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 それは、火花のような噴煙を上げながら猛然と室内へ飛び込んできた。
 ボウリングのピンにも似た形状を持った薄黒い弾頭。その非日常的なフォルムに、私は人間のように総毛立つ思いだった。あれは平穏無事な日常において、決して存在してはならない。そう思ったからである。
 咄嗟に軌道計算を始めたが、今この状況で数センチの距離をどうこう議論してもまるで意味が無いことに途中で気が付き、やはり自分はどうすればいいのだろうと、私の思考は一瞬ハングした。しかし、何も出来ないならば、戦闘に特化したシヴァの指示に従うのがベストであると判断、私は今の自分に出来る最も効率的な行動を模索した後、その場へ素早く伏せる事を選択した。
 しかし、爆心地はどう贔屓目に見てもリビングの中であるには違いない。一体この状況でシヴァの戦闘用アルゴリズムはどんな決断を下したのだろうか。私はそれが不安でならなかった。今、この場にはシヴァを除いた私達四人が床に頭を抱えて伏せている。爆発に備えるための定石とも呼べる姿勢だが、これだけでこの場を凌げるのかどうかは甚だ疑問である。それはシヴァも理解しているはずだし、その上で何か策があるのだから自分だけは立ったままでいるのだろう。だがもしも、シヴァが何か考え違いでもおこしていれば、私だけならまだしもマスター達までもがただでは済まない。だから私は伏せながらも視線だけは一人立ちはだかるシヴァに向け続けた。
「ロック」
 そうシヴァが口にした直後だった。
 弾頭を真正面から迎え入れたシヴァは、自らとの衝突の寸前、左の拳を弾頭に向かって水平に繰り出し真横へ横に打ち抜いたのである。
 閃光と轟音が迸る。
 咄嗟に顔を伏せた私の体表素子に、横殴りの爆風が襲い掛かって来るのが分かった。その威力は驚くほど低く、まるで壁を一枚隔てているかのような感触だ。
 私は轟音の続く中で、シヴァがどんな判断を下したのか理解する事が出来た。リビングに向かう弾頭から逃れる事は出来ないから、弾頭軌道を直接そらす事で爆心地を遠ざけたのである。もちろん、それには非常に精密で高速な衝撃で打つ事が必要不可欠だ。これほどの神懸かった技を実戦で、それも瞬時に判断して行える戦闘用ロボットなど世界で何体存在する事か。目の当たりにしたシヴァの優れた性能に私は圧倒されてしまった。
「マスター! ココ! 大丈夫ですか?!」
 粉塵も収まらぬ内に私は立ち上がると、視覚素子が満足な光量を得られずほとんど機能していないのも構わずに周囲に向かってそう叫んだ。
「あー、こっちこっち。うまく壁の間に挟まって助かった」
 すぐに砂煙の中からマスターの普段と変わらない調子の返事が返ってきた。粉塵のせいで姿までは確認出来なかったが、私の聴覚素子がその声を聞きまごう事などあるはずがない。思わず私は、ロボットは呼吸をしないというのに、安堵の溜息をつきそうになった。
 と。
「あうー。足が挟まって抜けないよー。助けてよー、シヴァー」
 自らの危機を主張する割に、随分と余裕のある口調で助けを求めるココの声が聞こえてきた。
 またシヴァ……。
 ココが無事である事に安堵を覚えるも、またすぐに私は例の濁った感情に胸の内を蝕まれた。
 何故、ココは自分ではなくシヴァを求めるのだろうか。共に過ごした時間は私の方がずっと長いというのに。
 それは今優先的に考えるような問題ではないのだけれど、私はどうしてもその醜い感情の檻に囚われて抜け出せなかった。その程度の救出行為なら私でも出来るというのに、あえてシヴァを求める事に納得がいかないのだ。
 やがて、粉塵が落ち着き視界が澄み渡り始める。
