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 テレジア女史はシヴァを連れ、一昨日の夜と同じ時刻に私の部屋を訪れた。
 化粧で誤魔化してはいるものの顔色は明らかに精彩さを欠いており、疲労が蓄積しているのは傍目にも明らかである。
 一昨日と同じように、まずはシヴァが部屋中を慎重に調べた後で席についた。そこまでは実に作業的で淡々としたものだった。テレジア女史は普段の取り留めない会話をする余力も無いほど疲れているようだ。
「あの、お体は大丈夫でしょうか?」
「ええ、問題ありませんわ。むしろ精神的なものですから。重要な時こそ体調管理は徹底していますから心配には及びませんことよ」
 そう微笑むテレジア女史。ロボットに健康を心配されるようになったらおしまいだ、と誰かが言ったジョークを思い出したが、なんとなく今のテレジア女史がぴったり当てはまるような気がした。とにかくテレジア女史の疲労の色があまりに濃過ぎて、本当に驚いてしまうほどなのだ。
「さて、では早速ですが。あなたの鑑定結果レポートは明日にでも公安当局へ提出される事になりました。先程私が検閲を済ませましたが、結果は聞かされていますか?」
「いえ、何も」
「そう。言うまでもないでしょうが、あなたはセミメタル症候群と診断されました」
「そうですか……そうですよね」
 私がセミメタル症候群である事は自ら打ち明けたのだし、最初にそれを言ったのは外ならぬ私のマスターなのだ。マスターのようにロボットの心理について博識な技術者はこの国では極めて少ない。だからありふれた技術者の鑑定ではマスターの考えを裏付ける事はあっても的を外れる事はないのだ。
 しかし、改めて聞かされるとやはり頭にずしりと重くのしかかってくる失望感は否めなかった。自分が、拙いにせよ世間的には一角の信頼性を持った論点において精神的な異常を持つと診断されたのだ。人間が狂人扱いされたくないように、ロボットも狂人のように扱われたくは無いのだ。
 すると、
「けれど、少々意外な補足事項がついていました」
「意外な?」
 一体何なのだろうか? そう首を傾げる私を、テレジア女史は淡々としながらも真っ直ぐ私の目を見据えた。
 そして。
「あなたの善悪の判断能力は極めて正常であるという事です」
 私は我が耳を疑わずにはいられなかった。善悪の判断能力の正常さは、社会的に害が無い事の一つの証明だからである。
 私は自分で自分が正常だとは思っているが、周囲は、特に第三者の立場を取る人間にとっては必ずしもそうではない。けれどこれで、私が正常である有力な根拠を一つ手に入れた事になる。私にとって実に喜ばしい事だ。
 だが、
「ですが、検閲の結果、私は今回提出レポートには盛り込まない事にしました」
「え? それはどうしてですか?」
 再び私は驚いた。
 私に示された希望の一端、それをどうしてテレジア女史がわざわざ摘み取るような事をするのか理解が出来なかったからである。
 そんな私の心境にテレジア女史は気づいたのだろう、表情が僅かに強張ったように思えた。
「除外する理由は、人間用の鑑定方法で判断した結果だからです。確かに結果そのものは非常に素晴らしいものですが、根拠となるものがこれでは、総帥という立場上容認する訳にはいかないのです。ロボットの精神鑑定はあくまでロボット用の鑑定方法でなければいけない。たとえその方法がどれだけ旧時代的であろうともです。鑑定結果は万人が認め納得するものである必然があります」
 言われて、私はハッと気がついた。
 テレジア女史はマスターの友人であると同時にテレジアグループの総帥でもある。総帥とはグループの最高責任者であり、その判断はグループのイメージそのものへ直結する。ただでさえテレジア女史と縁の浅くない私が今回の鑑定対象なのだ。身内贔屓ではなく、そうと疑われる事自体をする訳にはいかない。だからテレジア女史の判断は至極当然の事なのだ。
「納得していただけまして?」
「はい……その、すみませんでした」
「あなたが謝る事はありませんわ」
 微笑むテレジア女史。けれど私はただただ頭を僅かに上下させるしか出来なかった。私は余裕は無くなると自分の事しか考えられなくなる。それはロボットと言えど恥ずべき事だ。同じく決して余裕のある状況とは言えないテレジア女史がマスターや私のためにこれほど苦心しているからだ。
「それと、例の予算の件ですが、使い道がおおよそ把握出来ました」
「どんな事でしたか?」
「表向きは新しいコンセプトの医療器具開発と銘を打たれていますが、その実態は生態部品を用いたロボットの研究と推察するに十分な内容です。それも、私の父である前総帥にも秘密裏に行われていたようで、かなり大規模な組織を構成していた可能性が高いでしょう。具体的な証拠能力を持つ物は見つかっていませんが、ほぼ決定的と断言するに十分です。ココは私達テレジアグループの製作したロボットに間違いありません」
