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 思考野へ優先的に割り当てていたリソースを戻すと、仄かに焦げ臭さが漂うのを感じた。私はそれが精密機械が焼け焦げた時のものだと知っていた。マスターが時折、開発段階の装置の設計を誤り、過電流などで動作不良を起こして同じようにサーキットを焦がす事があったから覚えているのである。
 私は慎重に馬乗りにしている自分の下のアスラの様子を伺った。アスラはあちこちから焦げ臭さを漂わせながら、時折ビクッと体を動かすものの、理性的に行動する素振りは微塵も見られなかった。排熱出来なかった熱で幾つもの集積回路を破壊されたためだろう。
 何とか勝てたようですね……。
 私は強張らせていた肩の力を抜き、一時的に主思考へのリソースを減らして休めた。
 いや、ぐずぐずしてはいられない。早くココを連れて逃げなければ。
 自分の役目と立場を思い出した私はすぐさま立ち上がると、道脇へ寝かせておいたココの元へ駆け寄った。ココは未だ薬が効いているらしく、額に汗を浮かべながらうんうんと唸りながら眠る事を強要されている。睡眠は体を最も効率良く休める事が出来る本来は心地良いものなのだが、強制的な眠りは逆に苦痛でしか無い。半覚醒した思考が自らを認識はするものの、体が眠ったままであるため拘束されているような状態になるそうだ。
 少々時間は食ってしまったものの、これで大通りには出る事が出来る。後は警察やテレジアグループの私設警備隊が来る前に正門からの脱出を目指さなければ。
 私は起き上がれぬココを抱き上げようと右手をココの背中へ回した。
 と、その時。突然、空気が破裂するような快音が響き渡った。
「え……?」
 鋭い衝撃が私の左肩に走った。左肩は私の制御から外れ現在の姿勢を作ったまま硬直してしまった。すぐさま状態をスキャンすると、メインフレームこそ傷はついていないものの肩の関節部に何か異物が混入してしまったようだ。おそらく、私の外殻を突き破ったものがそこで止まっているのだろう。
「さすがは、ギャラクシカでシヴァを倒しただけの事はある」
 聞き覚えのある声に私はすぐさま振り返る。そしてあまりに意外だったその光景に思わず愕然とした。
 振り向いた先には案の定ビスマルク氏が拳銃を構えて立っていた。私がアスラと交戦している間に追いついたのだろう。しかし私が驚いたのはもっと別な事だった。そのビスマルク氏の両側へ立つ二人の青年。それは、私が倒したはずのアスラだったのである。
「この弾丸はさっきまでのような玩具とは違う、衛国総省の陸軍が正式採用している対ロボット用鉄鋼弾だ。少々反動が大きく、私のような老人には狙いが難しいのが珠に傷だがね。まあ、さすがにこればかりは効いたようだ」
 何故、アスラがそこに? それも二人もいるなんて。
 いきなり後ろから肩を撃たれ左腕が動かなくなってしまった驚きも合わさり、私は必死で飛び立とうとする理性を繋ぎ止めながら状況の把握に努めた。
 私が倒したはずのアスラの体は、視界の片隅で確かに石畳の上に突っ伏している。ぴくりとも動かず、今も尚排熱しきれなかった熱に内部を焼かれている。しかし、ビスマルク氏の両脇にそれぞれ立つ青年は、どこからどう見てもアスラ本人に相違なかった。全く同じ容姿を持ったロボットが二人いる。それは冷静に考えれば決して珍しい事では無かった。市販されるロボットの大半は大量に生産されるため、その容姿はシリーズごとに全く同じものに統一されるからである。しかしシヴァはそう何体も製造出来るほど安易な構造はしていない。高性能なロボットほど大量生産は出来ない。単純な製造は出来ても、肝心のバランス調整が非常に難しいからである。量産型は多くの事が出来ない分、僅かなメンテナンスで長期間安定して稼動出来る様に設計されている。逆に高機能なロボットの場合メンテナンスには高度な知識と技術を要し、維持費だけでも相当な金額がかかる。それがシヴァともなれば、常識を覆すほどの性能を大量生産するなんて絶対に不可能だ。
 だが、私は確かにアスラにシヴァの流れを見た。アスラは間違いなくシヴァの流れを汲むロボット、おそらく後継機である可能性が高いはず。しかし、何故そのアスラが何体も生産されているのだろうか。あれほど高性能なロボットを量産するなど出来るはずが無いというのに。