 開けた視覚素子に飛び込んで来たのは、すっかり変わり果ててしまったリビングの姿だった。今日私が綺麗に掃除したばかりの辺り一面が砂埃で色褪せ、秩序とも呼ぶべき家具類が見るも無残に散乱している。挙句の果てには、至る所の壁が抉れてリビングの間取り自体が変わってしまっている。外の風景を見るのに事欠かないなんて、これではまるで廃墟だ。
「うー」
 と、私は子犬のような唸り声を上げながらじたばたと手足を動かすココの姿を見つけた。その左足を引っ繰り返ったソファーに踏み付けられ、身動きを取ろうにも取れない様子だ。しかし、痛がる様子は見せていない事から、挟まれた足にはこれといった負傷はないようである。
「大丈夫です、すぐにどかせますから」
 私はソファーの位置と周囲の状況を素早く分析すると、ゆっくり持ち上げて何も無いスペースへそっとソファーを置いた。人間にしてみればやや労を要する重さではあるが、生活換装であっても日常生活で起こり得る事には対応可能な程度の出力は出せる。ソファーの一つなどまるで苦にはならない。
「足は大丈夫ですか? 痛くありませんか?」
「ん? 大丈夫だよ。柔らかい所がぶつかっただけだもん」
「ですが、ケガは後から痛みだすケースもありますから」
「後の事は後でいいじゃん、ラムダの心配性」
 とんっ、とココが私の胸を軽く小突いた。
 それはいつものコミュニケーションの中で発生する有り触れた儀式なのだけれど、どうしてかこの時だけは妙な物悲しさを覚えてならなかった。そう、まるで自分が拒絶されたかのように。
「まったく、迫撃砲撃ち込むなんてどうかしてますわ!」
 と。
 普段にも増して目を釣り上げ、堪えきれない切れないと言わんばかりに怒りの空気を露にしながら立ち上がったテレジア女史は、必要以上の力を込めて乱暴に体中に被った埃を払った。
「連中、追い込まれてるって言ったのお前じゃん」
「はいはい、そうですわね。連中がこれほど迅速かつ、ろくすっぽ被害シミュレーションもしない突貫工事を、この私が建物内に居る事も確認せずに実行してみせるような愚かしい場合を、希望的観測ばかりで一片たりとも予測出来なかった私が悪いんでしょうね」
「キレたいのは、家ぶっ壊された私の方だっつの。キレづらいから先にキレんな」
 未だ立ち込める粉塵の中、薄っすらと輪郭の見えるマスターとテレジア女史は共に負傷した様子は見られなかった。しかし驚く事に、こんな命を危ぶむほどの危機に直面していながら二人とも全く恐怖の感情を抱いていなかった。それどころか、マスターは家を、テレジア女史は恐らく埃を被せられた事に対する怒りに燃え上がっている。どちらも生命そのものと比較すれば取るに足らないものだと思うのだけれど。私は理解不能とばかりに小首を傾げた。
「ミレンダ様、とにかく一度この場を離れましょう。敵の目的や詳細を確認する暇などありません」
「ええ、分かっているわ。ひとまず車へ乗り込みましょう。あれなら対戦車砲にも耐えられますから」
 シヴァはあれほどの活躍をしていながら、やはり普段通りの冷然とした表情で淡々と提案する。思考が依然戦闘状態のままになっているのだろう。普段の感情は一時的にクローズされているのかもしれない。
 エモーションシステムと戦闘システムは共にリソースを大量に消費するため両立が極めて難しい。おそらくシヴァは、それらを感情の基準によって切り替える事で両立させているのだろう。それは人間で言う所の緊張や集中と同じ状態だ。何かに真剣に取り組んでいる時、のめり込めばのめり込むほど無駄な思考が消えて不要な外部情報も届かなくなる。今のシヴァの状態は正にそれと同じなのだ。
 その時。
