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 コンコン。
 それは午後十時を過ぎた深夜の事だった。
 私は与えられた部屋のベッドに座り、検査を担当した研究員の一人から戴いた一昔前の名作小説を詰め合わせたアーカイブをメモリ内に展開し、それに目を通して時間を過ごしていた。消灯時間は午後十一時。小説は自分のメモリ内へ展開して読むため消灯など関係ないのだが、日頃から生活サイクルを人間に合わせていた私はそこを区切りにしようと考えていた。
 時刻も時刻だ、研究員の大半は既に帰宅しているし、こんな時間に私への用事がある人間がいるとも思えない。だから私はリソースの多くを思考の方へ回し、状況把握には聴覚素子だけを開放していた。それもほぼ最小限に絞った状態である。
 そんな時だった。突然、部屋のドアを外からノックする音が聞こえてきたのである。
 こんな時間に誰だろうか?
 ふと我に帰った私はファイルにマークをつけて格納すると、通常モードにシフトしてドアの方へ向かった。
「こんばんわ、ラムダ。今よろしいかしら?」
 ドアの向こうに居たのは、テレジア女史とシヴァの二人だった。
 テレジア女史は今朝出かけていった時と服装が違う。華やかさという観点ではあまり変わらないのだが、テレジア女史の観点からするとこれが部屋着だとか、そういう事なのだろう。
「はい、どうぞ。それにしても、こんな時間にどうしたのですか?」
 すると。
「シヴァ」
 私の問いかけに答えるよりも先に、テレジア女史はシヴァへ指示を出した。シヴァは部屋の中に入るなり、あちこちを見回しながらうろうろと歩き始める。まるで何かを探しているかのような様子だ。
「あの……」
 これはどういう事でしょうか?
 そう訊ねようとすると、テレジア女史は人差し指を唇の前に立てて、私に沈黙するようサインを出した。
 どうして黙らなければいけないのだろうか? 疑問に思ったが、意味も無くこんな事をする方でもなく何か意図があるのだろうと私はしばし従う事にした。
「ミレンダ様、この部屋には一つもありませんでした」
「そう、ご苦労様」
 やがて戻ってきたシヴァの報告にテレジア女史はにっこりと微笑んだ。
 一つも無い? それは一体何の事だろう。そもそも私は外部から物を持ち込んではいないのだけれど。
 そんな疑問を残しつつ、私達は場所を部屋の真ん中にあるテーブルへ移し、そこに向かい合う形で座った。シヴァは相変わらず同じ席には着かず、テレジア女史の後ろに立ったままだった。
「ラムダ、あなたには大切なお話がありますの。今のはそのための用心ですわ」
 何に対するどんな用心なのかは分からなかったが、はい、と私は取り敢えず曖昧に答えた。
「あの……もしかしてマスターの逮捕の事でしょうか?」
 私はまず、今日知ったばかりの情報から訊ねてみた。私に考えつく重要な話とは、それぐらいしか思い浮かばないのだ。
 すると、
「いいえ。それよりももっと重要な問題です。そして、これが解決出来れば、きっとエリカの件の良い糸口が見つかるはずでしょう。そういった意味で重要だという事なのです」
 マスターの逮捕よりも大事な事。
 そんなものがあるのか、と一瞬思ったが、そもそもテレジア女史は私達のためにずっと尽力してくれたのだから、今更疑うような余地はない。それはきっとマスターだけでなく、ココや私にとっても大切な事なのだろう。そう私は思う事にした。
「そもそもの今回の騒動は、あなたが襲われていたココを助けた事から始まりました。黒服を着た衛国総省の人間に銃を向けられたところを、あなたが叩きのめした。そうですね?