「単体での性能はアスラの方が及ばなかったようだが。果たして複数を相手にしてはどうかな」
 飄々と語るビスマルク氏。その底意地の悪い視線は明らかに私を見下した、自分の優位性を確信する嘲笑だ。
 言うまでも無い。私はそもそも戦闘型ではないため、複数人を相手にする戦術はデータとして知ってはいても、それを実行に移すほどの出力は無いのだ。
「どうしてアスラが……。アスラはシヴァの後継機ではないのですか?」
「アスラの名を個体名称と勘違いしていると見える。ロボットの勘違い。単なるデータミスではなく、手がかりからの推測をミスしたために起こる現象。実に下らん存在だ、ロボットというものは」
 侮蔑の視線を放つビスマルク氏。明らかな憎悪を感じさせる口調ではあったが、それは私という単体の存在に対するものではないように思えた。私だけでなく、まるで全てのロボットを憎んでいるかのような、そんな印象だ。
「アスラとはシヴァの設計図を量産に適した形へ派生させるためのプロジェクトコード、つまり、アスラとは量産型シヴァの総称なのだ。後継機には違いないが、単なる量産体制への効率化だけでなく、シヴァを越えるべく性能の改善化も図っている」
「量産型……まさか、シヴァのあの性能を量産できるはずが……」
「出来るはずが無い。それは愚者の考え方だ。おおよそテレジアグループにおいて、不可能という概念は存在しない。我々の進歩を一般的な価値観と同列に考えては困る」
 おもむろにビスマルク氏が手を振り翳した。その直後、次々とどこからかタキシードを着込んだ真っ赤な短髪の青年達が現れる。その数は概算でおよそ五十。あまりの数に私の視界の広さでは一度に捉えきれない。量産型とは言え、同じ風貌のロボットが一度にこれほど多く集まった光景は圧巻だった。ある種の非現実さが耐え難い恐怖心を煽ってくる。しかしこれはフィクションではない。シヴァと同等以上の性能を持ったロボットが、圧倒的な数で群れを成しているのである。
 私達はあっという間に取り囲まれてしまった。文字通り、どこを見渡せど逃げる隙間などまるで見つからない。後は空を飛ぶしかないだろうが、あいにくと私は救助支援用には換装されてはおらず、また建物の外壁まで飛び上がるほどの跳躍力も持ち合わせていない。
「さて、おとなしく消えてもらおうか。アスラの出力を持ってすれば、汎用型ロボットなど一分も必要としない」
「ココを殺してしまったら、あなただってただでは済みません。この庭内だって至る所に監視カメラがあるのです。その映像を警察が見れば事件性有りと判断し、必ずあなたは取り調べられるはずです」
「ロボットのくせにお前も分からんな。今、全ての監視カメラはダミー映像に切り替わっている。私には、そうするだけの権限がある。警察? 大いに結構だ。暴走したお前を止めるためにアスラを使ったものの、一歩力及ばず子供は助けられなかった。ただそれだけの事だ」
 私はココの体を抱き締め、あくまでもココを守り続けるという自分の意思を示した。しかし、それが物理的にどれほどの抵抗力があるのか、言うまでもない事を私は知っていた。そう、これは単なる虚勢でしかないのだ。
 万事休す……か。
 悔しさのあまり、私は固く口を噤んだ。
 正しい意思が必ず勝利するという法則など存在しない事は知っている。ロボットの私でも人間社会の抱える病魔のような矛盾は理解しているし、それが推奨される道徳観念を綺麗事だと否定する反社会的なものが暗黙の内に了解されている事もだ。結局、人間社会も動物のそれと同じで結局は弱肉強食である。しかし、それが分かっていても、何一つ恥じ入る事などしていないというのに、ただ力を持っていないという理由だけで踏み潰されなくてはいけない現実に、悔しくて悔しくてならなかった。私は無心論者だけれど、それは私がロボットだからではない。神の存在を否定するに足る現実を幾つも知っているからだ。だから、私は神に助けなど求めなかった。ただあるのは、悔しさと、そして怒りだ。
「どうしてそれほどまでにココへ拘るのですか!? たかが子供一人に、ここまでする理由なんてあるのですか!?」
