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 聴取室は、本館とは連絡通路で繋がっていない別館の一角にあった。
 まるでホテルのように、廊下の左右に一定の間隔を開けて並ぶドア達。その一つ一つが事情聴取に用いる聴取室である。しかし、聴取のための部屋という意識があるからなのか、ホテルというよりは独房の方が近い表現のように思えた。どちらにしても、あまり縁近くしたくはないものである。
 マスターが聴取を受けているのは、廊下の突き当たりにある部屋だった。私はドアのすぐ脇に腰掛けたまま、マスターの聴取が終わるのをひたすら待ち続けた。こういった所には勝手に入ってはならないからである。
 室内はよほど手の込んだ防音材を使用しているらしく、聴覚素子の感度を上げても全く聞こえて来ない。そのため私は中の様子を一切知る術の無いまま、ただこうして待ち続ける他無かった。
 マスターと別れてから随分時間が経つ。その間、ずっとこんな場所で聴取が行われているのだろうか。ただでさえ、最近は気の休まる事が無かったのだ、相当な苦痛を強いられているに違いない。だけど、私にはどうする事も出来ない。そんな無力感を味わうのはこれで何度目だろうか。
 時刻は午後三時。これから日も傾き始める時間だ。
 ココはどうしているのだろうか。
 私はそんな事を思い浮かべ、空白ばかり続くメモリ内を埋めた。
 あのパトリシアと名乗った女性、初見の印象ではココへの害意は無いように思える。あの強引に私から引き離そうとしたのはきっと、ココが私に虐待されているとかそういう背景を吹き込まれていたからだろう。だから、そういう意味での彼女の判断は非常に正しい。
 ココの事を心配する必要は無い。衣食住の面倒は彼女が見てくれるのだから。けれど、決してそれで納得する訳でもなかった。本当はそれらの面倒は私が見るべきだし、ココも見知らぬ人間と生活したいはずは無いからである。
 と。
 不意に真向かいのドアの奥から気配が感じられたと思った瞬間、ドアが一気に開かれた。見た目は頑丈で重厚な拵えのドアではあったが、不快な金属特有の摩擦音が鳴る訳でもなく実に軽快に開いた様に意表を突かれる。
 そして、ドアの向こうから現れたのは見覚えのある顔だった。豪奢な銀のドレスに身を包んだ、いつものように華美に身嗜みを整えているテレジア女史である。
「あら」
 テレジア女史は私を見つけると眉尻を僅かに上げて驚きを見せ、光沢のある黒のヒールでつかつかと私の前へ歩み寄った。続いて部屋から現れたのは、暗色のスーツをそつなくきっちりと着こなした壮年の男性だった。別荘に生活用品を届けてくれたビスマルク氏だ。ビスマルク氏は私に気づくと、そっと目を伏せて一礼する。それに釣られ、私も同じく一礼した。
「丁度良いわ。このまま連れて行っても構いませんわね」
 突然、テレジア女史が出て来た部屋の中へ問いかけた。現れたのはスーツ姿の一人の男性。彼は私をじろっと睨むように見定めると、テレジア女史に、構いません、と短く答え再び中へ戻って行った。彼は公安の人間なのだろう。なんとなく、そう思った。聴覚素子の感度を上げて開いたドアの向こう側へ集中してみると、何やら調書に内容に対し幾人かが話し合っているのが聞こえてきた。と、ドアが開いたままだった事に気づいた誰かが立ち上がり、バンッ、と少々乱暴に思える力加減でドアを閉めた。
「さあ、行きましょう。外に車を待たせています」
 それを合図に、テレジア女史は座ったままの私にそっと手を差し伸べてきた。一緒に行こう、という意思表示だ。
「あの、私はマスターを待たなければなりませんので。まだこちらで聴取が続いているようなのです」
 私はマスターの従者であるため、自分の判断でマスターから離れる訳にはいかなかった。マスターはまだここで取調べが続いているのだから、私はそれまで居続けなければいけない。そして、そんなロボットの思考パターンも、専門家であるテレジア女史が分からないはずはない。きっとテレジア女史はこの部屋にマスターがいる事を知らないのだろう。そう私は思っていた。
 しかし、
「無駄ですわ。エリカなら当分、ここから出る事は出来ませんもの」
 テレジア女史の口から飛び出した意外な言葉。
 それは素直に驚きを通り越した衝撃的な言葉だった。私は思わずメモリ内のデータを失い、思考をアボートさせてしまう。だが、この程度の事でいちいち驚いている暇も無いことをここ数日の間に私の主思考は学習したのだろう、あまりに大きな疑問を抱えた思考だったが再起するにはそれほど時間はかからなかった。
「え? だって任意同行のはずでは? 任意でしたら、マスターを法的に拘束する事は出来ません」