「はい、間違いありません」
「では、何故彼らが衛国総省の人間だと判断しましたか?」
「それはテレジア女史から、同じ頃に衛国総省の研究室から人間型ロボットが脱走したため関係者が躍起になっている、という情報を聞いたからです。けどこれはココがその人間型ロボットである前提でしか成り立たないので、私はすぐには受け入れられませんでした。ココはどこからどう見ても人間の女の子ですから」
「では、ココは人間と全く区別がつけられないほど精巧なロボットだと、そうしましょうか。衛国総省は違法な技術で製作したココの存在が世間に知られる事を恐れ、あのような強硬手段を持ってエリカの家を襲撃した。しかしそれは失敗し、仕方なく次の手段を考えた。メディアを通し世間を利用する事で、ココを引き渡さなければいけない状況を作り出した。これまでの流れはこういった所になりますわね」
 衛国総省にとってシヴァの存在は大きな誤算だっただろう。戦闘に特化した戦闘型ロボットは、人間と全く変わらないフォルムを持っていながら軍事兵器に相当する戦闘能力を持っている。おそらく街中に非公式で投入できる限界の戦力と比較しても、シヴァ単体の方が遥かに上だろう。民間人を軍事力によって屈服させるなど、とても公には出来ない蛮策だが、シヴァの前にはまるで意味を成さない。軍事力を持つ衛国総省にとっての最終手段が通用しなかったのだ。もはや形振り構ってはいられず、メディアを利用したあんな苦しい手段に出たとしてもまるで不思議ではない。むしろ、どれだけ衛国総省が苦しい立場にあるのかを露呈した格好だ。
 しかし。
「おかしいと思いませんか?」
「え?」
 テレジア女史の言葉から飛び出した疑問に私は驚いた。衛国総省が背水となっているのは疑う余地も無いと思っていたからである。
「メディアを利用するのはある意味賢いかもしれません。しかし、追い詰められた私達が何もしないと思わなかったのでしょうか? 衛国総省の名前を絶対に出さない保証もなければ、他のジャーナリストにココの素性を調べられればすぐに何らかのボロが出てしまいます。追い詰めれば追い詰めるほど、私達は後先考えない行動に出ると思うのが自然でしょう。その程度の事を、衛国総省が予見出来なかったとは考えにくいのです。ココが彼らと繋がっているならば、知られて困るのは彼ら自身です。にもかかわらず、あんな大々的に報ずるような手段を取った。それが私には、むしろココの存在を世間に知って欲しいように思えてなりません」
「ココの存在を? 確かに、テレビではココの顔をそのまま放送していましたが……。でも、それは考え過ぎではないでしょうか。衛国総省はあくまで偽両親を仕立て上げただけで、その他は全て番組プロデューサーの独断と考えるのが妥当です。ましてや、衛国総省が特定の個人をターゲットにして民間人に協力させるような事はしないはずです。そんな事をしたら、衛国総省が何らかの目的で暗躍していると、たちまち噂になってしまいますから」
「その推理は間違っていません。私も当初は同じ考えで、勝手に衛国総省を黒幕だと判断していました。しかし今日、一つ面白い事を弁護団直属の探偵の一人が掴んでまいりましたの」
「面白い事、ですか?」
 言葉の意味そのままではない。当然だが、これまで私達が気づきそうで気づかなかった意外な事実を指す言葉だ。
「あの盗撮映像、その撮影者の素性が分かりました」
「撮影者ですか? でもそれは、どこかのパパラッチでは?」
「私もそう思っていましたわ。けど、どうしてあの場所をあんなにも早く突き止め、張り込むに至ったのか。私にはこれが気がかりでした。そもそもあの時点では、ニュースソースになりそうな要素など何一つ無かったはず。それなのに、どうしてパパラッチはこの寒空の下張り込んでいたのか。しかもたった一人で。あの事件そのものは偶然だとしても、不自然とは思いません?」
 確かに。言われてみれば状況が不自然だ。何か作為的なものを感じてしまうほど、あのタイミングは都合が良過ぎる。あらかじめ予知していたのか、もしくは見逃さぬようずっと張り込んでいたとしか考えられない。
「それで……撮影者とは一体?」
「撮影者は、我がテレジアグループの社員の一人でした。そして番組の構成にも関わっていたそうです。プロデューサーに幾らかの金を握らせてね」
「じゃあ、まさか」
 黒幕は身近に居るという事。
 そう考えると先ほどのシヴァの行動も納得が行く。あれはおそらく盗聴器の類いを探していたのだろう。
「私の見解を率直に申しますと、今回の事件は初めから衛国総省とは何の関わりもありません。そう思わせるよう仕向けられた実に巧妙な罠です。自分に目を向けさせないようにするためのね。まだ全てがそうだと説明付けられるほど解明出来た訳ではありませんが、おそらくこの線が一番正しい自信はありますし、犯人の目的とする事も大体察しがつきます」
「目的とは、もしかして……」
 テレジア女史が一度、こくりと頷く。
「何者かが、私を失脚させようと企んでいるのです。エリカの家を襲撃したのもココの奪回が目的ではなく、騒動の有耶無耶の内に私を亡き者にしようとしたのでしょう。証拠に、あの通り私は狙撃されましたから。そしておそらくは、私の父の事件も……」
 と、急にテレジア女史の声のトーンが変わった。
