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「遅いよ、ラムダー」
 私が部屋へ戻ってきたのは、普段ならそろそろ夕食の準備を考える頃合だった。
「遅くなってすみません。部屋の外には出ませんでしたか?」
「出てないよ。ずっとおとなしくしてたもん。でももうテレビも飽きちゃったよ」
 奥の部屋からは点けっ放しになっているテレビの音が聞こえてきた。朝食後、間も無くココがビスマルク氏に頼み込んで搬入してもらったものだ。今現在、テレビチャンネルは多様化の一途を辿っているため、様々なジャンルの専門チャンネルが開設されている。当然と言えば当然だが、用意されたテレビは既に国内外で放送されているチャンネルの内、年齢制限がかけられているチャンネルを除いた全てのチャンネルが視聴可能となっていた。相当数の番組が見れるのだからそれだけ多様な情報を得られるしそうそう退屈などしないと私は思ったのだが、やはり退屈の概念はココと私では随分と違うようだ。
「お腹空いたなー。今日はおやつも無いしさあ」
「あまり我儘言ってビスマルクさんを困らせてはいけませんよ」
「自分から言わないもん。女の子だぞ」
「女の子はもう少し柔らかい言葉遣いをするものですよ」
 うー、と言葉を無くして面白く無さそうに唸ったココが、私の脇腹を小突いてきた。けれどそれは最初の頃のような荒々しい遠慮の無いものではなく、どちらかと言えばじゃれてくるようなコミニュケーションに近い。動物の甘噛みと一緒だ。
「あれ? なんかラムダ、いつもと違くない? 肩幅が広いっていうか」
 ふとココは私の服を掴んで見上げながらそんな違和感を口にした。
「ええ。実は小型の排熱パネルを幾つか付けたんです。肩周りがほとんどですので、そういう印象はあると思いますよ」
「何それ? 強くなったりするの?」
「強くはなりませんが、排熱効率が格段に上昇します。そのため稼動限界域まで随分と余裕が出来ます」
「またすぐ難しい言葉使う」
「あ、すみません……。えっと、そのですね、ロボットは動くと熱が溜まるんですけど、溜まり過ぎると色々問題が生じるんです。それで通常は髪から熱を逃がすんですが、この排熱パネルをつけますと、沢山の熱を逃がせられるようになるんです」
「ふうん。前よりも激しく動けるって事なんだ。でも、そんなのつけてどうすんのさ?」
「そこまでは私にも。テレジア女史の指示ですので」
 ココにとってロボットの性能は強いか弱いかという視覚的に分かりやすい事にしか興味がなく、排熱効率の話はどうでも良かったようである。私はロボットの性能を語る上でで最も重要なのは、バランスと耐久性だと考える。バランスとはどれだけ出力を安定させられるかという事で、耐久性はそれをどれだけ維持出来るかだ。戦闘能力を初めとする各分野の機能は、ロボットの作られる目的別の区分けであるから大した問題ではないのだ。つまり、自分の与えられた仕事がどれだけ優秀にこなせるかがロボットの性能を判断する上での基準なのである。
 確かに単純な戦闘能力ほど視覚的なインパクトを与えるものはない。子供はシヴァのような強さにこそ強烈な印象を受けるのだろうけれど、それを私が普段日常的に行っている作業と同系列であると考えてくれない事が少々残念である。
「何か変わったニュースはありましたか?」
「ニュース? なんでそんなつまんないの見るのさ。ラムダも変わってるなあ」
「ロボットは主に一般的な情報を収集するものですよ」
 私はじゃれつくココを相手にしながら、飽きられて点けっ放しのテレビのチャンネルをニュースチャンネルへと変えた。放送されていたのは近隣での事件や事故が中心で、マスターの事は一言も触れられなかった。既に放送されてしまっているのか、もしくは単純にニュースとしての鮮度が衰えてしまったからなのか。どちらにせよ、マスターとの接点を許されていない以上、少しでもマスターとの繋がりを得られるのはニュース番組しかないのだ。
「なあラムダ、聞いてるのかよ」
「はい、なんでしょう?」
「やっぱり聞いて無いだろ。ロボットはすぐそう言うんだ」
 ふん、と頬を膨らまして不機嫌そうな顔をする、ココはぷいっとそっぽを向いてしまった。
