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 そこが整備室であると認識するため、私にはわざわざ訊ねて確認する事が必要だった。
 まるで大きな催しを行うために建てられたかのような、解放感を通り越して虚脱感すら覚えるほど、あまりに広いその室内。にも関わらず、それでも所狭しと並んでいる大小さまざまなの無数の機材達が全て、まさかヒューマンタイプロボット用のメンテナンス機材だとは思いもよらなかった。私にとって整備室とはマスターの研究室が基準になっているからテレジアグループのような財力を持った組織とは格差があって当然だけど、まさかこれほど桁が外れているとは思いもよらなかったのである。
「さあ、こちらへどうぞ」
 そう私を促したのは、まだ学生のようなあどけなさを残す若い男性だった。着ている白衣は眩しいほど白く、塵の一つも見当たらなかった。ロボットの内部構造は当然精密機器で構成されているから、メンテナンス作業等の内部へ手を入れる場合は他の電子機器と同様に埃には最大限注意しなくてはいけない。技術者にとって埃への注意は最低限の配慮だ。室内が広過ぎるため埃に対する注意力が薄れてしまうのを危惧しているせいか、部屋を見渡せばあちこちに吸塵機が備え付けられていた。
 若い技術者に連れられて、私は機材をかき分けるように奥へ奥へと進んだ。
 まるで巨大なジャンクショップのようだった。機材は数はあってもほとんどが電源も入っておらず、インテリアとしては力不足な物体として鎮座している。ほとんどが型落ちして間もない、今でも十分現役として使用できるものである。きっと最新機種が出ればすぐに購入し、これまで使っていたものはこうして用済みの品として置いておかれるのだろう。同じ人工物の立場である私としては、この墓場のような光景は見るに耐えなかった。機材はあくまで機材であって心のあるものでは無いから、容易に使い捨てに出来るだろう。けれど、どこか自分の仲間がそういう扱いをされているようで気分が良くなかった。
 やがて小奇麗に整理された区画がぽつりと目の前に現れた。
 そこには二人分のワークデスクが直角に並んでおり、中心には冷蔵庫のような最新鋭のホストマシンが置かれていた。そのホストマシンは確か少し前にニュースで話題になった最新機種だ。処理性能が圧倒的に高く、小国ならばこれ一台で国家業務を全て処理出来るというものだ。ロボットにとってメンテナンスは必要不可欠な作業ではあるのだけれど、これほど高性能なホストが必要かどうかは甚だ疑問である。
「主任、連れてきましたよー!」
 と。
 彼が声をかけた先のワークデスクに座る一人の男性。後姿ではあったが、時折ガクッと首が砕けるような不自然な動きをしており、どうやら居眠りをしているようだった。突然大声をぶつけられ、一瞬体がびくっと震えると、慌てて身形を整えてこちらを振り向く。私の姿を確認するなり状況を悟ったのか、すぐさま立ち上がってこちらに歩み寄ってきた。
「いやいや、こんな散らかった場所で申し訳ない」
「いえ、とんでもありません」
 案内をしてくれた青年よりは二周りほど年上の男性だったが、とても表情が明るく実年齢を幾分か若く見せている。目ヤニが気にはなったものの、印象はそれほどは悪くない男性だった。
「それでは早速、整備に取り掛かるとしましょうか。じゃあベッドを出してくれ」
 主任と呼ばれた彼の指示に従い、若い彼が区画からやや離れた所にある機材の方へと向かった。そこで何やら認証らしい操作を行うと、ロボットのメンテナンスに使用する一般的な形状のベッドが床からせり上がって来た。
 その様を見ていた私は、どこか違和感を覚えてならなかった。何故、ベッドがこれほど拠点らしき区画から離れているのか理解出来なかったからである。すると、そんな私の疑問を読んだのか、主任の彼が私に問わぬ問いの答えを返した。
「ここは正規の整備室じゃ無いんですよ。本来の整備室は、シヴァの起動実験に失敗した時に使い物にならなくなりましたからね。あれも後から搬入したもので、設置出来る場所があそこでも一番このセンターに近かったんですよ」
 センターというのはこの区画の事だろう。
 とりあえず、あまりに無計画に機材を搬入した結果、こういった非効率を生み出してしまったという事は良く分かった。それと同時に俄かに不安感も覚えた。テレジア女史の指示とは言え、この程度の簡単な管理すら出来ないような人間に自分のメンテナンスを任せて良いものか疑問なのである。普段、マスター以外には整備を行わない私だが、やはり見ず知らずの人間に体をいじられる事には抵抗がある。もしもメンテナンスを行うのがテレジア女史だったなら、信頼もあるし技術力も申し分ないから納得いっただろう。けれどこんな彼らではあまりに心配で仕方が無い。
