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 システムは、またしても唐突な回復を見せた。それは単純な直列回路に繋がれた電球のスイッチを入れる感覚に似ている。
 私はすぐさま状況を確認した。
 現在の姿勢は後ろへもたれかかるように座っているものだった。そして私の膝の上にはココがしがみつくように顔を埋めている。周囲を見渡すと、意識を失う前とはがらりと風景が変わっていた。そこは何処かの建物の屋上のようだった。風はそれほど強くは無いため、あまり高くは無い建物だろう。位置を地図データと照らし合わせてみたが、やはり該当するポイントは得られなかった。
「ココ、ココ、大丈夫ですか?」
 膝の上に突っ伏すココを優しく揺り動かして起こす。ココはそれほど深く意識を喪失していなかったらしく、すぐに反応を見せうんうんと唸りながら気だるそうに体を起こした。
「ラムダぁ……?」
「良かった、気がつきましたね」
 ココはやや意識が混濁しているのか、焦点の定まらない目で私の顔をぼんやりと見上げた。やがて周囲の異変に気づくと、徐々に表情は緊張で締まり眼差しにはこれまでと同じ不安を覗かせた。
「ねえ、ここってどこなのさ?」
「さあ、私にも分かりません。それにここには―――」
 ココの力でやって来たのだから。
 そう口にしかけ、慌てて飲み込んだ。
 私はココに、あなたには人とは違う力がある、と言う事が出来なかったのである。ココは自分が人間だと思っているから、それはビスマルク氏の証言ではっきりと確証が得られはしたが、普通の人間には無い力が備わっているなんて知れば絶対に悲しく思うだろうと考えたからだ。家電製品は新たな珍しい機能が追加されるともてはやされるものだが、人間は人に無い能力が必ずしも喜ばれる訳ではない。人間はどんな生物よりも自分と他人を比較せずには居られない生物だ。人と明らかに違うものを持つという事は、必ず何かしらのリスクを背負わされる事にもなるのである。
 私が妙なタイミングで自らの話の腰を折ってしまったせいだろう。唐突に私達の間に沈黙が訪れた。多分、お互いが相手に対して気まずさを感じている。その感覚は論理では説明の付けにくい感覚的なものだった。別段、私には気後れする理由は無いのだけれど、そう相手に誤解される事に気後れがあり、そんな反応を取り違えられるのが怖くて言葉を遠慮してしまう。ココの事は分からないけれど、少なくとも私はそんな論理で構成されていた。
 随分と長い間緊張と興奮が続いていたせいか、沈黙は私から落ち着きを奪う存在になっていた。不安だから用心する事が一つのプロセスとして関連づけられてしまっているから、何もしない事に違和感を覚えて仕方がない。
 索敵しても周囲に人気は無く、目をこらしても見えるのは明るく照らし出された夜空ばかり。あまりに身辺の敵が多過ぎたのだろう、感覚素子が証明する安全性もどこか信用出来なくて疑ってしまう。
 と。
 そんな私の心情を察したかどうかまでは分からないけれど、不意にココが私達の奇妙な沈黙を破った。
「ねえ、ラムダ。私って人間なのかな?」
 それは何よりも重く深刻な問いかけだった。ココが明らかに普通ではない事は、周囲のみならず本人もある程度自覚している事だったからである。
「ココは人間ですよ」
 私は反射的にそう答えた。自分でもココの人間性に疑いを持ちたくは無かったからである。
 すると、
「軽く答えるな! どこがどう違うかなんて知らないクセに!」
 突然。
 ココは驚くほどいきり立つと、私に向かって声を荒げて怒鳴った。予想外の出来事で私は咄嗟の対応が出来ず、ただ唖然と視線を返すだけだった。
「アタシはもう分かってるんだ! アタシには普通じゃない力がある事が! だから研究所も抜け出せたんだし、センターからラムダのいるここへも一人で来れた。そして今だって、こんな所まで来ちゃってるじゃん。こんなの、絶対に普通じゃないよ。アタシは、ロボットを作るみたいに設計図からこういう状態に作られたんだよ!? こんな私のどこが人間だって言うんだ!」
 大きく手を広げ自分をこれでもかと強調する様は、自虐以外の何物にも私の目には映らなかった。
 設計図を元に何かを構築する事が人工で、何らかのトリガーを引く以外は全て成り行きに任せる事が自然で、これらが人間社会での定説である。意志を持つ存在を作り出すにしても、女性が出産により生み出すのが人間であって、技術者が科学で生み出すのがロボット。けれど、今の科学では生まれて来る前の子供を人為的に左右させる事すら出来る。本来なら生まれる事が出来ない子供を生かしたり、生まれる事の出来る子供を殺したり、更には生まれて来る子供の能力を操作する事すら可能であるという。外見にしても、設計図によって人の手を入れて直すなんて今の時代ではファッションと同等の感覚だ。
 科学の進歩と共に自然と人工との境界線は何度も引き直される。何が自然で何が人工的だ、なんて概念は時代と共に常に流動するのだ。だから私は思う。人間のようなロボットがいるのだから、人間らしさとか機械らしさとか、それほど強調する意味は無いのではないかと。人間だってコーディネートされる時代なのだ。ココがどれだけ人と違うかなんて、私には存在意義までもが揺らぐほどの問題とはどうしても思えない。私がそう考えるのは、私がロボットであり、存在の定義がそもそも人間と異なるからなのだろうか。
