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「ラムダー、ちょっとこっち来て」
 リビングからマスターの呼ぶ声が聞こえて来る。丁度、お茶の用意が整った私は、すぐさまお盆に並べリビングへと向かった。
 リビングのテーブルには、幾つかの書類の束が無秩序に散乱していた。その書類は全てマスターの元へやって来た仕事のものである。あの事件以来、ロボットの精神症に関する仕事は以前よりも多くやって来るようになった。そのため、こういった書類は幾ら整理しても一向に無くならない。電子媒体に落とせばもっとすっきりするのだろうけれど、書類にこだわるのはマスターの方針である。
「なんでしょうか?」
「ちょっとテレビ見てよ。これこれ」
 私が手にするお盆を見たマスターは、テーブル上の書類を手で払い落としてスペースを作ると、私からお盆を受け取ってそこに置き、カップを取りながらテレビの画面を指さした。私はマスターの隣へ腰掛け、言われた通りにテレビを見る。
 画面に映し出されていたのは、連合国大統領のバーナード=ベーカー氏の会見の様子だった。大統領府のロゴが入ったお馴染みの壇上、背景には大きな国旗が掲げられている。そこに立てるのは一省の長や大統領などの政府筋でもごく限られた人間だけである。
「なんだかんだで、僅差でこいつが再選しちゃったわよ。選挙直前に不倫やらセクハラで支持率底辺だったクセにさ。なに、この得意げな挨拶は」
 そうマスターは不機嫌そうにコーヒーをかき回した。
 大統領選挙の投票が締め切られたのは一昨日の事である。集計は当日から昨夜遅くまで行われ、たった今し方その結果が出たようである。普通は全て集計しなくとも途中で当確が出るものだが、今回は本当に接戦だったらしく、九割以上を集計しなければどちらが勝つのか全く分からなかったようだ。
「ったく、やっぱりなあ。そうだと思ったんだよ。衛国総省絡みだからって、幾らなんでもうちらにあそこまで肩入れするのは不自然だし」
「え? どういう事ですか?」
「ほら、この間の事よ。ビスマルクとバーナードの繋がりは本当はどうだったのか知らないけどさ、否定すればするほどみんな疑うでしょ? そこにラムダがああいう形で報道されたんで、さも正義の味方ごとく出てきて丸め込み事件解決の立役者となった。それでバーナードの人柄の評価が上がったんでしょう。無論、奴の狙い通りだろうけどさ。ロボットのためだとか何とか大層な題目つけてるけど、結局はうまく利用されちゃったって訳」
 そうですか、と私は項垂れかかった。
 それはつまりバーナード氏は、私との交渉は自分が再選するための人気取りだったという事になる。あの時、私は彼の言動は少なくとも悪意を持っていないと思っていた。けど、それすらも本当は演技だったなんて。嘘のうまい人間とは知っていたけれど、まさかあの言葉が本当は心にもない事だったなんて。信じられない、と現実を疑うよりもただただ自分が騙されていた事がショックだった。
「マスター、ココはどうなるのでしょうか……?」
「さてね。でも、いつまでも黙ってる私でもないし。そろそろ行動は起こすつもりよ。ただなあ、大統領だとどこから攻めたらいいものやら。正面から乗り込んだって追い返されるのは目に見えてるし。かと言って、ミレンダに借りを作るのも嫌だしなあ」
 確かに、一個人が大統領を相手に何かをするのには手段は非常に限られて来る。大統領とはこの国で絶対的な権力を持っているのだ。当然、誰でも簡単になれるものではないのだが、大統領の命令は基本的に絶対である。一般に大統領の勅命とは国家保安のためという前提があるだけに、一個人が大統領へ深く干渉していく事はほぼ不可能と言って良い。
 テレジアグループならば、衛国総省との深い繋がりがあるため大統領と直接顔を合わせる場を設ける事も可能ではある。しかし、マスターは人に頼る事、特に自分にとって大切なものが関わっている時は特に、人に頼って解決する事をよしとはしない。効率だけを考えれば使えるものは何でも使った方が良いと思うのだけれど、自分の力で解決する事に意義があるとマスターは考えているからだ。それが人間の、生きる、という概念なんだと私は思う。私はまだロボットで、存在するという概念に絡め取られたままその域には辿り着いていないのだけれど、なんとなくその形容だけは分かるのだ。
「ひとまず、落ちた対立候補にでもコンタクト取れるようにしてみるか。一番喜んで食いつきそうだからね。えーっと、名前はなんだっけ? ジョン? ジャン? ああ、もう、テレビは肝心な時にこういうのを映さないんだから」
 その時。
「あ」
 私の聴覚素子がけたたましく鳴り響く電子音を捉える。それは廊下にある電話の鳴る音だ。
「電話ですね、出て来ます」
 新しい電話機の前とは違う音に違和感を感じつつ、私はすぐに立ち上がって廊下へ向かった。リビングを出て玄関側のすぐ側の電話台にある電話機。のけたたましく鳴り続けるその受話器を取るとぴたりと鳴り止むその様は、支えていたものが取れるようで清々しい。
「はい、鷹ノ宮です」
 いつものように電話口へ出る私。
 しかし。
 ん……?
