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 超能力……を?
 何て性質の悪い冗談を言うのだろうか、と私は思った。超能力とはある特定の人間が持つ、通常の人間には持ち得ない特殊な感覚機構や任意に現象を起こせる力を差す。学術的にサイコキネシスとかそんな区分けはされているけれど、実際のところ世間一般ではまだまだオカルトの域を脱していない非科学的な分野だ。よく、国が極秘の内に超能力部隊を研究育成しているとか、生まれつき超能力を持っている子供を集めた学校があるとか、そんな噂が実しやかに流れているけれどどれも根拠の無い都市伝説だ。超能力とは所詮フィクションだけの存在にしか過ぎない。手も触れずに物を動かすなんて、そういった機能を搭載したロボットなら可能ではあるが、人間に備わっている器官だけでは絶対に不可能だ。そういった現象を起こすだけの、科学的根拠が無い。
「まさか、超能力だなんて。今更ふざけないで下さい」
「ふざけてなどおりませんよ。そもそも、その馬鹿げた超能力とやらの存在を自分の目で確かめたはずです。あの防火壁を一体どうやって抜けてきたというのです?」
 ビスマルク氏に指摘され、ふと私は思い出した。
 そういえば、あの防火壁に行く手を阻まれて愕然としたその時。薬で眠り続けていたココが一時的に目を覚まし奇妙な行動に出ていた。防火壁をそっと撫でたかと思うと腕が突然めり込み、ココに促されるまま壁へ向かっていったらそのまま突き抜けてしまったのである。
 あの時は、今はそんな事を考えている場合ではないと気にも留めずにいたのだが、確かにこれは科学的根拠を突き詰めようとすると非常に不可解な現象だ。物体を形だけ維持したまま別の物体が貫通するなんて。流体ならともかく、個体を突き進むなど物理的に不可能だ。けれど、おそらくココの力なのか、それは現実に起きてしまった。一体何故。それはビスマルク氏の言う通り、超能力という未知なる力の恩恵に他ならないのだろうか。
「でも、ココは普通の人間と何ら変わりありません。超能力だなんて特別な力など」
「何も変わりない? 良く見てものを言いたまえ。その髪の色、それは普通であると?」
 ココの髪の色は、まるでファイバー部品のような青である。地球上にそんな色素を持った人種など存在しない。髪を染める技術なら可能ではあるが、それも日の経過と共に根元から元の髪の色が現れる。しかしココは一度も髪を染め直すような事はしていない。この人工的な髪の色は、ココが本来持っている色素としか言いようが無いのだ。
 すると。
「まあ、種を明かしてしまえば、それは単なる副作用のようなものです」
「副作用?」
「どうすれば超能力を人工的に発現出来るのか。色々と試してみましたが、その一つに様々な放射線を生体に当て遺伝子レベルで変質させるものがありましてね。髪の色は遺伝子に異常を来たしたためと考えられますが、こんなものは大した問題にはなりません。そもそも、人間としての形と正常な思考能力の両方を保ったケースが初めてですからね。それに、既にノウハウはデータとして残っていますから実験の再開はいつでも可能です」
 薄ら笑みを浮かべ語るビスマルク氏。対し私は、あまりの内容に衝撃を受け言葉を失ってしまっていた。
「なんて酷い事を……」
 私はこれほど特定の人間を嫌悪したのは初めてだった。彼のしてきた事は、ロボットを製作する過程と全く同じだった。しかし、実際に相手にしているのは機械ではなく生身の人間だ。人間が人間を意思の無い物のように扱うのである。仮にそれらの実験の工程が全て機械によるものだとしよう。プログラミングするのは人間で、機械には意思が無いものとして。スイッチを押せば、全ての作業は淡々と行われるだろう。意思の無い機械の作業に人間的な倫理観など入る余地は無い。だけど、何故それをこうも簡単に口に出来るのか。ココが人間である確かな証明を手に入れた訳だが、とても正気とは思えないビスマルク氏の言葉に私はただただ絶句するばかりだった。
「酷い? 発展のための犠牲云々という講釈はお好きかな? そもそも、私が実験に使ってきたのは、いずれも身寄りの無く放っておけば犯罪の温床になるような子供ばかりだ。非難される筋合いはありませんね」
「それはあなたの主観です! どこの国の法律にも、殺して許される人間の基準なんて項目はありません! まして、殺して良い人間なんて、あなたに決める権利など!」
