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 そして訪れたその時。
 五和音のチャイムがしきりに鳴らされ、俄かに周囲がざわめき始める。カーテンを閉めた窓の外からは、眩しいハイライトが室内へうっすら差し込んで来る。多分車のハイビームではなく、撮影用の照明機材だ。
 玄関を中心に人の気配が群れる。そこはこの家の敷地内なのだけれど、マスコミという自分達の肩書きが免罪符であるかの如くまるで当然のように入り込んでいる。マスターがその様をゴキブリに例えて罵ったけれど、毎年ゴキブリ対策に悩まされる私には実に的を射た表現だと思った。
『鷹ノ宮さーん、居るんでしょ? ちょっと開けてお話させて貰えませんかねぇ? 少しばかり撮影に協力して欲しいんですよ』
 閉ざしたままの玄関のドアが執拗に叩かれる。リビングの窓やダイニングの裏口からも中を覗こうとする何者かの気配も次第に強まり、進展の無い状況に痺れを切らせ始めるのも時間の問題だ。こういう状況ではほとんど暴徒と品性は変わらない。
「マスター、警察を呼びましょうか?」
「そうね、このままここに居座られても迷惑だし。電話かけといて」
 私はすぐさまリビングに備え付けられた電話端末の元へ急ぐと、受話器を取り警察への短縮ダイヤルを押した。
『はい、こちらセントラル三十六分署』
「すみません、うちの敷地内に無断で大勢の不審者が入り込んで占居していますので何とかして下さい」
『えーっと、強盗ですね。それでは呼びかけには一切応じず、窓やドアは絶対に開けないで下さい。お住まいはどちらですか?』
「住所は―――」
 オペレーターの口調にいまいち緊張感が感じられなかった事が少々不安だったが、とにかく緊急出動に応じてくれる事になった。後は警察に任せれば外の連中も自然に解散させられるだろう。幾ら報道の自由などと戯言を並べたとしても、警察と真っ向からやり合えるほど、彼らの臑は綺麗なものではないのだから。
「マスター、警察に通報しました。ただちに駆けつけてくれるそうです」
「よし、それじゃあ後は出入り口の死守ね。連中何してくるか分からないし……って、さっきからうるさいなあ」
 するとマスターはインターホンのパネルに近づくと、おもむろに整備者以外の開閉厳禁とシールの貼られたメンテナンスハッチを開いた。中へ指を入れて数秒。パチッ、という小さな音と共に引っ切りなしに鳴らされ続けていた玄関の呼び出し音はぴたりと止んだ。
「マスター、ドアに何か重しを添えましょうか?」
「ああ、それはいらんわ。むしろ破れやすい方がいいから。うちん中に入ってきた時点で不法侵入だからね。それより、なんか棒みたいな叩きやすいの無い? モップなんかいいなあ。たまたま手元にあっても不自然じゃないから、裁判で有利」
「え? まさか叩いたりとか?」
「当然。合法的に殴れるチャンスじゃんか」
 そうマスターは不敵に笑い、左の掌へ右の拳をぶつけた。とても被害者側の表情とは思えない。
 マスターの考えは相変わらず不穏当だ……。
 呆れに似た感情もあったが、むしろ喜びの方が強かった。そんなセリフを当たり前のように口にするのは、いつものマスターだからである。
 ひとまずマスターには床掃除に用いる科学モップを渡し、私はもう一度家中の戸締りとマスコミ陣の頒布状況を確認しながら回った。裏口には特に人の気配は無く、正面玄関を中心にリビングとダイニングの窓ガラスに一部が張り付いているような状況だ。連中もこちらの了解を得ない内にはあまり派手に騒ぎ立てたくは無いのかもしれないが、これだけでも十分異常な状況だ。かつて我が家にここまで粘着した人間はマスコミを除いて存在しない。その大半がマスターの逆鱗に触れて追い返されるからだ。中には土下座して謝らせ、菓子折りまで持って来させた事もある。今は滅多にその類に遭遇する事はないが、きっと彼らの業界ではマスターの名前がブラックリストに載っているのだろう。こんな風にマスコミに張り付かれるのは、多分マスターがロボット工学会の権威をパイプイスで殴った時以来だと思う。久し振り、という表現は予想外に嬉しい事に直面した場合に用いる表現なのだけれど、今の状況を表現するのにはこの言葉が一番丁度良い。
