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 朝食後、マスターとテレジア女史は書斎にこもり、本日の打ち合わせを始めた。
 私は保温機ごとコーヒーを持っていったきり、書斎には立ち入らなかった。シヴァも同様に書斎には立ち入らず、リビングにて無言のままソファーに座っている。私は手が空くとネットワークに接続して趣味の情報収集を行ったり、もっとまとまった時間があれば映画を見たりするのだけれど、どうやらシヴァには趣味の概念がまだ無いらしい。やはりエモーションシステムの起動直後では、それほど飛躍的に人間らしくはならないようである。
 私はキッチンにて朝食後の後片付けを始めた。とはいっても、たった三人分の食器なので大した作業ではない。丼の油汚れが少々大変かも知れないが、中性洗剤を使えばほとんど問題は無い。今の時代、油汚れで洗い物に困るなんて事はまずあり得ないのだ。
 さっと濡らしたスポンジに二滴ほど洗剤を含ませて十分に泡立たせる。そして丼を一つずつ丁寧に磨き始めた。私は洗剤の泡が汚れを落としていく様を見るのが好きである。理由は良く分からないけれど、汚れた食器が綺麗になっていく過程が気持ちいいからなのだろう。誰だって綺麗なものの方が好きに決まっている。汚れている方が落ち着くという人は特殊な少数派だ。
 と。
「ねー、シヴァ。遊んでよー」
 リビングの方からココの甘えるような声が聞こえてきた。
 私は思わずむっとした。なんとなく、ココが自分以外の人間に好意を示すのが気に入らなかったのである。
 早く片付けなければ。
 俄かに焦りを感じた私は、普段ならゆっくり行う洗い物を急ぎ始めた。気持ちが逸ってどうしても落ち着かなかった。メインバスから過剰なエネルギーが送り込まれているのが分かる。おそらく、人間で言う所の動悸だろう。あまりの焦りに、体中の機能がそわそわしているのだ。
 リビングに入ると、シヴァはココに腕を引かれ困った表情をしていた。多分、一緒に遊ぶ、もしくは、遊んでやる、という概念がないからなのだろう。純戦闘型のシヴァでは無理も無い事だ。
 シヴァは私の存在に気が付くと、哀れみを請うような視線でこちらを見上げた。あまりシヴァらしくない表情だ、と私は思った。
「ラムダ、何とかして欲しい。私にはまだこういう事が良く分からない」
 シヴァはそっと袖を掴むココの手を離させた。そんなシヴァの反応に、ココはあからさまにつまらなさそうな顔で唇を尖らせた。
「なんかシヴァって面白くなーい。他のロボットと同じだ」
 ココの言葉に私は優越感を覚えた。ココの中で私は、確実にシヴァよりも上のランクに位置づけられた事を確信したからである。
 しかし、私はすぐにその下世話な考えを改めた。無言だったシヴァがココの言葉に、少なからず衝撃を受けたらしい悲しげな表情を浮かべたからである。
「そういう事を言ってはいけません。私もシヴァも同じロボットだけれど、得意な分野が違うのです。どちらが上とか下とかはありませんよ。これは個性というものなのです」
 ロボットにとって人間に拒絶される事ほど辛いものは無い。それが日常的に人間と密に接しているロボットなら尚更だ。ロボットには自立という概念が無い。だから、指標を与えてくれる人間に拒絶される事は、自らの存在意義を失うにも等しいのだ。
 すると、
「ほらあ。だから、そういう事を言うラムダこそ変わってるんだってば。説教するロボットなんて聞いた事ないや」
「説教ではありません。私はココの将来を考慮し、人間性を下げるような観点を改めてもらうために進言しているだけです」
「そういうのを説教って言うんだよー」
 ココはシヴァが動かないのを良い事に、ソファーの背もたれをよじ登ると、無理やり肩車をさせるようにシヴァの首を跨いで肩の上に座った。当然だが、ココが肩に乗った程度でシヴァのフレームが歪むはずも無く、さながら椅子のようにシヴァは背筋を伸ばしたままだ。
