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 高速化した私の思考クロックは、正に銃口から放たれた直後までの弾丸の軌道を音反射によって把握する事が出来た。
 多分、それは諦めだったのだろう。私の尽くせる限りの最善は、事態を良い方向へ修正出来なかった事に気づいてしまったのだ。
 まるで閃光のようにシャープな軌道を描きながら、銃弾は真っ直ぐ赤くポイントされた場所へ吸い込まれていく。
 人間の耐久性はロボットとは大きく異なる。最も強固な部位とされる額でさえ、八百メートル毎秒の初速で打ち出される指先ほどの鉛の前にはまるで無力なのである。
 義体の技術はロボット工学と共に革新的な進歩を遂げたが、未だに代用の利かない部位が生命体には存在する。それが、今正にテレジア女史が撃ち抜かれようとしている場所だ。
 私は実際のそれそのものを目にした事はない。けれど、どうなるのかぐらいは容易に想像がつく。取り返しのつかない事であるのも加えて。
 ああ、駄目だ。私が盾になる事も出来ない。
 しかし、それが起こったのはその刹那だった。
 コップをスプーンで打ったような快音。
 次に私の視覚素子が認識したのは、シヴァが後ろから抱き締めるような格好でテレジア女史の顔の前に右の手のひらを広げている光景だった。
 シヴァは白い手袋をしたその手を感触を確かめるように握り込み、そしてゆっくりと広げた。そこから零れ落ちたのは、指先ほどの小さな鉛の塊だった。それは、衝撃によってひしゃげ変わり果てたライフルの弾丸だ。
「ミレンダ様、お怪我はありませんか?」
「ええ、なくってよ」
 シヴァは一つも慌てる素振りを見せず、ただじっと射撃手が居るはずの方角をじろりと睨みつけている。テレジア女史もまた、今のシヴァの行動が当然であるかのように、予想外の狙撃に対して驚くどころか一糸乱さずただ悠然と構えている。
 私も驚きはしなかった。
 シヴァはライフルの弾丸が発射されてから反応し、素早く軌道計算してテレジア女史に命中すると判断を下すと、その弾丸を直接自らの手で受け止めたのだ。
 現在の一般的な技術水準と照らし合わせれば、それは理論的にようやく可能と判断出来る程度の非常に難度の高い芸当だ。けれど、あのシヴァならば可能にしても不思議ではない。そう自然に思わせるシヴァの性能が桁を外れているのだ。だから私は驚く事をしなかったのだ。むしろ、あまりに凄過ぎて呆れすらしてしまう。
 しかし、その狙撃をきっかけに私達の間には新たな緊張感が生まれた。スナイパーとはいつどこから狙って来るのか事前に察知する事が困難な敵だ。その精密な射撃の前には、シヴァを除いて私達は非常に無力だ。せめて私も戦闘用に換装されていれば、もう少し状況は楽だったのだろうけれど。
「チッ、まだいやがるのか」
 と、マスターは窓の外を見ながら憎々しそうに舌打ちをした。
 壊れて広くなった窓から外を見ると、何やら物々しい装備で固めた人影が無数に集まり始めている光景が飛び込んできた。
 たった一人を捕獲するために、果たしてこれほどの人数を投入する必要があるのだろうか? そんな疑問すら浮かんでくる光景だ。
「車取りに行くにしても、これじゃあ一歩外に出たら蜂の巣にされかねないわね」
「ええ、分かっていますわよ」
 しかし、これほどの敵を前にもテレジア女史は全く臆する様子が無かった。むしろ空を舞う蝶のように優雅な余裕に満ちていると言っても過言ではない。
 テレジア女史はそっとシヴァの腕の中から抜け出すと、今度は逆に自分がシヴァの背後へと回った。
「シヴァ、あの無粋な連中に少々マナーというものをレクチャーしておやりなさい」
 そして、先程の爆風で汚れたタキシードの上着に手をかけてシヴァが腕を抜きやすいようにずらした。シヴァは自分の上着の位置など確認もせず、そっと脱がされるがままに従って上着を脱いだ。
「手荒にね」
「貴女のお気に召すままに」
 シヴァは両手にはめた白い手袋を順にはめ直すと、そっと上体を沈めて前傾姿勢を取った。
 瞬間。
 勢い良く床を蹴り、自らの体を前方に向けて射出した。驚くべき事に、シヴァはそれほどの加速度をブースターの類いを一切用いず単純な脚力だけで生み出していた。メインフレームは一体どれだけの強度を持っているのだろうか。人間なら最初の一歩で確実に意識を失うほどのGがかかっているはずなのに。
 第一陣が引き金を引く暇も無く、シヴァは部隊を中央から一気に駆け抜け左右に分断した。
 まるで波打ち際のようなざわめきが一群の中に広がる。動揺と、その動揺を鎮圧しようとする二種類の人間が拮抗し、部隊としての機能に混乱を来たす。誰しもが突然の奇襲にシヴァの能力が非常に危険であると判断した。即座にアサルトライフルを構えるが、隊列を乱された状態での発砲は同士討ちの危険性が高く、誰一人として引き金を引く事が出来なかった。
 この状況こそがシヴァの狙いである。多対一の圧倒的に不利な状況も、戦術次第では幾らでも有利に動かす事が可能である。その一つがこの撹乱作戦だ。
 そこから先は一方的だった。
 シヴァは縦横無尽に部隊を右へ左へと群衆を切り裂くように何度も往復し駆け抜けていく。ロボットは人間と違い、体の強度が格段に優れている。それが一般乗用車と同程度の速度で走るのだ。衝突すれば紙屑のように跳ね飛ばされ、擦れ違っただけでも巻き起こる衝撃波に当てられる身動きが取れなくなる。たとえ数では遥かに有利だったとしても、この決定的な質の差を覆すほどではなかったのだ。
