BACK

 重苦しい沈黙が立ち込める。
 スティック内の全てのデータの再生を終え、ディスプレイには待機用の幾何学模様が映し出される。けれど私はスティックを回収しに行く事が出来ず、その場に立ち尽くしていた。
 声が出ない。
 こんな感覚は生まれて初めてだった。自律させようにも体が思うように制御出来ない。何の異常もないはずなのだけれど、うまくハードとソフトがリンクしてくれないのだ。それ自体、異常な状況には違いないが。
「ひとまず確認させていただきますが、この映像に映っているロボットはそこにいるあなたの所有機に間違いありませんね?」
 マスターは沈んだ視線をじっとディスプレイに注いだまま、彼らとは視線を合わせようともしない。けれど、たっぷりと間を空けた後、マスターは肯定を意味する頷きを一つ、返した。しかし、
「すみませんが、身振りだけでは意思確認として不十分なのです。はっきりと声での返事を戴けませんか?」
 そう彼は無言のままディスプレイを見つめるマスターに要求する。
 なんて無神経な事を要求するのか。
 そう腹立たしく思うのも束の間、そもそもの原因である自分が何を言うのかと自責の念が込み上げ、再び思考が多重化し主思考が停止する。先程からループしているのは、己の軽率さ、愚かさを非難する、私の中で良心の位置にある要素からの言葉だった。
 だが、そんな自分自身で帰結する事を繰り返した所で変化は得られない事は知っているし、そうやって自らを虐げる事で罪悪感を少しでも和らげようとしている事も知っていた。結局は何もかもマスターではなく自分のためなのである。
「そうよ。間違いないわ」
「ご協力感謝します」
 本当に感謝などしているのか。形式だけの礼儀はむしろ皮肉にすら聞こえて来る。涼しい顔をしておいて、心の中ではどんな事を考えているのか分かったものじゃない。往々にして人を疑う職業の人間は表裏が極端に正反対である。人間はロボットとは違い、口では何とでも言えるのだ。
「念のため確認しますが、ロボットによる間接的な暴力行為も同様の罪に問われる事は御存知ですね?」
「知ってるわ」
「なら、次に我々が要求する事もご存知になりますね」
 しかし。
 このまま非生産的な行動を取り続ける訳にはいかないと判断した私は、サブ思考を全て停止し、主思考へリソースを割り当てた。
 今は私の個人的な感傷はどうでも良い。この事態を冷静に分析し、私の映像が原因で窮地に立たされてしまったマスターをどう弁護するか。最も優先されるべき事はそれなのだ。
 淡々と事務的に続けられる会話に追いつくため、一時的に思考クロックを加速させ会話記録を数分ほど遡ってコンパイルする。大急ぎで論理を解釈していく作業は、階段を段抜かしに駆け上がって行く様に似ていた。ただ違う点は、階段は必ずしも全段を踏み締める必要は無いが、論理はそうとも限らない事だ。特に基盤がしっかりしていない解釈は、本質とは大きく掛け離れた方向へ向かってしまいがちである。けれど、そうとは分かっていてもゆっくりしている余裕などは無かった。今、目の前で行われているやりとりは、非日常的で、非常に重大な結果に繋がるものだからである。
「今回はまだ法的な手続きを取っていませんので、任意という形になります。本日はこれから宜しいでしょうか?」
「今日は困るわ。明日なら朝一からでもいいわよ」
「分かりました。明朝、改めてこちらからお迎えに上がりましょう」
 任意での、というのは、まさか任意同行での取り調べの事なのだろうか? 単なる事情聴取ならまだしも、重要参考人にでもなればマスターの社会的立場が非常に悪くなってしまう。なんとしても、この悪い流れは断ち切らなければ。
 ようやく会話に追いついた私は、すぐさまこれまで蓄積した内容から逸早く最善の弁護を持ち出しにかかった。
「待って下さい。確かに私はああいった行動に出てしまいました。ですが、ココには毛先ほどの怪我もさせてはいません。それに、私とココは明確な信頼関係にあります。わざわざ公安が乗り出すほどの事件性があるとは思えません」
 ようやく会話に参加してきた私を、彼らはふと眉だけで驚きを見せて視線を向けた。まさかロボットに反論されるとは思ってもみなかったのだろう。けれど、何かを大切に思う気持ちは人間もロボットも変わりはない。私には行動する力があるのだから、自分よりも大切なマスターの危機とあれば幾ら疎んじられようが幾らでも悪あがきをする。
 虐待には加虐の定義が二つある。一つは肉体的な加虐、そしてもう一つは精神的な加虐だ。しかし今回の場合、私はココに対してどちらの側面から考えても具体的な事実がない。ココに対して物理的な暴力をふるったかどうかは医者が調べればすぐに分かる事だ。そして精神的な虐待も、ココが私にどれだけ信頼を寄せているのか、カウンセラーが調べれば良いのだ。ココは暴力をふるわれてもいなければ、私に対して多大な信頼を寄せている。この状況を鑑みて、何かしら事件性があるようには到底思えないのだ。
 しかし、
「仮にあなたの仰る事が全て真実だとしましょう。しかし、この国では未遂ですら十分罪に問われるのです。特に、あなたのような自律型ロボットが関わっている場合は、未遂といえども罪は重くなる。事実は必ずしも法律に順ずる訳ではありません。そして我々は法律に従って行動するのが職務です。御理解下さい」
「なら! なら、罪を問われるのは当事者である私のはずでしょう!?」
「今現在、法的にロボットの人権は認められていません。よって、あなたが犯した違法行為は全て所有者の責任となります」
 あ。
 私の唇が開き、そのまま硬直する。
 そうだ、すっかり忘れていた。私がロボットだという事を。
