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「ただいま〜」
 夕暮れ時。
 聞き慣れた明るい口調と共に建物の中へ踏み込む足音。私はすぐさまリビングを飛び出して玄関へ向かった。
「マスター? お帰りなさいませ。今日は随分とお早いのですね」
「いや、ね。保険屋の連中が意外にもあっさりとさ、私に過失は無いって事を認めてくれてさ。近い内にお金は振り込んでくれるって。ホント、助かったわ。家の修理も公安の連中の調査が終わり次第取り掛かれるよう正式依頼も出してきたし、なんとか一段落ってとこかな」
「それで公安の方々は何と?」
「さあ? 立ち会えって言った割に、こっち完全無視で調査始めるもんだから逆に無視し返してやった。タクシーチケット貰って問答無用よ。ってか、今更どうだっていいんだよね。こっちは大方犯人の目星もついてる訳だし、警察も公安も迂闊に反撃されないための緩衝材なんだから」
 この国には警察、公安、衛国総省、とそれぞれ独立した保安機構が存在する。担当する犯罪も異なり、警察は一般的な軽犯罪から重犯罪、公安は重犯罪の中でも特に重大と判断したものや国家レベルの重犯罪、そして衛国総省は文字通り国際レベルの紛争に対処するための機関だ。機関が独立しているのは一個の機関では不可能な客観的な監査と取り締まりを実施する事で、お互いが不正行為を行わぬよう監視し合って業務遂行度と国家貢献度を高めているのだ。この三段階に分かれた保安機構が正常に機能しているからこそ、大規模なこの国の治安も効率良く保たれているのである。
 特に、一般人とはほとんど馴染みの無い衛国総省への監視の目は常に強い。警察や公安と違って、一国に影響を及ぼす軍事力を保有していながら詳細のほとんどは機密事項とされているからである。もしも衛国総省が表沙汰に出来ない事で困窮していると知れば、ただちに警察や公安の追求に晒されてしまう事だろう。そのため、警察や公安と繋がっておくのは衛国総省に対して非常に有効な防御手段なのである。
「ですが、公安の方々が何か物的証拠を発見し犯人を衛国総省と特定してしまえば、私達の立場はもっと良くなったのではないでしょうか? 労せずして決定打を与えられる訳ですから」
「ふむ……あれ? もしかして私、早まっちゃったかな?」
「多分……」
 マスターは腕組みしながら額に皺を寄せ、私はそんな様子をそっと窺うように覗く。
 やがてマスターは何かに納得したのか、それとも開き直ったのか、大きく頷いた。
「ま、まあ、私がいないぐらいで調査が失敗するなんてないでしょ。連中もあれで食ってるんだし。大丈夫大丈夫。あはっ、あははは……」
 なんだか随分無理のある笑い方だ。けれど私は空気に従って、そうですね、と曖昧に微笑んで返した。従者の私にマスターを事細かく糾弾する理由もない。
「ああ、ところで。ミレンダんとこの告別式なんだけどさ、私らは事情も事情だし出席しない事にしたわ。ミレンダにも了解取ってるし、後で電報打っといて。文面は今夜中に私が書くから」
「はい、分かりました」
「さってと。ちょっと早いけどお風呂に入っちゃおうかなあ。って、まだお風呂入れてない?」
「ええ。ですが、すぐにご用意出来ますよ。少々お待ち下さい」
「んじゃ、それまで私はテレビでも見てるかな」
 マスターは先程の落胆も嘘のように忘れ、機嫌良さそうに鼻歌を歌いながらリビングへと入っていった。
 どこか強がっているようにも思うその姿。けれど私はあえてあまり気に留めない事にした。マスターはそういった心情を私に知られたくはないはずだからである。
 今のマスターはきっとテレジア女史への心配が胸の中で渦巻いていると思う。いつも顔を合わせれば口論ばかりするのだけれど、それでも今日まで友人として関係が続いているのは、お互いがお互いを大切な人間であると認知しているからだ。テレジア女史はおそらく、マスターはマスターで非常に困窮した状況だから私事を強要する訳にはいかないと思っているだろう。そしてマスターはそれも踏まえつつ、しかし友人として何もしないのは自分の信条に反するからと電報を持ち出した。
 私はこういった暗黙の内に行われる交流に憧れのような気持ちがあった。何も言わずとも相手の心情を察知し合う絆。ロボットである私には統計的にしかマスターの事は理解してやれず、またマスターは私の事はロボット工学的な見地で理解する。私はもっと高いレベルでの意識の交流がしたいのだ。だから、人間同士の交流には純粋に憧れを抱く。
 バスルームに入った私は浴槽の栓を締めると、制御パネルの電源を入れて自動システムを使いお湯を溜め始めた。既にバスルームは隅々まで掃除しているから、後はお湯が溜まればいつでもマスターは入浴が可能である。そういえば入浴剤も幾つかあったはず。一応、使うかどうかマスターに聞いておこう。
 すると、
「うわっ!? ちょっ、ラムダ! 早く来て!」
 不意にリビングから聞こえてきたマスターの慌てた声。一体何事だろうか。私はすぐさまリビングへと駆けた。
「どうしました、マスター?」
「ちょっと、これ見てみ!」