「やれやれ。ロボットは規則を守るしか能が無いから困る。どうせそれしか能が無いのなら、アスラを見習って寡黙になりたまえ。義務を果たしもせずに権利ばかり主張する愚民と変わらんよ」
 言われ、私達を囲むアスラ達は沈黙を持って答えた。いや、答えなど初めから持っていないのかもしれない。アスラにはシヴァのようにエモーションシステムは搭載されていないから、言葉を媒介としない高度なコミニュケーションが出来ないのだろう。アスラはシヴァ以上に戦闘に特化したロボットとして仕上げられたのだから、不必要なインターフェースが搭載されていなくて当然だ。
 私は、自分が決してアスラのようになりたいとは思わなかった。たとえイミテーションでも、感情を、心を持っていたいと思うからである。心が無ければマスターに尽くす事も出来ない。作業という観点では同じかもしれないが、作業を忠実にこなすのと自らの意思で行うとでは全く意味が異なる。そこには感情が内在しないのだ。つまり、喜びも生まれないのである。喜びがあるのか否かは非常に重要な問題だ。それはそのまま私の存在理由に直結するのだから。
「私も全ての力まで把握している訳ではありませんが、はっきりと記録を確認出来たのはテーブルの上に転がっていた鉛筆を床へ落とす程度のものでした。しかし、その子供はどうやら私の想像以上に素晴らしい力を持っているようだ。もしかするとセンターを抜け出してこんな所へ現れたのも、瞬間移動、そんな力が働いたせいかもしれません。ふむ、実に興味深い。今更ながら殺すのが惜しくなってきましたね」
 ビスマルク氏はココを実験動物か何かのようにしか思っていない。いや、ココに限らずおおよそこの世に存在するものの大半は彼にとっては実験の対象でしか無いのだろう。道を踏み外した科学者にありがちな観念だが、人間を他の物質と同系列の存在としか見られないのだ。科学者として既成概念に捕らわれない視点は大切だが、それは人間の意志や尊厳までをも侵して良いという事ではない。
 私の中に渦巻くこの悔しさ。それは、こんなさもしい価値観を持った人間に蹂躙される事に対するものがほとんどである。信念を内包した目的を持たない破壊は非生産的で、非文化的だ。他の生命を奪うのは、何か揺るぎない目的があってこそ許される行為だと私は思う。人が生きて行くために、肉や魚を食べるようにだ。思考する力こそが生命の基準なら、私は今、捕食ではなく駆逐されようとしている。生命の存続ではなく、限りなく享楽に近い次元でだ。
 せめて一矢報いてやりたい。
 このまま終わらされるのは、あまりに悔いが残る。記録される事が存在の証明になるとしたら、せめて、私というロボットが確かに存在していた事を刻み付けておきたいのだ。それも出来るだけ多く、深くだ。
 そう思った私はふと、ある言葉を思いついた。
「あなたは、実はココを殺す事を躊躇っているのではありませんか?」
「何を馬鹿な。この状況で何がどうそんな解釈になるのです?」
「本当に殺すつもりだったら、睡眠薬ではなく毒薬を食事に混ぜるはずですから。それに、あなたほど力があるのであれば、死体の隠蔽ぐらい造作も無い事でしょう?」
 もしかすると私は口元に薄笑いを浮かべていたかもしれない。その言葉が、我ながら見事にビスマルク氏の揚げ足を取ったと思ったからである。
 その正否はすぐに現れた。ビスマルク氏の勝ち誇った表情が、見る間に険しく凍り付いていったからである。
「つくづく……癇に障るロボットだ」
 ぎりっと歯を強く噛み締めるビスマルク氏。
 けれど、勝ち誇るのも僅かの間だった。たとえビスマルク氏の揚げ足をどれだけ取ったとしても、私達の置かれた絶望的な現状は何一つ変わらないからである。
 そして。
「そろそろ頃合か。アスラ、処分したまえ」
 遂に、ビスマルク氏の口から終わりを告げる言葉が放たれた。
 私はぎゅっとココを抱き締めなんとか盾になろうと思ったが、どれほどの意味も成さないという事は分かっていた。アスラのあの右拳を四方八方から受けてしまったら、今の姿を一瞬で保つ事が出来なくなる。
 せめてココだけでも助けてはくれないだろうか。けれど、それは絶対に無理な事だ。何故ならビスマルク氏は、私よりもココの方を優先的に消したいと思っているからである。
