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「分かりました……」
 モーリス氏は淡々と携帯電話での会話を終えた後、どこか苛立ちを隠せない仕草でSPに電話を突き返した。
 電話を渡す直前、SPは電話主を大統領と言った。さすがに衛国総省の省長ともなれば大統領と電話連絡を取り合う事があっても不思議ではないだろう。しかし、この苛立ちようは一体何故だろうか。ニュースでは別段取り沙汰されているようではなかったが、実は大統領と衛国総省長との間には実は深い溝があったりするのだろうか?
「さあ、どうした! 私が犯罪者だという証拠を見せてくれるのでは無かったのか!?」
 ビスマルク氏の興奮した様子をカメラマンは無言で映し出す。その表情はどこか呆気に取られている感がある。ビスマルク氏のイメージは、こうも理性を失って激情を露にする姿とは程遠いものであるのが一般的な認識であるからである。私とてこんな異様な本性を目の当たりにしてからそう時間は経過していないだけに、未だにこれは私の感覚素子が誤作動を起こしているのではないかと疑いたくなるほどだ。
「証拠は今、別の人間が持って来る」
「別の人間だと!? ふざけるな! どうせ証拠とやらもハッタリなんだろう!」
「証拠はある。その人間が持って来る」
「誰がだ!? どれだけ待たせるというのだ!?」
「待つ時間はおよそ五分程度、持って来るのは大統領だ」
 そうさも無く答えるモーリス氏。しかし、放たれた言葉は一瞬で雲散する煙とは違い、見えない圧力となってこの場に居た全ての人間に驚きと衝撃を走らせた。全ての国民に干渉出来る力を持ちながら、ほとんどの人間と接点を持っていない特別でユニークな存在。間接的には何度かあっても直接かかわる事は一生涯無いと言ってもいいその人物が、どうしてこの場へやって来るのだろうか。それは今モーリス氏がここに居る事よりも遥かに有り得ない出来事だ。大統領とは、一省の省長とは比べ物にならないほど影響力が強く、与えられた権限も国内においては絶対的に大きい。しかもそう易々と代わりなど利くものではないため、対外的な影響も考慮すれば、大統領が就任期間中に死亡するなど絶対にあってはならない事だ。死因が自然死ならばともかく、他殺や事故死であればとんでもない事である。そうなる要素を自らが誘発したなんて論外も良い所である。一触即発の危険なこの現場にわざわざやってくるなんて、一国の長が取る行動としてはあまりに軽率過ぎる。もしモーリス氏がビスマルク氏と駆け引きをするとしたならば、大統領の名前は明らかに失敗だ。十人に問えば、おそらく十人が嘘だと断言するだろうからだ。
『大変な事態になりました! なんとこの場に、現在我が国の大統領が向かっているそうです! ただ今はっきりと、モーリス省長が発言いたしました!』
 モーリス氏の言葉は強大な圧力を持って一同の口を封ずるものだと思っていたが、その僅か数秒後には各局のリポーターがけたたましくカメラに向かって事の経緯を報告し始めた。つまりは、幾ら油をかけても火は消せないという事なのだ。
 各局の熱狂ぶりは凄まじく、ビスマルク氏の激昂した様子などまるで不自然さを感じなくなってしまった。相対的な麻痺症状なのだが、それでもまだこの状況について来れる私も少なからず興奮しているのだろうと思った。こういう認識が出来るという事は、辛うじて自分がまだ興奮はしつつも冷静な思考部分を失っていない証拠なのだけれど、実になんとも便りが無い。
「ふざけるな! 大統領が来るだと!? 寝言は寝て言え! そんな子供騙しが通用するとでも思っているのか!」
「子供騙しではない。嘘をつくならば疑う余地の無い嘘をつく。お前ならそれぐらい理解出来るだろう」
 決して間違っている言葉を言っている訳でもなく、多少理性的な人間であればモーリス氏が何を言いたいのかを理解するのは難しくはないだろう。しかし、物事をこれほど強く断言する人間を、人は本能的にどこか裏があるのだろうと勘繰ってしまう。モーリス氏の言葉には影響力があるのは確かだが、政治不信という言葉が無くならない以上は公人のあらゆる言葉は疑いの視点から切り出されるのが常である。モーリス氏の言葉が嘘であると仮定するならば、それは一体どんな意図があっての嘘なのか、そんな議論が展開されるだろう。けれど、私はそういった世間の評論には興味は沸かなかった。様々な視点から議論する姿勢は大切だが、世論とは著しく論点を履き違える傾向にあるからである。
「こんな所に大統領が来るものか! 何のために来るというのだ!?」
「来る。大統領は今回の一連の事件の調査報告を聞かされ、酷く心を痛めておいでだ。衛国総省だけでなく、政府そのものにとってテレジアグループは公私共に重要な存在だ。その前総帥が、あのような形で、命を落とされたのだからな」
 あからさまに、あのような、と強調して言葉を放つモーリス氏。途端にビスマルク氏はぎくりとどこかどもったような印象を受けた。それが何を意味するのか理解出来るのは、事件の真相を知る者だけだからである。
「お前だけは絶対に許しておけん。お前は、私の唯一の親友の命を奪ったのだからな」
 あまりの迫力の凄さに息を飲んだ。
