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「目標捕捉」
 アスラは右腕をぎゅっと引き絞り構えると、抑揚の無い冷徹な目で私を見据えた。
 凄まじい出力の高まりをアスラの内部から感じる。それはシヴァがあの高出力兵器を繰り出す直前の、人間の心臓の高鳴りにも似た重く速い鼓動と全く同じだ。
「メインバス、オールグリーン。排熱パネルクリア。セーフティロック解除」
 いよいよ漲る出力が臨界点へと達する。
 私はふとメモリ内にギャラクシカの決勝戦で相対したシヴァの事を思い出した。ものの一瞬で私の右腕を大破させたシヴァの右拳、そしてつい先日には圧倒的な質量差を物ともせず大型トラックを吹き飛ばした。常識を安々と覆す、圧倒的としか言いようのないシヴァの右拳は、匹敵する兵器など軍事レベルでしか存在しないだろう。
 そして、それと同じものが今、目の前に。しかもその矛先は真っすぐ私へと向けられている。
 まず込み上げてきたのは圧倒的な恐怖だった。ギャラクシカの時は私も戦闘用に換装されていたし、何よりもマスターのために絶対に勝たなくてはならないという使命感が私を後押ししていた。しかし今は、ココを守らなければいけないという理由こそあっても、戦闘用に換装されていない圧倒的な戦力差が現実として立ちはだかっている。シヴァはコメディ番組から精神論の一つを学び自らのポリシーとしたが、私は精神論というものをほとんど重要視しておらず、むしろ徹底的に効率性と合理化を尊ぶ対極の観点にある。だから、私とアスラの戦力差がどうやっても変え難い事をはっきりと数値的に理解しているのだ。
 一度アスラが踏み込めば、私は避ける暇も与えられずにあの拳を受けてしまうだろう。無論、防御などあろうとなかろうと一切無関係だ。高出力兵器の前に汎用型ロボットの外殻など紙も同然だからである。
 どうする。
 どうする。
 どうする。
 効果的な打開策を見つけられず思考がループに入る。
 ロボットの性能を最大限に引き出すのはあくまでソフトウェアであって、単純に高出力設計のロボットが強いとは限らない。それは車でも同じ事が言える。どれだけ馬力のある車に乗ったとしても、素人のドライバーでは絶対にプロには敵わないのだ。だが、汎用型が戦闘型に勝つには、やはり戦闘経験だけでは不可能なのかもしれない。出力があまりに違い過ぎるのだ。それこそ、自転車とレースカー並に。それほどの格差をどうやって技術で埋めるというのだ。そんなデタラメな技術など存在する訳がない。
 ここまで来て、私は、私達は、為す術無く踏み潰されてしまうのか。
 後悔云々を問われれば、後悔以外の感情などまるで無かった。ただただ思い届かなかった無念さだけが後から後から滲み出て止まらない。まさか自ら全てを諦めたい道理はない。しかしそうせざるを得ない現実がここにある。覆す事の出来ない、圧倒的な性能差が。
 いや、待て。
 本当に私は打つ術がないのだろうか?
 私の反応速度はギャラクシカの頃から変わっていない。そうだ、限界までリソースを調整し思考クロックを底上げすれば、どれだけアスラの踏み込みが速くとも視覚素子が捉え切れないはずはないのだ。そもそも、戦闘型と汎用型の出力差は、メタルオリンピアの時にまざまざと見せつけられているはずだ。けれど私はその差をものともせずに決勝まで勝ち上がったのだ。絶望するほどの格差は決して無いはず。
 こちらの手の内の幾つかは既に明かしている。その上、もしもアスラにシヴァと同様トラウマシステムが搭載されていたら。今度私がアスラの手首を取りにかかろうとしても、一瞬先にアスラが自らの行動をキャンセルして、逆に狼狽える私を打つだろう。つまり、事実上数少ない手の内を幾つか無くしている事になる。
 だが。
 ふと私はとある事を閃いた。トラウマシステムは疑似的な恐怖心を作り出す防衛システムだが、もし私があえてシステムに記録されている行動に出れば、アスラは必ず防御行動に出る、即ち、私はアスラの行動パターンをある程度事前に認識出来るのではないだろうか?
