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 翌日。
 朝食後の食休みもそこそこに、昨日言った通りにやってきた公安の車に乗って私達は支部局へ向かう事となった。
 迎えに来た車は二台、マスターは先行する車の後部座席に、左右を挟まれた形で乗せられていた。まるで容疑者を連行するような扱いである。私はその扱いに対し抗議も考えたが、マスターが何一つ文句を漏らさない以上、ロボットの自分が出過ぎた真似をするべきではないと思いぐっと堪えた。マスターが文句を漏らさないのは、それすらも受け入れてしまった事の現われなのだ。私はマスターを犯罪者扱いされるのは我慢がならなかったが、それがマスターの選択なのであれば何も言う事は出来ない。ロボットとはただ付き従うものなのだから。
 私とココは後続の車の後部座席に並んで乗っていた。こちらは運転手だけで、比べるとおまけで乗せているような感が否めなかった。いや、事実そうなのだろう。私はマスターの従者でしかない訳だし、ココにいたっては保護しているだけにしか過ぎない子供だ。あまり重要視はしていないのだろう。
 車は都心へ抜けて人通りも多くなり、交通量に比例し信号で止まる事が増える。止まって車の窓のすぐ外には、歩道を行き交う人々の姿が見えたが、誰もこちらを覗き込みはしなかった。窓ガラスが鏡面仕様になっているため、外から中の様子は見えないからである。いや、もっともこういった仕様の車はあまり一般人は乗らないという背景があるため、ただ目を合わせないようにしているのかもしれない。
 と。
「えっ?」
 何度目かに止まった交差点の信号が青に変わり、すかさず走り出す前方の車。しかし、マスターの乗る先行車はまっすぐ直進していったにも関わらず、私達の乗る車は何故か右折してしまった。交通量の多い交差点であるため、あっという間にマスターの乗る車の姿が見えなくなる。その上、幾つも並び立つビルに阻まれては、肉眼での確認は不可能に等しい。
「あの、我々はどちらへ向かうのですか?」
「カウンセリングセンターです。その子にはしばらく入院して頂く事になります」
「待って下さい。そんな話は聞いていません」
「鷹ノ宮さんの許可は得ています。それともう一つ、あなたも数日中に精神鑑定を行う事になるため拘束される事を覚えておいて下さい」
 突然の宣告に、私は冷静ではいられなかった。
 マスターが私の知らぬ内にそんな事まで承諾していたなんて。マスターはそれが何を意味するのかまで理解しているのだろうか。いや、そもそもそこまでの理解力が無いのを良い事に、彼らが一方的に理不尽な要求を承諾させた事だって考えられる。多分それが一番有力な説だと思うが、それは同時にマスターが精神的にかなり追い詰められている事を意味する。私はマスターの助けを受ける事は出来ないのだ。どんな状況に陥ろうとも、私自身が自分の力で解決しなくてはならない。そして、それを行うにはあまりに困難な状況下に私は置かれている。
 ココが無言で私の手に自分の手を重ねて来た。言葉にしなくとも、震えるその手からはひしひしと不安が伝わってくる。私はそっと握り返し、少しでもココの不安を取り除けるようにと努めた。
 それからしばらく共に無言のまま車に揺られていると、徐にココがうとうとと頭を傾け始めた。車に乗る前に飲んだ酔い止め薬が効いてきたのだろう、自分の意思とは無関係な睡魔に襲われ始めているようだ。このままの体勢では辛いと思い、私はそっとココを寝かせるよう促し私の膝を枕にさせた。薬が効き過ぎたのか、ココは目を閉じて程無く眠り始めた。しかし、眠る表情には憂いの色がくっきりと浮かんでいる。そっと指を這わせて撫ぜた所でそれが消える訳でもなく、ただむず痒そうに顔をよじるだけだった。
 やがて車は都内から再び郊外へと出て行った。走る道はいつの間にか一車線道路となり、周囲には未開発の森林がちらほらと見られるようになった。テレジア女史から借り受けた別荘の近辺とはまた違った形の郊外だ。典型的な未開発地区、私有林という訳でもなく、予算さえ編成すればすぐにでも開発出来るのだが、無駄な公共事業の開発には住民の目が厳しく、迂闊に手を出せないという所だろう。つまりそのカウンセリングセンターはよほど需要があったから建設を認められたという事なのだろうけれど、よりによってそんなものに需要があるなんて随分世の中も病んでしまったものだ。なるほど、人間がこんなにも心の病にかかっているのであれば、ロボットの心の病が後回しにされても仕方が無い。
 それから一時間ばかり過ぎただろうか、俄に道路が四車線もの広いものに変わり、車が減速を始めた。窓から外を覗き込むと、これまで鬱蒼と生い茂った森林ばかりだった風景が切り開けた解放感のあるものに変わっている。木々を切り倒し、美観を損ねぬ程度に残して整備したという様相だ。
「降りて下さい」
 やがて車が止まり運転手からそう告げられた私は、まだ眠り続けるココを揺らして起こし車から降りた。
 その建物は、思わず見上げてしまうような高層ビルに酷似した巨大なものだった。こんな人家もない山奥に近代的な建物がそびえる光景はいささか異様な風景である。さながら映画に出て来る軍の隠し基地のようだ。
 運転手を務めていた彼に連れられ、正面口から建物の中へ入る。
