこから侵入してきたと考えて間違い無い。そんな所へわざわざ向かうのは、ココの疑問が指摘する通り自殺行為に等しいのではないのか。けれど、テレジア女史はそんなシヴァの判断に何の疑問も抱いていない。むしろシヴァの判断能力を全面的に信頼しているといった様子だ。
 有耶無耶の内に私達はリビングへと避難した。
 相変わらず私の視覚素子は周囲の状況を正確に認識する事が出来なかった。けれど、予想に反して薄がりの中に賊の姿は全く見られなかった。でも確かにガラスの割れる音はこちらから聞こえてきたのだから、多分どこかへ潜んでいるのだろう。私は無意識の内に自分の立位置をマスターの前に移した。
「あ、なんだこれ?」
 ふとココが不思議そうな声を上げた。
「何見つけた?」
「んー、ブロックの破片みたいなの。そこら辺に落ちてたのかな?」
 どうしてリビングにそんなものがあるのか。
 掃除は毎日行っているし、今日もリビングは綺麗にしたはず。そんな大きいものが落ちていたら絶対に気がついている。第一、常識的に考えて、マスターや私の与り知らぬ内に室内へ塀の材料にするようなものが入ってくる状況が考えにくい。となると、まさか先程のガラスを破った音はこのブロック片だったのだろうか? それなら実に自然な発想だ。
 何故、家の中にこんなものを投げ込んでガラスを割るのか。
 おそらく、ガラスの割れる音には誰もが敏感で注意を引き付けるには十分だからだ。そうする事で相手の注意を表に向け、自分は悠々と別な視点で動き回る事が出来る。そう、例えば建物の裏側など……。
 と。
「敵機確認」
 不意にシヴァはそんな事をぽつりと口にした。視点は部屋をぐるりと一望しながらしきりに何らかのデータを集めている。
 シヴァの視覚素子には周囲の状況が明確に把握出来ているようだ。生活換装の私とは違い、戦闘型のシヴァには暗視を初めとする様々な視覚機能が備わっているのだろう。
「片付けなさい。でも、人間なら殺しては駄目よ。ただ無力化させるの。スマートにね」
「了解。これより迎撃する」
 その言葉を合図に、突然シヴァの放つ雰囲気が変わった。まるで刃のように研ぎ澄まされた、冷たく隙の無い空気。それはエモーションシステムを搭載されるよりも以前、私がギャラクシカの決勝戦で対峙したシヴァそのものだ。
「はあ、敵? ああ、強盗なんて物騒ね」
「御冗談。物取りでしたら、もっと裕福な家屋敷を狙うでしょうに」
「なんだそれ、どーゆー意味だ」
 マスターがテレジア女史の肩を小突く。けれど、テレジア女史はその挑発には乗らず悠然と構えている。
 が、次の瞬間。
「うわっ!?」  突然鳴り響いた鈍い轟音。それはキッチンの方から聞こえてきた。
 すかさず誰何の影がキッチン側からリビングへと飛び込んでくる。辛うじて私の視覚素子が認識できたのは、それが二人の人型をしたものだったという事だった。
 いけない!