 もしかして、その親友とはテレジア女史の父親の事なのだろうか? だとしたら、モーリス氏の怒りも納得が行く。おそらくモーリス氏はテレジア女史の父親と交友関係にあり、その死の真相を知った事で犯人であるビスマルク氏に恨みにも似た強い感情を覚えたのだろう。更に推理を飛躍させると、この場所へわざわざ省長という立場を弁えずに出向いたのも、自分の手でビスマルク氏へ手錠をかけるなど具体的な制裁行為を行いたかったからに違いない。それが出来て初めて、敵討ちというものは成立するのだ。
「そっちこそいい加減にしろ! 証拠があるなら見せてみろ! 今すぐにだ!」
 語るに落ちている。そう私は思った。探られて痛い腹がなければ、こうも感情を露にする事はないからだ。しかし、一度カメラに映し送信されれば、あっと言う間に一時期の話題を独占する程度の影響力しか持たない茶番劇になる。
 公人のパフォーマンスとはそもそも、本人の意志とは裏腹に不信感を募らせるだけのマイナス要素しかもたらさないものなのだ。それでも彼らが止めないのは、過去の高名な人物が同じ方法で地位を確立した事実と自分とを重ね見ているからだ。特別な人間なんてこの世にはそう何人も存在はしない。けれど、そうと信じている人間は愚かしい程に多い。たまたまそれが、公人と呼ばれる種類に偏る傾向があるだけに過ぎないのだ。
『なんという事でしょうか! モーリス省長はなんと、先日死去されたテレジアグループの前総帥の事故が殺人事件だと告発いたしました! そして、その犯人がなんとビスマルク氏だというのです! 一体二人の間では何が起こったというのでしょうか!? これはますます目が離せません!』
『衛国総省には、裁判所の許可を得ずに独自の裁量で被疑者を無期限に拘束する権限があります。しかし、過去にこの権限が行使されたのはなんとたったの五回、いずれも悪名高い凶悪犯罪者ばかりです。果たして今回のケースも過去の判例に沿えられるのでしょうか?』
 衛国総省には警察や公安よりも遥かに強力な逮捕するための権限が法律で認められている。それが通称、鳥篭法だ。通常の逮捕には、現行犯かもしくはそれに準ずると認められない限り裁判所の許可が必要である。しかし衛国総省だけは、それらに捕らわれない逮捕が許されているのだ。反面、行使した際には必ず厳格な基準を設けた弾劾審査を受ける必要がある。場合によっては実刑に留まらず死刑すらあるこの審査がある事から、これまで衛国総省は乱用するどころか行使する事そのものを躊躇うのが大筋だった。鳥篭法とは人権そのものを無視出来るほど強力であるから、そのリスクも非常に高く、完全な正義の断行以外には用いる事は出来ないのである。
「そろそろ時間だ。大統領が貴様の悪事を証明する重要な証拠を持ってここにやって来る。その前に罪を認めれば、まだ情状酌量の余地は出来るが?」
「言ったはずだ! 身に覚えの無い罪を認める理由は無いと!」
 やはりそうか。
 モーリス氏は軽く息を吐きながら肩をすくめて見せた。
 私はモーリス氏には初めから酌量する意志は無いのだろうと思った。せめて心の底から自らの過ちを認めて謝罪する姿を目にすれば、きっと怒りに凝り固まった心は融解させられるだろう。けれど、ビスマルク氏が初めからそんな事をする人間とは到底思ってはおらず、また自身の決意をそんな事で揺るがせたくはない。だから、あえてそんな事を言ったのだ。後から、もし謝罪の機会を与えていたならば、と後悔しないために。
 と。
『おっと、またしてもヘリが来ましたが……あれは大統領専用機ではありませんか!?』
『皆さん、遂に大統領が到着した模様です! 果たして大統領は本当に乗っているのでしょうか!? そして、ビスマルク氏の犯罪を証明する証拠は持っているのでしょうか!』
 聞こえて来るヘリの駆動音は、やはり大統領専用機という事もあってかこれまでのヘリと比べてノイズが少なく音そのものが小さく抑えられていた。消音モードには切り替えられないタイプではあるようだが、安定した揚力との両立を考えれば非常にバランス良く調整されているようだった。
 あまりに大勢の人間が集まっているためヘリが着陸するスペースは屋上に無く、ヘリはぎりぎりまで高度を下げるとドアから縄梯子を下ろした。そして、ドアから一人の男性が梯子を伝ってゆっくりと降り始める。機能性とは全く無縁のスーツ姿で梯子を伝う様は非常に危険なように見えたが、そもそも高さが頭から落ちない限りは危険の無いほどであるため心配するには及ばないだろう。逆にあえてこういったギャップのある行動に出る様が彼を非常に若々しく印象付けた。そんな心理を突いての行動なのだろうか。
 省長よりも一回りほど若い彼は、梯子の途中でメディアの方を振り向き自らの顔をはっきりと晒す。誰が見ても同じ印象を受けそうな完璧な笑顔は、一斉に向けられたカメラの集中砲火を浴びせられる。だが製品として完成形に到達しているそれが揺らぐはずも無く、むしろ一層輝きを増していった。
 片手で掴まりながら手を振るその姿を、私は以前に一度だけテレビで見た事がある。あれは確か、当選した時にマスコミの前で行った合同記者会見の中継だ。
『遂に現れました! 連合国大統領、バーナード=ベーカー氏です!』
 報道陣だけでなく、カオスからも一斉に歓声が上がった。
 そんな中で、私と、ココと、モーリス氏と、ビスマルク氏だけが、ただ冷然と口を噤んだまま繰り広げられるお祭り騒ぎを傍観していた。



TO BE CONTINUED...