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「あなたは一体何者なんですか!?」
「今更説明など不要でしょう。あなたが今、最も探しているはずの人間です」
「じゃあやはり……」
 確かにテレジア女史は、黒幕はテレジアグループの中に居ると推測していたが。まさかそれがビスマルク氏だったなんて。
 私は驚きを隠せなかった。これまでビスマルク氏には何度もお世話になっており、特にココは色々と我儘を聞いて貰っていたからである。だがその反面、ビスマルク氏ならば全て頷ける話だ、と冷静に納得する自分も居た。私達の動向など幾らでも知り得る事が出来るし、ココをこの部屋の中へ連れて来る事だって容易だ。そして何よりも、テレジア女史が失脚する事で最も利益を得られる一人でもあるのだ。
「何のためのこんな事を!?」
 自分でも随分と呑気な質問であると口にした後から思った。目的なんてそう複雑なものではない。人間には私利私欲のためならどのような行いにも躊躇いの無い種類がいる。彼もまたその一種だったに過ぎないのだ。
「ロボットも好奇心を持ちますか」
 すると、ビスマルク氏は拳銃の引き金に指をかけた。
「実に下らない」
 危ない!
 咄嗟に私はココを抱き締めながらビスマルク氏へ背を向け自らを盾とする。直後、銃声が鳴り響くと同時に私の背中に衝撃が走った。刺すような鋭い衝撃に、全身が一瞬凍りついたように硬直する。それでも、私はココを抱く自分の腕のコントロールだけは失わぬよう努めた。
「この程度では外殻は撃ち抜けませんか。やはりかの高名な鷹ノ宮の血を引いているだけある」
 ビスマルク氏は拍手の一つもしそうな勢いで、撃たれたにも関わらずびくともしない私へ感嘆の念を表した。私への賛辞はそのままマスターの技術力への賛辞となり、普段私は自分が褒められる事は二重の意味で嬉しく思っていた。けれど、今は不快感を募らせる以外の感情を持ち合わせる事が出来なかった。彼の賛辞は文字通りのものではなく、ただの嫌味にしか聞こえなかったからである。
「さて、まずは質問です。何故、その子供がここにいるのです?」
「白々しい事を! あなたが連れてきたのでしょう! 私のマスターやテレジア女史を更に追い詰めるために!」
「私はそんな命令をした覚えはないのですがね。まあいいでしょう。どの道その子供は処分する予定だったのですから」
 一体何を言い出すかと思えば。
 はて、と軽く片眉を持ち上げて首を傾げるビスマルク氏。そのふてぶてしい態度に私は更なる不快感を募らせた。
 何故、彼は私の問いに対して否定の立場を取るのだろうか。それ以前の所業については否定する様子は見られないのだが、ならばココの件だけを否定する理由があるのか。けれど、とても何か別な意図があるような態度には見えない。
「そんな事はさせません! あなたこそ、素直に警察に出頭して下さい! 私のマスターをあんな目に遭わせるばかりか、テレジア女史の父親まで手にかけておきながら!」
「聞き分けの無いロボットだ」
 と。
 再び銃声が鳴り響いたかと思うと、今度は私の肩に衝撃が走った。比較的外殻とフレームとの間が狭い部位であるためか、初弾よりも受けた衝撃は遥かに軽い。
「私が関わったという証拠があるとでも? 鷹ノ宮女史は犯罪者であって、君は犯罪者の所有機だ。この構図は誰にも変えられない。世間がそうと認識している限りはね」
「ならば、どうしてココまでを!?」
「私はわざわざ敵に説明するほど親切でも愚かでもありません」
 改めて銃口が私に定められる。
 私に説明する事が出来ないということは、それは彼にとってココの存在が弱点になり得るという事ではないのだろうか。
 そう考えると同時に、銃声と共に私の頬を衝撃が掠めた。
 とにかく逃げなければ。今はまずココの安全の確保が最優先事項だ。
「何のために、などとロボットが訊ねる必要はない。ロボットは黙って人間の言う事を聞いていればいい。それが作り物のあるべき姿だ」