「では、簡潔に述べましょうか。エリカは今日から期限ぎりぎりまで抑留される事になります。本日より、エリカは正式に被疑者として扱われる事になりましたから。詳しい話はこんな所では落ち着いて出来ませんでしょう? ですから、私と一緒に来なさい」
 抑留とは、犯罪を犯した可能性が極めて高い人間に対して行う一時的な処置だ。そして、対象者が犯罪を犯したと認められなかった事が発覚した場合は補償問題が発生するため、そう気軽に行えるものではない。では公安は、マスターが犯罪を犯した可能性を裏付けるようなものを見つけ出したという事なのだろうか。いや、あの盗撮映像だけではここまで早い決定が出来るはずはないと思うのだが。
 自失しているからなのか、それとも自分がロボットであるためか、テレジア女史にそう命令された私は反論する事も出来ず、ただただ言われるがままに従った。先導するビスマルク氏、その後に続くテレジア女史を追うように別館を出てそのまますぐ傍の駐車場へと向かう。そこには何台かの車がまばらに止まっていたのだが、その中に明らかに一台だけ毛色の違う高級車があった。案の定、ビスマルク氏の向かう先はその車だった。先日とはまた違った車種で、車内も数名がゆったりと座れるように改造されている。外装も豪奢に見えるが、少々重火器を受けた程度ではビクともしないほどに強化されているのだろう。
 ビスマルク氏が助手席のドアをノックする。すると、運転席には誰かが乗っていたのか、ワンテンポ遅れて車のロックが外れる音がした。すぐにビスマルク氏は後部座席のドアを開けると、まずはテレジア女史を、続いて私を中へ促した。ドアを静かに閉め、ビスマルク氏は助手席へと乗り込む。
 車内は前回と同様相変わらず豪華な作りになっていた。一見すると、どこかの高級店の個室とほとんど遜色が無いように見受けられる。革張りの横長ソファーが向かい合わせに並び、一番奥にはテレジア女史の専用らしき一際豪華なタブチェアが車内を見渡すようにあった。テレジア女史はそこに腰を下ろし、私はテレジア女史から見て左手のソファに身を小さくしながら座った。
「シヴァ、出しなさい」
「はい」
 運転席から聞こえてきたのは、あのシヴァの声だった。どうやら車の中で待っていたのはシヴァだったようである。考えてみればシヴァがテレジア女史から離れる事などまず有り得ない。マスターと私の関係と同じように。
 エンジンに火が灯され、静かな駆動音を響かせながら車が走り始めた。足回りも相当チューンアップされているのか、体が後部へ引っ張られるような加速が不快感無く体表の感覚素子を流れた。柔らかい急加速、と自分なりに表現してみるが、それは前後の言葉の関係が矛盾しているため、あまり相応しいとは言えないと思った。
「あの、どちらへ?」
「私の自宅ですわ。あなたの身柄は当分の間、テレジアグループが預かる事になりましたから」
 預かる?
 それだけでは事情を飲み込めなかった私は、はてと小首を傾げた。何故、私がテレジアグループに預かられなくてはいけないのだろうか。マスターが戻るまでの間、一人で留守番も出来ない訳ではないのだが。
 そんな私を他所にテレジア女史の言葉は続く。
「今回、私は公安からエリカの共犯であるような嫌疑をかけられました。ココの誘拐の事です。しかし、私はきっぱりと否定させて戴きました。別荘の件も、エリカに衛国総省から狙われていると懇願されて止む無く、とね。完全に納得して戴いた訳ではありませんが、エリカの自宅が襲撃されたのは事実ですから、公安も近々衛国総省へ探りを入れる事は確かでしょう」
「待って下さい! それではまるで、マスターが騙したような言い方ではないですか!」
「あなたが怒るのも無理もありませんね。ですが、私とて好き好んでそんな言い訳をしたのではありません。そうでもしなければ、私もエリカのようにいつまでも拘束されてしまいますから。拘束されている内はエリカのバックアップもままなりません。今、エリカの弁護力を持つのは私だけです。知っての通り、エリカはあのような性格ですからお世辞にも敵は少ないとは言えません。国選弁護士に任せたところでどうなることやら知れたものではありませんし、私が信頼出来る弁護士をつける事が一番確実です」
 そう話すテレジア女史の冷静な言葉を聞く内に、カッとなった自分の思考が急速に落ち着いて行くのを感じた。確かに状況はテレジア女史の言う通りだ。たとえ腕利きの弁護士を雇おうにもそれ相応の代金が必要になるし、ましてやただの一個人など初めから相手にされない可能性だってある。その点、テレジアグループならば資金力も社会的立場も比べ物にならないほど大きい。弁護士を選ぶ事も実に容易な事だ。