 それから私は、マスターとリビングにて篭城を続けた。幾らドアを叩かれようと叫ばれようと、貝のようにじっと動かずひたすら耐え続ける。いずれ警察が来て何とかしてくれる、そんな他力主義の姿勢は私の心へこれまでにない焦りを募らせた。いや、むしろ苛立ちに近いかもしれない。何故私達がこうも責められなくてはいけないのか。マスターの行いには何の非も無いというのに。なんて勝手な人種なのだろう。
 外からのアプローチは次第に険しさを増し、以前特番ドラマで見たような討ち入りをしかねない状況へ、いずれ発展する事も現実的に考えられる。けれど、きちんと住所も添えて通報したにも関わらず警察は一向に到着する気配を見せない。通常、セントラル分署だったら通報から十分以内には現場へ到着するものなのだけれど。既に二十分は経過している。これは幾らなんでも遅過ぎやしないだろうか。それとも、まさか通報者によって仕事を選り好みするなんて、有り得ないとは思うのだけれど。
『いい加減出てきて下さいよー! こっちも仕事なんですよ! 生放送ですから時間がかかると困るんですよ!』
 ドアを叩く勢いが次第に強まり遠慮が無くなる。同時に窓も叩かれ始めた。あっちの言い分はあまりに自己中心的で無茶苦茶だが、このままではガラスを破られかねない。マスターには願ったり叶ったりの状況かもしれないけれど、私はうちの中に部外者を一歩でも踏み込ませる事自体が我慢ならない。ココを守る、という私の決意は現実的なレベルでの決意だ。司法に照らし合わせてどうとか、マスターには申し訳ないけれど私にはあまり興味は無く優先順位は遥かに低い。
 さて、どうする? 少なくとも、このままではいけない。
 私は苛立ちを振り切って思考アルゴリズムに全てのリソースを集中させて幾つものパターンを考え始めた。いつもなら、これほど深刻に悩む時に限って答えが幾つも出て困惑するのだけれど、今回ばかりは不思議と迷いはなかった。私が取るに相応しい行動はたった一つしかないからである。
「マスター、私が外に出ます」
 そのままマスターの返事を待たず、意を決した私は玄関の扉に手を伸ばした。だが、
「待ちなさい。何する気?」
「テレビの取材には一切応じない事をきちんと説明してきます。このまま暴徒のようなやり方に屈する訳にはいきません」
 自分の意思をはっきりと言葉にして答える。するとマスターはそんな私に、呆れにも似た深い溜息をついた。
「ラムダ、私は屈するだの屈しないだのそういう勝ち負けに興味は無いの。警察が来るまで、中でおとなしくしてなさい」
「ですが、私は納得がいきません。どうして私達がこんな思いをしなくてはいけないのですか? マスターには何一つ落ち度はないというのに。ココの事だって、常識的に考えれば当たり前の事をされているんですよ」
 そこまで口に出し、私は自分の発言がマスターに楯突くものだという事に気が付いた。マスターと言い争うなんて、決して私の本意ではない。しかし楯突いたのは事実だから、私はマスターから叱責を浴びせられても仕方が無いことである。けれどマスターは、カッとなって私を怒鳴りつけるどころか、逆に私から一線引いた所から見ているような、呆気に取られた顔をしていた。酷く距離感を覚える表情だ。
 そして、
「ラムダ、あなた最近ちょっと変よ?」
 怪訝な表情から、その言葉は発せられた。
「えっ?」
 私は思わぬ言葉に息を飲んだように言葉を失った。それは聴覚素子の機能を疑ってしまうほど、あまりに予想外の言葉だったからである。
