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 全てのアスラが残骸と化すまで、ものの十分とかからなかった。
 つい先程までの喧噪がまるで嘘のように静まり返り、周囲には焦げ臭さと時折響く僅かなノイズ音だけが残った。非日常的な時間が終わり、唐突に現実へと引き戻されてしまった、そんな実感があった。
 シヴァはアスラ達の残骸の中でじっと俯きながら佇んでいた。既に排熱を終えた排熱パネルは展開したまま、微だにしないシヴァ。一体何を思っているのだろうか。私には窺い知れなず、ただ不可解なほど複雑な気分の中でその背を見ていた。
「ねえ、ラムダー。どうしたの? ボーっとしちゃって」
「いえ。何でもありませんよ」
 ココの声に引き戻され、私はいつものように曖昧な作り笑いをしてみせる。真似事の感情で感情を真似している。何故かそんな自虐的な気分が込み上げて来た。
 ふと視線が合ってしまったテレジア女史は、困惑する私の胸中をまるで見透かしているかのように、薄く唇へ笑みを浮かべて見せた。今の私の気持ちは当然の反応なのだろうか。テレジア女史はそれに理解を示しているのだろうか。けれどその当然はロボットとしての当然なのか否か、なんだか考える行為そのものが恐ろしくて、概念そのものをメモリ内から消し去った。
「ミレンダ様、片付け終わりました」
 思い出したように振り返ったシヴァは、自分の体に付着した埃を払いながら私達の元へ戻って来た。その表情は予想に反し、普段とは違うまるで仮面のような無表情だった。メタルオリンピアで常勝を誇っていた、まだ感情の無い頃のシヴァを彷彿とさせる表情だったが、なんとなく私はそれがシヴァの今の気持ちではないのだろうか、と思った。あれほど怒りに震えて倒したはずの相手に予想外の感情が込み上げて来て戸惑っている。感情の複雑さや意外性に対応し切れていない、エモーションシステムの稼働初期に陥り易い症状だ。
「御苦労様」
 テレジア女史はそんなシヴァに一言だけ言葉をかけて歩み寄ると、そっと手を伸ばして頬についた僅かな汚れを親指で拭い取る。その優しげな手つきにまた少し、シヴァが感情を揺るがせたような気がした。あれほどの強さを誇るシヴァの、未だ完成されていない心の弱さを垣間見たように思う。
「それにしても、まさかシヴァを量産しているなんて……」
「性能からすると、恐らくギャラクシカの頃の設計図を盗んだのでしょう。オーバーホールで頻繁に設計図が飛び交っていた時期がありましたからね。あなたも手応えの無い相手だとお思いでしたでしょう?」
 その質問に私はただ曖昧に微笑んで答えるだけだった。あの頃のシヴァでさえ私にとってはあまりに驚異的な強さで、それから更に強くなっているなど想像もつかなかったからである。
「ねー、ミレンダ。早く逃げようよ」
「そうですわね。ひとまず守衛室へ参りましょうか。あそこなら私設衛兵がいますし、現状の記録も確保しておかなくてはなりませんし」
 現在、私達の置かれた状況は非常に良くない。私が暴走しココをさらって研究所から逃げ出した、というのが今起こっている事件の詳細だ。既にテレジアグループの私設警備隊が事件に対応しているという事になっており、蜜月関係の衛国総省にも出動要請が出ている。少なくとも明日の各新聞社のトップ記事になるのは間違いないだろう。そして、これがマスターの進退を決めるのに致命的な事件である事は誰の目にも明らかだ。
 テレジア女史とシヴァの力によって、辛うじてこの場の危機からは脱出出来た。けれど、この後に待ち受ける状況は非常に絶望的である事が窺い知れた。もはや私には弁解の余地が無く、マスターもその責任を負わされる事になる。そればかりか、テレジア女史までもが共犯者の烙印を押され失脚は免れられないだろう。その原因が単に自分自身の軽率な行動にあると思うと、申し訳なさのあまりどうにかなってしまいそうだった。アスラの脅威からは逃れられても、社会からの脅威には逃れることは出来ない。ようやく落ち着けるというのに、少しも晴れ晴れとした気持ちにはなれそうになかった。
 と。
「なんだ?」
 不意に響き渡る断続的な破裂音にココは顔をしかめながら耳を塞いだ。その音は遥か上方から聞こえて来た。私は正体を確かめるべく空を仰ぐ。
「っ!?」
 瞬間、眩しい光が私の視覚素子を多い尽くした。慌てて視覚素子の採光を調整しながら音の正体を確かめる。すると、日の落ちた真っ黒な夜空になにやら巨大な物体が二つ浮かんでいるのを確認出来た。