 ココは私をじっと睨みつけながらも、徐々にその目からは涙を溢れさせていた。ココは自分の本心を言葉に表す事が当たり前だったのだけれど、今の言葉は本音とは到底かけ離れたものだったのだ。それは所謂強がりと呼ばれる虚勢であって、本当のココの心境は、突然と知らされた己の境遇をどう受け入れていいのか分からず困惑してしまっているのだ。
 私はそんなココを思わずぎゅっと抱き締めた。そうする事でココが私に、みっともないであろう顔を見せずに済んだ、安心感を与えられるからだ。だがそれ以外にも、私にはココを抱き締めてやりたい奇妙な衝動があった。多分これが慈しむという感情なのだと思う。理屈ではなくて、ただそうする事で相手が安堵し満たされるのではないか、という気持ちに起因する行動なのだ。
「私はロボットですから、出来るのはココの苦しみを理解したような振りをする事だけです。でも、これだけは断言できます。ココはどんな力を持っても人間です。事故で失った体の一部を人工物で補う人はロボットですか? 義手だって義足だって、設計図はありますが、それをつけるのは紛れも無く人間です。臓器を人工物で補う事も当たり前にある事です。ココはロボットではありませんよ、決して。だから泣かないで下さい。私は、私にとって大切な人が辛い思いをするのが、何よりも辛いのですから」
「なっ、泣いてなんかないもん!」
 ココは抱き締められた姿勢のまま私の背中を拳で叩いて来る。その強気な仕草がどこか可愛らしく思い、そっと頭を撫ぜた。
 改めて見るココの髪は、こうして間近で見なければ人間の髪とは思えない鮮やかな青色をしている。手で触る感触は紛れも無く人間の毛髪なのに、少しでも離れるとまるでファイバーのように見える。人間としての居場所を追われるほどの差異ではないと私は思うのだけれど、こういった僅かな要素の積み重ねがココにとって相当な負担となっているのだろう。ただでさえ精神的にも不安定な年齢なのだから、自分を追い詰めるようになってもおかしくはない。だから周りがきっちりとココの心情を理解してフォローしてやら無ければならないのだ。きっと私にはそれが欠けていたのだろう。マスターの事ばかりで頭が一杯で。
 ふと、前髪に隠れたココの額が露になった。そこには人工的な色素で描かれたシリアルナンバーがくっきりと浮かんでいる。髪の色を自然なものにしてやる事は出来ないけれど、これぐらいならば消す事は出来るだろう。もしも私達が元の生活を取り戻せたとしたら、マスターに頼んで専門家に処置してもらおう。ファイバーのような青い髪はココの個性だが、この数字は個性ではない。残していた所で、これからのココの人生の重荷になるだけだ。
 その時。
「っ?」
 突如聞こえて来たけたたましい連続した破裂音と同時に、私達の周囲が眩しい光に包まれた。
 音はまだ大分遠く、ここまでの距離は随分残されている。しかし音の主はまっすぐこちらに最短距離を辿って向かって来ている。まるで私達がここにいる事を知っているかのように。
 一体何が向かって来ているのだろうか。
 疑問に思った直後、私はこの音とよく似たパターンの音がサンプリングされてキャッシュされている事に気がついた。まさか、とデータを比較しながら向かってくる音の方向へ視覚素子を集中させる。すると案の定、私が予測した通りの物体を確認する事が出来た。それは、一台のヘリだ。
「ラムダ……あれって」
「大丈夫です、大丈夫」
 一瞬、衛国総省の武装ヘリかと思ったのだが、ヘリは二周りも細く物々しい武装も確認出来なかった。どうやら軍用ヘリではないようだが、かといって衛国総省と全く関係が無いという確証も無い。それにはっきりとこちらへ向かって来ているのだから決して油断は出来ない。
 どうやってここにいる事が分かったのだろうか。あれからさほど時間も経過していないだろうし、ココも別段この場所を選んだ訳でもないというのに。それとも、まさか居場所を特定出来る何か手段を準備していたのだろうか。たとえば、あらかじめ私に発信機を埋め込むなどのような。もしもそうだとしたら、急いで逃げてもあまり効果は無い。それに制空権は衛国総省側にあるのだから、逆に無防備な背中をわざわざ差し出すだけだ。
 このままここに留まる訳にもいかない。だが、具体的な解決案もある訳ではない。カオスは対戦闘型ロボットのエキスパートだから今の生活換装では相手にもならないし、たとえ倒す事が出来たとしてもマスターの社会的責任を更に重くするだけだ。八方塞の現状に、どうすれば、をただひたすらメモリ内で私は繰り返し続けた。
 だが。
 不意に私は、ヘリ外装に、メディアジパング、とペイントが施されているのを発見した。
 ヘリはカオス隊員のものではない。いやそれよりも、何故テレジアグループの敷地内に一般メディアが入り込んでいるのだろうか。
 私はロボットであるため、そんな不確かな機能は搭載されていないのだけれど。何故か無性に、嫌な予感がした。



TO BE CONTINUED...