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「ラムダ……」
 私の背中にいるココが不安そうな声と共に私の腰をぎゅっと抱き締めた。
 ココを助ける方法は、もはや私には残されていないのだろうか。
 確かにこのまま打開策も無い千日手を続けているよりも、大人しくココを衛国総省に引き渡した方が一時的には身の安全は保障されるだろう。けれど、衛国総省がテレジアグループと蜜月関係にある事を忘れてはならない。衛国総省はその軍事力の大半を民間のテレジアグループの協力によって維持しているのだ。いわば、テレジアグループは自社の新技術の実験場を衛国総省に求め、衛国総省がそうと知りつつも更なる戦力強化のために良しとしているのが両社の関係だ。そのためテレジアグループは新技術を種に衛国総省に干渉出来る力がある。つまり、ビスマルク氏の意向をある程度衛国総省に委託する事が可能なのだ。カオスチームだって、本当に目的が単純な人質事件の解決とは限らない。もしかするとカオスチームの中にはビスマルク氏の息のかかった隊員がいて、戦闘のどさくさに紛れてココを殺しにかかるかもしれない。あくまで可能性の理論ではあるが、決してゼロとは限らない。むしろ、限りなく現実味のある問題なのだ。
『交渉が行えない以上、カオスは如何にして人質を救出するのかに焦点が絞られる訳ですが、しかし相手はあのシヴァに匹敵するロボットです。汎用型だからと言って、決して油断は出来ません』
『目撃者の証言によりますと、どうやらラムダは脱走の際にアスラを一機、武器も無しに撃破している模様です。旧型でありながら最新型ロボットをも上回る驚異的な戦闘力、しかし今はセミメタル症候群の汎用型ロボットのラムダ。果たしてカオスは如何なる手段を用いようというのでしょうか』
 煽り文句を形式的に並べているだけのリポーターの実況は、たとえ思考の外へ追いやろうとしても強引にメモリ内に割り込んでくる。その不快感にじっと堪えながら、私は努めて目前のカオスチームに集中した。
 実況とは裏腹に、カオスにはまだ実力行使の様子が窺えなかった。アサルトライフルを向けてはいるものの、皆が安全装置を入れたまま構えているし、何よりも日の落ち切ったこの時刻にレーザーサイトを用いていないのが単なる威嚇である事を証明している。目の前のカオスチームだけに集中していればいい事に変わりはないのだけれど、やはりこの追い詰められた状況、どんな行動に出れば打開出来るのか全く見当も付かない。そもそも、目的を明確に持っていなければ打開策など思いつくはずも無いのだが。
 私の目的はココの絶対的な身の安全の確立だ。今はそれが最も実のある行動だと思うのだが、しかし私とココ以外にビスマルク氏の本性を知るものがこの場にいない今、それを約束させるのは非常に難しい。私がカオスの軍門に下るのは非常に簡単な事だし、それを拒否する他の理由は無い。だが、今安易にココを引き渡しては逆にビスマルク氏へココを消すチャンスを与える事になってしまう。少なくともココを引き渡す相手がビスマルク氏とは何の繋がりも持っていない保証が無い限り、大人しく投降する訳にはいかないのだ。
 まず、当初の目的をそこに定めて立ち回ろう。具体的にどう立ち回れば良いのか分からないあくまで受動的なスタンスだが、こちらに主導権を握るほどの牽制力が無い以上は、どうしても後手に回らざるを得ない。もしもカオスが強引な実力行使に出たとしたら、私には抵抗する事も出来ないため成す術なくやられてしまうだろう。カオスチームが何より恐れているのは人質であるココの安否だが、私にはココを傷つける意図など一切無いため、ココを本来の意味での人質として機能させる事は出来ないのだ。
 と、その時。
『あーっと、カオスに何か動きがありました! 誰かが出てきましたね!?』
 不意にカオスチームの隊員の一人が、アサルトライフルを置いて両手を空にかざしながらゆっくりと歩み寄ってきた。それは自分には攻撃の意思は無いという表現なのだろうが、他の隊員が皆アサルトライフルを私へ向けている以上はそんな事をしても全く無意味である。だが、カオスがまだ交渉の余地があると判断してくれている以上、直接交戦を避ける意味合いでも邪険に扱う事は出来ない。
 慎重に交渉すれば、こちらの意図している事も理解してくれるかもしれない。そんな僅かな希望を見出した私は、とにかくこちらが冷静に応対出来るという事が伝わるよう立ち居振る舞いに努めた。
