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 ほぼ毎日のように立ち寄る、海沿いにあるそのコンビニ。俺は今日も学校の帰りに小腹の空いた腹を抱えて立ち寄った。今日の昼食はあまり食欲が無かったため、うどんだけにしたのが良くなかったのだろう。さすがに麺類は消化が早い。腹の空きが段違いだ。
 何を食べようかと一通り見て悩んだ末、買ったのはサンドイッチのミニバスケットとフライドチキンを一つ、しかし飲み物は緑茶。細巻き詰め合わせと悩んだのだが、御飯は腹に重く溜まるため夕飯が食べられなくなると思ったのだ。
「あ!」
 コンビニから出たその時、目の前に一人の影が通りかかった。その見覚えのあるジャージに、顔を確認するよりも早く誰なのか気付いてしまった。咄嗟に背を向けてやり過ごそうと思ったものの、こちらを気付かれる方が僅かに早く、俺は不自然にその場で棒立ちになってしまった。
「何か用かよ」
 面倒臭い奴と会ってしまった。
 多分、かなり露骨に嫌そうな表情を浮かべてしまったと思う。けれど、たとえそれを指摘されたとしても謝る気はさらさらなかった。こいつが嫌いだという感情を隠す理由がないからである。
「昨日はごめん」
 唐突な言葉に俺は怪訝な表情を浮かべ、思わず顔をしかめてしまう。予想外というよりも、その素直な態度に面食らってしまったのが本音だ。
「何よ、その顔。別におかしな事なんて言ってないじゃない」
「そうだな」
 俺は気にも留めず目の前を通り過ぎ、道路を渡ってガードレールを乗り越え砂浜へ降り立った。そのすぐ後ろを別な足音がついてくる。通り過ぎたばかりのあいつだ。
「何で着いてくるんだよ」
「だって、君に用があるし」
「俺は無い」
「私はある」
 下らないやり取りだ。
 正直、同じ事をただ繰り返したり中身の無い言葉を繋げて行く事は生理的に受け付けない。繰り返す人間もそうだが、何より空気が嫌なのだ。有体に言えば、露骨に寒いという事だ。
 高台の麓までやって来ると、どこからともなく野良が駆け寄ってきた。どうやらフライドチキンの匂いを抜け目無く嗅ぎ付けて来たようである。こいつの仕草は相変わらず憎めないし、自己主張をし過ぎない所が実に犬らしい。うちは母親がアレルギーで何も飼っていないが、もしもペットを飼うとしたらやはり犬が一番だ。
「着いてくるなよ」
 しかし、まだあいつは無言でぴったりと後を着いてくる。同じだんまりでも、人間と犬とでは随分と印象が違う。いや、単に俺が野良には好意を持っていて、こいつにはその逆の感情を持っているからだろう。
 大概しつこい奴だ。
 正直、後ろから付きまとわれるのは気分が悪い。用件があるなら簡潔に、出来る限りの最短時間で済ませて欲しいものである。
「お前さ、本気で走りたいって思ってるなら陸上部行けばいいだろ。そうじゃなけりゃ、初めからやるな。趣味程度でいいなら仲良しの友達とやれ」
 けれど相変わらず黙ったままこちらをじっと見つめてくる。昨日とは打って変わりだんまりを決め込むつもりなのか。
 しゃべると鬱陶しい奴だが、黙られてもなかなか鬱陶しい奴だ。坊主憎けりゃ、の理屈なんだろう。
 無視を続けたまま高台の頂まで登ってくる。いつものように東屋の中に腰を落ち着けると、まずはタバコを取り出して一本口に咥えた。火を点けようとすると、野良が足に擦り寄ってこちらを見上げてきた。しょうがないな、と苦笑いを浮かべ、先にフライドチキンへ手をつけた。物欲しそうに見上げてくる野良へ小骨を避けて少しだけ千切って分け、俺も咥えたタバコは一旦置いて食べ始める。
 あいつといえば、丁度俺の真向かいに陣取ってじっとこちらの様子を覗っている。切り出す機会を待っているのか、俺が何か言葉を投げかけてくるのを待っているのか、それともただ観察しているだけなのか。
 最後は残った骨ごと野良にあげた。野良は足元に寝そべりながら両足で骨を押さえがじがじと歯を立てる。そんな様子を見て微笑ましく思った。
「お前さ、今度はそうやって黙り続けるのかよ。正直鬱陶しいぞ」
 煙を吐き出しながら、意識して鋭い口調で言葉をぶつける。けれどこちらに噛み付いてくるどころか、耳を貸さないと言わんばかりに視線を背けられた。
「帰れってば。マジで」
 そう憎々しげに吐き捨ててみるもののこちらを見据える表情は相変わらずで、何としてでも俺の師事を手に入れようとする意思は固いままだ。表情だけでどれだけ本気なのか嫌でも伝わってくる。しかし、真剣であればあるほど俺は言葉の選択に困窮する。悪ふざけだったら幾らでも遠慮なく罵れるが、反対に逆の人間だとそうもいかなくなるのだ。
 出来る限りあいつの存在を意識しないよう、吸っていたタバコは灰皿へ捨て、今度はサンドイッチへ手を伸ばした。すぐに野良は俺の足元に背中を擦りつけ始めた。分かった分かったと、俺はツナサンドを一つ野良へあげた。それをほとんど一息で飲み込むように食べてしまったが、野良はそれで満足したのか俺の足元でべったりと寝そべり始めた。
 足の甲に野良の体重と体温を感じつつ、ゆっくりと残りのサンドイッチを頬張る。卵サンドは好きだったが、サラダサンドの生トマトは苦手なため、摘み出してバスケットの中へ放り捨てた。野良も野菜には見向きもしようとしない。雑食とは言え、基本的に犬は肉食だから進んで野菜は食べないのだろう。
 やがてサンドイッチを全て食べ終えた頃。やはりあいつは東屋の中に居て、さっきと同じようにこちらへ強い視線を向けていた。ここまで露骨に無視をされても自分の意思に変わりは無いらしい。
 困ったものだ。
 少なくともこいつの意思は本物だ。多分、放っておいたら明日も明後日もこうしてここに来ていそうだ。関わり合いになるつもりは微塵も無いのだけれど、このまま持久戦を続けても結果的には関わり合いになっている事に変わりは無い。だったら、適当に満足させた方が縁も切りやすい。結局は自己満足なのだから適度に達成感でも与えてやればすんなりと消えてくれるはずだ。
「分かった分かった。俺の負けだ。その代わり、こっちのやり方に文句つけんなよ。結果もどうなろうと知らないからな」
「ありがとう! あなた、意外といい人ね。私、相田湊。湊でいいよ」
 ようやく口を開いたかと思えば、出てきた言葉はそんな不遜なものだった。いや、初対面の人間に対して平気で石をぶつけようとする人間なのだから、大したものを期待してはいなかったのだけれど。
「意外とは余計だ。じゃあ俺も豊でいい」
「あだ名は付け難い名前だもんね。ところで、そこの野良は名前はあるの?」
 野良はふと顔を持ち上げ、わん、と一声咆える。自分の事だと分かったのか、それともとりあえず返事をしてみたかのどちらかだ。
「お前はさしずめ、イッパイアッテナ、と言った所か」
 その頭をぐしゃぐしゃとかき回した。