 まだ、アスラにはトラウマシステムが内蔵されているとは限らないが、この右拳までもが忠実に再現されている以上、そうと考えても間違いはないはず。賭け、と言ってしまえば賭けになる。だが、これが現時点の私に考えられる最も勝率の高い方法なのだ。
 後は、私の気持ち次第。
 私は自分の性能がどれだけ優れているのか、一度たりとも疑問を持った事が無い。マスターの技術力の結晶なのだ、私が出来ないという事はそもそもロボットには不可能だったという事だ。だから、私は自分の性能を信じる。私に不可能は無い。
 精神のコントロールも完璧だ。最もネックとなる悲観的な思考は私の中に一片も残ってはいない。あるのはマスターの技術力に対する深い信頼だ。
 そして、出力を安定させたアスラは私に向かっていよいよ踏み込んで来た。
 この勝負、必ず勝ってみせる。
 アスラの右拳が空気を焦がしながら襲いかかって来る。私は各感覚素子のリソースを最低レベルまで落とし、出来た余裕を全てクロックアップした思考野へ割り当てた。思考の加速化により、一気に自分を含めた周囲の動作がスローモーションになる。相対的に時間の流れが遅くなったために起こる現象だ。
 じりっじりっと迫り来るアスラの拳。たとえ相手の拳が緩慢に見えても加速しているのは私の思考だけであるため、私の動作そのものも緩慢である。だからそれを圧倒的な優位性と勘違いせず慎重に立ち回らなければ、たとえどれだけ思考クロックを高めても結果は同じ事なのだ。重要なのはほんの僅かな一点のみ。私が集中すべきはその点で、決してその瞬間を見逃してはならない。
 アスラとの距離を測り、私もすかさず機を計りながら踏み出す。私が踏み出す必然は、相対速度が大きければ大きいほど生まれる力も大きくなるという力学を利用するためである。私自身の出力がほとんど期待出来ない以上、アスラを倒すためには少しでも大きな力を生み出さなければいけないのである。
 緩慢に迫るアスラの右拳を、同じく緩慢な体を引っ張りながら注意深く見据える私。実際は閃光のような速度で繰り出されている拳は、その不可視性が第一の恐怖を生み出すのだが、たとえはっきりと目で追えていても拳そのものの放つ迫力は変わらず、ゆっくりと押し潰されるようなプレッシャーに晒される事となった。
 私はメインバスを握り潰されるような圧力と戦いながら、繰り出されるアスラの右拳をはっきりと自らの射程内に捉えた。
 まずは左手の掌で、爆発を起こす拳の部分を巧みに避けつつアスラの拳へ内側から触れ、懐へ踏み込むと同時に外へ力をかけ拳撃の方向をそらした。直後、左掌の部品がごそっと消えてしまうを感じた。ブラストナックルの効果はなくとも、ソニックナックルの高速振動により掌を構成する部品が崩壊してしまったのだ。
 そのまま私はアスラの右手首を左手で掴むと、その手を保護材の代わりにして更に右手を被せ掴んだ。アスラの右手首をしっかりとホールドすると、そのまま腕を後方へ引きつつ自分の肩先をアスラの胸へ差し込んだ。しかし、アスラの回避行動の方が先だった。アスラは引かれるがままに腕を引かせると、体をくるりと反転させて私の左側へ回りこんで来た。
 すかさず顎先を抉るような左フックが襲い掛かってくる。すぐにアスラの右手首を押さえていた両手を離すと、上体をそらし、右手でアスラの手首を、左手でアスラの肘を押さえにかかった。
 と。
 その瞬間、突然アスラが攻撃を止めた。繰り出されようとしたフックは振り抜く直前で止まると、逆に腕を引く力が肘から先へ加わっていくのが分かった。
 やはりアスラもシヴァと同じようにトラウマシステムが機能している。私の中のみで成立していた賭けに勝った事が大きな自信を呼び起こした。
