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 ココの放ったその一言が、部屋の空気を瞬く間に変えてしまった気がした。いや、そういった心情的な空気の変化とは主観的なもので、実際は自分の感覚によってそう変化を錯覚するだけにしか過ぎない。じゃあ空気が変わったと感じたのは、私がココの質問になんらかの意図を感じ取ったからなのだろうか?
「どうしたんですか、急にそんな事を」
「前に言ってたろ。私がなんだかってトコが作ったロボットなんじゃないかって。でも、それは表沙汰に出来ないからって今は隠してんだろ?」
 ゆっくりと振り向いたココは、上半身を軽く屈めた姿勢の私と同じ高さから視線をぶつけ合ってきた。
 一番触れられたくはない部分をストレートに突かれ、私はまるでマシンがフリーズしてしまったかのようにその場で呆然としてしまった。ココが同年代の子供より標準的な社会知識に乏しいから、普通は躊躇するような事も平気で行う傾向にあるのは知っていたけれど、まさかこの件に関してもここまでストレートな物言いをされるとは私自信全く予想していなかった。
「あなたは人間ですよ。ロボットではありません」
 そして、私が咄嗟に答えたのは、あまりに偽善過ぎてすぐに後悔してしまうような、実にテンプレートなセリフだった。
「なんでそう言えるのさ? 証拠も無いのに」
「それは、私がロボットだからですよ。ロボットはロボット同士の事が良く分かりますから」
「私が人間そっくりのロボットだったらどうするんだよ」
「人間と変わりないのであれば、それはロボットではなく正真正銘の人間であると、私はそう思います」
 それは、人工的に結合度合いを操作して作り出された最硬度の炭素もダイアモンドと呼ばれるように、生簀の中で管理されながら育てられたマグロも同じマグロと呼ばれるように、たとえ人工でも本物と寸分違わなければ、それは紛れも無く本物なのだ。だから私はココが人間であろうとロボットであろうと、それほど違いは無いと思った。それはココが、本当にロボットなのかと疑いたくなるほど、全てにおいて人間らしいからである。
 けれど、
「人間に作られたんならラムダと一緒じゃんか」
 そう言い放つココの言葉も決して間違いでは無かった。
「経緯ではなく、概念の問題ですよ」
「言ってる事が分からないよ。そうやって誤魔化すな」
 私とココでは観点が全く異なるのだ。私は生み出すプロセスよりも結果の方が重要と考え、ココはプロセスそのものを選別の基準としている。私の考え方は出力結果を重視するロボット的な考え方で、ココは同じ天然水でも産地で評価する人間的な考え方だ。
 何よりもそのこだわりが人間らしい事なのだと、どうしてココは思わないのだろうか? 結果だけしか見ないロボットにはこだわりという概念は存在しないというのに。
「私はロボットなんでしょ? ラムダはそんなこと言うけど、エリカはどうなのさ? 私の事、ロボットだって思ってるんでしょ?」
 私を跳ね除けて、ココは三歩、マスターに向かっていく。
 酷く自虐的な表情が、張り詰めたものに突然と生じさせた亀裂を思わす悲痛な声を吐き出す。
 私は言葉を失っていた。人間とロボットとの境界をこれほど掘り下げて苦悩する姿に、私の概念が追いて行く事が出来なかったからである。
「ココ」
 すると、マスターはゆっくりとカップをローテーブルに置き、じっとココを見据えた。
 それは、思わず身震いするような気迫に満ちた表情だった。私は長くマスターに仕えさせて頂いているけれど、こんな表情を見るのはそう何度もない。
「じゃあ逆に聞くけど、人間だとかロボットだとか、そんなに重要な問題なワケ?」
「当たり前だろ! アタシは自分がロボットなんて絶対に嫌だ! だって自分が全部作り物だなんて、何を信じたらいいのか分からないじゃんか! アタシは、アタシ自身の自由な気持ちで生きたいんだよ!」
「何もかも自分の自由に生きたい、って事。フン、ガキね」
「なんだよ、それ!」
「ガキだっつってんの。人間だろうとロボットだろうと、そんなに差あるの? ロボットは人間の、劣化の無いコピーよ」
「あるよ! あるからラムダもああ言ったんだろ!? アタシが人間だってなだめるような言い方して! 誰だって人間の方がいいに決まってるよ!」
「じゃあ、ラムダは不幸だって?」
「そんな事言ってないってば! アタシはただ、誰かに自分の気持ちまで侵害されるのが嫌なだけだい!」
 次から次へと飛び交う激しい言葉。しかしそれが、熱心に行われる弁論とは程遠いものであるとロボットの私にも分かった。その一番の理由は言葉の温度差だ。ココは腹の底から、自分のありのままの気持ちを拙いなりに吐き出しぶつけているのだけれど、マスターはそれを一歩外へ退いた客観的な目で冷静に見ている。そう、だからこれは弁論でも何もないのだ。マスターとココは同じ土俵に上がっていないのだから。
