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「なあ、ラムダ」
 私の内部時計が午後十一時半を指し示している。
 休眠モードに入っていた私は、外部からの刺激によって通常モードにシフトした。
 資格素子を暗視モードで起動し声のした方を見やる。すると、私のベッドのすぐ脇には寝間着姿のココがこちらを覗き込むように立っていた。
「どうしました? 眠れませんか?」
 私はゆっくりと体を起こしながらベッドに腰掛けるようココを促す。そして応じたココの隣に私も腰掛けた。
「うん、ちょっと気になって……」
 ココは視線を落としたまま、足をぶらぶらと前後に揺らす。なんとなくその身振りから、何か言い辛いことがあるのだろうか、と考えた。
「あのさ、昼間のね、聞けなかったんだけどさ……。エリカどうかしたの?」
「いえ……」
 果たしてその質問には包み隠さず正確に答えるべきか。
 私はココには余計な心配はかけたくはなかった。私もマスターと同じように、内々で処理出来る問題ならそう処理して、わざわざ気を揉ませるような事はしたくはないと思うのである。ましてやそれが大人の問題であるのなら尚更だ。大人の問題で子供に心配をかけるなんて論外である。
 しかし。
 ここで隠しても仕方が無い。
 そう私は考えを改めた。マスターが公安にマークされてしまった以上、もはやこれは内々で処理出来る問題では無くなった。マスターが拘束されるような事になれば、私の所有権にも問題が発生して最悪の場合ココとは別れざるを得なくなる。この問題は、大人達だけの問題ではないのだ。ココも含めた、私達全員の問題なのである。
 私は意を決し、ココに打ち明ける覚悟を決めた。
「ココは公安警察を知っていますか?」
「昼間来てたおじさん達だろ。知らないよ。何しに来たのさ?」
「警察は分かりますね。公安は、もっと国家的な重大犯罪を取り締まる機関なのですよ」
「じゃあ、なんでエリカのとこに来たの? うちを壊した事件の事でか?」
「いえ、それも含めた別件ですよ。もしかすると元々有りもしない因果関係も探っているのかもしれません」
「言ってる事が難しいよう」
 言葉が遠回し過ぎたか。
 とにかく、私の個人的な感情で言葉を選ぶ訳にはいかない。事実は明確にしなければいけないのだ。ココも今回の事件において紛れも無い当事者の一人なのだから。
「私が……ココにあんな事をしてしまったから、そのせいで普段私がココにはもっと酷い事をしているとか、それを指示しているのはマスターだとか、家を壊されたあの事件そのものもマスターが何か関与しているからだとか、そういう疑いを向けられているんですよ」
「ちょっ、なんでそんなこと!? アタシはラムダもエリカも好きだし、第一ラムダはアタシのこと助けてくれたじゃんか!」
「でも、彼らにとって物的な証拠が無いものは真実と認める訳にはいかないんです。善悪を決定するためには、誰にでも分かりやすく示さなければならないんです。そうしないと世間は納得しませんし、治安にも影響します。幾らココが主張した所で、世間にはただそう言うよう脅されていると思われるだけですから」
 言葉が出てこないまま不服の表情でココはしばらくうなり続けたが、やがて納得をしてくれたのか表情は憮然としているもののおとなしく佇んだ。
「明日、マスターは公安警察の方へ聴取に向かう事になりました」
「もしかして、昼間来てたのってその事だったの? でも、エリカがこんなこと言われて納得する訳ないじゃんか」
「一応任意同行ではありますが、マスターは公安の指摘を大筋認めましたから。その詳しい状況説明に向かうのです」
「なんでエリカは認めたの?」
「私がココに手を上げようとしたあの時、実は誰かに一部始終を盗撮されていたんですよ。その映像を理由に、公安の方はマスターを訪ねたのです。これ以上、決定的な証拠はありませんから」
 そんな。
 そうココが掠れた声で呟くのを、私は逃さず聞いてしまった。薄闇で視覚素子がそれほど役に立たないから、聴覚素子へリソースが普段より多く割り振られていたせいである。
「でも! でもね、でもそれはね、アタシがラムダをわざとからかって困らせたせいだから……」
