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「マスター、公安の方がお見えになっているのですが」
「公安? ああ、やっぱ来たか。いいわ、ここに通して」
 リビングに向かって問うてみると、聞こえてきた返答はいかにも面倒臭そうな覇気の無い声だったが、意外にもマスターはあっさりと承諾した。私は法論の解釈は苦手だが、マスターに非が無い事は重々承知であるし、探られて痛い腹は無いからという事なのだろうか。
 ともあれ、一度衛国総省の常軌を逸したやり方を肌で味わっているだけに、警戒心や不安感が嫌が応にも押し寄せてくる。それに、公安の人間だったら拳銃も携帯しているはずだ。あれにかかれば私はともかく、マスターやココはひとたまりも無い。銃は使い慣れた人間なら抜いて構えるまで三秒もかからない。それよりも早く動けるよう、警戒モードで待機しておこう。
 私はマスターの指示に従って彼らを招き入れるべく、もう一度玄関へ向かった。そこにはココがどことなくきょろきょろと見回しながら落ち着かない様子で待っていた。
「ココはキッチンの方へ。もしも勝手に誰かが来たらすぐに逃げて下さい」
「なんだよー。それよりも公安って誰だよ」
「いえ、本当に。後で説明しますから、今は」
 そう私は、やや語気を強めてココに言い聞かせた。するとココは状況を察してくれたのか、唇を尖らせて面白くなさそうな表情をするものの素直にキッチンへと行ってしまった。考えてみたら、私達の抱える問題は私達で解決しなければならないのだけれど、ココだけはいつもああやって蚊帳の外に追いやっている。子供には余計な不安をさせたくないと配慮するのは大人として当然ではあるが、やはりどこか筋が通らないとココは感じているだろう。現実問題、ココの存在は私達にとっては弱味となる事が多いだけにそうせざるを得ないのだけれど子供はそれを自覚出来ず、また自覚させるような事も出来ないから如何ともし難い。
 玄関のロックを外し、ゆっくり慎重にドアを開けた。しかし警戒した割に公安の二人は別段激しい行動を取るまでも無く、ドアを開けてもこちらが中へ促す仕草を見せるまで中に入って来ようとすらしなかった。礼儀正しくとも、それはそれで逆に不信感が込み上げてくる。我ながら少し警戒が過ぎるような気もするが、注意し過ぎる事はない、という先達の言葉もある。何事も用心するに越した事は無い。
「どうぞ、こちらへ」
 二人をリビングへ通すと、マスターは一番奥のソファーへ席を移し深く腰掛けていた。しかし普段のようなリラックス感は無く、楽な姿勢をしているはずなのだけれど緊張感が滲み出た隙の無い姿だ。マスターも私同様に、公安が相手ということで警戒しているのだ。先日の事件に公安が乗り出してきた事は知っていたが、事態を重く見られている事はココを預かる側にしてみればありがたい話ではあるがココの素性を迂闊に触れられたくは無い。それに、そもそも本当に公安の人間かも分からないのだ。
「おかけ下さい」
 私はマスターとは向かい合う位置のソファーへ二人を座らせた。間に挟む長方形のローテーブルにより、最もマスターとの距離が離れるからである。そして私は双方の間ですぐ動けるように立った。
 特に手の動きには注意しておこう。銃は手でしか扱えない。そう警戒を続けながら、私は後ろ手に手を組んで佇んだ。
「本日伺わせて頂いたのは、既に御存知だとは思いますが、あなたが今、保護しているという少女についての問題です」
「ああ、ココの事ね。新聞記事でも読んだ?」
「我々はその程度の情報しか持っていませんでした」
 いませんでした?
 意図した過去形なのか、何か引っかかる言い方だが、私が口を挟むと会話の腰を折ってしまうので押し黙った。ロボットの憶測ほど始末に置けないものはない。
「あなたに確認したい事は二つあります。会話を記録しても問題ないですか?」
「ご自由に」
 マスターの返事を確認するなり、彼は内ポケットからそっと小型の録音機を取り出してテーブルの上へセットした。どこの量販店でも売られている、ごく有り触れた録音機だ。特別な機能がある訳でもなく、本当に記録目的だけのようだ。
「では、我々が認識する二つの問題を確認させてもらいます。まず一つは、少女の保護は実は営利目的の誘拐ではないのか、という疑いです」
「それは昨夜のテレビの事で言ってるの?」
「ええ。あなたはロボットを通じて両親への引渡しを拒否したように見受けますが、相違ありませんね?」
「少し正確ではないわね。両親を名乗る二人があの子の両親じゃあないから、拒否するのは当たり前でしょ?」
「その根拠は?」
「本人が両親の顔を知らないのよ。それが何十年経っても、親の勘で分かるなんて不自然じゃない。なんなら戸籍を洗ってもいいんじゃない? 意外と面白い埃が見つかるかもね」
 昨夜の生放送番組で、生き別れた娘と両親が再会するコーナーがあった。その時、テレビで勝手に放送されたのがココの隠し撮りした写真だったのだけれど、同時に出演したココの両親と名乗る中年の男女をマスターは偽者と判断した。ココは彼らを実際に見てはいないのだけれど、わざわざ確かめるまでも無い。ココは何故か、どこかの建物から逃げ出したという事実から以前の記憶をほとんど持っていないからである。そもそも、妙な研究施設に居たという時点で、おおよそまともな家族構成があるはずがないのだ。本名すら分からないココとの繋がりを戸籍情報から得られるなんて絶対に有り得ない。
「やはりそうですか。我々も既にあの番組関係者には事情聴取を行っていますが、しかしプロデューサーの証言は少々異なっていました。あの夫婦は番組が用意したエキストラではなく、本当に自ら名乗り出てきた全くの素人だそうです。その子との血縁関係までをきちんと調べなかったのは彼の落ち度ですが、悪質とまではいかないでしょう」
