BACK

 何もかもがぎくしゃくし始めた。
 憂鬱な気分が私の額の奥に重く沈む何かの存在を錯覚させる。錯覚は情報を不鮮明にするだけの障害にしか過ぎない生理的な現象。何故、ロボットである自分にこんな事が起こるのか、普段だったら理路整然と建設的に試行錯誤するのだけれど、今は遥かに優先順位が低かった。私は今、自分が犯してしまった過ちとその原因の模索でメモリがいっぱいなのである。
 ダイニングテーブルを挟んだ目前にはココがもそもそと大人しく昼食を食べている。しかし、私があんな事をしたせいで普段の元気は無く食もあまり進んでいない様子だ。野菜をたっぷり入れたラーメンは半分ほどしか食べてはおらず、ドライフリーズのカニフレークと万能ネギを使ったチャーハンはほとんど手をつけていない。人間の食欲は精神と密接に繋がっているから、体が欲しても精神が受け付けなければ食欲は目に見えて減退する。旺盛だったココがこんなにも進んでいないのは、私の犯した行為がそれほどの衝撃を与えてしまったのだろう。
「あの……口に合わないようでしょうか?」
 ふと、私はココに訊ねてみる。
 なんて白々しい質問なのだろうか。ココがあまり食べていない理由は料理の味ではなく先程の事がショックだったからであると、何より問うている自分自身が知っているというのに。
「……ううん」
 ココは目を伏せたまま首を横に小さく振って答えた。
 私を見てくれない。
 食べる事に集中していたから目を向けないだけなのかもしれない。だけど、理由はともあれ私はココの仕草がショックでならなかった。目を向けないという事は、私を拒絶しているという事で、拒絶はロボットにとって死刑宣告にも匹敵する辛い事だ。だから私は、ココに見てもらえない事が酷く辛くて仕方なかった。
 いや、そもそも私はマスターの所有機である訳だから、マスターにさえ拒絶されなければ自分の存在意義は見出せる。だからココに拒絶されても、自分のアイデンティティが揺らぐほどの問題にはならない。どうして私は、ココに拒絶される事が辛いのだろう? 辛いと思うのは、ココに受け入れてもらい続けたい執着があるからだ。なら、執着する必要性はどこにある? ココを守りたいから? 守る守れないは結果論だから、私達の関係がどうあっても関係は無い。
 私は執着の理由が分からずにただただメモリを圧迫し続けた。
 おぼろげに、ココを守りたいという意思と同じ方向に答えがあるのだとは分かった。けれど、そこから先がどうしてもはっきりしない。もしくは、それ自体がロボットの理解を超えたものだからはっきりしないのだろうか。そもそも執着自体、効率性を重んずるはずのロボットにとって不要なものなのだから。幾ら私が人間らしいロボットとはいえ、実際は人間とは異なる存在だ。執着するのにも必ず何かしらの理由は存在するのだ。
「ごめん、ラムダ……。なんか食欲無い……」
 ココの申し訳なさそうな声が私の思考を中断させる。
 そっと目を向けると、ココは俯いたまま箸をそっと箸置きに置いていた。表情はやはり冴えないままで、私には目を向けようともしてくれない。
「そうですか。体の調子が悪いのでしたら、何か薬を探しましょうか?」
「ううん、いいや。ちょっと寝室で寝てるね」
 不自然に俯いたまま、ココはダイニングテーブルから離れて廊下へ向かっていった。その後姿を私は努めて笑顔で見送る。見られるはずもないとは分かっても、ココの前ではそう振舞いたいと思ったからだ。
 そして。
「ごめんね……」
 廊下への曲がり際、ココは一瞬だけこちらを振り向き、そしてそのまま駆け去っていった。
 何故、ココは私に謝ったのだろうか。
 私は今のココの言葉が理解できず、既に己への疑問に満ちてメモリを更なる疑問で困惑させた。
 それほど私が用意した食事を食べ切れなかった事が申し訳なく思ったのだろうか? 確かに飽食の時代とは言っても食物を粗末に扱うのは倫理的に重大な問題である。けれど、求めてもいない食べ物を無理に摂取するのは人間にとって大きな苦痛だ。犬は習性上も可能かもしれないが、ココは人間である。食べられないものを無理に食べる事は苦痛を伴うし、私にはそれを強要する理由が無い。だから、準備してもらった事から来る謝罪なら理解できるけれど、そう何度も謝罪されるような重大な問題でもないはず。一体ココは何をそんなに私へ申し訳なく思うのだろうか。むしろ申し訳なく思うのは、ココに対しあんな狼藉を働いた自分の方だというのに。
 こうしていても仕方が無い。
 私は立ち上がり、ココの残した昼食を片付けた。
 最近はとても憂鬱な事ばかりが続き、気の休まる事が無い。私も精神的に疲れている部分があるのかもしれない。ロボットとて、エモーションシステムを持っていれば精神構造は人間と全く同じになる。だから人間同様にストレスも蓄積するし、苛立ちが募れば感情的な行動に出てもおかしくは無い。けれど、果たして感情がロボットとしての存在意義を自ら否定してしまう要因を孕んでいる事は問題ではないのだろうか? ココに対してあのような振る舞いに出てしまったという事は、同様の行為をマスターに対しても働く可能性もあることになる。それは自らの存在意義も指標も破壊する自殺行為だ。
 人が人を殺す理由の一端には感情的な問題がある。殺意と呼ばれる、対象者に対しての過剰で一方的な征服欲だ。そして、正常に稼動しているロボットにもその殺意が芽生える可能性がある。現に私がココへ拳を振り上げたようにだ。