 それに私には、マスターはわざとココを熱くさせて言葉を吐かせているように思えた。多分、言いたい事を溜め込ませたくはないという配慮からだと思う。でも、私は事の成り行きを安心して見守る事は出来なかった。こういった激情が飛び交う状況に馴染めないからである。
「アンタは知らないと思うけどさ、人間だってそんなに自由に生きられないもんよ? 知っての通り、ちょっと自分の我を通すだけで私みたいになる。更に通したら、後は鉄格子の中で暮らす事になるのよ。自由だとかどうとか、議論するなんて馬鹿らしくない?」
「ラムダだって似たようなもんじゃないか。エリカには逆らえないし、自分の勝手で外にすら出られないし」
「でも、私は出来る限り苦痛は与えないようにしているわ。理解する事でね」
「思い込みだよ、そんなの。ラムダは口に出来ないだけだ」
「耐え忍ぶって人間らしいじゃない」
「らしくない! エリカは自分勝手だ!」
 マスターは言葉があまりにストレート過ぎるため、人からあらぬ誤解を受ける事も多々ある。けれど、私はマスターが本当はそんな人間ではないという事を知っている。だからマスターの表面的な部分しか見ない人間の罵詈雑言に心を痛める事もしばしばあるし、その度に何とか理解してもらおうと仲裁を試みるのだけれどロボットの私に説得力のある仲裁方法など無く、結局はただじっと手をこまねいて見るしかない。でも、ココだけにはマスターをそんな風に思って欲しくは無かった。どうすればココはマスターの事を理解してもらえるのか。本当のマスターと私の関係がココの思うような冷たい隷属関係ではない事を、どうすれば理解してもらえるのか。全ての副思考を並列動作させて幾つものパターンを考えてみたけれど、結局答えは見つからなかった。人間ですら自分の言葉を相手に理解させるのは非常に困難なのに、ロボットの言葉をそう体良く理解させるなんて出来るはずがないのだから。
「ココ、もうやめましょうよ、こんな事」
 私は二人の会話を遮るように、そっとココを後ろから抱き寄せた。
「マスターも、もう宜しいですよね?」
「別に構わないわ。あんまし説教とか得意じゃないからね」
 マスターはカップを持って立ち上がると、そのままキッチンの方へと向かってしまった。その後をココは追おうと足を踏み出したが私は離さず、しかしココはそれほど追いたい気持ちはなかったのかすぐに踏み出そうとする足を場に留めた。
「ラムダぁ、どうしてそうやってエリカをかばうんだよー……」
「かばってなんかいませんよ。ただ、マスターもココもあのまま続ける事が辛そうに見えたから。それだけです」
 先程までの激情が嘘のように鎮まって、驚くほどしおらしくなったココの声が私の胸にやけに響いた。
「ラムダは恐くないの? アタシは恐いんだよ。自分がロボットだったら、こうやって話してる自分も何もかも全部、誰かの気持ち一つで嘘になっちゃうんだから」
「私は、マスター以外の方に私の魂を触れさせたりはしません。だから、自分がロボットである事は少しも恐くありませんよ」
「なんでそんなにエリカのこと信用出来るの? その気持ちだってエリカが作ったものじゃんか」
「私はそれでも構いません。その気持ちのおかげで、今の私は大変幸せですから。それに、マスターは真剣にロボットの社会的立場について考えている方です。いささかやり過ぎる事もありますけど、私はそんなマスターの普遍の姿勢に信頼を寄せているのです。一、ロボットとして」
 一旦、ココを抱く腕を解くと肩を手にし優しくこちらを向かせる。ココの顔は悲しみや怒りがないまぜになった、溢れ出す激情をどうにか押さえ込んでいる抑圧された表情になっていた。ココはどうしようもなく不安なのだ。自分の存在意義が揺らぎ、オリジナリティを証明出来ない事が、まるで自分を無価値な量産品のように思わす強迫観念に駆られ、けれど自分で証明する事も確立することも出来ないから闇雲に当たり散らす。マスターに浴びせた言葉だってきっと、そんな不安の現れなのだ。
 私はココの気持ちが理解出来る。私だって、こうしている自分の気持ちは自分だけのものであるから価値があると思うし、自分自身がスペアの無いユニークな存在でありたい。これを実感出来るからこそ私は安定しているのであり、出来ないココは自然と不安定になる。でも、実感とは物理的なものではないのだ。決して譲歩ではない、自分の指標とも言うべき観点に何かしらの価値観を添えたもの、そこへ実感は伴うのだ。ココは生まれたばかりの雛も同然だ。初めて出会った世界という概念が理解出来なくて、ただ怯えているのである。
「ココが怖いのなら、私が守ってあげます。誰にも、指一本触れさせないように。だから怖がらないで下さい。私も、マスターも、あなたの味方ですよ」
 そのまま何も言わず、ココはひしっと私を抱きついてきた。私は割れ物を触るようにそっと腕を回し、寝癖だらけの頭を優しく撫ぜた。
 それは、初めて味わう妙な感慨だった。
 何故だろう、私の中に新たな制約が生まれた気がした。



TO BE CONTINUED...