 受話器から聞こえてきたのは人の声ではなく、周波数の高いノイズのような奇妙な音だった。
 一体何の音だろうか? ファックスの番号を間違ったものとも違う。
 分からぬまま切る事も出来ず不思議に思っていると、不意にがちゃりと別の音が鳴り、同時に人の声が聞こえてきた。
『もしもし、私はバーナード=ベーカーだが。そちらはエリカ=鷹ノ宮氏の自宅で宜しいかね?』
 バーナード!?
 私は思わぬ名前に驚き、言葉を飲んだ。しかし悪戯の可能性もあるのだからと、すぐに電話機に表示される相手の電話番号を確認してみた。だが、何故か表示部にはゼロの羅列が表示されているだけだった。こんな番号は国内は元より、世界中のどこにも存在しない。つまり、存在しない番号からこの電話はかかっている事になるのだ。
 悪戯にしては巧妙である。電話番号を偽装する方法はあるらしいが、それは通信法で規制されているため一般に中々出回るものではない。そもそも、この家の誰かをからかうのにそこまでする必要があるだろうか。そう考えると、電話の主の信憑性が見る間に高まっていく。
「失礼ですが、本物の方でしょうか……?」
『その声、もしかしてラムダかな? 驚かせてすまないね。でも正真正銘、私はバーナード、依然、大統領だよ』
 明るくはきはきとした口調で電話の主は答えて来た。確かこの口調も本人のものにそっくりである。やはりこの電話の主は大統領本人なのだろうか? 最初に聞こえて来た妙な音も、特殊な回線からの切り替え時に生じたラグと考えれば違和感も無い。
 依然、という単語が皮肉っぽいと思うのは私の勘繰り過ぎだろうか。まるで先程のマスターの言葉を聞いていたかのような言葉に思えた。
「マスターでしたら、ただいま在宅しております。すぐに代わります」
『ああ、代わらなくていいよ。私は君に用事があったんだ』
「私に、ですか?」
 何故、マスターがいるのにロボットの私に用件を持って来るのだろうか。ロボットに私用という概念はないため見当もつかず、ただただ首を傾げるだけだった。わざわざロボットに電話をするなんて随分変わっている。
『この回線は政府のものだから、私用に使うのはあまり褒められた事ではなくてね。手短に話すよ。例の約束、随分待たせたが、今日の昼にも到着するはずだ。私は君との約束を守ったよ』
「約束? 到着するとは一体どういう事ですか?」
『では、次回の選挙は自力で再選してみせるつもりだ。今期の政策に期待してくれたまえ』
 そう言い残し、大統領は一方的に電話を切った。
 私はしばらく唖然としたまま受話器を見つめていた。大統領はセキュア回線をわざわざ一般回線に接続してまで、私に何を伝えようとしたのだろうか。要点がすっぽりと抜け落ちているため、守ったと言われてもいまいち理解が出来ない。
「ラムダ、電話は?」
 マスターがリビングの入り口から半身を出してこちらを覗き込んで来た。
「ええ、その、私宛でしたので」
「ラムダに? もしかしてミレンダ?」
「いえ、違う方です」
 しかし、ここで正直に電話主を打ち明けた所でマスターに信じてもらえるのだろうか? 今し方、大統領から私に電話がありました。今時の子供ですら言わないような冗談にすら思える。事実は事実なのだけれど、あまりに突拍子も無さ過ぎて信憑性に乏しいのだ。
「ん? じゃあ誰よ?」
「その、実は……大統領からで」
「はあ? おまいはどこでそういう冗談覚える訳?」
 マスターは露骨に訝しげな表情を浮かべて問い返した。
 その反応も無理は無いと思う。何せ、私自身が未だにそんな事があったなんて自分の事でありながら信じられずにいるからだ。
「信じられないかもしれませんが、でも本当なんです。なんでも、約束は守ったから、と」
「約束、ね……。私は事件の中継は見て無いから、ラムダとあいつがどういう交渉していたのか知らないし、根掘り葉掘り聞くつもりもないけど。でも、あの手のやつらは信用しちゃ駄目よ。縁は作らず、出来たらすぐ切る。障らぬ馬鹿に祟りなしよ」
 はい、と、私はそれでも信じてくれなかった事にしゅんとしながら、そう短く返事をした。
 と、その時。
「ん?」
 突然、玄関のドアが激しく叩き鳴らされた。その音は大きな太鼓を打ち鳴らす祭りのそれにも似て、このままドアを破らんばかりの勢いだった。
 マスターが視線をドアへ向け首を傾げる。ドアを叩く音は未だ断続的に鳴らされ続け、一向に止む気配が無い。明らかに人の手によるものである。
 誰だろう?
