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 システムは唐突に生き返った。
「……ハッ!?」
 蘇った各感覚素子を働かせ、すぐさま周囲と自分の置かれた状況の把握を始める。まず、最初に私が理解したのは、私達が今、人込みの真っ只中にいるという事だった。
「おい、なんだよアレ? 子供もいるぞ」
「あれってもしかし、さっき緊急放送で言ってた暴走ロボットじゃない?」
「でもそれは東エリアの事じゃ無かった?」
「それよりも、いつの間に現れたんだ? さっきまで絶対にいなかったぞ……」
 聴覚素子が拾うざわめきを一つ一つ理解しながら、私はまず自分の右手のココを確かめる。ココは私の胸に顔を埋めたまま、何やら苦しげに唸っている。首筋にはびっしょりと汗の粒が浮かんでいるものの、とりあえず無事な様子ではある。続いてゆっくりと周囲を見回す。私達はまたしてもぐるりと囲まれていた。しかし囲んでいるのは同じ顔をしたアスラ達ではなく、仕事帰りといった風体の社員達だった。皆、一様に驚きと訝しみの表情を浮かべ、私達を囲みつつも一定以上の距離から近づこうとはしない。ただ、私達を探るように油断無く様子を窺っている。
 一体何が起こったのだろうか。ビスマルク氏やアスラ達は何処へ?
 よくよく周囲の風景を確認してみると、明らかにシステムがスリープする前と異なっていた。いや、建物が変わったのではなく、私達が別な場所に移動してしまったから、と考えるのが妥当だろうか。すぐに私は庭内の地図データと現在位置を比較してみると、この場所が私が与えられた地図データの範囲から大きく外れた場所である事が分かった。俄かには信じ難い事態だが、本当に私達はあの状況からこんな所まで移動してきてしまったらしい。
 しかし、どうやって? あの時、私達は無数のアスラ達に周囲をぐるりと囲まれていた。たとえ空を飛ばない限り脱出は不可能だったはず。そしてそれは物理的に不可能な現象だ。
 物質が一瞬で別な場所に移動する現象をテレポーテーションと呼ぶが、まさかそれが起こったというのだろうか?
 不意にそんな仮説が浮かんだが、私はすぐにそれを否定した。何故なら、超能力なんてあまりに非科学的だからである。テレポーテーションだってサイエンスフィクションの用語だ。
 けれど、本当にそんなものは有り得ないのだろうか。少なくともビスマルク氏は、科学的に超能力を発現させる実験を行い、その過程でココが生まれたと言っていた。だからココには不思議な現象を現実に起こす力があってもおかしくはないのである。確かにテレポーテーションなんて力があれば、ココがセンターから遠く離れたここまで一人でやって来た事にも頷けるのだが。しかし、どうしても信じ難い。状況証拠だけならば、もはや疑う余地は無いほどに揃っている。それでも私が受け入れ難いのは、自分の目ではっきりと、その奇跡の瞬間と言うものを目にしていないからである。
『緊急放送、緊急放送!』
 と、その時。
 突然、けたたましく周囲に鳴り響く放送の声。普段聞き慣れないためか、周囲の注意は一斉に放送の方へ向いた。
『先程放送したロボットですが、たった今、その消息が途絶えました! 目撃した方は危機管理センターへ連絡をお願いします! 尚、庭内へ残られている方は避難を急いで下さい!』
 私はぎゅっと唇を結んだ。この放送の文句が、明らかに私を意識して人々を煽るのを目的としている内容であるからだ。
 瞬間。
「逃げろ! やっぱりこいつだ!」
 私達を囲んでいた人々が一斉に逃げ惑い始めた。無理も無い。今の私は暴走した凶悪なロボットという事になっているからである。しかし、私はむしろこの状況をチャンスだと思った。なんとかこの人込みに紛れ込めればうまく脱出出来るかも知れないからだ。それに、人込みに紛れ込むのは有効な防御策でもある。周囲に関係の無い一般人が居れば居るほど、ビスマスク氏も迂闊に手を出しにくくなるからである。
 群集が無くなる前に早く私達も脱出しなければ。そう思った私はすぐさまココを右腕で抱き抱え立ち上がった。しかし、幾ら私が人間よりも腕力があるとしても、右腕だけでココを抱き上げるのは難しかった。左腕は肩をビスマルク氏に撃たれた影響で動かないのである。抱き抱えるのが困難なのはバランスの問題であって、意識の無い人間は体の筋肉が弛緩してしまうため重心が定まらず、どうしても抱えにくくなってしまうのである。
 と。
「ラムダ」
 突然、抱き抱えていたココが顔を上げた。
「それ、取ってあげる」
 ココは徐にその手を私の左肩へ伸ばした。すると、
「なっ……!」
 私は驚かずにはいられなかった。ココの手が私の肩に潜り込んでいったからである。
 防火壁の時と同じ理屈による現象なのだろうか? 私の外殻は汎用型モデルの中でも非常に耐久性能が優れたものだ。その外殻を安々と通過してしまうなんてとても信じ難いが、こうして現実に見ている以上は信じない訳にはいかない。
 一体何が起こっているのだろうか。ココの手は私の外殻の下へ潜り込んでいるが、その断面は水の中へ手を入れたように時折波紋を描いている。丁度ココの手に触れている部分だけが水のように変質してしまっているのだ。外殻の融点はおよそ三千度だが、そんな高温など生身の人間が耐えられるはずもなく、ましてや作り出す事も出来ない。
 何かこれまでの常識を超越したとんでもない事が目の前で起こっている。科学的に分析しようとか、そんな気はすっかり失せてしまっていた。きっと、分析しようにもこういう現象なのだと納得しなければならないものなのだろう。
「これかな?」
 やがて、ココが私の中から何かを取り出して見せる。それは一発の弾丸だった。私の肩関節部に挟まっていたものだろう。
 恐る恐る左腕を上げてみると、予想に反して私の意思通り左腕は思うように上げる事が出来た。挟まっていた異物が取れたからなのだろう。筋繊維は傷ついているため完全な出力は出ないものの、ココを抱き上げるぐらいなら十分だ。
「さあ、ここから逃げますよ。早くしなければビスマルク氏に追いつかれてしまいます」
「うん、急ごう」
 私はココの体を背負うと、逃げ惑う人の群れと同じ方向へ走り始めた。
 この地点から出口までへの経路データは持っていないが、人の流れに沿って行けばおそらく出口へと自然に向かうはずだ。それと同時に、ビスマルク氏の攻勢に対する有効な防御ともなる。
 と。
 ん……?