「ミレンダ様……」
「大丈夫よ、シヴァ。ありがとう」
 徐に俯いたテレジア女史を気遣うように、そっとシヴァが肩に手を置いて覗き見る。そんなシヴァにテレジア女史は優しく手を重ね気丈な笑みを浮かべた。
 そういえば、まだテレジア女史は父親を事故で亡くしたばかりだった。私は当人と面識は無いのだが、訃報を知ったテレジア女史の反応を見る限りはよほど慕われる人物だったのだろう。
 おそらく気持ちの整理もほとんどついていないだろうし、人が亡くなったら様々な作業が伴うから、今もそれらに追われているだろう。そんな状況の中でテレジア女史は私達の件も含め以前姿の見えない敵と戦っているのだ。一見、平然とした振る舞いの中どんな心境なのか。なんとなくだが、ロボットの私だけれど分かるような気がした。
「ココは一体何者なのか。エリカの元へ身を寄せる事になったのは計画の内だったのか、それともココもまた黒幕の仲間だったのか。考え始めたら切りがありません。けれど、エリカの罪状が重くなればなるほど、肩入れをした私の立場も悪くなっていく構図は紛れも無い事実です。もしかすると、こうなる事すら予見の範囲であったのなら、敵は相当頭の切れる人物でしょう。当事者以外に全く状況の不自然さが分かりませんから。公安当局、おそらくは司法の方へも息がかかった者がいる可能性もあります。このままではおそらくエリカ共々、私も実刑は免れられないでしょう」
 とんでもない発想だ。
 そう思う反面、テレジア女史の推理は論理的にも正しいと私は思った。これまで敵は衛国総省だと思い続けてきたが、その確固たる証拠は無く、あくまでテレジア女史の情報だけを頼りにした推察にしか過ぎなかった。それに、テレジア女史の情報元となった衛国総省の人間も、テレジアグループに潜む黒幕にそう指示されたとも考えられる。
 となると、黒幕はよほどテレジアグループ内において影響力のある人物だろう。そう思う理由もある。テレジア女史には失礼な言い方だが、これまでテレジアグループと蜜月関係にあった組織にとってテレジア女史はまだ年若く経験も浅いように思え、それよりもむしろ長年付き合いのある別な誰かの方が信用出来るからだ。
 自分の中にある疑問の辻褄が合ってくると、ますますテレジア女史の推測に対する確信が深まって行った。これは偶然に巻き込まれた事故の類いではない。あらかじめ計画された組織的な罠だ。それも想像を絶するほど大規模で、たかだか一個人を陥れるのにここまでやる必要があるのかと身震いのしそうなほどの犯人の執拗さに、今になって戦慄を覚えた。
 既に私達の包囲網は完璧過ぎるほど固まっている。私の精神鑑定の結果はとっくに分かったようなものだ。後は、私がセミメタル症候群であるという結果をテレジアグループが公安へ提出し、それによってマスターの起訴は確定する。またテレジア女史は如何なる理由でマスターを援助したのか、と追及され、これもおそらく起訴は免れられないだろう。
 果たして、これほど完璧な状況からどうやって切り返すのか。マスターもテレジア女史も、心身ともに疲れ切っている。また元通りの生活に戻れるような、そんな魔法のような手段など果たして本当に存在するのだろうか。だがこれは疑問ではなく、そんなムシのいいものが存在して欲しいという願いにも似た心境だった。これすらも完全に否定されてしまったら、たとえどれだけ真相に近づけてもまるで無意味だからである。
 すると、
「しかし、私は負ける訳にはいきません。私達の内輪揉めでエリカを投獄させる訳にはいきませんし、我がテレジアグループをどこの馬の骨とも知らぬ者に渡す訳にはいきませんからね」
 そう微笑んで見せるテレジア女史の顔にはいつもの表情が戻っていた。優雅さの中に絶対的な自信と誇りが混在する、強い光のような表情だ。
 私にはどんな方法が残っているのか具体的な方法は分からない。けれど、まだテレジア女史の心が折れていない事が分かっただけでも諦めなくていいという安心感があった。それはテレジア女史にはまだ尽くす手が残っている事に他ならないからだ。
「あの、これからどうすれば良いのでしょう? 私には事があまりに大き過ぎて何をしなければならないのか分かりません」
「あなたはまだ何も知らない振りをしなさい。もうしばらくは私が動きます。一つ思い当たる事があるのです」
「思い当たる事?」
「実はこれまでの予算報告の中に少々きな臭い部分が見つかりましてね。その出所を調査しようと思いますの。もしかすると、それがココと繋がるかもしれませんから。そうなればあらゆる推測を裏付ける決定的な証拠となるでしょう」
 ココとテレジアグループの繋がり。
 それはある意味知りたくない事でもあった。ココがロボットだなんて、一体どう接すればいいのか、そしてどう本人に説明すればいいのか分からないからだ。けれど、それは決して目を背け続けられる問題でもなく、これが突き止められるだけで事態は私達有利に好転する。逃げてはいけないし、有耶無耶にしてもいけない。いよいよ正念場に私達は差し掛かったのだ。ここでは弱気になった者から転げ落ちていく。
「ラムダ、まだ望みは繋がっています。決して諦めないで下さい」
「はい」
 少しだけ、答える私の声も力強くなった。
 そんな気がした。



TO BE CONTINUED...