「あの時のシヴァは凄かったですねえ。あんなにキレたのを見たのは、後にも先にもあれが初めてですよ」
 そういえば以前、シヴァがエモーションシステムを暴走させて建物を破壊したというのをマスターとテレジア女史が話していた。元々、リソースを大量に消費する戦闘型ロボットに、同じく大量のリソースを必要とするエモーションシステムを搭載すると言う事自体が例に無い事だ。当然思うように機能しない部分は沢山あるだろうし、エモーションシステムが不安定になれば感情が不安定になっても当然である。ただ、不安定な感情を搭載したのが戦闘型であるのがまずかったのだろう。おそらく最低限のリミッターはかけていたのだろうが、それでもシヴァの能力では建物一つを使用不能にしてしまう事ぐらい造作も無い事だったに違いない。
「廃墟になった前の整備ドッグの代わりに臨時でここへ移ったはいいものの、整備棟が再建されてもいざ引っ越すとなるとなかなか厄介でね。この有り様を見て分かるように、どこに何があるのかとか、その辺の整理が中々難しいときたもんだ」
「普段から整理整頓しないですからね。だから掃除用ロボットを入れるべきだったんですよ」
「仕事場には部外者は入れない主義なんだよ」
 二人のそんなやり取りに参加しようとするも、それは少々気が咎めるし、主義の話になると私の理解に超える場合もあるから口を閉ざす事にした。
 人間の概念という観点を私は本当の意味で理解はしていない。いわゆるプロパティのようなものだと私は考えるのだが、より適正な値があればそれへ書き換えるに越した事は無いのだけれど、人間は主義というものを変える事は滅多にしない。そこにはもう一つこだわりという観点が存在するのだけれど、やはりどうしても非効率的なものを尊ぶ理由が私には分からない。マスターのように、立派な主張を貫こうとする意味ならばともかく。
 そんな会話も一段落ついた所で、私は用意されたメンテナンス用ベッドへ促された。初めに私はその上に腰掛け、これから受けるメンテナンスの内容の説明を受ける。ロボットに説明をするのは義務ではないものの、たまにそれを欠かしてはならない作業として行う技術者はいる。だがマナー的な意味合いではなく、後で問題が起こった場合、説明を事前にした場合としなかった場合とでは責任の割合が変わるからだ。
「ではまず、今回のメンテナンスの内容を簡単に説明しますと。主要は関節部やメインフレームのチェックや各感覚素子のリフレッシュといった、必要最低限の部位のみになります。季節も季節ですので、潤滑剤と不凍液も交換しましょうか。もし何か動作に不具合のある個所があれば個別にチェックしますので仰って下さい」
 どうやらテレジア女史が指示したメンテナンスの内容は、ロボットが正常に稼働する上で最低限欠かせない部位のみに絞った整備のようである。無論、ロボットは他の家電製品とは比べ物にならないほど複雑な構造をしているため、徹底的にメンテナンスを行うとしたら丸一日はかかってしまうだろう。
 けれど、私にはわざわざ最低限の整備だけで済ませなくてはいけない理由などないのに、どうしてなのだろうか? 待機するだけの私には幾らでも時間はあるのだが。いや、もちろん完全整備をしてくれない事が不満という訳ではないのだけれど。
「さて、それでは始めましょうか」
 私は靴を脱ぎベッドの上に仰向けになった。
 首筋に設けられたデバイスポートへホストマシンと接続され、ベッド脇のディスプレイに私の状態を示す各種の情報が出力される。ざっと数値を見て理解出来る範囲を推測する限り、特にこれといった異常は見受けられなかった。ただそれは今現在の話であって、整備はこの先に障害が起こる確率を減らすために行うのだから、それほど数値の正常さは意味を持たない。
「稼働日数の割には随分安定してるな。これなら早く終わりそうだ」
 正直な所、初見の人間に内部を触れられる事には抵抗のある私にとって、作業は早く終わるなら早いほど良かった。その分だけ私が我慢する時間が短くなるからである。
「では主制御を一旦切りますよ」
 その言葉を合図に、私の主思考が外部から終了させられた。続いて副思考を一つ立ち上げる。副思考だけでは体の制御は難しいが、今は別に動かさなくてはならない理由は無いのでさしたる問題は無い。
