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 夕刻。
 私は別荘にて夕食の準備に取り掛かっていた。
 マスターは首都警察署にて昨夜の事件についての事情聴取を受けている。本来なら事件に関わるココも行かなければならないのだけれど、警察に行けば迷子者リスト照会だとか身元引受人どうこうの面倒な問題になってしまうため、マスターだけが聴取に向かったのである。どうせココの名前がそこから見つかる事が有り得ないのは明白だし、迂闊な事を喋って衛国総省に深入りさせたらもっと面倒な事になってしまう。もっとも、我が家で迷子の子供を保護している事はきちんと伝えなければ後々問題になってしまうから、ココの事に全く触れない訳にはいかないのだけれど。
「なあ、ラムダー」
 と。
 ココはダイニングテーブルでタンブラーを唇で咥えぐるぐると回しながら話しかけてきた。手はだらりとテーブルの下にぶら下げ、顎だけでタンブラーを支えるその姿勢はみっともない事この上ない。
「行儀が悪いですよ。その姿勢はやめましょう」
「うん、分かった」
 すぐにココはタンブラーを離すと、両手で持ち直し中をじっと見つめる。注がれたオレンジジュースはあまり減っておらず、むしろ氷が溶けて体積が増している。あまり喉が渇いていないのか、それとも飲む気になれないのか。
「ミレンダ、大丈夫かなあ。なんか顔色真っ青だったし」
「そうですね……」
 昼間。シティホテルのスイートを借りて行ったマスコミとの取材。昨夜の事件について、被害者側からの状況を先に世間に発信する目的で行ったのだが、その最中、突然テレジア女史へ飛び込んできた父親の訃報。
 それは、普段悠然と構える女史を一変させた。どれだけ衝撃的な事なのか、傍目からも十分に見て取れるだろう。
 家族を失う感覚というものを私は知らない。一般論を言えば、こんな時は誰かが寄り添うことで不安定な精神を支えてやるべきなのだろうけれど、マスターはテレジア女史が退室してからも変わらず取材を続行した。マスターは両親を亡くされているから、こんな時にテレジア女史がどんな思いなのか理解されていると思うのだけれど、マスターはテレジア女史に対してこう接する事が最良であると判断したからかもしれない。
「んっとさ、ミレンダに電話してもいいかな?」
「いけません。通信機器の使用は一切禁止です。ここもいつまで居られるか分からないんですから」
「でもさ、心配だよー。今頃どうしてるのかなって気になるじゃんか」
「それでも、駄目なものは駄目です」
「ちぇっ。冷血ー」
「いいえ。私に血液はありません」
 ココは不貞腐れたようにタンブラーを傾けて勢い良くごくごくと飲み始めた。
 マスターにはもう少し人間のジョークを理解するよう言われているのだけれど、どうやらあまり面白くなかったようだ。ジョークとは非常に高度な言葉遊びである。まだまだロボットの私にそれを自在に操るには荷が重過ぎるようである。
「ねえ、夕御飯はなに?」
「今夜は肉じゃがとホウレン草の胡麻和えです。豚汁もありますよ」
 しかし、ココはそれ以上の質問も感想も投げかけてこなかった。
 漂う重苦しい空気。何故そうなったのか、私は何となくその理由が分かった。ココはテレジア女史が心配というよりも、テレジア女史がショックを受けた事に対し、ココがその様見てショックを受けてしまったからだ。全く心配していない訳ではないだろうけれど、何よりテレジア女史の痛ましい姿を見てしまった事が耐えられなかったのである。そして、人間は驚くほど未体験のストレスやショックに対して脆い。ココの口数が減ったのはそのせいなのだ。
 だけど、こんなにも人間らしいココがどうしてロボットだというのだろうか。幾ら精巧だと言ってもロボットは人工物、どんなに人間そっくりに似せたロボットでもロボット技術者の目にはいとも簡単に見分けがついてしまうように、ロボットは完全に人間になる事は出来ないのだ。だから、こんなにも自然な人間らしさを作る事なんて出来るはずが無い。どうしてココがロボットじゃないのかなんて疑われなくてはならないのか。本人も自覚などまるでなく、私のようにメンテナンスすらした覚えも無い。果たして世の中にそんなロボットが存在するのだろうか? 前例が無いから画期的なんだろうけれど。
 と。
「うん?」
 突然聞こえてきたのは、車がこちらに向かってくる音だった。車道に面した所に建っているのだから車の走る音が聞こえてきても別に不思議な事ではない。けれど、ここは元々交通量が極めて乏しい所だから、車の音には嫌でも注意を向けてしまう。
 私はその車の音は家の前を通り過ぎるものだとばかり思っていた。しかし、車はゆっくり減速すると、建物の敷地内に入って奥の駐車スペースで止まってしまった。
 一体どうして?