「でもシヴァって強いよねえ。昨夜なんて凄かったなあ。トラックぶっ飛ばしちゃったし」
「ですが、私はラムダに敗北した事があります」
「ええっ?! うっそだあ。ラムダなんかに?」
 普段、私がどのような評価となっているのかは気になったが、そこはあえて押し殺す。
 私とシヴァが戦ったのは、前回のメタルオリンピアでの事だ。当時のシヴァは全五種目制覇という偉業を二年続けて果たした、まさに王者と呼ぶに相応しい完璧なロボットだった。その反面、私がエントリーしたのは五種目全てだったのだが最初の四種目中ほとんどが予選で敗退し、シヴァと直にあいまみえたのはたったの一度きり。まさに背水の陣で挑んだ第五種目目、ギャラクシカ。私がシヴァと交えたのはこの種目の決勝での事だ。
 ギャラクシカとは、メタルオリンピアにおいて最も人気があり、そして過激な種目だ。ルールはいたって単純、リングの中で戦い、先に相手を倒した方が勝利となる。ただそれだけなのだ。無論、戦闘型であるシヴァはこの種目を最も得意としていた。過去、シヴァと対決したロボットは皆、数秒足らずで大破させられている。そこに汎用型で、それも全くの無名だった私が挑む事を、世間は散々嘲笑した。しかし試合の結果、大破したのは私ではなくシヴァの方だった。試合そのものはポイントによりシヴァの勝利ではあったが、『勝負の結果は観客が決める』という格言の通り、大衆は腕一本で済んだ私が勝者という評価を下した。シヴァの言葉が差す所の敗北とはこれによるものである。
「私もその時は戦闘用に換装されていましたから。このまま戦って勝った訳ではありませんよ」
 私はあえてシヴァの言葉そのままに、自分の勝利を示した。私にとってその試合は思い出したくも無く、マスターの期待通りに優勝を得られなかった自分が不甲斐なくて仕方ないのだ。だから勝負という意味での勝ち負けにそれほど拘りは無く、むしろ敗者でいる事の方が無闇に藪を突付かなくて都合が良い。そんな私があえて風評の勝利を主張するのは、ココが強い者に憧れを抱く傾向にあるのではないか、と思ったからだ。
「ラムダってそんなに強いの?」
「基本性能は私の方が上でしたが、思考力で劣る私が戦術で敗北したのです。今は双方スペックが異なるため分かりませんが」
 シヴァは多分悪気無く言ったのだろうけど、どこか引っかかるような口ぶりに思えて仕方なかった。まるで、あの時はうっかり負けはしたけれど、今やれば絶対に負けない。今の私の発言に対する反意を見せている、と考えるのは浅慮だと思うけれど、どうしても私は下手に勘繰ってしまってならなかった。どうも私はココの前だと意固地になってしまう気がする。そこまでして悪いものを良く見せても仕方が無いのだけれど、ココが私から離れてしまうと思うと自然とムキになってしまうのだ。
「へぇ。ホント、ラムダって変わってるよね。御飯作るのうまいし、いつもせかせか掃除とかしてるのに、いざ戦うと強いんだもん。そのくせ説教臭くてさ。ロボットらしくないよね」
 そうですか、と私は曖昧に微笑む。しかしそれは、いつもの自分が理解していない事を悟らせないために取る表情ではなかった。
 私とて、たとえ戦闘型ロボットではなくとも有事の時は武力行使に躊躇わない。むしろ、必要と分かっていながら感情が行動にブレーキをかけてしまう人間と違うのだから、ロボットらしくない、という表現は正しくは無い。だけど、人間型ロボットの評価は相対的に人間により近ければ近いほど高いのが一般的だ。何も、あえて自分の機械性を主張する必要は無い。それにココには、自分は戦うと強い、というイメージを持って貰いたい。
 と。
「私はラムダのようにありたいと考えています」
 突然、シヴァがそんな事を口にした。