 それは局地戦用の大型輸送ヘリだった。多少の銃弾は跳ね返す特殊装甲と、前後左右に二つずつ搭載された稼動域の高いサーチライト、そして前面には機関砲が二門も装備されている。民間人が持ち合わせるにはあまりに物々し過ぎる、明らかに軍事目的の仕様である。
「ミレンダ様、衛国総省です」
「そのようね。御丁寧に消音モードでやって来るなんて紳士ですこと」
 サーチライトに挟まれ眩しいほどに周囲が照らし出される。その光を頼りに再度ヘリを確認すると、確かにそのヘリが衛国総省の所有物である事を示す大紋が中央部分にくっきりと描かれているのが分かった。以前に何度かニュースで見た事があるそのマークに間違いは無い。
「じゃあアタシ達のこと助けに来てくれたんだね!」
 ココは嬉しそうな声を上げた。けれど、私だけでなくテレジア女史やシヴァも深刻の色を表情に浮かべるだけだった。
「ど、どうしましょう……?」
「どうも何も……いたしかたありませんわ」
 テレジア女史は目を伏せて首を横に軽く振った。
 策は無い。
 それは事実上の放棄だった。私達はもはや逃げ道は残されていない。それをテレジア女史が認めてしまったのだ。
「ねえねえ! 誰か降りてきたよ!」
 ココが私の袖を引っ張りながらヘリを指差す。後部ハッチが開かれ、そこから二本のワイヤーが下に向かって垂れ下がっていた。それを伝いながら幾つもの人影がするすると滑り降りてくる。その人影は皆、特殊アーマーを初めとする局地戦用の陸戦装備をしている。予想通りの格好だ、と私は思った。
「私から離れないで下さい」
 一人はしゃぐココを私は強引に抱き寄せた。衛国総省が明らかに私達を保護しに来た訳ではなかったからである。元々、私達の敵はビスマルク氏だけで衛国総省は今回の事件には何一つ関わっていない。けれど、今回の衛国総省は正式な出動要請を受けて来ているため、ここでの私達は鎮圧しなければならない敵なのだ。治安維持という本来の役割を果たすために来ているだけに、こちらも抵抗のしようがない。私達の抵抗は、彼らにとって反社会的行動でしかないからだ。
 ワイヤーから伝い降りた人影は驚くほど迅速な行動であっという間に私達を取り囲んでしまった。ざっと見た限り、単に私達を取り囲んでいるだけでなく付近の建物の窓や屋上にも狙撃兵が配備されており、完全な包囲網を構成しているようだ。さすがに非常事態の鎮圧を生業としているだけあって、どの兵も実に良く訓練されて一片の無駄も無い。
 一斉に向けられる銃口は、いつでも撃てるよう安全装置が外され引き金に指が当てられている。暴走したロボットである私から、さらわれた子供のココを助け出すためには射撃を躊躇う理由は無い。これがもしも生身の人間だったとしても、犯人の射殺は必要ならば断行される。ロボットが犯人ならば尚更躊躇う理由が無くなるというものだ。
「ラムダ……どうなってるの?」
 さすがにこの事態がおかしい事に気がついたココが不安そうな声で私を見上げながら訊ねる。その問いに私は答える事が出来なかった。今の私達の立場などとても伝えられなかったからである。ただココの視線から逃げるように、そっと視線を外へ外す。
 迅速に展開された衛国総省の包囲網ではあったが、どこか不明確なものを確認しているような躊躇が感じられた。それはおそらく、私と一緒にいるテレジア女史とシヴァに対してだろう。もしもテレジア女史だけならば、私がココと一緒に人質に取ったと解釈するだろう。けれどシヴァが共にいる以上はそんな状況を黙って見ているとは考えにくい。そんな不可解な現状の把握に、一同が皆戸惑っているのだ。
 しかし、逸早い状況判断を求められる衛国総省の部隊が、そういつまでももたつきはしなかった。当面の敵を私だけとしたのかそれともテレジア女史も含めたのかまでは分からなかった。けれど、おそらく部隊の責任者であろう人物が、私達と衛国総省が敵対の構図にある事を明確にするため、開戦の口火を切った。
「我々は衛国総省第四部隊所属対戦闘型ロボット班である。ミレンダ=テレジア及びその所有機シヴァ、エリカ=鷹ノ宮所有機ラムダ、抵抗せずに投降する事を我々は要求する」
 ああ。
 もしも私が人間だったなら、きっと力なく呼気を吐き出していただろう。
 今、この場で衛国総省の敵と認識されているのは、私だけではなかったからだ。



TO BE CONTINUED...