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 いけない! シヴァは何も考えていない!
 本当にあのバラエティ番組に影響されたかどうかはともかくとして、今のシヴァは何も考えていないか全く見当違いのプランを立ててしまっているのは確かだ。このまま任せてはいけない。絶対にこの後、良くない展開に陥るのが目に見えている。
 私は見過ごす訳にはいかず思わずこの場から飛び出した。具体的に自分が何をどうするのかは決めていないし、それではシヴァと何ら変わらないのだけれど、何もせずにここに留まっている事が出来なかったのだ。
 しかし。
「お待ちなさい」
 その寸前、背後から鋭い制止を浴びせられると同時に左腕を掴まれた。
 人間の腕力など、私の出力を持ってすればいとも簡単に振り切れる。それをしなかったのは、制止したのがシヴァの製作者であるテレジア女史だったからである。
「任せておきなさい、シヴァに」
 テレジア女史は悠然と微笑んで見せた。
 私にも把握出来る危機をテレジア女史が把握出来ていないはずがない。シヴァが何も考えていないなんて、女史だけでなくマスターにだって一目瞭然のはずだ。それを何故、ただ傍観するだけで何もしないばかりか私の行動をも制止するのだろうか。何もしなければ、自分で自分の首を絞める事になるというのに。
 そうこうしている内に、いよいよ進退窮まる状況になってしまった。もはや第三者の干渉は不可能になった。否応無く、私達はシヴァに自らの運命を託すしかない。
 トラックを前方に見据えたまま、シヴァは白い手袋をはめた右手を鉤爪のように開いた。そのままゆっくり右腕を小さく引き絞りながら、開いた手を硬く握り締めて拳を作り出す。
「ターゲット補足。ポインティング終了。メインバス、オールグリーン。排熱パネルクリア。セーフティロック解除」
 シヴァはあくまで目標をトラックに捕捉したまま臨戦態勢に突入する。出力調整部にかけられたリミッターを外し、何か高出力のギミックでも使用する構えに見える。しかし、たとえ戦闘用と言えど、少なくとも人間とほぼ同じフォルムを保ったままのロボットに、これほどの質量差を引っ繰り返すほどの高出力兵器が搭載されているだろうか。切断や貫通させる兵器は幾らでもあるが、必要なのはトラックが向かって来る運動エネルギーを相殺する事なのだ。だから質量で劣るシヴァは、初めから大きなハンデを背負わされているのである。
 しかし。
 シヴァの体内から、恐ろしいまでのエネルギーの鼓動を私は感じた。それは戦闘用ロボット特有の、でたらめな出力を内蔵しているための強大な駆動音なのだけれど、私にはもっと別な恐ろしさに思える。そう、データが全てのリアルである私達ロボットの、データに基づいた常識を覆すような力、そしてそれを示しているかのようなシヴァの確固たる自信。それが脈動を始めた休火山の如く、何かとんでもない事を起こそうとしているかのようなのだ。
 果たしてシヴァは本気なのだろうか? 相手は自分より何倍も質量を持った相手だと言うのに。まさか、本気で自らの拳一つで退けようと?
 まさか、そんな事があるはずがない。衝撃は質量と加速度の相乗だ。シヴァの質量でどれだけの加速度が必要になるのか、単純に考えても音速超過クラスの航空機ほどのが必要だ。しかし、航空機の最大速度とはあくまで瞬間的なもので、徐々に加速を続けながらやがて到達する限界の速さだ。幾ら質量が軽いとは言え、引き絞った体勢から振り切るまでの僅かな距離で、それほどの加速度を得るなんて物理的に不可能だ。
 けれど、私は何か忘れてはいやしないだろうか? しばらくの間、シヴァの事を考える事が無かったから、データベースの中でシヴァについて固有の情報の利用頻度が下がり、一般的な常識だけで判断しているから結果が偏ってはいやしないか。
 判断に必要であるはずの情報が何なのか洗い出している内に、その時が訪れてしまった。シヴァと大型トラックとの一騎打ちが始まってしまったのである。
「ブレイク」
 遂にシヴァの右拳が放たれた。
 そのモーションは特別な型でもなく、一般的な力学に基づいてテキスト化された手本のようなものだ。ただ驚くほど無駄なく重心移動をしているだけで、データさえあれば私でも出来る有り触れたモーションだ。
 私とはさほど規格の変わらない拳が、迫り来る巨大な鉄の塊を相手に何が出来るのか。特定の宗派を持たない私だけれど、ただ漠然とした神という絶対的な力を持ったそれに祈っていた。何も出来ない私には、他に頼るべきものがないからである。
 交錯するシヴァの右拳とトラックのバンパー部。それは爆発音と聞き紛うほどの激しさを周囲に解き放った。
 思考クロック数を上昇させ、他の感覚器官や制御系を一時的に遮断しリソースを視覚素子と電脳に集中させる。
 シヴァの拳が殴打した部分は、拳の直径よりも二周り大きいクレーター状にへこんでいった。しかし、この質量差ではこれが限界だ。後は、シヴァの右腕の初速が生み出した衝撃がやがてトラックの運動エネルギーに打ち消され、その瞬間から加速度的に弾き飛ばされる。
 しかし。
