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「ちっ、集まり始めたな」
 リビングのカーテンにそっと指を差し込んだ隙間から外の様子を伺ったマスターは、憎々しげに舌打ちをした。
 私は聴覚素子の感度を上げて通りの方に集中する。距離にしておよそ一マイル半。大型車が三台もこちらへ向かってくるのが聞こえてくる。ここに来てから今日まで、テレジアグループの車を除けば、通り過ぎた車は僅か五台。いずれも極普通の一般自家用車だ。少ないデータからの判断とは言え、明らかに異質な車である。
「ね、ねえ……何?」
 おどおどとココはか細い声で私達に問いかける。いつものふてぶてしさがないのは、おそらくこの場の只ならぬ空気を感じ取っているからだろう。マスターも私も、ここへやって来るマスコミの一団を前に緊張も露にした面持ちでいる。
「ココ、あんたは上行って布団被ってなさい。部屋から出たり窓を覗かないように。ラムダ」
「はい、マスター」
 私はマスターとココの間に割って入り、そっとココを出口の方へと促す。私が一歩一歩近づくに従って、ココも間合いを取るかのように一歩一歩後退していく。まだ私を拒絶しているからだろう、だから私も軽々しく手を引いたり肩を押したりは出来ない。
「待ってよ、エリカ! 何があるんだよ!」
「いいから子供は黙って寝なさい。 お化けが出るわよ」
「そこまで子供じゃないやい!」
 二人の空気が険悪なものに変わっていく。このままではいけないと判断した私は、ココからマスターを遮るように立位置をずらし会話を阻んだ。
「ココ、もう上に行きましょう」
 それでもココはまだ言いたい事があると身を乗り出そうとするも、やはり思い留まって口をぎゅっと結び視線を落とす。拳はぎゅっと握り締められ、とても納得がいったようには見えない。けど、ココを二階に隔てておきたいのは私も一緒だ。ココをこんな形で衆目に晒したくはないのである。
「さあ、二階へ」
 するとココは顔をうつむけ、たっぷりと一呼吸置いてからこくりと頷くと、徐に右手を私の方へ差し出した。
 え……?
 突然の事に驚いた私は、しばしその手をじっと見つめてしまった。何故、私に手を差し出すのか俄かに理解し難かった。自分はココに拒絶されているという思いもあり、尚更ココからのアプローチには戸惑わずにいられない。
 あ、そうか。
 ようやくココの意図を理解した私はそっとその手を取った。ココは私に手を引いて欲しかったのだ。それは拒絶されているとばかり思っていた私には意外な行動だ。
 ココの手を引いて二階へ。
 私にはココが何を考えているのかよく理解出来なかった。私を拒絶しているココがどうして私に手を引かれたいと思うのか。子供が手を引いてもらいたいと思うのは、主にその相手に対する甘えや頼りにしている気持ちの表れだ。けどこれは矛盾している状況ではないだろうか? どうして拒絶する相手に対し甘えや信頼を寄せるのだろう。
 渋る足取りに強く引くことも出来なければ、こちらが下がる事も出来ず。そんな足取りで二階の寝室まで登って行った。ココを寝室へ通すと、私はそこで手を離して廊下へ出る。本当は私がついていてやれば問題はないのだけれど、私はマスターを手伝わなくてはいけない。名残惜しいが、私は自らの執着を断ち切る意味でドアを一気に半分閉めた。
「それでは、マスターが良いと仰るまでここから出ない下さいね。窓もカーテンを開けたり外を覗いたりしてはいけませんよ」
「うん……」
 心許ない気弱な返答。私に対する警戒心が未だに残っているのだろうか。本当はすぐにでも誤解は解きたいのだけれど、今はそんな事をしている時じゃない。私にとっての最優先事項はマスターなのだ。私事をそこに挟む訳にはいかない。こうして自然に顔を合わせられる今が絶好の機会だというのに、それをみすみす逃してしまうのは少々残念ではあるけれど。