 間もなく、あれほどの軍勢が驚くほど綺麗に掃討されてしまった。辛うじて死亡者はいないようだが、とても戦闘を行える状態ではない。僅かに残った彼らは急に一転し、アサルトライフルの引き金を遠慮なくシヴァに向けて引くようになった。当初とは違い、同士討ちになってしまうような味方がいなくなってしまったからである。けれど、シヴァの動きをそれで制限する事は出来なかった。おそらく銃口から入射角を計算しているのだろう、どれほどの銃口から一度に狙われても放たれた弾丸は決してシヴァを捉える事が出来ず、空を切るか直接手で受け止められてしまうのかどちらかに終わった。この程度の武装はシヴァにとってあろうと無かろうとさして差はないのだろう。仮に命中したとしても、戦闘用に換装されたシヴァの外殻に傷を負わせられるかどうかさえ疑問だ。
 やはり人間では、どれだけ束になってかかろうともシヴァには決して敵わない。そもそもの基本設計が違うのだ。人間は進化の過程で環境に適用し生き残るために現在の姿までやってきたが、シヴァは元々戦うために作り出されたのだ。ペーパーナイフと包丁よりも遥かに広い開きがある。動物が知性では決して人間に敵わないように、人間は物理的な戦闘にでは決してロボットには敵わないのだ。
 と。
 突然周囲に何かが引っかかったような荒い重低音が鳴り響いた。それを合図に残った数名が示し合わせたかのようにさーっと引いて行く。
「あっ!」
 そう声を上げたのは、誰よりもはらはらとしながらシヴァの戦いを見守っていたココだった。
 薄闇を切り裂いたハイビームが威風堂々と立ちはだかるシヴァを捉える。そしてその重低音は加速度的に拍数を増加させていった。
 重低音がシヴァに向かって接近を始める。逆光になるハイビームに戸惑いながらも、私は視覚素子を調節しその正体を確かめた。
 あれは……!
 総重量は軽く見積もってもキログラム単位を越えてしまうだろう。こんな狭い道へ良く入って来たと感心してしまうほどの、それは輸送用の大型トラックだった。
 人間技では敵わないから、機器を利用して一気に踏み潰そうというのだろうか。しかし彼らは誤った機器を選択したと言わざるを得ない。大型トラックがシヴァを踏み潰すのは、人間がシヴァを捕縛するよりも遥かに可能性が低いからである。人間でも捕えられなかったシヴァを、人間以上に小回りの利かないトラックで捕まえられるはずがないのだ。
 トラックは唸りを上げて加速を開始する。向けられたハイビームはさながらライフルのレーザーサイトだ。
 そのままある程度引き付け、直角に回避すればそれだけで済む相手。後は運転席に飛び移り内部から制圧する事も、シヴァにとっては難しい事ではないだろう。
 しかし。
 どういう訳かシヴァはあえてその場に留まると、注がれるハイビームの前に自らを進んで晒した。
 何故そんな事をするのか。
 不可解な行動に思わず自分の戦闘アルゴリズムへ周囲の状況を入力し試行錯誤する。程なくシヴァの不可解な行動の理由が判明した。それは、トラックが向かおうとしている先はシヴァではなく、実は私達の方であるかもしれないという可能性だ。あれだけ大きな車両であれば内部にも十分な燃料を蓄えるための巨大なタンクが備えられているはず。それが衝突の衝撃で引火すれば大規模な火災にすら繋がる事も予想出来るだろうし、単純に衝突するだけでもロボットの私を除いて致命傷を負いかねない惨事となってしまう。シヴァはそんなトラックの特攻から私達を守るために、あえてそこに立ちはだかっているのだ。
 だが、シヴァとトラックとでは質量が圧倒的に違い過ぎる。論理に基づいた判断ではあるのだが、現実的な結果を出す事が出来なければそもそもの論理が誤って構築された事になってしまう。言わば人間の考え違いと同じだ。しかし、この状況での考え違いとは身を滅ぼす事と同義の、非常に深刻な問題だ。
 一体シヴァはどんな手段を考えているのだろうか。いや、今この場に最も適しているのは他ならぬ戦闘用のシヴァだ。きっと私には考え付かない、この質量差を覆す意外な奇策があるはず。
 ふと、その時。
「騎士道とは、守り抜く事と見つけたり」
 突然、私の聴覚素子にそう呟いたシヴァの声が聞こえてきた。シヴァは右足を後ろに引いて半身に構え直し、左腕は縦拳を作りながら緩やかに肘を曲げ、右腕は手を半開きにしたままだらりと無造作にぶら下げた。
 どこかで聞いたことのある文句だ。それも極最近に。
 私はキャッシュデータを新しい順に洗い始めた。キャッシュの検索はネットワークを用いないから非常に高速に行えるため、洗い出しはあっという間に終了した。しかし、マッチした類似文句のデータには、更に今のシヴァと良く似た格好のデータまでがくっついていた。その文句のデータと姿形のデータはセットになった一つのデータだったのである。シヴァのそれは、これにそっくりなのだ。
 何てことだろう、それは、昨夜テレビでやっていたコメディ番組で人気のベテランコメディアンが演じていた、半分ボケて間の抜けた老騎士の決めゼリフだ。あのポーズは本来なら左手に背丈ほどの汚いランスが握られているのである。
 更に昨夜の放映内容を洗い出す。
 そうだ、思い出した。あの番組、結末は、老騎士が軽自動車を敵の戦車と勘違いして向かっていき、逆にはねられて海まで飛んで行ったのだ。



TO BE CONTINUED...