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 ヘリがこの空域に現れた瞬間、カオスの面々が明らかに緊張を見せたのが分かった。
 そんな彼らの仕草を見逃さなかった私は、あのヘリに搭乗しているのは衛国総省の省長ではないのかと推測した。理由は、カオスが衛国総省の直属部隊であるため、大統領よりも省長の方が接点が深いと思ったからである。それに何よりも、人質事件の現場に現職の大統領がわざわざ出向く事などまず有り得ない。一省の長が出向く事も本当は有り得ない事なのだけれど、大統領に比べればまだ現実味がある。
 カオスチームはすぐさま包囲網を解き、ヘリが着陸出来るだけのスペースを確保した。ヘリはそれでもあまり広くは無い着陸スペースに、まるで定規で測ったようにぴったりと正確に乗り付ける。高速で回転するプロペラから放たれる突風が私を打ち付けてくるため、右腕で顔を庇いながらヘリの様子を尚も窺う。カオスチームの陣形はヘリの前方、つまり私に近い方角を特に守るような型に再構成された。プロペラはゆっくりと速度を落としていき、乗降口の扉が内側から開かれる。いよいよ乗車している人物の正体が明らかになるのだ。
『さあ、ドアが開かれました。まず出てきたのは……あれはシークレットサービスでしょうか。外側からドアを押さえています』
 ヘリから降りてきたのは一人のスーツ姿の男性だった。黒いスーツに白いワイシャツ、ネクタイまでも黒という随分と地味な格好だったが、同じく黒のサングラスと明らかに鍛え込んでいるがっしりとした骨太の体型が、彼の存在感を大きく演出している。
 やがて、風が吹き荒む中をものともせず自らの足で降りてきたのは、一人の初老の男性だった。紺色のブレザーに薄青のカラーシャツ、ネクタイは黒とネイビーのストライプといったいで立ちで、決して派手に着飾っている訳ではないのだが不思議と印象に残る、そんな姿だった。
 彼は年齢こそ隠せていないものの、内側には驚くほど強いエネルギーを宿しているように感じさせた。立ち居振る舞いも若者と対等に渡り合えるほど力強く、どこか視線を掴んで離さない引力のようなものがあった。
 やはりテレビと実物はこんなにも印象が違う。
 そう私は思った。
『おっと、あれは! みなさん、ヘリから現れたのはあの衛国総省、モーリス=アーチボルト省長です!』
『これは一体どういう事でしょうか!? 省長が自ら現場に赴くなんてまさに前代未聞の出来事です! あまりに危険と、無謀としか言いようがありません!』
 衛国総省省長、モーリス=アーチボルト。
 彼の登場が場の空気を一変させた。言葉一つ放っていないというのに、もう誰もが彼から目を離せなくなっている。だが彼は愛想を振り撒き応える事も無く、ただ鷹のように鋭い目で周囲を油断無く見回した。
 更にヘリから現れた二人のSPを引き連れ、つかつかと足早に向かう先は。否が応にも視線を合わせてしまった私はこれ以上に無い緊張を覚えた。彼の目標は私に定められている。たったそれだけの事で私は居ても立ってもいられなくなったのだ。
 彼は連合国立海兵学校を主席で卒業した、軍人の中でも僅か一握りのエリート中のエリートだったという経歴を持っている。陸海空の中で最も門の狭い海軍で、しかも親などのコネクションを一切持たない人間が頂上まで駆け上がるのはどれだけ困難な事か。それを可能にした人間だからこそ持つ、これはオーラというような威圧感だ。
 たとえ戦闘になったとしても、一対一ならば人間に負ける事は無い。けれど、私とても彼には敵う気がしなかった。それは理屈ではなく、拳を交えるだけの戦意が湧かないのだ。まるで蛇に睨まれた蛙のようにだ。
 こちらへ歩み寄ってくる彼の姿が酷く大きく見えてならなかった。自分が威圧感に負けている事をメモリの隅で理解する自分が居たが、その副思考には主思考の戦慄を吹き飛ばすだけの力は無い。ただただ気迫に飲み込まれる自分を観察するだけである。
 もう終わりだ。
 そんなビスマルク氏の言葉を思い出し、反芻する。
 衛国総省は本気で私を潰しにかかっているのだ、もはや私にはどうする事も出来ない。これだけ多くのメディアが見ているのだから、衛国総省が自らの威信を守るために形振り構わぬのは当たり前の事だ。私には尻尾を巻いて逃げる選択肢すら許されていない。出来る事はただ、呆然と事のやり取りを諦観するだけであって―――。
 もはや私は論理的な思考すら行う事が出来なくなっていた。傍観する事がどれだけ危険なのか理解していない訳ではなかったが、思考を思うように働かす事が出来ないのだ。まるで自分の体が自分ではなくなってしまったようにだ。私が私を認識しているのはプログラムなのだけれど、スタートとエンドが予め決められていながらも途中で往生してしまうのは、単にモーリス氏の力によるものなのだろうか。
