BACK

「ほざけ、小娘が! これまで手を出せずにいたが、丁度良い機会だ! 衛国総省が来る前にまとめて片付けてやる!」
 アスラの口から放たれるビスマルク氏の罵声。当のアスラは極めて落ち着いた佇みを見せているため、そのギャップがなんとも滑稽でならなかった。そもそも、これまで私が接して来たビスマルク氏は絵に描いたような紳士そのものであったため、尚更そのギャップを強く感じる。
「ビスマルク、何故あなたが一流になれないのか分かりまして?」
 だがテレジア女史は少しも臆せず、頭に血を昇らせているであろうビスマルク氏へ実に落ち着いた口調で言葉を投げかけた。出来るだけ対照的に映るよう、厭味なほど冷静さに徹しているように私には思えた。
「統率力、先見性、判断力、実行力、いずれも欠けているのは仕方がないとしても、最も致命的なのは気品の欠落です。その野蛮な言葉遣い、聞くに堪えませんわね」
 自信に満ち溢れた姿勢から口元に嘲笑を浮かべるテレジア女史。その悠然とした態度は紛れも無く普段のテレジア女史の姿だ。いささか、先程の自分の態度を棚に上げている感はあったが、少なくともこの場の舵を取っているのはテレジア女史である。さすがにこれほど自信を持って相手を非難できるだけあり、その存在感は圧倒的だ。両親から受け継がれたものなのか、天性とでも言うべきこのカリスマ性は否が応にも周囲の心を引き付ける。多少の論理の破綻も追及させないほどの迫力、無言でひれ伏させる力、それらは理屈ではない。何故なら、ロボットである私だけでなく感情の無いはずのアスラまでもが、テレジア女史に対して過剰な注目を見せているからだ。
「……減らず口もそこまでです。アスラ、まとめて片付けてしまいなさい」
 テレジア女史に指摘された事を気にしてか、突然ビスマルク氏の言葉遣いが普段のものに戻るものの、語尾に覗く不自然さは否めなかった。
 ビスマルク氏の宣言に従い、アスラ達は一斉に足を踏み鳴らし戦闘態勢を取った。
「攻撃命令受理」
「絶対不可侵概念例外抑制」
「殺人コード認証本件における全ての事象は記録及び並列化の対象外設定」
 いよいよアスラ達が本気の行動に出る。私はロボットであるから殺気という概念は存在しないのだけれど、正直恐怖心を否めなかった。シヴァと同等以上の出力を持つアスラから論理的なリミッターが外されたのだ。今後の彼らの行動を予測するならば、常に物理的限界との比較によって行わなくてはいけない。法的にどうこうだと論ずるのは全く無意味だ。物理的に可能であれば可能である、命令によって構成される思考を持つロボットであるからこそ可能な、人間の倫理観を逸脱する自由だ。
「ミレンダ様、彼らからミレンダ様のみに適用される殺人行為の容認コードがジャック出来ました。ここは危険です。一度退いて態勢を取り直しましょう」
 シヴァは一度下がらされたにもかかわらず、今度は強引にテレジア女史を引っ張って下がらせ自分がアスラとの間に割って入った。この状況をいよいよ危険なものであると判断したからである。
 私もシヴァの案に賛成だった。少なくとも、テレジア女史やココを殺す事への制限を外されたアスラ達を相手に立ち回ろうなどと、とても正気の沙汰とは思えなかったからである。勇気と無謀は極めて似通ったベクトル上に存在しているが、こればかりは明らかに後者である事が分かった。ある一定数以上の人数差がついてしまうと少ない方が一方的にやられてしまうという法則にもあるように、この構図のままアスラ達と一戦交えたところで同士討ちにすら持っていく事は出来ない。そんな無意味な行為に出るよりも、一度体勢を立て直して何か良い解決策を話し合った方がよほど有意義である。
 すると。
「シヴァ、偽ブランドの回収も義務の一つよ」
「ミレンダ様?」
 テレジア女史はシヴァに対し、そう意味深な笑みを浮かべた。言葉の真意を汲み取れなかったシヴァは、きょとんとしながら無防備な声を漏らす。
「可及的速やかに回収なさい。庭内一帯に限り、全出力を開放する事を許します」
「全出力を? よろしいのですか?」
「あなたは、私の身に危険が迫っていても命令を待つほど愚かではないはずよ。確認は無意味だわ」
 確かに。
 そうシヴァは無表情のまま頷くと、上着を脱ぎ捨て襟元を緩めた。
 これまでシヴァは自らの出力に制限をかけていたのだろうか。それはおそらくメインフレームへの負荷を軽減したり、法律的な観点から必要とされたものなのだろうと思う。けれど、その出力を開放した所で、一体どれほど事態を緩和出来るというのか。相手は視界を覆い尽くさんばかりの数を揃えている。私が援護した所でも到底勝ち目はないだろうし、そんな事が分からないテレジア女史ではないはずだ。
「あなたは愚かですね、ミレンダ様。アスラはただのロボットではありません。そのシヴァの設計図を改良した量産型モデルです。自分以上の敵を、一度にこれだけの数を相手にするなんて、とても正気の沙汰とは思えませんな。もっとも、私としては願ったり叶ったりですが」
 再び、一人のアスラの口から嬉々としたビスマルク氏の言葉が聞こえてきた。
 悔しいが、ビスマルク氏の言う通りだ。アスラはオリジナルであるシヴァを改良した上で量産されたシリーズである。シヴァの強さは既に完成されたものであると言っても過言ではないのだが、アスラはその中から更に欠点を洗い出して改良されているのだ。たとえシヴァでもアスラに勝つ事は絶対に不可能だ。戦術面ではシヴァの方が勝るかもしれないが、アスラはそれらのデータを瞬時に記録して蓄積し並列化する。そのため、アスラは数の優位性を生かしてシヴァの戦術パターンを学習し完全な対策法を得る事が出来るのだ。数が多ければ多いほどシヴァは不利な状況に追い込まれる。果たしてテレジア女史もシヴァも、そこまで考慮した上でこんな判断を下したのだろうか?