 確かにロボットには相手の機嫌を損ねない無難な言葉を選ぶ言語傾向を強く勧められている。ロボットという存在が人間社会に必ずしも受け入れられるとは限らないから、せめて気を悪くさせないように努めるためである。けれどそれがココには逆効果だったようだ。子供の感情は形成途中であるため繊細で不安定だから、必ずしも定石が通用するとは限らないのだろう。
 けれど、ココが言う所のロボットとは、決して私だけの事ではない。ココもまた、このテレジアグループ内の何者かが違法的に製造したロボットなのだ。ココは侮蔑的な感情を抜きにして、ロボットを人間よりも格下の存在だと思っている。だからとても私の口からは事実を明かすなんて出来そうにない。だけど、いずれは判明する事実でもあるのだ。誰かの口から伝えるべきか、自然の流れに任せるべきか。一体どちらがココの受ける衝撃が軽いかは分からないけれど、それを判断するのは、悔しい事に私の役目ではない。
 と。
「失礼致します。御夕食をお持ちしました」
 ノックされたドアの外から聞こえてきた男性の声。それはビスマルク氏の声だった。
「はい、ただいま」
 私はすぐにドアへ向かうと、ロックを外してそっとドアを開けた。ビスマルク氏は相変わらずの丁寧な仕草で一礼すると、香ばしい香りの立つカートを静かに室内へと押して行った。
「お、やった、御飯だー。今夜のメニューは何?」
 ココが嬉しそうな顔でカートへ近づいてくる。すぐに運ばれるというのに、それすらも待ち切れないといった様子だ。しかし、この態度を見る限りどこにおやつをねだる事への躊躇いがあるのかと私は肩をすくめて微苦笑した。
 朝食時と同様に、ビスマルク氏が丁寧に料理を取り分けて行く。けれどココは席に着くのも煩わしそうに、次から次へと皿へ手を伸ばしては瞬く間に食べてしまう。もう少し落ち着いて食べれば良いものを、早食いは体にも悪いからと私が注意しても従うのはほんの僅かな間ばかりで、またすぐにいつものペースに戻ってしまう。
 自ら成長期を公言するだけあり、ココは食欲旺盛に食べる。今は何かしらの目処がつくまでこの部屋から出る事が出来ない以上、今までに味わったことも無い高級な料理もココにとっては楽しみの一つなのだろう。けど私は、ココがいつまでも部屋の中に閉じ込めておくのが不憫でならなかった。ココは家の外で元気に遊んでいる姿の方がずっと生き生きして見えるし、その方がココらしく思うのだ。鳥かごの中の鳥が幸せか不幸せどうかは分からないけれど、少なくともココは何にも縛られず生きていく方が幸せなはずである。
 と、その時。
「ココ?」
 突然の物音に気づいた私は何気なくココの様子を伺った。ココは片手にフォークを持ったまま、テーブルに突っ伏してしまっている。。
 まさか眠ってしまったのだろう?  そう初めは思って、食べてすぐ寝るのは行儀が悪いと注意しようと思ったのだが、ココはぴくりとも動かず、明らかに不自然な体勢で物音一つ立てようとしない。何かがおかしい。程無く私はそう認識した。
「ちょ、ココ!? 一体どうしたんですか!?」
 私にはそれほど専門的な医療知識は無い。いや、そもそもココはロボットであるのだから、必ずしも医療知識が焼くに立つとは限らないが。
 すると、
「ご心配なく。眠っているだけですよ」
 ビスマルク氏は驚くほど穏やかな口調でそう答えた。
 どうしてこんなに落ち着いているのか。何故、眠っているだけだと断言出来るのか。答えはすぐに出た。これが作為的なものであるなら、その当事者ならば驚いたりする事は無い。
「大人一人分ほどの睡眠薬です。しばらくは目を覚ましません」  俄かに緊張感を走らせた私はココの体を抱き上げると、そのままゆっくり後退った。メモリ内でけたたましく警鐘がなる。自分の陥ったこの事態は明らかに危険な状況である。
「これは……一体どういう事ですか?」
 問い詰めようとする私に、ビスマルク氏は冷徹な表情で冷たい視線を私に浴びせ返してきた。この感覚を私は知っている。ロボットをまるで道具のように使い、踏み躙る、そんな人種の目だ。
 私は次に放たれる言葉がどんな内容なのか瞬時に予測できた。そして、自らの予測結果に戦慄すら覚え、俄かに耐え難い恐怖と動揺に見舞われる。
「その子供の存在は、私にとって非常に迷惑ですので」
 決定的な言葉。
 続いてビスマルク氏はそっと右手を懐へ入れると、一丁のオートマチック式の拳銃を取り出し、銃口を私へと向けた。
 私は彼を『敵』と判断した。



TO BE CONTINUED...