「私はカオスのチームリーダーを任せられているマイケル=グランフォードだ。君との交渉を望んでいる」
 そう彼は手を上げながら自らの身分と状況を完結に説明してきた。
 私はその仕草に、彼は人質事件の交渉時における専門的な訓練を受けている、と推測した。彼の言葉が如何にも刺激を与えぬよう慎重に選ばれた無難なものだったからである。
「どうしたら人質を解放してくれるのか、条件を提示してくれないか。このままでは我々は君と徹底交戦をしなければなくなる。私は個人的に戦闘は望んでいない」
「私も戦闘は望んでいません。私の目的は唯一つ、この子の身の安全です。それさえ約束していただけるならすぐに投降します」
「私達にはその子を心身共に厳重に保護する用意がある。ならばこちらへ引き渡してはくれないだろうか?」
「すぐには承諾しかねます。私は、真に信じられる人間にしかこの子を渡したくはありませんので」
 そんな私達のやり取りを背後のココは不安そうに見つめている。一体どんな結末を辿ろうというのか、その当人であるだけに不安は尽きないのだろう。
 しかし、ココがこんなにも強く私にしがみ付いている様を見て、誰も疑問を抱かないのだろうか。確かにメディアは私をあたかも凶悪な暴走ロボットのように報じているが、実際の映像を見てどう思うのかは最終的には視聴者の判断である。リポーターの煽りに影響される部分も少なくはないが、かつて世界中で数多く起こった人質事件の中で、被害者である人質がこれほど加害者に自らの意思で身を寄せていた事はあっただろうか。傍目にも、私とココの関係が加害者と被害者には見えないはず。メディアというフィルタを介して見ている視聴者はともかく、こういった事件は幾つも扱ってきた百戦錬磨のカオスまでがマスコミのような俗っぽい視点で状況を見ているとはとても思えない。一体何を考えているのだろうか。私は一層カオスの動向に疑いの念を抱いた。
「どうすれば信じてもらえる?」
「あなたたちがビスマルク氏と繋がりの無い事を証明して下さい」
「ビスマルク? テレジアグループの総括補佐の方の事かね?」
「そうです。彼はこの子の命を狙っているのですから」
 自分で言って、なんて説得力の無い言葉なのだろうと思った。犯罪者に当たる私が、表の顔しか世間には認知されていないビスマルク氏を非難しても全く効果が得られない事など想定済みだったというのに。けれど、これは牽制の意味を含めてもそれなりに効果のある言葉だ。もし本当にカオスがビスマルク氏と繋がりがなければ真実の一端を知らせる事が出来るし、逆にビスマルク氏の息がかかっているのであれば私が目の前のテレビカメラにいつでも暴露出来るという牽制に成り代わる。そして、あのビスマルク氏の事だからこの状況をどこかで必ず監視しているに違いない。私がビスマルク氏の裏の顔をメディアに暴露する意図を少しでも見せれば、十分ビスマルク氏への牽制になる。その上で、どういった行動に出るのか。注意しなければならないのはその一点だ。
「そこは安心して欲しい。我々は衛国総省直属の機関だ。民間人の意思など介入する余地は無い。カオスの指揮権は私に一任されている」
 だがそれは一般的な認知だし、ビスマルク氏はそういった先入観に漬け込むやり方を得意としているから私は慎重になっているというのに。そもそも彼自身がビスマルク氏と繋がりが無いとどうして証明出来るのだろうか。そう口にはっきりと出せれば良いのだが、こちらの勇み足は後発になるビスマルク氏へ好機を与えてしまう事になる。だからこうわざわざ苦労しているのだ。
「私達が指定した機関が気に入らなければ、君が指定した機関に手続きを取ろう。何なら、君が一連の関わる業務を指定してくれてもかまわない。一つ一つこちらで代行して手続きを取ろう」
 そうやって親切に振舞うことで私の信頼感を得ようとしているのだろう。これはネゴシエーターの基本である懐柔術だ。彼が私との交戦を望んでいないのは確かなようだった。私との信頼関係を築き懐柔出来れば事件はそこで解決する。そのためには、たとえ心にも無い言葉や嘘虚実の類を並べる事を惜しまないだろう。とは言え、やはりまだまだ油断は出来ない。こうやって時間を稼ぎ、どこからか奇襲攻撃を仕掛けようと企んでいる可能性も十分にあり得るのだ。
 しかし。
 ……時間稼ぎ?