 純粋な勝利の確信を胸に、すぐさま次の行動へ打って出る。私はアスラの行動を先読みしていたものの本当に読み通りになるのか気にかかっていたのだが、その不安が取り除かれた以上、後は何も考えず突き進むのみである。
 回避動作は戦闘において最も気を配らなければならない動作である。それは、回避動作というものを相手に読まれてしまったら、全くの無防備な姿を晒してしまうからだ。
 私はアスラの腕を引く動作に合わせ、自らの体を前へと強く蹴り出した。ぴったりと体と体とがくっつき合う距離まで間合いを詰める。俗に零距離と呼ばれる間合いだが、カンフーにはこの間合いでも繰り出せる強力な技があるものの今の私の換装ではそれを使う事は出来ない。しかし、私にはもう一つの零距離を有効に用いられる技がインプットされている。これまで受身として使っていた掴み技を、今度は攻め手として用いるのだ。
 私はアスラの襟をしっかりとそれぞれの手で掴むと、擦れ違うように前へ踏み込むと同時に左足で思い切りアスラの両足を刈った。自らが後退する勢いも合いまり、瞬時に支えを失ったアスラの体は驚くほど軽々宙を舞うと、そのまま石畳の上へ叩きつけられた。東洋の代表的な国技の一つにある、最もポピュラーでバリエーションのある投げ技の一つだ。破壊力は言うまでもない。カウンターで入ったばかりか、落ちた場所は畳のような保護材の上ではないのだから。
 すかさず私はアスラをうつ伏せにして背中へ馬乗りになった。それぞれの腕を足で押さえつけるものの、出力差が段違いである以上、そう長くは持たない。だが、ほんの数十秒あれば十分事は足りる。決着はその前につけられるのだ。
 私はまだ握力がしっかりしている右手で、人差し指と中指の二本を真っ直ぐ伸ばして構える。その指をさながら槍のようにアスラの背中へと繰り出した。勿論、戦闘型ロボットの外殻は重火器にすら耐えうる強度があるため、私の指如きで貫く事は出来ない。だから狙いを定めるのは、背中に幾つも搭載されているの排熱パネルだ。排熱パネルは外殻に比べて強度は遥かに脆い。それは熱伝導率を考慮して合成された金属で作られているからである。現在、排熱パネルは小型化が主流となっているため、拳で打つのは衝撃が拡散してしまうので効率が悪い。そのためにピンポイントで狙える指突を用いるのだ。
 私は無我夢中でパネルというパネルへ指を繰り出した。アスラは上着を脱いで薄手のシャツしか着ていないため、パネルの位置は僅かな膨らみを辿るだけでいとも簡単に見つけられる。後は一つずつシャツごと貫く作業を繰り返すだけだった。
 通常、戦闘型ロボットは五割以上の排熱パネルが使用不能になっても問題の無いように設計されている。しかし、シヴァに搭載されているあの武器は別だ。あれはほぼ全ての排熱パネルを用いなければ排熱し切れないほどの莫大な熱量を生む。つまり、アスラにもそれは当てはまるのである。
 排気されない熱は行き場を失って内部へ蓄積しヒートパイプを焼く。この時、最も深刻なダメージを受けるのは付随する集積回路だ。ヒューマンタイプロボットは非常に繊細なバランスで成り立っている。一つ二つの異常ならば耐え得る強度はあるだろうが、熱による障害は次から次へと連鎖していく特徴がある。ロボットにとっての熱は、人間で言う所の劇薬だ。体の外へ排出するまでは体中のありとあらゆる個所を焼き、様々な弊害を起こし続ける。
 やがて、アスラは異様な痙攣を何度か繰り返したかと思うと、そのまま動かなくなった。
 右拳が生み出した膨大な熱を排熱しきれずにシステムがダウンしてしまったのである。



TO BE CONTINUED...