「私は騙されただけです、ってこと? あれだけの騒ぎを起こしたのに、随分寛大なことね。で、真っ先に調べなくちゃいけない偽両親はどうしたの?」
「それがすっかり行方をくらませてしまいましてね。もしかしたら手がかりが見つかるやも知れぬと僅かな可能性も考えて本日は伺わせてもらった訳です」
 すると、マスターの眉が一瞬ピクリと動いた。不快感だ、と私は思った。
 今の彼の発言は明らかにマスターを疑っているように聞こえた。公安の人間がいきなり訪ねて来た時点でそれは予想出来たのだけれど、やはりいざ露骨な疑いをかけられると、こちらに非が無い事は明らかになっているだけに不快感は嫌でも込み上げてくる。私はロボットなので抑制はさほど困難ではないけれど、直情型のマスターには非常に苦しいだろう。
「一応なんだけど、ココは自分の名前も分からないから。今後、偽両親の類はまずその辺を洗うと良いでしょうね」
「貴重な御助言、感謝します」
 礼を述べはしているものの、彼の目はまるで笑っている様子が無い。見えない人の心を見透かし、徹底した現実主義に基づいて事件を捜査する彼らにとって、笑顔のような感情の発露はかえって不要な代物なのだろう。
「さて、もう一つの問題についてですが。あなたはその子を保護する立場にあるそうですが、実はそれについて虐待の疑いが持ち上がっています」
「は? 虐待だ?」
 きっと注意していなければ、私もマスターと同じように声を漏らしただろう。
 現在の法律では家庭内暴力は非常に刑罰が重く、服役囚はカウンセリングを幾度と繰り返しながらも更生不可能と見なされた場合は出所しても一生家族と会う事は出来なくなる。なかでも幼児虐待は特別に刑罰が重く、これまでに最高で死刑になった判例もある。それだけ家庭内という見えない部分の暴力を重く受け止めているのだ。
 マスターのこれまでの経緯だけを見た人は、ほとんど粗暴な人間だという印象を抱く。しかし、マスターは確かに乱暴な部分はあるけれど、人間、そして動物やロボットの痛みというものを本当に理解出来る方なのだ。そんなマスターが理不尽な暴力を奮うはずも無く、ましてや虐待などマスターには全く縁のないものだ。
「ある意味興味深い話ね。出所はどこよ? 前に私を傷害で訴えたヤツ?」
 見に覚えのない事だからまともに考えるのも馬鹿らしい。
 マスターはそんな小馬鹿にしたような表情を浮かべ足を組み直した。私も顔にこそ出さないが同じような心境だった。マスターとはずっと一緒に暮らしてきているから断言できる。マスターにそういったスキャンダルを吹っかけてくるのは、大概過去に痛い目を見せられた人間だ。そして何の証拠もない憶測の産物だから、しばらくすれば人知れず消えていく。マスターにとっては良くある事で、もう慣れてしまったものなのだ。
 根も葉も無い噂話に振り回されるような捜査能力でその仕事が勤まるはずもないだろうに。
 すると、
「これをご覧になって下さい。民間から提供されたものです」
 彼が差し出したのは、一本のメモリスティックだった。
「ラムダ」
 マスターの合図に、私はすぐさま彼の元へ歩み寄ってスティックを受け取ると、部屋にある端末にセットした。フォーマット形式は動画再生専用となっており、関連付けられたアプリケーションによって映像が再生される。どうやらこれが、彼らの疑惑の発端となったもののようだ。
 一体何があるというのか。マスターの素行は私が一番良く理解している。何か問題があるはずもない。そもそも、マスターにはそういう事が日常茶飯事で起こってることぐらい、公安でも把握しているはずなのに。
 今にも口元が綻びそうだったのだが、映像が映し出された瞬間、私は思わず全身を硬直させてしまった。
「ん……これは、ラムダ?」
 映し出された映像には、勢い良く建物から飛び出して来る私の姿があった。
 思わぬ映像に私は驚き、それが私の映像だと認識に若干の遅延を生じさせてしまった。何故、移っているのが私なのか、その因果関係がまるで理解出来ない。
 舞台となっているのは、この建物の正面玄関付近だ。おそらく離れた所から望遠カメラで撮影しているのだろう。幾ら私でも、生活換装のままではそう遠くの気配に気づくのは難しい。
 映像の私は、玄関から出てしばし周囲を眺めていた。辺りは降り始めた雪によってすっかり白く染まっている。確かに覚えのある光景だ。もし偽造だとしても、ここまで正確には再現出来ないだろう。
 だが、一体これが何になるというのか。私の日常を隠し録りした映像を流しただけでは、世間には何の波紋も投げかけられないというのに。
 やがて映像の中の私が中庭へ向かう。そして画面もすかさずその後をついていく。
 果たしてこれにどんな意味があるのか。
 そればかり考えていた私は、ふと、胸騒ぎのようなものを覚え始めた。あるはずもない罪悪感、とでも例えようか。急に映像の先を見られたくない恐怖心が込み上げてくる。一体何故? そうだ、私はこの先に起こる出来事をまだ覚えているのだ。誰にも知られたくない、自らの過ちを。
 私がココに雪球をぶつけられるシーン。ココはそんな私を見て愉快そうに笑っている。
 私は意図せず意識をカットしかけていた。数え切れないほどの多重化した思考がリソースを極端に消耗し、主思考にまで影響を及ぼし始めたからである。
 そして―――。
『ココッ!』
 映像の私が、声を荒げて一喝し右腕を握り締め高々と振り上げた。
 カメラがココへズームする。映し出されたのは、私を前に怯えを露にした表情だ。



TO BE CONTINUED...