 こんな形で、マスターよりも先にマスターの敵に屈するなんて。
 そう思うだけで悔しさがより増してきた。私は自分の不甲斐なさを痛感するのはいつもの事だけれど、今日ほどそれを強く思った日は無い。
 本当にすみません、マスター。私は何もお役には立てませんでした。ごめんなさい、ココ。私はあなたを守ると言っておきながら、結局はこんな形に終わってしまいました。
 謝罪の言葉だけが次から次へと溢れ出てくる。この世に模倣の生命と思考を与えられ、現実社会を幸福の実感と共に生きてきた。けれど、その結末がこうも悲惨なものだとは。もっと報われてもいいはず、とまで訴えはしない。けれど、そんな私にマスターは必ず心を痛めるだろう。マスターはそういう方なのだから。そして、私にとってそれが最も辛い事だ。
 なし崩しに決めた覚悟は驚くほど脆く弱々しかった。しかしそれでも、これから起こる事を私達は直視しなければならない。何故。答えは火を見るよりも明らかだ。私が弱者で、彼が強者だからだ。
 一定の宗派を持たない私に死後の世界という概念は無いのだが、せめて後の世界でも一緒に居られるようにとココを抱く右腕に力を込めた。守り抜くという決意を果たせなかったのだ、せめて最後まで一緒に居てやるという、そのための努力しか私に出来る事は無い。
 と、その時。
「ラムダ……」
 突然、腕の中のココが私に向かって話しかけてきた。
 いつの間に目を覚ましていたのだろうか。けれど今は、最も目を覚まして欲しくない状況だ。私はロボットだから幾らでも感覚を操作出来る。けれど、今はっきりと人間であると証明されたココにとって、これから起こる出来事を直視するのはあまりに残酷で悲惨だ。
「もう少し眠っては……いられませんよね」
 そう、せめて何も知らないまま終わってくれれば。ココの心は少なくとも痛烈に傷つく事は無い。なら私が先に苦しませず手をかけてあげるのも優しさなのではないだろうか。けれど、その考えは到底受け入れられなかった。私自身、そんな行為を優しさとは呼びたくもなく、そもそもココを守り抜くという信念が汚れてしまうような気がしたからである。
 しかし。
「ラムダ、アタシを離さないでね。分かるんだ、何か」
「ココ?」
 苦渋の表情を浮かべているであろう私に、ココが妙な事を口にした。
「分かるって……?」
「信じて」
 信じるも何も、それだけでは何を信じれば良いのかすら分からない。しかし、ココはそのまま目を閉じると、否応無く何かを始め、私を従わせようとする。
 一体何をしようというのか。
 この状況で、いきなり理解の出来ない行動に出たココに私は思わず困惑してしまった。まさか恐怖のあまり取り乱してしまったのだろうか? 確かに精神の未熟な子供に突然の死を理解させるのは難しく酷な事だ。現実から逃れようとするのも無理も無い。だが、何かココには不思議な確信させる何かが感じられた。理屈などではない、とても感覚的で曖昧だが、存在だけははっきりと分かる透明の確信が。
 ゆっくりと着実に高まっていくパルス。それは抱き締めるココの心臓の鼓動なのか、それともメインバスを流れる私のエネルギー周波数なのか、まるで分からないほど視野が縮んで行くのを実感した。何かが私達の周りで起こっているのだ。俄かには説明のつけ難い何かが。
 その正体とは。
 不安と期待とが入り混じった思考が幾つも副思考を作り出し多重化させる。
 ―――瞬間。
 ッ!?
 私のシステム領域内に異変が起こった。リソースは正常に割り当てられているのに、思考能力が急速的に低下していった。ロジック的なバグともハードの物理的故障とも違う、まるで凍りつくような異様な感覚だった。
 日常生活を問題なく過ごせるよう、一般的なロボットにはノイズキャンセラーが標準装備されている。しかし私のメモリ内には、その許容値を遥かに超えるノイズが走っていた。それは決して自然に生まれるようなノイズではなく、明らかな意図を持って専用機材を用いなければ不可能なノイズだ。
 何かが起こっているという確信の、曖昧な何かが少しずつ形として現れているのが分かった。だがそれと同時に、私のシステムは次々と保全のためにスリープしていき、状況の把握も出来なくなっていった。
 そして、何も分からなくなった私が最後に感じたのは、まるで外殻から中身を引き抜かれるような浮遊感だった。



TO BE CONTINUED...