 逃げ惑う人の流れとはまるで逆方向に、こちらへ近づいてくるエンジン音が不意に聞こえてきた。その音は乗用車のそれではなかった。もっと低出力の小型な乗り物だ。
「ラムダ、誰か来る!」
 まさかもうアスラの一人が回り込んで来たのだろうか。アスラは量産型であるから、庭内のどこに配置されていてもおかしくはない。それよりも、私の居場所が簡単に知られてしまう事の方が問題だ。監視カメラはダミーデータに切り替わっていたらしいが、それを解除してしまえば本来の役目を果たし、庭内に居る以上はどこに居ようともあっと言う間に発見されてしまう。
 人込みの中にアスラを突入させようなんて。
 もしもそんな事をしたら、一体どれだけの被害になるのか。けど、それはあまり意味の無い観点だと私は思った。あの、ビスマルク氏だ。人的被害など建物の破損程度にしか考えていなくともおかしくはない。それに、正体を明かした以上はなりふりを構っていられない状況なのは既に承知済みだ。
 自分が逃げるために、他の人を巻き添えにする訳にはいかない。
 仕方なく私は、踵を返して人の流れに逆らって走り始めた。ビスマルク氏がどこから追走して来るのか分からない以上、闇雲に走るのは危険な行為である。けれど、関係のない人達を死傷者にはしたくはない。そのため私は、とにかく追い詰められないように広く人気の無い場所を探して路地を巡り駆けた。
 しかしこのやり方はほんの一時しのぎにしか過ぎない。幾ら逃げ回ろうとも、出口を封鎖されてしまったら一巻の終わりだ。誰も巻き添えにはせず、尚且つ封鎖される前に出口を見つけ出して脱出しなくては。あまりに要求されるものが多いけれど、どれか一つでも欠けてはならないのだ。
 そうだ、まだ他に手はある。
 ふとある事を閃いた私は、背上のココに向かって走りながら問いかけた。
「先程の防火壁を抜けたような事はもう一度出来ますか?」
「あれ? 分かんないよ、アタシ。あの時は眠くて仕方なかったから、自分でもどうやったのか覚えて無いんだ」
「そうですか……」
「ごめんね」
「いえ、まだ手はありますから大丈夫です」
 やはり、そう思い通りにはならないか。私は気休めの返事を返した。
 出入り口の数は決まっているから、ビスマルク氏としてはそれら全てを封鎖してしまえば、私達が外部へ逃げ出す可能性はゼロになると思うはずだろう。しかし、ココがやってみせた防火壁での壁抜けを用いれば、たとえ全ての出入り口を封鎖されようと関係が無くなる。どこか一方へ向かって走れば外壁に辿り着くし、そこでココの力を使えば難無く脱出が可能になるはずなのだ。
 そういえば、ココは薬で眠っていたはずなのに、いつの間に目が覚めたのだろう。薬の効果が切れたにしては随分と早い。もしかすると、代謝能力も普通の人間とはまるで違うのかもしれない。
 とにかく外壁だけは目指そう。そこから壁伝いに走れば出入り口は見つかるはず。
 私は西へ伸びる中通りへ曲がり、そこから真っすぐ西へ向かって駆けた。
 すると。
「あっ!?」
 私は急に走る事を止め、足の裏で思い切り石畳を踏み付けブレーキをかける。石畳の上に私に削られた二本の轍が出来上がった。
「目標発見。攻撃許可申請」
 前方の視界に立つ、一人の影。それは真っ赤な短髪にタキシードを着こなした青年、アスラの一人だった。
 もうこんな所まで来ているなんて。予想していたよりも遥かに状況は悪いようだ。
「攻撃許可受理。攻撃開始」
 西は駄目だ、東に回ろう。
 私は踵を返し東へ向かって駆けようとした。
 だが。
「わ、こっちもいる!」
 そう驚きの声を上げるココ。振り向いた先には既に三人のアスラが臨戦態勢に入っていた。やはり中通りを走るのは目立つため、すぐに見つかってしまったのだろう。



TO BE CONTINUED...