 慌てるマスターの指し示す先には、リビングに備え付けてある大型のテレビ画面があった。映っているのは、季節柄どこの局でも組む時間枠の長い特別編成番組だった。
 その番組がマスターを動揺させているのか。すぐさま内容を確認した私だったが、何故マスターが慌てるのか、一瞬でその理由が理解出来た。
 番組はメディア・ジパングというマスコミ社系列による報道ものだった。テレビに映っているのは中年夫婦と司会アナウンサーの三人。しかしその後ろの巨大なスクリーンには、驚く事にココの写真が何の修正も無く映っている。そして画面の最下部には驚くべきテロップが表示されていた。
「え? 『失踪の愛娘! 今夜、両親と涙の再会』って……まさか、これは?」
「このヤロウ……、またふざけた事やりやがって。この間の取材で折角遠慮してもらったのが台無しじゃんか!」
 マスターが憎々しげに奥歯をぎりっと噛む。先日の取材ではココの写真は一枚も撮らせていないから、あの記者達の誰かがメディア・ジパングに写真を売ったとは考えにくい。そもそも写真を撮らせなかったのは特殊な状況下にあるための配慮であって、記者達にもそれは納得して貰っている。これは所謂ジャーナリズムに対する彼らのプライドの現れだと解釈したのだが、メディア・ジパングの行いはそれらを一蹴し視聴率のための宣伝材料とし低俗化させてしまった。写真のココは明らかに目線がこちらを向いていない。ほぼ間違いなく、どこかで盗撮されたものだ。取材の情報がどこからかリークされたのだろう。
 そういえば、メディア・ジパングとはマスターが最も嫌うマスコミ社だ。マスターもただ印象だけで嫌っているのではない。メディア・ジパングは報道の自由を盾に、下世話な個人情報までを遠慮なく垂れ流し、取材方法もインパクト重視で全く対象者への配慮というものを考えない、まさにルール無用のモラルに欠けたマスコミ社だ。かつてマスターも随分メディア・ジパングには言われも無い誹謗中傷を受けている。いや、きっとメディア・ジパングに対して同じ感情を持つ人間はまだまだ多くいるだろう。にもかかわらずメディア・ジパングが平然と健在しているのは、その報道の皮を被った下世話な情報の需要が極めて高いからである。
『さあ、これから感動の御対面となります。この番組は生放送です! 今から再会の場所へ向かいたいと思います! 放送時間には限りがあります。さあ急いで!』
 と、その時。突然司会者がそんな言葉をカメラに向かって放つと共に、傍らの夫婦をスタジオの出入り口へと促して行った。
「え? 対面って一体?」
「あいつら、これからここに来るつもりなのよ。どこから情報が漏れたのかは知らないけどさ。ったく、なんでこの国はこんな事がまかり通るのかしらね。大統領の悪乗りの延長線でやってんじゃないかしら」
「でも、あの二人が本当にココの両親だと言うのですか? だってココは……」
 ロボットなのかもしれない。ロボットには人間の両親など存在はしないのだ。
 いや、それ以前に状況がおかしい。本当にこの二人がココの両親なら、何故いきなりテレビ番組に出演するのだろう? 普通は私達の元へ連絡が届き、あらかじめ日取りを決めた上で対面となるはずである。嘘と真実の区別をつける能力に乏しいロボットの私にすら明らかな違和感を感じた。
「いや、あいつらは偽物よ。連中のやりそうな事だわ」
「じゃあやはり、テレビ局が用意したエキストラ?」
「多分、衛国総省の工作員よ」
 苦み走ったマスターの口元がぎゅっと固く結ばれる。それははっきりと分かる悔しさを押し殺した表情だ。
「あいつらこうやって、私達にココを引き渡さない訳にはいかない状況を作ったのよ。テレビの方だって、保護してるのがあんな事件に巻き込まれたばっかりの私だもん。視聴率を考えたら断る理由なんかないわ」
 理屈は分かるのだが、なんて異常な手段に打って出たのだろう。世間の情を買って自らの防護幕とし、ココを奪還する正当な理由を作り出してしまうなんて。しかも手口があまりに非常識だ。偽物の親を立て、メディアを利用して大衆を扇動し既成事実を作り出す。大胆と言うよりも、むしろ倫理観を全く考えないその厚顔さに呆れ果ててしまう。もっとも、衛国総省がそれほどまでに追い詰められている事は知ってはいたけれど。
「どういたしましょうか、マスター?」
「ココはどうしてる?」
「今日は体調が優れないそうで、寝室で休んでいます」
「好都合ね。それを理由に連中は追い返しましょう。ラムダ、家の戸締まりをして。私は二階をするから」
 私の返事を待たず、マスターはあっと言う間に二階へ駆け上がってしまった。私も遅れをとってはいけない。すぐに一階の廊下の一番奥へ駆けて行く。
 大変な事になってきた。
 新たなる不安感が膨れ上がり、私の頭の上にずしりと重くのしかかってくる。
 ココが衛国総省のロボットなのだとしたら、元の持ち主へ返してあげるのが筋だろう。けれど、今日までを振り返りあんな異常な行動へ安々と出られるような組織にココは絶対に渡す訳にはいかない。そう私は決心している。
 私は何が何でもココを守ってみせる。
 ココは誰にも渡しはしない。
 何人たりとも許さない。
 誰にも、絶対にだ。



TO BE CONTINUED...