 ココは間違いなく、人間ではなくて私と同じロボット。
 けれど私は思ったほどうろたえなかった。何となく考え直したのだが、私はココが大切なのであって、必ずしも人間である必要性はないのであるからである。けど、この事実を知ったココは一体何と思うだろうか。自分の存在意義も観念も根底から覆される訳だから、受ける衝撃は相当なもののはず。ましてや、多感な時期なのだ。どんな反応をするのかとても見当がつかない。
「今も別な名目で維持費を捻出しているらしき所を見る限り、研究自体は頓挫しているのでしょうか。何にしても是正は急がねばなりません。こんなふざけた研究、テレジアグループの恥ですから」
「ですが、何故秘密裏に開発を行ったのでしょうか。人間と見分けのつかないロボットを作るのはそんなに問題なのでしょうか?」
「問題ですわね。クローン法に抵触しますから。生態部品の寄せ集めにしろ、DNAの培養にしろ、生体を無断作成してはならないという前提がある以上は違法です」
 クローン法とは、DNAからもう一つの生体を人工的に作成する技術一般を規制するための法律である。現在クローン法で合法とされているのは、著しく生命が危険な状態で回復手段の見込みが無い場合に、本人自身へ移植するため場合のみに行える部分培養だけである。場合によっては失った機能や臓器の回復のケースでも認められるが国の認可が必要で、それまでに平均で半年から一年はかかる。
 クローン技術が厳重に規制されるのは、生命を工場生産しかねない不道徳性にある。人間が、自らがロボットを初めとする生産物との違いを明確にしたいからなのだろう。文化という概念が既に精神をそれに近い形で支配してしまっているから、クローン法は人間が自らの存在意義を守るための最後の防衛線と言える。
「ですが、本当に可能なのでしょうか? 生態部品でロボットが作れるなんてとても……。まるで、その、映画のような話です」
「エリカならそう言いそうね。けど、真偽の程は定かではありませんがココは紛れも無く存在しています。今後の調査で所在ははっきりするでしょうが、とても楽観視出来る状況でもありません。技術的には決して不可能という訳ではありませんから」
 きっとココはこれから辛い思いをする。そう私は思った。人間社会において、大半のロボットの立場は道具のような存在価値だ。存在そのものすら認めない宗教の一派すらある。そんな現実を今まで人間として生きて来たココが果たして受け入れられるだろうか。少なくとも俄には無理だと思う。人間は格下の存在に対して驚くほど冷徹で残忍になれる。そんな事実を受け入れろという要求の方が無茶なのだ。
 人間と見分けのつかないロボットがいるなんて知られたら、ココはこれからどんな目にあわされるのか。大衆の狂喜的な好奇の目を想像しただけで胸が痛くなる。
「あの、もしもココがロボットだったらどうなるのでしょうか?」
「人道的に考えれば、殺されるような事はありませんから安心なさい。もっとも、そのような事を私は許しません。私は人間にもロボットにも同様の魂が宿る宗教を信じていますからね」
 冗談交じりに微笑むテレジア女史。だけど私は同じような顔が出来なかった。普段ならもっと自然に曖昧な笑顔を作る事が出来るのだけれど。まるで人形か何かに私という意識が植えられてしまったかのように、感情を表に出す事が出来ない。
「それにしてもおかしなものですね」
「え?」
「心を患っているはずなのに、あなたはいつもと何ら変わりませんから。むしろ、患っているのは私達人間の方かもしれませんね」
 その言葉にふと私はギャラクシカの異様な熱気と興奮を思い出した。その記憶には決まって背筋の凍えるような恐怖が連なっており、私は片鱗を見ただけですぐさまメモリを強制的にクリアした。
 人間の根底には、底の知れない慈悲深い慈しみと、濁り切った憎悪と偏執に蝕まれた狂気が混在する。その後者を最も分かりやすく体現化したものがメタルオリンピアだと私は思っている。社会的に許されない自らの暴力性の発露をロボットに代理させているのだ。あまり言いたくは無いのだけれど、確かにテレジア女史の言う通り心を病んでいる人間はあまりに多く居る。こんな催しが未だに続き、この国の経済の一端を支えるほどまでになっているのだから。
 と、その時。
 不意にシヴァは胸ポケットに手を差し入れて携帯を取り出すと自分の耳に当てた。声を出さず口だけを動かすマナーモード、けれどそんな滑稽な姿が不思議と様になっているのが実にシヴァらしい。ココが私よりも格好良いと言ったのも頷ける事だ。
 一言二言何やら確認するような会話をした後、シヴァ携帯をしまいながら口を開いた。
「ミレンダ様、緊急事態です」
「どうしました?」
 顔を上げるテレジア女史に、シヴァは努めた神妙さをたたえた顔でしっかと見据えながら言葉を続けた。
「ココがセンターから行方をくらませたそうです」



TO BE CONTINUED...