 咄嗟にその影に危険なものを感じた私は、真っ先にマスター達を守ろうと、飛び出す、という行動をメモリに展開した。
 しかし。
 そんな私の行動がまるでスローモーションとでも言わんばかりに、私の目前には既に別な背中があった。
 シヴァの背中である。
 誰何の影達は銃を構えているように見えた。恐らくバレルを短く改造したアサルトライフルだ。シヴァはそんな彼らに臆する事無く向かっていった。当然、この暗闇で銃を構えている自分達に向かってくる事を想定していなかったらしく、一瞬彼らの動作が完全に停止した。飛び込んできたシヴァが人間なのかロボットなのか判断しているのだろう。となると、少なくとも彼らは人間であって私達を無差別に傷つける意図は無いようだ。
 シヴァは真っ直ぐ飛び込んで間合いを詰めるなり、二人の間に位置取りをして左右のライフルの銃身を下から掴み上げた。そのまま強引に銃身をぐにゃりと上向きに折り曲げると、ひしゃげた銃身を放して左右同時に掌打を繰り出した。二つの誰何の影は顔面を水平に打ち抜かれ、飛び出してきたばかりのキッチンへ再び背中から吹っ飛んで行った。
 早い。
 私は驚嘆せずにはいられなかった。シヴァの動作はあまりに無駄が無く、水が流れるように迅速だったからである。戦闘に関する教科書的なビデオがあったとしたら、今のシヴァはそれを倍速で再生したような動きだ。
「八時方向より一機」
 直後、シヴァはくるりと踵を返すと、リビングの廊下側の出入り口へ向かって体を打ち出した。シヴァが着地するのとほぼ同時に、廊下から先程と同じ風体をした影が飛び込んできた。しかし、やはり突然遭遇したシヴァの姿に僅かな狼狽を見せ、その隙を逃さずシヴァは下から突き上げるような掌打を鳩尾へ叩き込んだ。ライフルの引き金を引く暇も無く、影はあっさりと床から足が離れ廊下の壁に背中を叩きつけられた。
「うわあ、シヴァってすげえ。かっこいいなあ」
 この光景にそう驚嘆の声を漏らしたのはココだった。今のシヴァの勇姿に大きく心を打たれたらしく、暗闇の中ではあるけれど見つめる目が輝いているように思えた。
 案の定、私にはそれが面白くなかった。確かに私ではこの状況を安全に乗り切る事は出来なかったろうし、シヴァのおかげで誰も怪我をせず無事に済んだと言っても過言ではない。けれど、私のこの気持ちはそれらの理屈的なものとは全く無関係なものだ。ただ、ココの興味や注目が自分以外に向いた事に対する嫉妬心、そうと分かっていながらも私はうまく感情をコントロール出来なかった。
「こいつらライフルなんか持ってるし。しかも、なんだこのモコモコした服。特殊警察か?」
「おそらくそうでしょうね。こちらに発砲する意思は無かったようですが、目的はココと考えて良いでしょう」
「まさか例の衛国総省の差し金?」
「言いましたでしょう? 彼らももはや手段など選んではいられないと」
 テレジア女史の言葉に私はロボットでありながら、正直ぞっとする思いだった。幾ら手段を選んでいられないからと言って、まさかこんな強盗紛いの事を政府機関が公然と行うなんて。世間の知る事となれば、関係者一同ただでは済まない事ぐらい分かるはずなのに。それとも、露見しても責任が及ばない自信があるとでも言うのだろうか?
「ったく、どうして連中は隠す以外のやり方を覚えないのかね。ラムダ、とりあえず警察とどっか適当なマスコミでも呼んで。予定は繰り上げよ」
「はい、分かりました」
 私はメモリ内にリビングの見取り図を展開すると、早速電話の所へ向かった。この時間であると警察は緊急回線しかないだろう。マスコミは多分普通にかけても何とかなるはず。事件は何時どこで起こるのか分からないのだから、その取材のためにはほぼ二十四時間体制だからである。
 受話器を取ってメモリ内に検索したマスコミ各社の電話番号をリスト化する。いや、まずは警察が先だろう。行動力はマスコミの方が上なのだが、一応角も立つだろうし警察へ先に通報しなくてはいけない。後々に何かと面倒な事にもなるのだ。私はロボットだから多少のミスにも責任の追及はされないだろうけど、その分はマスターが受ける事になってしまう。自分の身は自分のものではなくマスターのものだ。だから私の失敗はマスターの失敗になる事を常に意識していなければならない。
 緊急通報のダイアルは全国共通で数字が三つ。私はその最初の数字をプッシュした。
 と、その時。
「全員伏せろ!」
 突然、聴覚素子がびりびりと震えそうなほどの砲声が周囲に響いた。
 その声はシヴァのものだった。驚いた私は一体何事かと受話器を手にしたまま振り返る。
 ゆっくりと何かが近づく音が聞こえてくる。建物そのものが震えるような、空気を切り裂く轟音だ。いや、ゆっくりと聞こえてくるのは、私の思考クロックが上昇しているからそう聞こえるだけで、実際の体感速度はもっと速い。
 これは……?
 音は破れた窓ガラス、建物の外から聞こえてくる。



TO BE CONTINUED...