 不意に私の服の袖が横から引っ張られた。視線を向けると、いつの間にか傍らに現れたココがぴったりと寄り添い、私の服の袖をぎゅっと握り締めていた。視点を不安げに俯け、袖を握ったその手を離さない。
 恐ろしいのだ。無理も無い、まだこんな小さな子供がこんな目に遭ってしまったのだから。私はそっと真っ青な髪が揺れるその頭を撫でた。
 しかし、なんて事になってしまったのだろう。まさか、私がココを助けた事がこんな状況に繋がってしまうなんて。
 だけど私は後悔はしない。ココを助けた事は人道的にも正しい選択だったのだ。その結果で私の身に不幸が襲い掛かる事になろうとも構いはしない。ただ一つ、マスターまでをも巻き込んでしまった事だけは心苦しいのだけれど。
「しかし強引にもほどがあるわね。やってる事、テロと大して変わらないじゃん。どうやってカモフラするんだろ」
「情報操作なんて幾らでも出来ますわ。庭の木を植え替えるようにね。それよりも私達の身の安全を考えるのが先決ですわね」
「かの有名なテレジアグループ総帥の、鶴の一声は使えないもんかね?」
「暴徒にオペラが理解出来ると思いまして?」
「大層な肩書の割に使えないヤツ」
 マスターとテレジア女史は、これほどの事態に陥っていながらも全く動転する事なく、事態を打開出来る良策はないものかと話し合っている。こんなにも冷静でいられるのは映画の中の話だけだと思っていたけれど、動転しない人間はどんな事が起こっても動転しないものだと私は感心した。それに比べ、ロボットの私はおろおろと周囲の流れにただ右往左往している。従う事しか出来ないロボットの、哀れな性だ。
 この状況、確かに異常過ぎるとロボットの私でも理解が出来る。仮にも政府関係者が民間人の家に迫撃砲を撃ち込むなんてあまりに異常な行為だ。しかも、本来なら政府筋で高官にパイプも持つテレジア女史が来訪している事も無関係だから、とても指揮している人物が人道的な観点で作戦を立てているようには思えない。いや、それ以前にプランそのものが杜撰過ぎる。マフィアだってもう少し頭を使うものなのに。
 それほどまで、ココの存在は政府にとって重要だというのだろうか。となると、やはりマスターが言う通り、ココが政府機関の研究所から脱走したロボットであると考えても全く無理が無い。やはりココは本当にロボットなのだろうか。
 いや、そんなものは関係ない。私はただ、ココを助け守りたい。それだけなのだ。今更人間だとかロボットだとか言い争って、この構図が変わる事なんか決して無い。ただ純然な私の意志だけが貫かれるのか、それだけが重要なのだ。
 ……ん?
 ふとその時、私の視覚素子はある一点に注意を注いだ。
 テレジア女史の額に、小さな赤い点がぽつりと浮かび上がっている。しかし、周囲は闇に閉ざされて女史の顔の輪郭も朧げにしか見えないというのに、どうしてそれだけがはっきりと見えるのだろう?
 そう小首を傾げそうになったその時、私はようやくそれの正体に気が付いた。
 よく見ればその赤い点は、テレジア女史の額に浮かんでいるのではなく、細く長い光の筋が額に照射されて浮き出ているものだった。そして、私はそれが何かを明確に知っている。これもまた同様に、映画の中だけにしか存在してはいけないものだ。
「危ない! 伏せて!」
 そう叫んだ私の声に、テレジア女史の目だけが不思議そうにくるりとこちらを向いた。
 思考クロックが加速し、世界がスローモーションに感じる。だから飛び出そうとする自分の体の動きも、焦燥を覚えるほど鈍重で焦れったかった。
 かちり、とどこかで冷たい金属の引き金を引く音を、警戒レベルが一気に上昇した聴覚素子が捕える。
 テレジア女史は、まだ私の意図する事に気づいてくれていない。



TO BE CONTINUED...