「私には従う人間を選ぶ権利があります!」
 その言葉を合図に、私はココを抱き直すなり踵を返して部屋のドアへ向かって駆け出した。即座に銃声が鳴り響き衝撃が走った。今度は足を撃たれた。だが弾丸は外殻で止まっているから機能には何ら影響はない。
 前方に立ち塞がるドアを手で開ける暇も惜しみ、私は強引に足で蹴り抉じ開けた。そのままの勢いで廊下へ飛び出すと、すぐさまメモリ内に建物の見取り図をロードし、それに従い出口に向かって駆け出した。
「あくまで楯突きますか。アスラ! 仕事だ!」
 聴覚素子が部屋に残したビスマルク氏のそんな言葉を聞き取った。どうやら携帯電話でどこかと連絡を取ったようであるが、私にはいちいちそこまで考える余裕が無かった。とにかく今は少しでも早くここから逃げ出し、なんとかテレジア女史と連絡を取って合流するのが最善の策だろう。
 自分のネットワークは外部から遮断されて完全に孤立している。おそらく建物内がジャミングされているのだろう。有効な周波数帯域を探すよりも脱出する事に集中した方が早い。
 と。
『目標確認』
 不意に走る私の背後から、何者かの気配が凄まじい速さで接近してくるのを感覚素子が捉えた。私は汎用機ではあるものの、走る速さは人間のそれよりも遥かに速い。しかも今は排熱パネルのおかげで熱効率には余裕があるため、若干のオーバーワークを続ける事も可能だ。だが、そんな私を追走出来るほどの何かが私を追っている。少なくとも私よりも機動力が無ければ出来ない芸当だ。
 これは一体……?
 凄まじい速さで追走してくるそれは、あっという間に私のすぐ背後までやってきた。幾つか角を曲がったのだが、そこでも全く減速していない事から、おそらく立体的な移動の出来る戦闘型ロボットであると推測出来た。しかし、子供一人のためにわざわざ戦闘型ロボットを使う人間が果たしているだろうか? そこまでしてココの存在を消し去りたいというのか。はっきりとは分からないが、ココを利用するだけ利用した上で殺そうとしている事だけは嫌でも分かる。
 このままでは速度で劣る私が追いつかれてしまう。こうなったら、一か八か攻撃を仕掛けるしかない。けれど、ココを抱えている以上、下手な攻撃はココへの大きな負担となる。たとえ私の攻撃が相手に当たっても、その反動は私だけでなくココへも伝わるからだ。私の体はその衝撃に耐え得るよう設計されているが、ココはそうはいかないだろう。
 だから、この手段しかない。
 私は階段を駆け上がりながら、一連の戦闘データをロードして必要に応じ最適化する。僅かな誤差も許さない精密な立ち回りには、相応の準備時間が必要となるのだ。
 よし、完璧だ。
 データが揃った私は、場所を階段の途中にある狭い踊り場へ定めた。その中央付近で突然立ち止まると同時に、相手の位置を捕捉しながら踵を返す。振り向くなり視覚素子へ飛び込んで来たのは、燃えるような赤い短髪にタキシードを着こなした、一人の青年型のロボットだった。どこかで見た事のあるフォルムだと思ったが、今はあえて考えない事にするためリソースを遮断する。
 応戦の姿勢を見せた私へ猛然と向かってくる彼、相対する私が構えたのは受身の型。左腕でココの体を抱えたまま、右腕をそっと前方へ差し出す。
 彼はすぐさま弾丸のように踏み込んだ勢いを乗せて右拳を放ってきた。やはり戦闘型ロボットであるらしく、右腕の手首から先のフォルムが亜人間型になっている。
 私は一時的に感覚素子からリソースを制限して思考速度を加速させる。時間の流れを相対的に鈍化させて慎重にタイミングを計ると、彼の右拳が私を打つ寸前に手首を掴み、同時に彼の前足を踏みつけた。体を横へそらしながら手首を引くと、彼の体は大きく揺らめきバランスを崩す。そのまま向かってきた勢いを利用して彼を引き回すと、そのまま壁へと頭から叩き付けた。彼は頭を壁に埋め込んだ姿勢のまま、だらりと全身の力が抜ける。