「私とて、本当はほとぼりが冷めるまで待って慎重に事を進めたかったですよ。こんな乱暴なやり方も、本来なら私の流儀ではありません。しかしね、意外と早くこちらの尻尾を掴まれてしまった。もはやこちらも手段を選んではいられないのですよ」
 手段を選んではいられない。
 前に誰かが、私達の直面した敵をそう評した。なるほど、確かにその指摘は間違っていない。どんな人間でも必ず一片の良心は持ち合わせているから、さすがに子供を手にかける事には誰もが躊躇いを覚えると私は思っていた。しかし、その禁忌をあえて犯そうとするのだから、それほどの理由がビスマルク氏にはあるのだろう。まさか、本当に何も考えず子供を手にかけられるなんて思えない。それとも、ココがロボットだと知っているから何の躊躇いも生まれないのだろうか。
「さて。説明は不要、と言いたい所ですが、どうせ一バイトの記録も残さぬほど破壊し尽くすのですからね。警察の到着までまだ時間もある事だし、最後の手向けに無意味なその疑問を納得させてあげましょうか」
 ビスマルク氏は私に向けていた銃口を下げ、そのまま拳銃を上着の内ポケットへ仕舞い込んだ。
「その子供は、私がかつて前総帥にも極秘で行っていた研究の一部です。しかし行き詰まりを感じたためプロジェクトは凍結したのですが、先日、忽然と姿を消しましてね。慌てて調べてみれば、どういう訳か現総帥の親友である鷹ノ宮女史の元へ身を寄せているではありませんか。そこで私は、今回の計画を思いついたのですよ」
「じゃあ、マスターの家を襲撃したり、テレビ局を煽ったりしたのも、全てあなたが? けど、あなたはマスターに恨みなど無いはずです。なのに、どうしてああも執拗な行為を」
「ええ、個人的な怨恨はありません。むしろ、私がターゲットにしていたのは、総帥であるあの女ですよ」
 あの女?
 その言葉に、私が連想出来た人物はたった一人だった。そう、テレジアグループを統括する総帥、テレジア女史である。
「マスターを利用してテレジア女史を失脚させるつもりだったのですか!? スキャンダルを作り出せば、社会的な信用は地に落ちる。総帥のポジションから解任させるのに十分な理由となるから! マスターを犯罪者に仕立て上げ、テレジア女史をその共犯者とし、世間に大々的に報道する。なんて卑怯なやり方を!」
「許せない、とでも? ロボット如きが倫理性にまで口を挟むと。ロボットが幾ら崇高な精神を手に入れたとて、そんなもの、全てまやかしです。ロボットの感情など、単なるプログラムによる表現の一種にしか過ぎない」
 吐き捨てられた私は、その言葉に異論を唱える事が出来なかった。ビスマルク氏の言う通り、ロボットの倫理観とは人間の手によって作られたものであるから、必ずしも正しいという確証が無いからである。私の倫理観はマスターの裁量によるものであるが、私はマスターが決して反社会的で偏った倫理観を持っているとは思っていない。けれど、人間とは十人居れば十通りの倫理観が存在するもの。だから、主観はともかく客観的には絶対性のある倫理観とは存在しないのである。それに、私はマスターもテレジア女史も間違った事はしていないから、二人を守るために行動する事は決して間違っていないという確信がある。倫理的に問題があるのはビスマルク氏であるのは明らかだ。
「ココを殺そうとする理由は何なのです? 子供をここまで執拗に殺そうとするなんて、普通じゃありません」
「それは、色々と面倒だからですよ。後々にね」
「ココが……ロボットだから?」
「ロボット? なるほど、それはなかなか面白い表現だ。しかし、私の研究は違う。私はロボットが心底嫌いだからね」
 違う?
 ビスマルク氏の意外な反応に私は驚きを隠せなかった。テレジア女史の推測もあり、私はココが今回の事件の黒幕に作られた人間そっくりなロボットであると思っていた。だが、おそらくその黒幕であろうビスマルク氏がそれを否定した以上、ココは彼らが作ったロボットという訳ではなくなる。それでは、ココはビスマルク氏にとって一体どんな存在だというのだろうか。クローン法に触れる違法ロボットでなければ、どうしてここまでして消そうとする必要性があるというのだろうか。
「じゃあ……あなたの研究とは一体?」
「私の研究とは、未知の能力を持った特殊な人間を人工的に作り出すというものです。そう、たとえば超能力を持った人間などをね」



TO BE CONTINUED...