 それにしても、本当に私はどうかしている。ロボットが相手の言葉に腹を立て、カッとなって声を荒げるだなんて。やはり自分は本当にセミメタル症候群なんだと、改めて思い知らされる。
「す、すみません……」
「構いませんわ。それにしても、あなたは予想通りの反応をしてくれましたね。可愛らしいですこと」
 にっこりと微笑んだテレジア女史に私はいまいち意味が把握できず、はあ、と曖昧に答えた。可愛い、とは容姿や仕草が幼的な事を差す言葉と認識しているのだが、私の場合はどちらも当てはまる要素に心当たりが無いため、いつもその言葉には戸惑いを覚えてしまう。
「さて、なんにせよ衛国総省には何としてでもこの事件の関与を認めさせなくてはいけませんが、エリカの件はそれだけでは済みそうにありません。エリカが抑留されたのは、意図的な虐待行為の疑いがかけられたからです。理由は説明するまでもありませんわね?」
「……はい」
「テレジアグループはあなたの精神鑑定を依頼されました。私はグループの統括者である以上、最大限の配慮は致しますが私情を挟み適当な検査だけで済ませるような真似は出来ません。もっとも、個人的にはあなたが精神的な疾患を抱えているとは思っていませんが。そもそも私がこうしてあなたと話している事自体、あまりマスコミには知られたくありません。身内という事で何らかの根回しが行われたと思われては鑑定結果そのものが疑われてしまいますからね。すると私だけでなく、エリカまでも立場が危うくなります。当面の目標は、エリカの罪状を少しでも軽くする事です。あなたもココの件もあるでしょうが、今はこれだけに集中するようにして下さい」
 テレジア女史は、本当にマスターとは何から何まで正反対だ。そう私は心の中で頼もしく思っていた。
 こんな時でも感情に流されず冷静に状況を見ている。そして、一体どうする事が自分とマスターにとって有益なのか、合理的に判断出来るのだ。表面上はまるで保身行動をしているにしか過ぎぬように見えるものの、テレジア女史が保身一辺倒となっている訳ではないのは私にはひしひしと伝わってくる。これはやむを得ぬ行動なのだ。
「あの……、あの映像はご覧になっているでしょうか?」
「映像? 話には聞きましたが。思い通りにならなくて、ついカッと来てしまったといったところでしょうか」
「はい。それで……それでマスターには、私はセミメタル症候群だと、そう言われました。もしかすると、これは重要な事ではないのかと思いまして」
「セミメタル……?」
 すると、さすがにテレジア女史の表情が見る見る内に曇り始めた。
 セミメタル症候群とはロボットのストレス症の総称であるが、まだそれ以上の事は具体的に体系化されていないため、ロボットの不可解な行動は、単なるバグか、もしくはこれのどちらかに括られる。つまり、バグでは説明出来ない状態を現すために用いられる事が多いのだ。だから一言でセミメタル症候群と言っても、具体的にどんな状況なのかはロボット工学者によって様々な見解が生まれる。しかし世間での認識はまだ、ロボットがキレた、程度しかなく、当然印象はロボット工学者の見解よりも遥かに悪い。専門家の間でも未だ意見の対立が続く今、セミメタル症候群を患うという事は、人間で例えれば原因不明の治療手段の無い病気にかかったようなものである。
「いえ、エリカがそういうのなら間違いないでしょう。しかし困りましたね。これでは、それを前提とした検査を行わなくてはいけなくなります。無論、セミメタル症候群の可能性も明らかにしなければなりませんから、結果的にエリカの責任問題も非常に重大になるでしょう。果たしてどこまで弁護しきれるものか。弁護団の見解によっては、ラムダ、あなたは覚悟を決めなければならなくなります。言っている意味は理解出来ますわよね?」
 覚悟を決めなければならない。
 その言葉が重く私へ圧し掛かってきた。それはマスターにしばらくの間、会う事が出来なくなるのか。それとも、私自身がマスターと会えないような状態に処されてしまうのか。どちらにしても、私にとってはこの上ない苦痛だ。私の存在意義そのものがマスターの存在に大きく拠るものである。その全否定はロボットにとっての死と同義だ。ロボットは人間のために役目を与えられて生み出される。私の役目はマスターに仕える事であり、それを取り上げられれば私が居る意味が無くなってしまう。役目の無いロボットなど存在する意味が無い。自分で行動指標を決められないロボットの必然なのだ。
「本当に……悪い事は立て続けに起こるのですね」
 そう、目頭を押さえて頭を振るテレジア女史の仕草が、私には何故かわざと疲れに見立てているように見えた。
 余計な詮索はするべきじゃない。私はそっと視線を窓の外へそらした。



TO BE CONTINUED...