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「まさか、そんな! 私がですか!?」
 私はセミメタル症候群。
 マスターから宣告されたその言葉に、私は耳を疑わずにはいられなかった。
 セミメタル症候群とは、ロボットの思考があまりに人間に近づき過ぎたために起こった独特の精神症の総称だ。人工の体に人間と同等の魂を内包した自然界には有り得ない存在を、今の人間社会には正しく受け入れる体制が整えられていない。そのため、社会で正常な営みを行う事が困難となり、しかしその理由を人間としての立場で考えてしまうため理解が出来ずストレス症を起こす。これが一般的なセミメタル症候群の原因だ。
 けれど、私はそういったストレスとはまるで無縁の生活を送っている。それは、私が仕える主人は誰よりもロボットの事が理解できる人間だからである。
 マスターもマスターだ。突然何を言い出すかと思ったら、よりによって私がセミメタル症候群だなんて。
 マスターは世界でも有数のロボット工学者であり、国内でのセミメタル症候群の研究に関しては第一人者だ。ロボットの精神構造や心理状況をロボット自身よりも理解出来るほどのマスター、そしてその所有機である私がセミメタル症候群などを患うはずがない。一流の調理師が基礎的な調味料を取り違えるような、いわゆる恥と言うべきものだ。マスターのような優秀な技術者にそんな初歩的なミスなど有り得ない。
 マスターの管理下にある以上、私の精神状態は疑う余地も無く正常だ。
 私にはその確信があった。マスターがセミメタル症候群を患ったロボットの治療を行っているため、私も数多くの患者を見て来たから分かるのだ。
 それなのに。
 マスターの私を見据えるその目にはまるで迷いが無かった。私がセミメタル症候群であると、そう頑なに信じている目だ。
 私は以前もその表情を見た事がある。マスターがメタルオリンピアに出場を決意した時だ。
 あまりに力強い確信に満ちた目で見据えられる内に、私は徐々にそれが真実であるかのように思い始めた。
 私にとっての真はマスターの判断。そのマスターが、これほどまでに真剣な様相で私をセミメタル症候群だと言っているのだ。そうだ、私にはそもそも拒否する権利などないはずなのだ。ロボットにはマスターの決定は絶対なのだから。
「ココにこだわりすぎてるって、前に言ったわよね? それがどうしてか、ようやく分かったわ。あなたはココを守りたい訳でも育てたい訳でもない。ただ、独占したいのよ」
「私は独占だなんて考えた事もありません。私がココを気にかけるのは、ココがあまりに社会常識というものに欠けているからです。このままでは将来、必ず支障を来たしますから」
「それで? 殴って修正する訳?」
 その瞬間、私のメモリ内にあの日のココの怯えた表情が展開され、更に続けようとした言葉を飲み込んでしまった。
 今すぐにでも消し去りたい過ち。けれど、デジタルデータとは違って簡単に跡形も無く消し去る事は出来ない。私の記憶はすぐにでも消せるかもしれないが、ココの心の傷はスイッチを切るように消すことなど出来ず、また事実を捻じ曲げる事はそもそも物理的に不可能なのだ。
「ごめん、言葉が悪かったわね。私が言いたいのは、あなたは自分の思い通りにならなくて苛立ったから、ココに手を上げようとした。これがどういうことなのか分かる?」
 口ごもった私に、マスターが更に視線を投げかけながら言葉を続ける。
 私はこれ以上マスターの言葉を聞いているのが辛かった。自分がセミメタル症候群である事の自覚は既に始めているが、改めてマスターに私の不可解な行動やセミメタル症候群であると断定した理由を聞かされるのは、まるで傷口に塩を擦り込まれているような気にさせられるのである。私自身には痛みという概念は存在しないのだけれど、それが苦しいものであるという事は分かるのだ。