 マスターが帰ってきたのだろうか? しかし、タクシーならばわざわざ中まで入ってくる事はないし、見ず知らずの人間と接触する訳だから、そんな危険の伴う行為をマスターがするはずがない。なら、テレジアグループの車で送られてきたのだろうか? それならば、中まで入ってきたとしても不自然は無いのだが。
 だが、続いて玄関からチャイムのメロディが鳴り始めた。それは来客を告げる合図であり、訪問者は私達と面識が無い事の現れである。私の思考はすぐに警戒を始めた。マスターならわざわざチャイムを鳴らす必要がないからである。明らかに訪問者は私達と縁も所縁もない人間、何かのセールスでやってきたというのであればまだ分かるけれど、もしも衛国総省の関係者だとしたら非常に危険な事態である。
「ココはそこにいて下さい。私が出ます」
 そう言って私はホットプレートの電源を落とすと、玄関の方へ足音を向かった。
 まず私はインターホンの受話器を取り、玄関外に付けられたカメラからの映像を確かめた。小型ディスプレイに映っているのは、如何にも品の良さそうな、年代で言ったら丁度五十代に差し掛かったばかりの初老だ。白髪一つない黒髪は綺麗に後ろへ撫で付けられ、着ているスーツは折り目も正しく皺一つ見当たらない。
「どちら様でしょうか?」
「私、テレジアグループのビスマルクと申します。本日は総帥より指示を受け、品物をお届けに上がりました」
 ビスマルク。そうだ、確かテレジア女史が電話に出た時、相手の名前をそう呼んでいた。
 よくディスプレイを見ると、彼の後ろにはシヴァが立っている。テレジア女史の指示で同伴しているのだろう。となると、特に疑いを持つ必要は無さそうだ。外に出られないテレジア女史が誰か代理を立てたとしてもそれは決して不自然な事ではない。
 ロックを解除し、ドアを開ける。すると、ビスマルクと名乗った彼は真っ先に私に向かって丁寧に一礼した。
「テレジアグループにて総帥補佐を務めさせて頂いております、私、ビスマルクと申します。以後、お見知りおきを」
「私は、エリカ=鷹ノ宮所有のラムダと申します」
 本来なら人間とロボットが対等の挨拶を交わす事なんてまず有り得ないのだけれど、あえてそうする彼は非常に律儀で礼儀正しい人なのだと私は思った。身内以外ではテレジア女史しかこの事態を知らないのだから、幾らテレジアグループの人間とは言ってもどこまで信用していいのか疑問だったのだが、彼なら十分信用に足りそうである。
「あの、品物というのは?」
「はい、主に食料品と生活用品一般でございます。少々量が嵩張るので人目につかぬよう裏口から搬入いたしたいのですが、開放願えますでしょうか?」
「分かりました。ただいま」
 私はすぐにキッチンへ向かうと、隅にある裏口を開錠して開けた。程無くしてシヴァが大きなダンボールを抱え上げながらやってきた。
「この付近に並べて問題ありませんでしょうか?」
「はい、お願いします」
 次々とシヴァが車の後部座席から運び込んでくるダンボールの数は十にも及んだ。その全てが食料品と生活用品であるそうだが、そうなると相当な量だ。多分、一、二ヶ月ほどは買い物をしなくとも十分食べていけそうである。
「他に必要なものが御座いましたら遠慮なく仰って下さい」
 そう横から言葉を投げかけてきたのは先程のビスマルク氏であった。私が荷物の量に驚いてすっかり失念している間に、表から回って来たのだろう。
「あの、どうしてこれらを?」
「はい。総帥からは、当分の間は出来る限り外出をせぬようにと果せ使いました。世間の目に触れればそれだけマスコミに要らぬ事まで嗅ぎ回られてしまいますから」
 なるほど、と私は納得した。私達はあくまでここに潜伏している訳だから、幾ら必要でも食料等の調達に外出する事にはリスクが伴う。けれど外部から必要なものを搬入してもらえるなら、手段にさえ注意すればリスクはほぼゼロに軽減される。無論、テレジア女史に全面的な協力をして頂いて初めて成立するのだから感謝の気持ちは忘れてはならない。
 と、その時。
「おー、すげ。なんか色々ある」
 いつまで経っても私が戻らないから気になったのだろうか、家の中からココがやって来た。ココはやって来るなり積み上げられたダンボールの山を見上げて感嘆の声を上げる。しかしそれも束の間、ココは急にダンボールを手元に下ろしては片っ端から封を切って開け始めた。
「駄目ですよ、散らかしては」
「いいじゃん。どうせ開けるんでしょ? お、チョコバーみっけ。ナッツ入りだ」
「もうすぐ御飯ですよ。お菓子は後にして下さい」
「ちゃんと御飯も食べるってば。食べ盛りの心理をもうちょっと理解しろよー」
 そう言ってココは早速一本目の包装を解くと、あっという間に食べてしまった。
「やっぱこれないと駄目だよねえ。うん、うまいうまい」
 ココは満足そうにチョコレートで汚れた指を舐める。ココがチョコバーを好きなのは知っていたが、こうも固執されると逆にあきれてしまう。人間は体にとっての必要不要とは関係なく嗜好品を求めるが、それは人生という限られた時間においてそれほど比重を置くべきものではない。あまり傾倒するようでは依存してしまうから、もう少し食べさせないようにした方がいいだろう。
「指を舐めるのははしたないですよ。汚れたらちゃんと水で洗って下さい」
「次からねー。そういう訳で、もう一本」
 ココが菓子類の詰まったダンボールへ再び手を伸ばす。すかさず私はダンボールを横から取り上げた。こんな調子では、一日で全部食べてしまいそうである。



TO BE CONTINUED...