 戦闘型には重火器にすら耐え得る耐久性を持つのも珍しくは無いが、ロボットが共通して持つ弱点の一つである首だけは例外ではない。ロボットの身体構造が人間に酷似している以上、人間の重い頭部を首だけで支えるという構造的な弱点もそのまま引き継がれているのだ。同じ衝撃でも、堅牢なメインフレームに支えられた型と、複数のパーツを組み合わせた首に支えられた頭部とでは浸透の程度が天と地ほども違う。
 戦闘型と警戒していたが、思ったよりも思考が単純だ。戦闘アルゴリズムは大した事はないようである。ロボットの性能はハードだけで決まるものではない。むしろ、ハードの性能を限界以上までに引き出すソフトの方こそが要なのだ。
 動かなくなった彼を後にし、再び私は駆けた。戦闘型のロボットならば、あの程度では一時的に機能休止するだけで間も無く復活する可能性があるからである。残りの階段を一気に駆け上ると、後は出口までほぼ一直線。出口はもう目の前なのだから、彼が再起動するよりも先に私達の方が外へ出る事が出来る。
 だが。
「そんな!」
 ようやく正面玄関まで辿り着いたその時、目の前の意外な光景に思わず私はそう叫んでしまった。そこには緊急時以外は壁に収納されているはずの防火壁が降りていたからである。防火壁を触り感触を確かめてみたものの、反対側の音がまるで聞こえない所から察するに私の出力ではどうにもならないほどの厚さがあるようだ。
 こんな所まで来て、これ以上進む事は出来ないというのか。
 だが、愕然とする暇も無く聴覚素子が近づいてくる足音を感知する。どうやら彼はもう再起動を果たしたようである。あそこからここまでは一本道だから、ここへ辿り着けぬはずがない。
 まずい。今から後戻りしようにも迂回は出来ないから、彼とは必ず遭遇してしまう。かと言って他に道は無く、私にとっての選択肢は、通路で彼を迎え撃つかそれともここで迎え撃つか、その程度の幅だ。
 先程はうまくいったが、今度も同じ手が通用するとは限らない。戦闘型ならば確実に私の行動パターンを学習しているはずだから、迂闊に手を出すような事はしないだろう。こちらの優位性は、汎用型であるため戦闘能力に乏しいと思われている事だけだったのだ。戦闘型に警戒しながら立ち回られてしまったら、それだけでも手の打ち様が無くなる。
 確か建物の裏手には非常口があったはず。この場を何とか強行突破し、そこから逃げる他無いだろう。しかし、ココが一人で逃げられない以上、果たして私が無傷で彼を切り抜けられるかどうか。それだけが問題だ。
 と。
「ラムダぁ……」
 突然、ココが顔だけを持ち上げて私を呼んだ。
「気がつきましたか? でも、もう少し眠っていて下さいね」
 私は出来るだけ不安感を悟らせぬよう、多少わざとらしくとも努めて普段の笑顔を作って見せた。しかし、ココは眠たそうな目で防火壁へ視線を向けると、おもむろに触りたそうに両手を伸ばした。
「ココ?」
「んーっ……」
 問い返す私に、ココは眠気を振り払うようにただ唸るだけだった。一体何をするつもりなのだろうか? 良くは分からなかったが執拗なまでに防火壁を触ろうとするので、とりあえず私は触れやすいように防火壁へココを近づけてやる。
 すると。
「え……?」
 私は目の前の出来事を現実なのかと思わず疑ってしまった。ココの手はそっと防火壁を撫でたかと思うと、いきなりずぶりと腕がめり込んでしまったのである。それはまるで水の中に手を突っ込んでいるかのような光景だ。
「進んで」
 ココの言葉に、私は半信半疑になりながらも恐る恐る足を踏み出した。
 目の前にあるのは重厚な防火壁。このまま進んだ所で、普通に考えれば壁に顔から衝突するだけである。だが、私はあえて前へと進んだ。ココの言葉には何故かそうさせてしまう力があったのである。
 そして。
 ずるり、と最初に踏み出した私の足が防火壁へめり込んでいった。金属が絡みつくような、何とも形容し難い妙な感覚だ。



TO BE CONTINUED...