「そういう問題ではないんです。世の中の人にはどう映るかどうかが問題なんです。証拠となる映像を見る限り、私はココを虐待しているように解釈するのが一番自然です。そして、そう捉えたからこそ公安が訪ねて来たんですから。それがさっきも言った、世間の理解力というものなんです。あの映像は結果的に様々な憶測を生むでしょう。マスターが私を介してココを虐待しているかもしれない。私の行動アルゴリズムにバグがあって、それをマスターは知っていながらあえて放置していたのかもしれない。そういう悪い憶測が蔓延する前に、公安は正しい情報を手に入れたいのです」
 ココはしゅんと項垂れ小さくなった。私はそんなココへそっと腕を回して抱き寄せる。これから大人に向けて本格的に成長しようというココの体は、それでもまだまだ小さくほっそりとして弱々しい。そんな体を小さく震わすココがあまりに不憫で、そしてまたしても自らの無力さを実感せずにはいられなかった。
 私にしてやれるのはこれだけだ。一個人の力なんて、大衆という化物の前にはゼロにも等しい。ましてや、私はロボットだ。その力は人間に遥か及ばず、認められた権利は皆無だ。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。私はココを守ろうと、ずっと自分に誓ってきました。ココの悪い点は出来る限り指摘して直し、みんなと変わらない当たり前の生活をさせたかった。だけどそれらは全て、私のエゴです。それに気づけなくて、こんな事になってしまいました。それでもココに対する気持ちは変わりません。私は、せめてココが一人でも生きていけるほど成長するまでは必ず守り通してあげたい。これだけはどうか信じて下さい」
「うん、信じるよ。だってアタシ、ラムダのこと大好きだもん」
 ココは私の腰に腕を回してぎゅっとしがみ付いてきた。
 熱を苦手とするロボットであるのに、私はココの体温が心地良く思えた。体温はココの存在をこれ以上無く伝達し、物理的な距離がどれだけ近いのかを知らしめてくれる。魂そのものを認められないロボットにとって、このリアルが何よりも嬉しく心に染みた。私の存在意義とはマスターに与えられ、マスターに尽くす事である。けれど今感じている自分の存在意義は自分で見つけ出したものだ。私はココが笑って生きていくために存在したいと、はっきりそう思うのだ。
 私はココに求められている。その事実だけで十分だった。私はきっと他に何も求めはしないだろう。それだけで、私はココのために生きる決意を固められる。
「さあ、もう夜も遅いですからそろそろ寝ましょう。何か温かい飲み物を持って来ますから」
「ついでにチョコバーも食べたい」
「いけません。夜に菓子類を食べるのは、歯や臓器に悪影響を及ぼすだけでなく、生活習慣病の原因となりますから。お腹が空いたのであれば、何か簡単な夜食を作りましょう」
「言ってみただけだよ。もう、ラムダはすぐ真に受けるんだから」
 また冗談を冗談と認識できなかった。
 からかうようなココの笑顔に、私はただぎこちなく笑みを浮かべたがばつの悪さまでは隠す事が出来なかった。どれだけ感情を人間の域まで高めようと、未だに笑いというものは完全には理解出来ていないようだ。
 私はそっとココを離してベッドから立ち上がると、飲み物を用意するため部屋の外へ向かった。
 すると、
「ねえ、ラムダ。アタシ達、ずっとずっと一緒だよね?」
 扉を半分ほど開いた時、ココがそう私に訊ねて来た。
「ええ、勿論。いつまでも一緒ですよ」
 ココの輝くような笑みに心を躍らせながら、私は寝室を後にして下へ向かった。
 眠れない時は、温かい紅茶にブランデーと蜂蜜を含ませたものが良く効く。本当は未成年にアルコールは与えてならないのだけれど、これぐらいの量なら構わないだろう。寝酒の習慣はあまり良くないのだが、睡眠そのものへの導入だけなら大した害はないはずだ。
 と。
 こういう、一般的な善悪を自分の裁量で無視する思考パターンが、私の欠点なのか。これは人間だけの裁量だから、ロボットがそんなものを見せてはただのバグだと思われるだろう。
 そう思った私は、不意に自分の中で疑問が湧き始めた。どうして人間は、ロボットに感情を与えようなんて思い立ったんだろう、と。
 理解出来ないものを自分で作っておきながら迫害するなんて馬鹿げてる。ロボットの気持ちを理解できるのは、やはりマスターのようなロボットをよく知る人間か、熱心なロボット愛好家だけだ。
 どれだけ人に尽くそうとも、何故ロボットへの理解は得られないのだろうか。
 けれど私は少しも悲しいとは思わなかった。それでも、そんな私を求め理解してくれる人間は皆無ではないからである。
 マスターもココも絶対に私が守る。
 それこそが何より大切な一番の、私の存在意義なのだ。



TO BE CONTINUED...