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「さあ、連行していきたまえ。これは、君の、仕事だ」
 戦意を喪失したと見るや否や、大統領は背後のモーリス氏へ振り向き様に微笑みかけた。しかし、モーリス氏の表情はどこか憮然としたもので大統領へ対する返事すら無かった。二人の温度差には誰も気づいていないようだったが、この中で誰よりも深く広い溝を築き上げている二人がこれほど立場が密な関係にある事がとても不思議だった。感情を一切排さなければ成立しない物事もあるのだと、まざまざと見せつけられた事でどことなく心苦しさが込み上げて来た。
 モーリス氏は憮然とした表情のままこくりと頷き、視線をビスマルク氏へと移した。通常、連行等といった犯人に直接関わる作業は上役の仕事ではないのだけれど、モーリス氏には少しも躊躇する様子が見られない。それは単に大統領の命令が理由になっているからではないのだ。
 と。
「ふ……ふざけるな、愚民どもが!」
 突然。
 怒号と共に顔を上げたビスマルク氏は、まるで一線を踏み外したかのような、これまで以上に鬼気迫った表情で睨み付けた。一度敗北感に打ちのめされたはずの目には、どす黒い妄執の炎が燃え上がっている。形振り構わぬ執念の塊と化した、あまりに凄惨な姿だ。
 一斉にカメラを向けられるものの、あんなに映される事を嫌がっていたはずのビスマルク氏はまるで意に介そうとはしなかった。その目はただじっと、目の前に悠然と立つ大統領へ向けられている。対する大統領は、さすがに不測の事態というものに慣れているせいか表情に変化の様子は見られない。周囲を囲むカオスは条件反射で一斉にアサルトライフルを向ける。だが、元から蒼然となっている辺りの様子など眼中に無いビスマルク氏は、怯むどころか目を一層爛々と不気味に輝かせる。
『こちら現場です! たった今動きがありました! ビスマルク氏、いえビスマルク容疑者が錯乱している模様です!』
『ビスマルク容疑者には戦闘型ロボットが二体付いております。万が一の事を考えますと、大統領やモーリス省長へ身の危険が及ぶ可能性も出てきます。我々もこの場に留まるのは危険かも知れません』
 盛んに自体を報道するマスコミ達。その渦中にある緊張状態のカオスチーム、そして大統領とモーリス氏とビスマルク氏。この構図において今後の事態を左右する重要な鍵となるのは二人のアスラだ。アスラはテレジア女史の評価ではシヴァの劣化コピーとなってはいるが、それでも十分戦闘型ロボットとして一流の性能である。もしも、そのアスラに対して先程のように殺人を許可するコードを与えてしまったのなら。それはあまりに深刻な事態に陥る事も十分に考えられるのであって……。
 すると。
「アスラ、殺せ! この場に居る全ての人間をだ!」
 そんな私の危惧も余所に、ビスマルク氏はその決定的な言葉を何の躊躇いも無く言い放った。
 正気じゃない。
 私だけでなく、その場に居た誰しもがそう思っただろう。確かにビスマルク氏がその言葉を口にする可能性はあったが、それは物理的な可能の範囲の話であって、実際は倫理的観点から絶対に口にはしないはず。だがそれは、あくまで正常な思考能力を持ち合わす人間の場合の話だ。今の追い詰められたビスマルク氏には、冷静な判断力など微塵も残ってはいない。
「攻撃コード承認」
「倫理リミッター解除」
 ビスマルク氏の命令に従い、すぐさま二人のアスラは身構えて戦闘体勢を取った。途端に、これまでビスマルク氏へ大まかに構えられていたカオスチームのアサルトライフルが、はっきりとアスラ達へ狙いを定められた。戦闘型ロボットは一度命令を受ければ遂行のために必要な作業を忠実に行う。エモーションシステムが無ければ、当然倫理な疑問を抱き躊躇う事など無い。そもそも、スイッチ一つで倫理観を設定出来るのだから、人間の感情論とは切り離された存在である前提で考えるべきだ。ロボットとは物理的に可能であれば必ずそれを実行する。感情の無いロボットなど、ただの機械と言い切っても相違はない。
 おそらくビスマルク氏は、この場にいる全ての人間を殺してしまう事で自らの犯罪を隠滅しようなどと考えているのだろう。しかしそれは、既に事の一部始終は世界各国へ配信されているため見当違いも甚だしいのは明白だ。もしくは、単純に最も原始的な方法で逸早く優越感に浸る事でストレスから解放されようとしているのかもしれない。どちらにしても、ビスマルク氏の持つ周囲への攻撃性はただちに対処しなければならない危険なものだ。
 だが。
「む? なんだ、どうした! 早くやれ! 殺すんだ! 皆殺しだ!」
 二人のアスラは不意に視線をビスマルク氏へ向けた。その無表情な目は、今更ビスマルク氏へ指示を仰ぐためのもののようには見えない。何故、アスラはすぐさま命令を実行に移さないのか。私は二人の行動を不思議に思った。