 面識の無い人間によるメンテナンス作業は、私が記録している限りでは初めての事だ。いつもはマスターによってメンテナンスは行われているが、マスターも私を見ず知らずの人間に触られたくないという気持ちがあるから、どんな状況だろうと無理にでもマスター自ら行おうとする。それに、メンテナンスに使う機材にもマスターはこだわりがある。消耗品は自分が納得した物しか使用せず、ネットや雑誌での評価には見向きもしない。人に読ませるための評価なんて広告と同じだ、というマスターの観点は極論と言っても差し支えないが、そこまでして選んだ部品ならきっと安全なんだろうという安心感がある。自分の体に入れるものなのだから、やはり何も考えず選んだのでは見えない部分という事もあって不安は尽きなくなるだろう。
 私が我慢しなければならないのは、これら二つだった。マスター以外の人間に内部を触れられる事、そしてマスターが普段使うものとは違う部品を使われる事。どちらも私の機能に障害を及ぼすような理由には到底なり得ない。けれどそれはあくまで肉体的なレベルの話であって、私の精神的な部分は障害が及んだのと同じ状態にさせられるのだ。心と体と、そのどちらもが正しい状態を保っている必要がある。それが当たり前のように感じていたけれど、マスターは私の保守についてそれほどの力を注いでくれていたのだ。改めて私は、自分はマスターがいなければ生きられない事を痛感した。
「ちょっといいですか?」
 副思考は単一処理しか行えないため改めて時間を確認すると、作業が始まってから一時間あまりが経過していた。それから体の状態を確認してみると、既にメンテナンス作業は終盤に差し掛かっていた。思ったよりも彼らの手際が良かったのか、それともあまり丁寧に行っていないのか。何にせよ、仕事の出来云々の問題以前に、マスターではない人間のメンテナンスの仕上がりは到底しっくりくるものではなかった。
「はい?」
「総帥から頼まれまして、ここからはオフレコでお願いしたいのですが」
 やや遅れて返事を返すと、突然妙な申し出を私は受けた。
 テレジア女史から?
 一体どんな内容なのかは分からないが、とりあえず私は一時的にログの記録を中止した。
「これから小型排熱パネルを幾つか取り付けます。あまり長時間の連続使用には耐えられませんが、戦闘型に匹敵する排熱効率が得られます」
 通常、汎用ロボットで家事一般に従事する事が役目のロボットは、排熱パネル自体を使わずに髪を使って排熱する事が多い。パネルに比べて排熱力は劣るものの、元々家事業務ではそれほど熱は発生しないため十分なのである。それに、過度の排熱パネルは人間の原形を歪めてしまう理由もある。
「あの、どうして排熱パネルを?」
「私に訊かれても。ただ総帥がそうするように、オフレコで言ってきたんですよ」
 テレジア女史が私に排熱パネルをつけるよう指示をしたなんて。けれど、それは果たして本当にテレジア女史の指示なのだろうか?
 ふとそんな事を私は考えた。排熱パネルをつける事自体は別に問題は無いのだけれど、また何か罠の複線になっている可能性も否めない。しかし本当にテレジア女史の指示である可能性もある。今朝のテレジア女史が言った、近々攻勢に出る、との言葉がその理由だ。攻勢と言っても武力行使する訳ではないのだけれど、一日中駆けずり回るような事になるかもしれないからその準備だとも考えられる。
「じゃあ省電力モードに切り替えますね。副思考も一時的にダウンしますが、ログの記録は引き続き行わないでいて下さい」
 メインバスからのエネルギー供給が著しく低下し、私の思考クロックが下がっていく。次第に周囲の状況も把握出来なくなり、次々と感覚素子がダウンする。これが人間で言う眠りの感覚なのだろう。そう私は思った。
「しかし、フレームモデルが随分古いと思ったら、意外とサーキット周りは巧く出来てる。このヒートシンクなんか絶妙な配分だ。主軸以外はほとんど総入れ替えしてるみたいだな」
「旧型をあえて最新モデルに匹敵する性能を発揮出来るようチューンナップしてるようですね。けど、この出力で汎用型として成立してるんだから驚きですよ。何かに特化させた方がチューンも楽なはずなのに」
 ふと、意識の外から二人がやり取りする声が聞こえてきた。まだ聴覚素子は完全にダウンしていないようである。元々エネルギーの消費量が少ないためなのだろう。
「設計したヤツは天才だな。このモデルを標準化して企業に売り込んだら、シェアはかなり大荒れになるぞ」
「ここの構造、どうなってるのかちょっと見てみたいな。少しだけ分解していいですか? すぐ組み立てるんで」
「駄目だ。余計な事はするなっていつも言ってるだろ。見て理解するんじゃなくて自分で考えなきゃ成長しないぞ」
 おぼろげだが、二人は私の構造からマスターの技術力に感銘を受けているような印象だった。
 当然だ。マスターは世界でも屈指の技術者なのだ。このぐらいは当たり前だ。
 そんな満足感に私は浸るも、間も無く聴覚素子もダウンし、そして最後に残った副思考も完全に落ちた。



TO BE CONTINUED...