 ロボットは人間のように人格を法律で認められていない、あくまで道具の延長線上にある存在なのだ。私の犯した犯罪行為は全てマスターが犯した事になる。これは事実上云々の問題ではない。ただ、全ての国民が従わなくてはいけない法典でそう決められているから、この国に存在する以上は従うしかないのだ。
 一体どうすればいいのだろう。
 これ以上の案を持っていなかった私はこれ以上になく自分の無力さを知り、抽象的に打ちのめされるあまり目の前が真っ暗になっていくような気がした。
 自分の犯した行為を正当化する事は出来ない。罪を償う事も許されない。唯一残されたのは、マスターが私の代わりに責任を負うという、私に考えられる限り最悪の選択肢だ。私には意思を認められていないから提案する事すら許されず、ただ第三者の決定に従うしかない。たとえどれほど納得がいかなくとも、ロボットにはそれを発言する場すら与えられないのだ。
「そろそろ私達は失礼させていただきます。そのメモリスティックはコピーですので差し上げます。お見送りは結構」
 黙りこくった私達を見て、彼らがソファーから腰を上げた。私はすぐさま引き止めて事情を説明したい衝動に駆られたが、たとえ足を止めさせた所でこれ以上弁解の余地は無く、ただ両手をぎゅっと握り締めたまま見送るしかなかった。
 二人が一礼してリビングを後にする。玄関のドアが開閉する音が聞こえ、オートでロックがかかった。私はいつもロックが本当にかかっているのか確認するのだけれど、今はそんな事すら出来ずにいた。ただ、頭の中が真っ白で、目の前が真っ暗で、どこに向かって歩けばいいのか、自分の指標が分からなくなったのである。
 マスターにどう申し開けばいいのだろう。どんな言葉で言い訳すればいいのだろう。
 けれど、どれだけマスターに許しを請うた所でそれは全くの無意味だ。私がマスターに許されても、マスターの社会的責任が消える訳ではないからである。
 ただひたすら、私は申し訳ないと思うしかなかった。そう、思うだけしか出来ないのだ。人間には困難な作業を行うために作られたはずのロボットがただ黙って佇む事しか出来ないのは、重大な存在意義の喪失を覚える。ましてや、迷惑をかけるだけの存在であれば、それは害虫とさして変わらないのだから、いっそ存在しない方が良い。
 どれだけ考えても、私は何をするべきなのかが見つからない。普通、人間はこういった状況では意味の無い行動を取って場を繋ぐ事も出来る。けれど、ロボットには意味の無い行動を生産する事は出来ない。合理的なのは無駄を極力抑える素晴らしい考え方だと思うのだが、この時だけは合理性から離れたかった。
 と。
「ラムダ……」
 どれだけ時間が経っただろうか。
 沈黙を続けるにはあまりに不自然なほどの時間を経て、徐にマスターが重苦しい口調で私を呼んだ。いつものマスターから想像も出来ぬほど、重くくぐもった酷く聞き取り辛い声だ。
「実は前から思ってたんだ。ココを拾ってきた時からさ」
 ココを……?
 問い返す代わりに視線を投げかけたが、マスターは顔をやや俯けたまま無意味な幾何学模様の走るディスプレイを見つめ続ける。返って来た返事は沈黙だった。ロボットには人間ほどの空気を読んだり察する能力はない。だから、こうして黙られてしまうと無性に不安感を掻き立てられてしまうのだ。
「マスター?」
 そして、不安のあまり思わず声に出して問うてみる。けれどマスターは動かず、視線をこちらへは向けてくれなかった。
「あなたの行動が明らかに変わっていったわ。エモーションシステムは絶えず成長を続けるから、環境の変化に合わせて何らかの成長を急に見せる事だってある。だけど、あなたの場合は必ずしも喜ばしいとは言えない、漠然とした不安感が付きまとうものだった」
 淡々とした口調で語るマスター。
 こんな神妙な様子を見るのは多分初めての事だ。そして、こんなにも長く私から目を逸らして話し続ける事も。
「もっと早くなんとかするべきだったわ。状況が状況だからなかなかそうもいかなかったけれど、時間なんて作ろうと思えば幾らでも作れるから、所詮は言い訳よね。そして決定的だったのが、ココに言い聞かせておく、ってあなたが自分から言い出した事。あなたは無意識の内に、人間の年長者と同じリードを取り続けてきたのよ。それは言ってしまえば独占欲。親が自分の子供へ抱く感情に良く似たものだわ。だけどあなたはそれを自分で理解していないから、思考と言動に矛盾が出来て精神的な負荷を溜めてしまう。元々、あなたに素質はあったのよ。ロボットでありながらあえてロボットの枠に自分を押し込めて、ロボットである事を演じていた。それは暗にあなたが、自分が人間と同等の存在になってしまっている事に気づいているからよ」
 次々と静かな、しかし強い口調で並べられる言葉に私は一度に飲み込む事が出来ず、再び次々と起動するサブ思考達にリソースを奪われて思考が停止した。
 理屈ではマスターが何を言わんとしているのかがまるで理解出来なかった。それぞれの繋がりが示すものに気がつくほど、それら一つ一つを理解していないからである。だが、直感とでも言うべきなのか、漠然とある乱数群の奥に薄っすらとマスターが指し示すものが見えたような気がした。それが何なのかはっきりさせようと手探りで追いかけるものの、混乱を期したサブ思考達に阻まれ頓挫を余儀なくされる。
 そして、マスターはゆっくりと顔を上げて私を見据え、その最後の言葉を言い放った。
 マスターの顔は驚くほど無表情で、だが何か別な感情を押し殺したような印象だった。
「あなた、もしかしてセミメタル症候群じゃないの?」



TO BE CONTINUED...