 入り口は広い吹き抜けのホールとなっており、丁度真正面に受付カウンターが設置されていた。そしてそのすぐ脇には、がっしりとした体格の警備員が一人待機している。こういった所でも、物理的な防衛力の行使は必要なのだろうか。強盗に入るにしてはあまりに建物が大き過ぎると思うのだが。やはり、来訪者への安心感と不逞への威圧感のためなのだろう。警備員の後ろには更にエレベーターホールが続いている。無断でエレベーターを使用されないようにする役目も帯びているのだろう。
 彼は受付カウンターに立ち、身分証を提示しながら受付の女性と何かを確認し合っている。ココは見慣れぬ場所に連れて来られた事で不安を抱いているのか、ぴったりと私にくっついて離れようとしなかった。大抵、ココは初めて見るものには興味を示すものだけれど、今日ばかりはそういう訳にもいかないようだ。
 警備員が私達の方を執拗に凝視しているのが分かった。多分、こんな所にロボットが来る事が珍しいのか、もしくは私がメタルオリンピアに出場したあのラムダだと知っているのだろう。考えてみれば、そう遠くない昔に一度メディアで大々的に顔を晒した事がある訳だから、その当時の事を覚えている人間がいても決しておかしくはない。
「しばらくお待ち下さい。ただいま係の者が参ります」
 手続きが終わったのか、そう彼は私達へ告げてきた。いや、彼の視線は私ではなくココだけに向けられている。まるで私には告げる必要性が無いと言わんばかりの態度だ。
 確かに、ここでカウンセリングを受ける事になるのはココだけかもしれないが。そういう態度は如何なものだろうか、と私は思いつつ、その不快感は顔に出さぬようそっと心の奥へ仕舞い込んだ。
 ホールの中央に備えられたベンチに並んで腰掛け、係の人が来るのを待つ私達。彼は私達と一緒に座らず、ただ傍でじっと直立姿勢を取っている。それでも油断無くこちらを観察しているから、まるで警備員がもう一人増えたかのようだ。
 そんな、決して居心地が良いとは言えない状況を続けること数分、やがて奥のエレベーターホールから一人の壮年の女性が現れた。暖色系の地味なスーツを身に纏い髪を綺麗にまとめた、如何にも折り目正しい風貌である。彼女はそのままこちらへ歩み寄ってくると、真っ直ぐココの目の前までやってきた。
「初めまして。私はパトリシア=ルイス。パットでいいわ。あなたがココさんね」
 女性はココと同じ目の高さになるよう屈み込むと、そう笑顔で柔らかな口調で話しかけてきた。しかし、どこか計算臭さがある人当たりの良さから、おそらく彼女はココを担当するカウンセラーなのだろう。
「ファミリーネームは何かしら?」
「ラムダ、ファミリーネームってなんだ?」
「あの、この子は自分の名前を知らないのです。ココというのも仮の名前で」
「そう」
 ココに見せた人当たりの良さとはまるで正反対で、彼女が私に向けた返事は実に冷淡だった。
 この人はロボットが嫌いなのだろう。そう私は何となく態度で想像した。精神や魂という概念は人間だけのものと考えるのは、こういった心理学者やカウンセラーに多く見られる傾向だ。ロボットに感情があるなんて聞いてもあくまで機能の一部としか捉えず、こちらがどんな反応を示しても道具の延長としか見ないのである。
「そろそろお昼ご飯の時間ね。さあ、私と御飯を食べに行きましょう」
 彼女はそのままココの手を引き、奥のエレベーターホールへと向かって行く。あ、と声を漏らしながら引っ張られるココが私を見る。しかし、手を差し伸べる暇も無く、あっという間に奥へと連れられて行ってしまった。まるで意図して引き離したかのような強引さだ。
 呆気に取られている場合じゃない。私も後を追わなくては。
 私はすぐさま席から立ち上がろうとした。
 すると、
「では、支局へ参りましょう」
 そんな私を遮るかのように、彼は目の前に立ちはだかった。
「いえ、私はあの子の保護者ですから。私だけ離れる訳にはいきませんので」
 そう言って私は彼の横をすり抜けてエレベーターホールへ向かおうとした。しかし、すぐさま彼の腕が私の前へ伸びてその行く手を遮る。どうして邪魔をするのか。振り向くなり、彼は私に向かって言い放った。
「あなたの主張は法的に保護されたものではありません。あくまで本件における鷹ノ宮さんの証拠物だという立場を理解してもらわないと困りますね」
 丁寧な口調でありながら、物を見るような冷ややかな目。私は思わず息を飲み込むような心境にさせられた。更に奥を見ると、警備員が私の方へ鋭い目を向けながら、腰に携えた警棒へ手を伸ばし身構えている。少しでも私が抵抗の意思を見せれば、容赦なく叩き壊す。そう言わんばかりの様相だ。
 ここでも私は道具として見られている。意思も無い道具に。私は違う。人間と同じように痛みもあるし、悲しい事は悲しいと訴えられる。けれど、そんな事を彼らに言った所で何の意味も無いと思った。聞き入れられる事は一生無いだろうし、そもそも今は私の意志なんてそれほど重要じゃないのだ。
 私は彼の言う自分の立場をわきまえる事に思い直し、素直に応じる事にした。私がマスターにとって証拠物件の一つとなるのなら、不穏当な行動を取れば取るほどマスターの立場が悪くなっていくからだ。
 後手に回っては確実に悪い方向へ流されていくし、それが分からない訳ではない。けれど、今はただ従うしか無い。そもそも、ロボットの行動指標には、従う、という概念しか持たされていないのだ。私にとってそれ以外の行動は全てセミメタル症候群の疑いとなる。だから、マスターの立場を守るためにも行動してはいけないのだ。
 今は、ただのロボットとして振舞う事に徹しなければならない。



TO BE CONTINUED...