「私は戦闘型ロボットであるため、長時間、高出力を発揮する事が出来ます。それは兵器と呼称しても法的にはほとんど差し支えない。しかし私は兵器ではありたくないのです。兵器とは道具だから、己の良心に従って力を使うべき所を自分で弁えたい。それが出来ないのでは単なる殺戮機械に成り下がる。けれど、善悪の判断が私には未だに出来ない。いつも戦うべきか否か迷ってばかりいます」
 それはまさに、私に対するシヴァからの賛辞だった。
 何の臆面も無く相手を評価出来るシヴァ。けれど、私はどうだろう。自分の評価を少しでも下げたくは無いからと、小さな見栄を張っている。エモーションシステムの稼動暦は私の方が長いから、本来なら私の方が年長者的な落ち着きと寛容性を持っていなければならないのに。自分の体面を気にする一方で、シヴァは自らに与えられた常軌を逸する性能に僅かながら苦悩している。私には良く理解出来ない、戦闘型独特の苦悩なのだろう。それは私がいつも考える自らの存在意義についてなのだけれど、最近の私は自分の評価ばかり気にし、存在意義というものの本来の方向性を見失っている。そんな矮小な自分が恥ずかしい。
「まーまー、深く考えなくていいさ。悪いって思う事をやらなきゃいいんだよー」
 そうココはシヴァの肩に乗りながら頭をぽんぽんと叩く。
 そのココも、ここに来る以前は日々の糧を盗みで手に入れている。しかも悪い事だと知りながらだ。自分の事を棚に上げているのかもしれないが、悪い事をしてはならない、という意識がちゃんとなければ今のような言葉は口にしないだろう。
「ラムダはどのように善悪を判断しているのですか? 私は幾ら世界情勢を検索しても、一貫性のある価値観が構築出来ません」
「善悪とは絶対的な指標があるものではありませんから、ニュースからでは判断出来ませんよ。それよりも、事態そのものを鑑みるべきだと思います」
「実際の場合で推察すると?」
「はい。もし自分がここでこうすればどうなるのか、そう何度も考えるんです。そしてその中で、一番誰も悲しまなくて済む方法、それが一番正しいんですよ」
「一番悲しまない方法……ですか。難しい観点ですね」
 難しそうに眉間に皺を寄せるシヴァ。けれどその上で、ココが面白がってシヴァの髪や耳を引っ張ったりして遊んでいる。さすがに見かねて私は、後ろからココの脇を持って無理やり持ち上げた。シヴァが玩具のように扱われているのを見るのは忍びないからだ。ココはすぐにじたばたと暴れ始めたが、私は離さなかった。人に対して失礼な事をすれば相応に困窮する事を身を持って理解させるためである。
「少しずつ分かるようになりますよ。何が正しいとか間違ってるとかなんて、日々変わっていくものですから。今は、テレジア女史の言う事に従えばいいと思います」
 テレジア女史はマスターとの旧友であるから、全く同じとは言わないけれど少なからずマスターの世界観を理解していると思う。私にとってマスターの言葉があらゆる善である。だからマスターと賛同出来るテレジア女史の言葉は、シヴァにとってあらゆる善になりうると思っても過言ではないはずだ。シヴァはまだエモーションシステムの成長の度合いが未熟であるため、私のように善悪の判断は出来ない。だから最初の内はテレジア女史に従っていれば絶対に道を間違うような事は無い。
 シヴァは極自然な仕草で、ありがとう、と私に言った。
 なんとなく照れ臭いく思った。私はただ自分の思った通りの事を言ったにしか過ぎないのだから、そんな風に感謝されるとむしろ恐縮してしまうのである。多分、今の自分は良い事をしている。そんな実感があった。道に迷って困っている人の手を正しい方へと引いていく感覚に似ている。
 と。
「ラムダ、お腹空いたー。そろそろオヤツにしようよー」
 ココは私に背を向けたまま仰け反り、上下逆さまの顔でそう訴えかけた。
 はらりと前髪が下へ向かって垂れ落ち額があらわになる。そこに刻まれた記号を目にすると、私の顔から笑顔が消えてどこかやるせない気持ちになった。今の生活が、決して長く続くような安定したものではない、そう思ったからである。



TO BE CONTINUED...