「ロボットはね、何か問題が起こった場合、予め決められた方法で対処するか、それでどうにもならなければ自分の管理者の指示を仰ごうとするのが普通なの。けれど、これまでのあなたの行動はいずれにも当てはまらないわ。自分の意思でココの問題行動を直そうとするなんて。それに……」
 と、不意にマスターの視線が変わるのを感じた。これまでのぶつけてくるような視線が軟化し、見据えるというよりもただ漠然とシルエットを見つめているようなものに変わっていく。マスターからの圧力が消えた途端、開放感にメモリ内が楽になる反面、マスターのバイタルが減少してしまった事で俄かに不安へ囚われた。でもマスターの言葉が終わっていないため、私はそんな変化にも気づかぬような素振りをしていた。マスターの言葉が終わるまで黙っていなければならないと思ったのである。
「それに、反抗的な態度には怒りを覚えてしまった。けどそれは決して不自然な事じゃない。子育てを経験した中で、子供に苛立ちを覚えたことの無いヤツなんていないから。だけど、それはあくまで人間の話。ましてやロボットが自分の意思で教育しようだなんて聞いた事も無いわ。ロボットに果たして人間が教育出来るのかどうか。前例が無いだけに、正しい事なのかどうかは分からないわ。個人的には、世の中には善悪を認識していながらあえて悪行を働く人間が腐るほどいるから、どちらとも言えないけどね。でも、現実にはロボットはあくまで人間の道具でしかない。人間の本質は人間にしか教える事が出来ないから、道具による教育なんて有り得ない。真偽云々の問題じゃなく、これは紛れも無い現実よ。ロボットが人間の本質を教えるなんて論外なの。人間の常識ではね」
 感情を持った以上、人間の常識という壁に阻まれた事の無いロボットは存在しない。ロボットを理解出来ない人間の多さとその偏見が、セミメタル症候群を作り出した一番の原因だ。しかし、それは一概にもロボットを偏見の目でしか見られない人間が悪いとは言えない。生活を一変するほどの新しいものが受け入れられるまで時間がかかるように、まだ感情を持ったロボットとは受け入れられる側とそうでない側との鬩ぎ合いに翻弄される存在なのだ。
 ロボットを本当の意味で理解出来る人間はまだほんの少数だ。だからロボットの行動は全て人間と対比させ人間の理屈で考えるため、見たままの評価しかされない。私が人間と同じ事を考えているとは、世間の大半の人間は信じたりはしないのである。
「私はあなたを責めたりしない。むしろ、理解してやれなかった私が責められるべき。でも、これからはそんなこと言ってられなくなるわ。どんな心情や理屈があったにせよ、世間は最も分かりやすい表面的な部分だけで判断する。公安のやつらが言った通りのままが、私達に対する世間の評価よ」
 それが、私の犯した罪をマスターが認め、受け入れた理由なのだろうか。
 改めて私は事の重大さを思い知らされ戦慄した。
 私がマスターを陥れたようなものなのだ。私の罪をマスターが背負わされるこの現実。これほど己の無力さを感じたのは初めてだ。それはまさに、深い深い暗闇の底へゆっくりと沈んでいくような感覚だ。出口はおろか、自分がどこまで沈んだのかすら分からない、果てしなく気が遠くなっていく。
「こっちに来て」
 私はこくりと頷き、マスターの傍らに腰を下ろす。
 おそるおそる視線を向けた私の肩に、マスターはそっと自分の額を置いた。深い溜息が二度、マスターの口から漏れる。疲れ切った、あまりに重苦しい呼気だ。普段、自分の意思を堅強に持って主張する堂々とした態度がまるで別人のように、小さく弱々しい姿に変わり果てている。突然の変貌に私は何もする事が出来ず、ただ未だに混乱の収まらぬ思考群を統合しながら、マスターの重さを感じていた。
 やがて、マスターの手がそっと私の手を取った。生活換装であるため手のひらの感覚素子は極めて鋭敏で、マスターの体温だけでなく僅かな震えまでも感じ取ってしまい、はっと息を飲みそうになった。その震えは普段の強い表情の下に隠していた感情そのもので、私が触れて許されるものなのか判断し難かった。
 そして。
「もう、私ら駄目かもしれないね」



TO BE CONTINUED...