 ふと私は、今の自分の言葉に違和感を覚えた。
 何かがおかしい。どうしてカオスは時間を稼ぐ必要があるのだろうか。カオスほどの精鋭部隊なら、遠距離から人質を負傷させぬように私を機能停止させるほどの狙撃手が居てもおかしくはないはずだ。過去にも、拳銃を持ったロボットの拳銃の撃鉄だけを撃ち抜いた事もあったそうである。それほどの正確さがあれば、私を機能停止させるのは実に容易なはず。にも拘らず、どうしてこんなにも時間のかかる交渉に固執するのだろうか。
 この状況はむしろ、わざと長引かせようとしているようにすら思えて来る。それがどういう訳かは分からないが、カオスが事件を長引かせようとしているのは、交渉という手段に固執している時点で明らかだ。明らかに時間を稼いでいるようなスタンス、だが何のために時間を稼いでいるのか私には想像もつかなかった。それに、稼いだ時間は誰のためのものなのかも分からない。
 そういえば彼は、私が自分の目的がココの心身の安全の確保である事を伝えた所、すぐさまこちらにはその用意があると答えてきた。暴走したロボットが子供を人質に立て篭もった、それが今回の事件の客観的な見識であるにも関わらずだ。つまり彼は、私がココを人質としている訳ではない事を知っているのではないだろうか? そうでなければ、きっと私の言葉を体系化されていない雑言の類だと判断するはず。それすらも想定し話を合わせているとしても、更に彼らが時間稼ぎをしている事への確信を強めるだけだ。
 一体どういうつもりなのか。
 私は思わず黙りこくってしまった。何となくではあるが、このまま彼らの思うようにさせるのは良くないのでは、と疑念が湧き上がったからである。これまでも物事を人に任せる事が多く、その結果、私達は進退窮まる状況に追い込まれてしまったのだ。私の行動パターンも既に想定済みなのかもしれないが、それでもされるがままになるのは拒絶したいのだ。
 と、その時。
 彼は急にコツッと靴の爪先で聞こえるように音を立てた。そして、
「えっ……?」
 目の前で起こった事に、私はもう少しで声を出してしまいそうになった。
 もう少し。
 そう、彼の唇が確かに動いたからである。
 もう少し? 一体何がもう少しだというのだろうか。いきなり向けられた言葉の真意を理解出来ぬ私は足元を掬われた気持ちになった。私はただただ唖然とした表情で彼の顔を見るばかりである。すると、
「結論は、急がなくて、良い。私はもう少し君と話がしたい」
 明らかに、急がなくて、と単語だけを強調している。それが私に対してのメッセージなのではないか、と解釈した。恐らく、もう少しこのままの状況を維持して欲しい、そんな事を伝えたいのだろう。
「分かりました。では、貴方方の今の兵力を武装も併せて聞かせて貰えますか?」
 確信の持てる根拠は、人間が初見のロボットにサインを送るなんて真似をするのはよほど特殊な事情があるから、というはっきりしないものだった。けれど、彼が信頼するに足る人間なのではないのかと思うようになった。彼にどんなプランがあるのかは分からない。しかし、このまま孤軍奮闘を続けても先は見えて来ないのだ。ならば、最後に賭けてみようと、そう思う。賭ける人物がこれまでに何人ものロボットを倒してきた人間というのは、実にシュールな事ではあるのだけれど。



TO BE CONTINUED...