 捕まったら私の全てが終わる。
 それを認識していながらも踏み出せない足にもどかしさと焦りとを同時に覚えた。ヘリが着陸した場所から私の居る場所までそう長く距離は無い。クロック数を一時的に増加させて思考能力の加速化を図っても、相対時間が変わるだけであるため根本的な解決にはならない。そして私は、たとえどれだけの猶予があろうとも、彼には絶対に逆らえない事を理解してしまった、弱い思考がある事を知ってしまっている。
 まさか、結末はこんなあっけないものだなんて。
 諦めにも似た心情で、萎縮する自分を嘲笑した。
 しかし。
「ビスマルク=オズボーンだな」
 モーリス氏は何故か途中で向きを変えると、真っ直ぐビスマルク氏を見据えた。私を制圧するためにやってきたとばかり思っていたのだろう、ビスマルク氏はまさか自分に矛先が向けられるとも思わず、僅かなたじろぎを見せた。そこへ更にモーリス氏は、右手の人差し指を真っすぐ伸ばし、まるで貫こうとしているかのような躊躇いのない仕草でビスマルク氏の動揺の覗く顔を真っ向から指し示した。
「お前を殺人及び国内銃刀法、特殊技術規制法違反、クローン技術規制法違反、未成年者略取の容疑で、衛国総省の危機緊急行使権を持って拘束する。異論はあるか?」
 まるで春雷のような鋭いその宣言。
 私は思わず驚きを露にした。衛国総省は現状において私を機能停止へ追い込む事を目的とする、言わば敵対関係にある存在だと思っていたのだが、その長がまさか公にしたくとも証拠能力の問題から出来なかった黒幕のビスマルク氏を、突然真っ向からその犯罪を指摘したからである。
『おっと、これはどういう事でしょう? モーリス省長はビスマルク氏に何やら詰め寄っている様子ですが、何を話しているのかここからは聞き取れない状況です』
『一体あの場で何が起こっているのか、我々報道人にはそれを皆様にお伝えする義務があります。危険ではありますが、これからあの場へ着陸する許可を得られるよう衛国総省に連絡を取りたいと思います』
 今の言葉こそ聞き取れていないようだったが、明らかに予想外の自体が目の前で起こっている事にはさすがに気づいていた。何か歴史的瞬間の起こる気配がする。真偽はともかく、そう判断した時の彼らの行動力は目を見張るものがある。多少の犯罪行為すら正当化しようとする部分は好きではないのだけれど、私の中で絶望的な意味合いで不変だった物が突如揺らいだこの瞬間を、私は一人でも多くの目に触れさせなければと考え、心の中で密かに彼らの動向を応援した。
「なっ……なんだと!? 一体どういう事だ! 私を誰だと思っている!?」
「テレジアグループ総帥補佐、ビスマルク=オズボーンだろう」
「その私を逮捕するだと!? 何のつもりだ!」
「無駄なあがきはよせ。衛国総省を騙し通す事は不可能だ」
 明らかに動揺の色を見せるビスマルク氏を、冷ややかな視線で見据えるモーリス氏。何故これほどビスマルク氏が動揺するのかよりも、何故これほどモーリス氏が自信に満ち溢れている事の方が不思議でならなかった。モーリス氏の口調から察する限り、衛国総省はビスマルク氏の犯罪を把握している様子である。けれど、それは一体どのようにして掴んだ物なのだろうか。ビスマルク氏は衛国総省にコネクションを持つ一筋縄ではいかない相手だ。おそらく、ココを除いた全ての犯罪の証拠はとっくに隠滅済みだろう。にも拘わらず、衛国総省が立件出来るだけの証拠を掴んでいると公言されてしまえば、確かに動揺するのは当然の反応だが。
『皆さん、たった今、衛国総省から撮影の許可が降りました! 行動範囲は極めて制限されていますが、撮影許可ははっきりと降りました!』
『これより我々は緊張の現場へ赴こうと思います! これから一体何が起ころうとしているのか、私にはまるで見当がつきませんが、最後まで事件の経緯をお伝えする覚悟です!』 報道陣のヘリは次々と建物に横付けしリポーターやカメラマンがこの屋上へ押し寄せてきた。ここは本来なら暴走ロボットが子供を人質にした立て籠もり現場だったはずなのに、カオスはともかくビスマルク氏や衛国総省省長、そしてマスコミまでもが首を並べているため、全く別な、どこか混沌とした奇妙な空間に変質してしまっている。ここからテレビを見始めた人は、きっと一体何が起こっているのか見当もつかないだろう。
「アスラ、私を守れ! カメラに映させるな!」
 動揺のあまり冷や汗を浮かべながら、ビスマルク氏は連れているアスラ達に向かってそう怒鳴った。すぐさまアスラ達はビスマルク氏を背中で庇おうとするものの、それだけで網の目のようなカメラから逃れる事は出来ない。
「往生際が悪いぞ。素直に罪を認めるのだ」
「認める? ハッ、一体何を認めろというのだ! 私に罪などどこにあるというのだ!」