 マスターと私は、何事かと顔を見合わせた。普通、来訪者はインターホンを使うものである。何故、ドアを直接叩くのか疑問に思ったのだ。普通、玄関の扉は頑丈に作ってあるため、住人には玄関近くにいない限り外から叩いても聞こえない。それに、ドアを叩けばその分外装が傷む。そのためにインターホンがあるのだ。
 とりあえず出てみよう。私はマスターと頷きあって確認を取ると、玄関のロックを外しドアをゆっくり開けた。
 すると、
「ラムダー!」
 ドアの向こう側から、いきなり誰かが私へ飛びついてきた。
 まず視覚素子が認識したのは、まるでファイバーを思わせる青い髪だった。それは明らかに染色による不自然なものではなかった。髪の根元まで完全に鮮やかな青が続いているのだ。
 そんな色素を持った人種は存在しない。けれど、私はそれが誰であるかを知っていた。そう、ずっと今日まで心の中に空洞をあける原因となっていたものだ。
「え、ココ? ココですか!?」
「そうだよ! 会いたかったーっ!」
 ココは私の首に腕を回してぎゅっと抱きついてきた。呆気に取られた私はただされるがままになり、マスターの方へ状況の解説を求めて視線を投げかける。
「随分とまあいきなりね、本当に。あんた、どうやって戻ってきたの?」
「ん? そこまで車で送ってもらったんだよ。今日はね、ずっとわくわくしてたから全然気持ち悪くならなかったんだ。あ、そうだ。これ、あのおじさんから」
 そう言ってココは背負っていたカバンに手を突っ込んで何かを引きずり出す。ココがマスターへ差し出したのは一通の便箋だった。便箋には大統領府のロゴが印刷されている。封筒自体は別段特殊なものという訳でも無いだろうが、大統領府のロゴの入った便箋なんて一般には出回ってはいない。という事は、ココと私が共通して知る人物を考えると、あのおじさんとは大統領の事になるのだろうか。
 早速、封を切るマスター。その中に入っていたのは一通の書類だった。普段あまり見慣れない書類であるが、しかし、それを読み始めるなりマスターは俄かに震え始めた。
「はあ!? なんだこれ! あのエロオヤジめ!」
「マスター?」
 いきなり声を荒げるマスター。私は書類にどんな事が書いてあったのかと驚き目を見開く。
「これ! 住民票の写し! 戸籍登録名が鷹ノ宮ココだ!? 私が続柄で母!? 人を勝手に子持ちにしやがって!」
 マスターが私に突きつけてきた書類に目を通す。そこには確かに、ココの名前が鷹ノ宮の苗字でマスターと同じ本籍に登録されている旨が記載されていた。これはつまり、ココはマスターの被扶養者になったという事になる。法律上は養子という関係になるだろうか。養子の手続きには様々な制約がありそう簡単に取れるものではないのだけれど、それはきっと大統領権限によるものだろう。大統領が良しと判断すれば、それだけで申請は通るはずである。無論、本人の、少なくともマスターの意思確認も別にしてだ。
「大統領は、私とココの本意にそぐわない、と言っていましたから、もしかするとそういう事では……」
「ったく、もう。嬉しいんだか何だか。この歳でこんなにでかい子供が出来るとはね」
 マスターは大きな溜息をつき微苦笑を浮かべながら肩をすくめる。
 多分、マスターも突然の事で少々戸惑いはしているものの、きっとこの事態を嬉しく思っているに違いない。この形は後の事を考えても非常に理想的な解決だと思う。ココは身元がはっきりしていない以上、今後の生活のためにも戸籍は必要になる。そして、成人するまでの保護者はマスターが適任だ。一番事情を理解し、ココを保護していた実績もある。それと、これはあくまで私の希望的観測なのだけれど、私の存在がココにとって好ましいと判断してくれたのかもしれない。
「ねー、エリカ。やっぱりお母さんって呼んだ方がいい? それともママ?」
「やめてよね、それは。いつも通りでいいわよ」
「良かった。アタシもそれだけが心配だったんだよね。だってなんか気持ち悪いじゃん?」
「相変わらず口が減らないガキだな、お前は」
 そう言ってマスターはココの頭をぐりぐりとかき回す。
 確かに、別れた頃から何一つ変わった様子が無い。言葉使いが雑で思った事をストレートに口にする。それはあまり好ましい性質ではないのだけれど、ココが帰って来た、という実感が強く湧いてくる。
 そういえば、一つだけ変わった点がある。それは額に入れられていたはずの数字の刺青が綺麗に無くなっている事だ。多分、大統領がココの事を考えてくれていたのだと思う。そこまでやって貰う約束はした覚えがないのだけれど、これは大統領の善意なのだろう。マスターは大統領が私を再選のためにうまく利用したとは言ったけれど、本当にそれだけのためでは無かったと私は思いたい。
「よし、じゃあ今夜は久し振りに外へ食べに行くとするか。そういや先月、近所に新しくステーキショップ出来たよね。そこでも行く?」
「行く行く! エリカ大好き!」
「はいはい。こういう時のお前は可愛げがあるわね」
 じゃれあう二人を見て、私は一人、実感した。
 これが今の私の幸せの形であって、ようやく完成したのだと。



After Happily Ever