 一体私は何のための存在なのか。それは明確な答えの無い流動的な疑問だ。そして、明確な答えが無い以上、追求するのは極めて無意味だ。
 ロボットの価値は関わる人間に決めてもらうしか他無い。もし、ロボットが人を殺す可能性すら内包した存在として作られたとしても、それが望んだ姿ならば、今の私の姿はある意味正しいのだろう。けれど、もしも今の私が予想外の過失であったのなら。私の存在そのものがマスターにとっての多大な汚点だ。
 自分の存在意義が酷く揺らいでいる。
 これまで私は、マスターに求められていればそれだけで良いと思っていた。けれど今は、たとえマスターに求められていようとも、自分の存在がマスターにとって不利益になるならば存在する必要は無いと思い始めている。もしもその決断が出来る日が来てしまったら、私は自らを初期化するだろう。ロボットの自殺は人間のように複雑な手順は必要は無い。全てのデータを消し去るよう、一言命令すれば良いのだから。魂がなければロボットは鉄屑同然、つまり事実上の死だ。
 思考クローズ。
 なんて非生産的な事を考えているのだろうか。そう判断を下した上位思考の権限を持って全ての下位思考を強制終了する。マスターが仰るには、私の思考パターンには自虐的な傾向があるそうだ。自虐性は何一つ生産的なものを生み出さないから、出来る限りしないように努めるのがマスターからの命令である。確かに私自身、非生産的な行為は意味が無いからわざわざ行う必要は無いと思っている。やはり思考は前向きに、そして一定の何かに囚われずあるべきだ。
 論理的な結論が得られると、不思議と感情が落ち着きを取り戻し始めた。
 ココとの関係が悪化している今、無理にこちらから修復に動く必要は無い。ココは私に対し恐れを抱いているのだから、私がどうアプローチしようとも必ず先刻の狼藉がフラッシュバックするはず。そのため私への恐怖心と疑念は決して消えやしない。だから私がアプローチをかければかけるほど、ココは私との心理的距離を離してしまうのだ。いや、行く行くは物理的な距離すらも離れていくだろう。それだけは絶対に避けたい。これ以上関係をこじらせないためにも、今は待つしかないのだ。
 何も行う家事が無くなり手持ち無沙汰になった私は、リビングへ向かい端末の電源を入れた。この建物のネットワークは全て一度テレジアグループのサーバーを介してアクセスするため、アクセスログにはテレジアグループの誰かがアクセスしたようにしか記録されない。そもそもテレジアグループは世界各国にグループ支社を持つ多国籍企業だ。そこから個人を特定する事すら非常に難解な作業である。
 ひとまず、ニュースサイトの閲覧から始めよう。
 マウスを操り、アドレスを打ち込んでサイトにアクセスする。すぐさま、この時間帯の一面記事の写真がでかでかと掲載されたトップページが表示された。
「ん?」
 その写真を見た私は、思わずディスプレイに顔を近づけてもう一度確認した。写真に写っているのはなんと、連合国大統領の顔だったからである。更に見出しには強調体の文字でこう記されていた。大統領不倫騒動、と。
 すぐさまトップ記事の詳細ページへジャンプし、ニュースの内容を読み始める。ロボットにとって文章の読み取りは数ミリ秒の作業であるため一瞬で読み終わり、内容を誤解無く認識出来るよう何度か反芻した。
 記事の内容はこうだった。昨日、大統領府から匿名で、大統領府に勤務する二十代の女性と大統領が非公式の密会を繰り返している、と内部告発があった。すぐさま報道機関が大統領府の広報へ問い合わせたが、当然コメントは得られず、何より大統領選挙が間近に迫っている時期もあってこのような扱いで報じたそうだ。
 正直、いい気味だ、と私は思った。大統領はロボットを食い物にして名声を得た人間だ。これで圧倒的だった支持率も急落するだろうし、次の選挙の再選は絶望的だろう。全てのロボット達にとって最大の敵でありながら、この国で最高の権力を持った人間が失脚するのだ。もしも私が人間であったら、マスターのようにビールを浴びるほど飲んで一晩中はしゃぎ回っただろう。本当に私が人間だったらロボットの敵という概念もなくなるから矛盾した例えだけれど、とにかく私はそれほどまでにこの記事が嬉しくてならなかった。
 最近は嫌な事ばかり起きていたから、こう明るいニュースが聞けると張り詰めた気持ちがホッとする。それは負荷の重いバッチ処理を終えた直後の心境にも似ている。
 続いて他のトップ記事を読み漁ってみたが、ありふれた事件や事故、新しいドラマの情報、興味の無いスポーツの関連記事ばかりで特に目新しいものはなかった。もっとも、たとえどんなニュースがあろうとこの記事の前には霞むというものだけれど。
 ニュースはもう十分だ。次は久し振りに、健康医学関連の情報収集を始めよう。
 私は新たにアドレスを打ち直し、いつも利用している総合リンク集へとジャンプした。
 マスターやテレジア女史からは健康論はどこまで信用出来るのか知れたものではないと酷評されはしたけれど、何もしないよりはずっと良いと私は思う。それに、私にもそれぞれの情報の事実確認を行う意識はある。それも踏まえて有用な手段だけを実践していけばいいのだ。マスターが一秒でも長く生きていけるように。私の存在意義は、要約すればそういう事なのだ。



TO BE CONTINUED...