「貴様は衛国総省に圧力をかけて逃れているつもりだろうが、衛国総省がそう簡単に屈すると思うのか? そもそも我々には、公安や所轄を動かす権限もあるのだぞ」
 ふと、私は腰をぎゅっと掴まれる感触に視線を下げた。その先でぶつかったココの視線は、どこかこの状況を訝しく思いつつも音階の外れた怒りを見せるビスマルク氏に怯えているようだった。考えてみれば、これまでココはビスマルク氏には何かと我がままを聞いて貰っていたため、少なからず好印象があったのだろう。それが今、目の前でまるで別人のような振る舞いをしているのだ、さながら悪夢を見ているような気分に違いない。挙句、ビスマルク氏には命すら狙われていたのだから、まだ精神構造の幼いココには受け入れ難い事実だ。
 私はそんなココの肩をそっと抱きつつ、しかしこの光景から目を背けてはならないと頷き返した。苦痛を伴うとしても現実から目を背けてはならない。それは特に、ココのような普通とは違う特異な生い立ちの人間にとって大切な事だ。今の自分の立場を正しく認識出来なければ、必ず歩むべき道を誤るのである。進み方が正しくとも、出発地点を間違っていれば向かう先を誤るのは当然なのだから。
「一省の長が民間人を脅迫するのか!? 面白い、ならば私がどのような罪を犯したのか、それを証明してみせろ! この場に居るマスコミの前でだ!」
 尚もビスマルク氏は、自らの動揺を吹き飛ばすかのように語気を荒げた強気の発言をモーリス氏に放つ。だがそれを受けるモーリス氏は、まるで涼風を受けているかのようにぴくりとも動かず、ただただ冷然とそんなビスマルク氏を見ていた。いや、それはもはや観察しているに等しかった。モーリス氏の眼差しは大よそ同じ人間を見るようなそれではない。私はそんなモーリス氏の視線にどこか怒りのような感情を垣間見たが、その理由となるものが全く思いつかなかった。ビスマルク氏が衛国総省を貶めたから、と最初は思ったが、省長が自ら赴いてまで断罪しなければならないほど、少なくとも世間体を傷つけられてはいない。むしろ、この行動が省長の行き過ぎたパフォーマンスだと思われかねない。そんな事が分からないほど視野の狭い人間が、一国の防衛を任されるはずがないのだけれど、ならばモーリス氏は一体どういった理由でこんな状況の現場までわざわざ赴いたのだろうか。
『こちらは現場です! たった今、モーリス省長とビスマルク氏が言葉を交わす様子が窺えましたが、非常に険悪な空気に包まれています!』
『私の聞いた限りでは、どうやらモーリス省長は特例的にビスマルク氏を逮捕しようという模様です。はい、逮捕です。ビスマルク氏には数々の罪状が挙がっているそうです』
 二人の会話を間近で耳にしたマスコミ達が俄かに目の色を変えて活気付いた。
 確かにこの状況はニュースとして強力な集客力を持っている。マスコミにしてみればこれ以上にない御馳走になるだろう。私はマスターと同様に、メディアの食い種にされる事には嫌悪感を覚えるのだけれど、今は逆にニュースとして取り上げられる事が痛快でならなかった。これまで歪んだ形でマスターや私の事が報道されていたが、今回ばかりは全くフィルタのかかっていない真実そのものが有りのままに報道されている。それはつまり、マスターの無実を証明するための土壌が生成された事になる。これを機会に、これまでの報道内容が果たして真実なのか、という疑念が必ず生まれるのだ。疑念は論争を生み話題性を作り出す。話題性は多くの人を論争の渦に巻き込み、やがて真実という一点に収束される。その過程から、そもそもの誤った結論が引っ繰り返される可能性が生まれるのだ。
「真実は等しく示されるものだ。それを望むならばそうするとしよう」
 モーリス氏はビスマルク氏の挑発にも感情を揺るがせず、淡々とそう答えるだけに留まった。
 一体モーリス氏はどういった手段でビスマルク氏の罪状を証明しようというのだろうか。最も説得力のあるのはやはり物理的な証拠だろうが、そんなものを残しているようには思えない。ココを収容していたという研究所さえ、最早この世に存在しなくとも不思議ではないのだから。
 緊張したまま、私はまるで観客のように二人のやり取りをじっと見ていた。マスコミもまた、既に私への注目を嘘のように忘れてしまっている。今、最も注目しなければならないのは二人のやり取りであって、ただ立てこもっているだけのロボットを報道しても仕方が無いのだろう。
 と、その時。
「省長、大統領からです」
 一人のSPが携帯電話を持ってモーリス氏へ進み出た。モーリス氏は一瞬眉をしかめるものの、憮然とした表情でそれを受け取り耳へと当てる。あまり好ましくない相手から電話がかかってきたが、無下に切る事も出来ずに已む無く出た。そんな様子だった。



TO BE CONTINUED...