 それでは、と私は半開きのドアを閉めにかかった。
 が、しかし。
「待って!」
 ドアが閉まろうとした瞬間、ココはいきなりドアへ手をかけて、私が閉めようとした手を振り切る程の勢いで逆にドアを開けてしまった。いきなりの激しい行動に私は驚き、思わずドアから手を離して一歩下がってしまった。
「ねえ、何があるの? どうしてエリカは何も言わないんだよ」
 ココは私を真っ直ぐ見据えながら問う。けれどその目はあまりに弱々しく、今にも涙で崩れてしまいそうなほど危うかった。泣いてしまいそうな気持ちをどうにか押し堪えて声を絞り出している、そんな様子だ。
「マスターはココに余計な心配をさせたくないのです。出来るだけココの知らない内に治めてしまいたいんですよ」
 するとココは声にならない声を飲み込みながら眉を潜めた。
「子供は邪魔だ、って事かよ」
「子供には見せたくない世界もあるんです。それは大人のエゴかもしれません。ですが、大人は子供を保護するものなのです。分かって下さい。マスターは決してココを除け者にしたいのではありませんから」
 奥歯を噛み締める音が聞こえて来そうなほど、ココは顔を真っ赤にしながら潤んだ目で私を見据え続ける。なんて可哀想な表情をするのか。私は何とかココの悲しみを拭ってやれないだろうか、と思慮を巡らせた。けれど俄か仕込みでどうにかなるようなものでもなく、またマスター以外の事に私は囚われ過ぎてはならないのだ。仕方の無い事なのだけれど、そう簡単に諦める事は出来ない。だから、その言葉を口にするのは文字通り胸が痛む思いだった。
「さあ、そろそろ部屋の中へ。私はマスターの所へ行かなければなりません」
 私は恐る恐るココの肩に触れながら部屋の中へ押しやりドアを閉めようとする。少々乱暴な気もするのだけれど、これ以上ココに捉われてはならない。私はマスターの従者なのだから、マスターに言われた事だけをしなければいけないのだ。
 すると、
「あっ」
 突然、ココは肩に触れる私の袖をぎゅっと掴み私を引っ張ってきた。
「ラムダー、恐いんだよ……」
 薄っすら頬を濡らした顔を上げたココが私を見上げる。
 私の胸に打つような衝撃が走った。不意に込み上げてきた激しい感情に驚き、再び私は感情のまま振舞ってしまうのではないかと危機感を走らせる。けれど不思議と何をするまでもなく、私の体はその場にただ釘付けになっていた。
「ねえ、ラムダ。アタシの事、まだ怒ってる? アタシの事、嫌い?」
 はらはらと尚も涙を流しながらココは私を、私の目を見つめる。その姿が、再び私の心へ大きく幾重にも広がるような波紋を投じた。
 ああ、そうか。そういう事だったのか。
 その時、私はようやくココの真意に気がついた。ココは私があんな行動を取ったから拒絶したのではなく、自分の行いが私にあんな行動を取らせてしまったという後悔だったのだ。私に対して申し訳なく思うけれど、私が心の中でココへ一線を引いたのだからココは尚更悔やむ気持ちを強くしてしまった。私が、ココの気持ちを理解してやれなかったがために、だ。
「私がココを嫌った事なんて一度もありませんよ」
 私はココに頼られている。
 それが、私の中に蟠る気持ちを払拭し、改めてココを守りたいという気持ちに火を点けた。そう、私は何が何でもココを守ってみせると決意したのだ。誰にも指一本触れさせはしない。それがマスコミであろうと両親を名乗る不埒者であろうと、例外無くだ。
 そっとココの体を抱き寄せる。ココの小さな肩はぶるぶると震えている。これからマスターと対峙する事を、どこかで感じ取っているのだろうか。
 でも、大丈夫。私は絶対に守って見せますから。
 あと五分だけ。五分だけこうしていよう。
 少しでもココの不安を取り除けるように。



TO BE CONTINUED...