 直後、シヴァの拳が微細にぶれた。既に繰り出した際の運動エネルギーは消えてしまったはずなのに、ぶつかりあった部分から更なるインパクトが起こった。それも一度や二度ではなく、最初のインパクトよりも若干微弱ではあるものの極めて短い間隔で断続的にだ。
 一つでは小さな衝撃でも、これほど断続的に打ち込めば相乗効果で何倍にも膨れ上がる。そう、たとえ圧倒的な質量差があったとしても、それをものともしないほどにだ。
 常識的に考えて、一度の動作で複数のインパクトを生み出す事は不可能だ。無論、古今東西の全ての武道にも、複数の四肢を同時に駆使しない限りそのような技は存在しない。つまり、この現象はシヴァの技術によるものではなく、搭載されたギミックによるものなのだ。そして、私はこのような事を可能とする兵器を知っている。
 それは、ギャラクシカの決勝戦で、私の右腕を一瞬で大破させたのと同じもの。私が失念していたのは、この常識を外れた高出力を持ちながら極めてコンパクトな兵器の事だ。振動破壊兵器であるソニックナックルと、局地的な爆破を行うブラストナックルを融合させ、一度振動するごとに局地的な爆発も起こすという驚異的な威力を発揮するが、その反面、ロボットには大敵である熱を大量に発熱するという欠点を持つ兵器。それは一言で言うと、非常識な兵器、だ。
 あまりに非現実的な光景だった。
 思考クロックを標準に戻した瞬間、トラックは完全に運動エネルギーを相殺されるだけでなく、続いた拳からの衝撃は僅かにひしゃげた車体の左側面へ一気に流れ込み、車体がまるで引っ張られるように左へ捩れながら右方向へ横転した。
「ターゲット、沈黙」
 シヴァの着ているシャツの右袖は、肩から先が完全に吹き飛んでいた。露になった腕は完全な人間型ではなく、まるでタトゥーのようにデザインカットされた排熱パネルが幾つも埋め込まれている。そして手首から先は角張った形の完全な亜人間型だ。おそらくこの形状でなければ、あのギミックは搭載出来ないのだろう。
 細かに散りばめられた排熱パネルから大量に放熱されている。高出力の代償として大量に内部熱が発生したからなのだろうが、心なしか以前ほどの放熱量は無いように思える。あれから効率性を重視した改良が加えられたのだろうか。
「へえ、凄いじゃんあれ。熱暴走とかしない訳?」
「当然ですわ。耐久試験では、一時間の連続使用にも耐えましたから。欠点を上げれば、使用する都度、せっかくのオーダーメイドが使い物にならなくなる事でしょうか」
 目の前で起こった出来事をさも当たり前の事のように話す、マスターとテレジア女史。しかし、倒された彼らにしてみればまるで悪夢のような出来事だろう。たった一体のロボットに、ここまで完膚無きまでに倒されてしまったのだから。私も、人間が相手なのであればシヴァの負けは無いと思っている。でも大型トラックにすら打ち勝ったのには正直驚きを隠せない。如何に自分のデータが凡庸なものであるかと、改めてシヴァの性能の凄まじさを再確認させられる。
「ミレンダ様、ただいま車をお持ちします。高ノ宮様も御準備を」
 そうシヴァは私達に向かって言い放つと、綺麗な仕草で右手を胸に当てて一礼し、車を止めた方へ向かって駆けて行った。その様子には、あれほどの高出力兵器を使用した影響など微塵も見当たらなかった。とうに内部熱は完全に外へ排出してしてしまい、思考も通常時に戻っている。その排熱効率は特筆すべきものだ。ロボットにとって内部熱は天敵の一つであるのだが、これだけの熱量を僅かな時間で排出してしまう効率性は、それだけで一つの頂を築き上げられるほどの技術である。
 一体、今のシヴァは幾つのそういった技術で構成されているのだろうか。私は、何も出来ない自分と比較してしまい、この生活換装の体が疎ましく思えてならなかった。戦闘用と汎用とでは、その用途や目的はまるで違ったものだと言うのに。
「さあ、行きますわよ! お急ぎになって!」
 テレジア女史はスカートを中頃から摘み上げて膝から下を露にすると、瓦礫の上を軽快に跳んで外へと出る。意外と軽やかなステップだ。
「ラムダ、ココの事をお願い。小脇にでも抱えてって」
 更にマスターが強引に瓦礫を掻き分けながら外へ出て行く。
 私は慌ててココの姿を探す。ココは先程と同じ位置でどうしたらいいものかとオロオロしていた。多分、状況の展開の早さについていけていないのだ。確かにマスターの言う通り、説明するのは大きな時間のロスだ。私はマスターの命令通りココの腰を後ろから腕を通して持ち上げると、急いで瓦礫を駆け上がりマスター達の後を追った。
「なんだよー、一人で歩けるってば」
 そこでようやくココは状況を理解したのか、急にジタバタと暴れ始めた。しかし、子供の足よりも私の足の方が遥かに速くて安定性があり、また私自身もココを抱えて走る事はそれほど負担ではない。従って現状維持が最適であると判断した私は、ココの言葉を無視し、締め付け過ぎぬよう最新の注意を払いながら腕のロックを強めた。
 前方を駆けるマスターとテレジア女史。更にその前には、テレジア女史が乗ってきた高級車のフロントライトが見えた。シヴァは既に車に乗り込んでいるようだ。



TO BE CONTINUED...