 それなのに。
 ロボットの私でもここまで状況を把握出来ているにも関わらず、テレジア女史はビスマルク氏の挑発的な言葉に対して悠然とした表情を浮かべるだけに留めた。どんな戯言にも耳を貸さない、そんな妄執染みたスタンスはまるで感じられなかった。何か確固たる自信を持っている。けれどその自信の根拠を理解出来ない私は首を傾げそうになった。
 すると。
「自惚れるな」
 その時、聞いた事も無いほど鋭い声でこの雰囲気を切り裂いたのはシヴァだった。
 まるで抜き身の刀のような声だった。その理由を私は直感的に悟った。シヴァは怒っているのだ。
「性能は口先で証明するものではない。答えは私が教えてやる。どのような愚者にも分かる形で」
 シヴァの目が怒りに見開く。僅かに腰を落として屈むように構えるシヴァの型は、どんな種目にも見られない奇妙なものだった。正中線を相手に晒す構えはボクシングに似ているが、上半身を屈める姿はスプリンターのようである。更に異質なのは腕の位置だった。腕は腋を僅かに離し、丁度ポケットから手を出した瞬間の形を維持している。
 シヴァは本気でこれだけの数を一度に相手にするのか。私はシヴァの実力は重々承知しているが、アスラは一人一人がシヴァよりも性能は上なのだ。どう考えても勝算は限りなくゼロに等しい。人間にはそれでも退けないシチュエーションがあり、感情を持つ私達ロボットもその概念は理解出来る。けれど、今はその時ではない。ここは退いた方が得策だとはっきりしているはずなのに。
「ラムダ、しばしの間ミレンダ様を頼みます。下がっていて下さい」
 と、不意にシヴァが言葉を投げかけてくる。思っていたより冷静な口調だった。しかし私が返事をする暇も無く、シヴァはすぐさま前方へ体を撃ち出した。
 それは私の踏み込みとは全く次元の異なるものだった。私は一定の距離を水平に跳躍するイメージで踏み込むのだが、シヴァの踏み込みは文字通り飛んでいる。概念的には同一の動作かもしれないが突進力は別物だ。私の踏み込みが弾丸ならば、シヴァのそれはまるでレーザー。いや、瞬間移動と言っても差し支えない。少なくとも、生活換装の私にはそんな風にしか認識出来なかった。
 次の瞬間、シヴァはビスマルク氏の言葉を代弁していたアスラの顔を右手で鷲掴みにし、見上げるほどの高さまで軽々と持ち上げていた。あまりに突然の事だったせいか、周囲のアスラ達は反応するまでにワンテンポ遅れていた。奇襲と認識したのか、一斉に背後へ後退り構えを取り直すも、シヴァは掴まえた一人を持ち上げたまま、そんな彼らの様子をゆっくり窺うだけだった。
 アスラ達は戦闘態勢を取っていながら一人たりとも動く様子がなく、ただ睨まれただけで体の自由を奪われてしまっているかのようだった。掴まれたアスラは手足をばたつかせながらなんとか振り払おうともがき暴れる。けれどシヴァはそんなアスラにも一切気にかける様子がない。
 そして、
「紛い物風情が」
 掴み上げたアスラを軽く一瞥すると、吐き捨てるような言葉と共にぐしゃりと握り潰した。



TO BE CONTINUED...