「ここんとこ、言動がいつものあなたらしくないって言ってるの」
「そんな事はありませんよ。私は何も変わっていません」
「そう思い始めたのはね、ココがうちに来てからよ。あなた、ココが関わる事にはやけにムキになるじゃない。何かあったの?」
「で、でも、私は自分の役目はちゃんと遂行してますから……」
「私は別に責めてる訳じゃないの。ただ、あなたの心情の変化が知りたいだけよ。私はあなたの思考ログまで覗きたいとは思わないから、あなたの口から教えて欲しいの」
 一体、マスターは私の何が不満なのだろうか。
 私は何故マスターが私へ疑問を抱くのか、まるで理解出来なかった。私を追及していないのなら、どうしてそんなに私の思考を聞き出す事に拘るのだろうか。マスターは私の何が不満で、何が気にかかるのか。こんなにもマスターの考えている事が分からないなんて、これまでの生活の中で恐らくそうなんどもない事態だ。
 けど、私はこの問題をそれほど重要なものと判断しなかった。マスターには申し訳ないが、私の意志云々はこの切迫した状況であまり重要ではない。何よりマスターが結果主義の人間なのだから、私もその主義に添うべきなのだ。そして、結果主義者なら今の状況で何を優先すべきか言うまでも無い。私の件は杞憂だ。そう通す事に私は決めた。
「私は何も変わりません。ただ、マスターと同じでココを守りたいだけです」
「人をダシにしない。私が、単に面倒な事は嫌いなだけだったらどうするの?」
「マスターはそういう人間ではないと私は確信していますから」
「卑怯な言葉ね。人の良心を試すみたいで」
 再びマスターが重苦しい溜息をつく。
 マスターの溜息は私を心苦しい気持ちにさせる。私に向ける溜息は、言葉にならない私への不満に他ならないからだ。今、私はマスターの意向に副う事が出来ていない。従者たるロボットにとってこれほど情けない事はないのだけれど、それでも私は自分の意思は曲げたくないと思った。
「ラムダ、どうしてそんなにココに拘るの? 少し過剰よ。それとも、拾ってきた責任を感じてる訳?」
「子供を守る事に理由は無いはずです。だからマスターも、私の行為を容認されたのではないのですか?」
「身寄りのない子供を平気で叩き出すほど落ちぶれちゃいないわ。とりあえず、ちゃんとした引き取り手が見つかるまで保護してやってるだけ」
「見つかるまで、って、そんなの納得が行きません!」
 私はどうしてしまったのだろう。マスターに対し、真っ向から対峙して反論するなんて。
 でもこの件に関して、幾らマスターと言えど、一歩たりとも譲歩したくないのは正直な気持ちだった。ここだけは、何が何でも我を通したい。それがマスターの言う所の、どうしてそこまでココに拘るのか、という事なのだと思うのだけれど、私は少しもおかしな事ではないと思う。執着心こそが人間の持つ一貫した精神力の根底にあるものだと考えるからだ。
 私は間違っていない。子供を害悪から守ろうとしているのだ、一体何を非難される? 私は間違っていない。だから迷わなくていいのだ。
 しきりに自らの正当性を自分に言い聞かせる様は、まるでパラノイア患者のように思った。でも、私が道に外れる行いをしていないのは事実なのだ。そう自分を卑下する必要は無い。この迷いが行動を躊躇わせる。私には迷っている時間は無い。一秒でも早く彼らをここから立ち退かせなくては。
「もう、時間がありません」
 私は一方的にマスターとの会話を中断すると、玄関のロックを外し無理やり外へ飛び出した。
「ラムダ! 待ちなさい!」
 背中へ浴びせられるマスターの怒声。
 けれど、その制止はもう遅い。何故なら、現れた私に対し、その場の人間の視線が一斉に集まってきたからだ。
 私は後ろ手で玄関を再び閉ざし、マスターを家の中へ押し込んだ。



TO BE CONTINUED...