 と、次の瞬間。
『ああっ!?』
 一人のレポーターが、悲鳴のような声を上げた。
 ビスマルク氏から見て左手のアスラが突然、ビスマルク氏に向かって拳を繰り出し振り抜いたのである。
「見ないで!」
 咄嗟に私はココを抱き寄せ視界を塞いだ。
 恐る恐る前を見ると、既にビスマルク氏の肩から上はすっかり無くなってしまっていた。アスラのブラストナックルによって、肉片も飛び散る暇も無いほど一瞬で蒸発してしまったのだ。まるで映画のような非現実的な光景をいきなり突きつけられ、私もまた声を漏らしてしまいそうになった。これは映画ではなく紛れも無い現実。今、目の前で確かに人間が一人、ロボットによって殺されてしまったのだ。
「ターゲット確認」
 そして。
 右手のアスラは、腕を振り抜いた左手のアスラに向かって自らの拳を繰り出した。ベクトルに逆らえず左手のアスラは、右手のアスラの拳を顔で受け止める形となった。今度は一瞬で蒸発するような事は無く、ただパキッとビスケットを折るような乾いた音を鳴らし、拳が顔面を突き抜けていった。
 あまりに衝撃的な出来事が立て続けに起こったため、誰もが息を飲んで、一拍の間周囲の様子を窺うために沈黙した。
 何故、アスラはビスマルク氏を、そして自分の兄弟を殺したのか。少なくともロボットである私にはその理由がすぐに分かった。アスラは、皆殺しに、というビスマルク氏の命令を忠実に遂行したに過ぎない。アスラは自分との位置関係から最も近くに居たビスマルク氏は元より、同じアスラをも排除の対象と認識したのだ。ただ一つ意外だったのは、アスラが同士討ちをした事だ。それはつまり、アスラは自分達を同じ人間と認識していた何よりの証拠になるからである。
 愚かだ。
 メモリ上に浮かべたその言葉は、ビスマルク氏へ向けられたのかアスラに向けられたのか、自分でも分からなかった。ただ、ロボットとはそういうものであって、与えられた命令を忠実にこなすだけでしか自らの存在を確立出来ない。それを理解していない人間が多過ぎるのだ。だから人間とロボットの間の溝はいつまでも埋まらず、セミメタルシンドロームを患うロボットは後を絶たず、ロボットによる犯罪は無くならない。
 ココは私の腕の中で震えていた。多分、私が見せまいとした光景は見てはいないと思う。だが、一体何が起こったのかは理解しているのだ。人の死とはそれだけで衝撃を与え、強力な引力を持つ事象だ。ある程度精神の完成された人ならともかく、まだまだ未完成な子供には刺激が強過ぎる。そして、死の中でも殺人という行為は大人ですら心に傷を負う事もある恐ろしい出来事だ。
 大丈夫大丈夫、と私はココに言い聞かせていたが、本当は自分に言い聞かせていたのかも知れないと思った。私もまた、死の衝撃に気持ちが強く動揺してしまっているのだ。映画では、憎たらしい悪役が正義の主人公にやられて死ぬ様は非常に爽快なものであるが、実際に自分にとっての敵が死ぬ様を目の当たりにすると、爽快感など一つも湧いては来ずただただ恐ろしいだけだった。現実とフィクションにこれほどのギャップがあったなんて。作成された死と現実の死とを混同していた自分の重大な過ちへ混乱を禁じ得ない。
 残った一人のアスラは、視線を生きている者へと移す。今、アスラから最も近い距離にいる人物。それは、直前までビスマルク氏と言葉を交わしていた大統領だった。
 大統領を始め、現在の状況を正確に把握出来ている人間は一体どれだけいるだろうか。カオスはプロフェッショナルであるから、皆が冷静な判断力を持ち続けているかもしれない。しかし、今カオスが持っているのはアサルトライフルだ。丁度周囲をぐるりと取り囲んだ一見すると有利な状況のように思えるが、実際はいざ射撃しようとすれば同士討ちの危険性が非常に高い。そのため、大統領の命を最優先しなければならない事は理屈で分かっていても、味方を傷つける訳にはいかないという抑制が働いて引き金を引く指を躊躇わせてしまうのだ。
「危ない!」
 咄嗟に私はそう叫んだ。叫んだ所で大統領がアスラよりも早く動き逃げる事など出来るはずがない。そもそも、大統領はあくまで政治家である訳だから、護身術のような格闘技を用いて我が身を守る事が出来るはずもない。
 私のメモリ上で、たった今起こったばかりの惨劇、ビスマルク氏の末路の映像が横切った。このまま同じ事が繰り返されてしまうのだろうか。それはあまりに耐え難い出来事だ。私もまた精神が未完成なのだろう、人の死を一つのデータとして整理する事が出来ないのだ。
 しかし、次の瞬間。
「ッ!?」
 突然、大統領の目前に素早く一人の影が滑り込んだ。



TO BE CONTINUED...