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 日曜の朝。
 太陽も昇らぬ暗い内にベッドから這い出した俺は、顔を洗って寝乱れた髪を気持ち程度に整える。それから肌寒さに震えながら駆け足で上下対のトレーニングウェアに着替えた。まだ家族は誰も起きていない事もあってか、まるで隠し事をしているかのように息を潜めてスニーカーを突っかけて家を後にする。
 まだ新聞も配達されていない早朝は霧が深く、まるで見知らぬ土地へ迷い込んでしまったかのように錯覚させる。けれど、その新鮮さが逆にまだ寝惚けかかっている俺の思考を程好く刺激してくれた。それは、初めて来た場所で意味も無くはしゃぐ子供と同じ心理なのかもしれない。
 突っかけただけのスニーカーをしっかりと履き直して紐を結ぶと、まずは体を軽い体操で十分にほぐした。一般に重要とされるのは足首や膝の関節部分だが、実際は肩の関節も十分に注意しなくてはいけない。フォームを維持しながら体のバランスを取るには肩が基点となるため思っているよりも負荷がかかるのだ。
「さて……と」
 一通りほぐし終えた体で小刻みに跳ねて脚の感触を確かめる。ランナーにプロレスラーのように筋骨隆々とした体格は必要ない。最も重要なのは柔軟性と安定性だ。これらがうまく合わさる事でバランスの良い持久力と瞬発力が生まれる。
 今日はどこまで走ろうか。
 いつもこれといったルートを決めずに走っている俺は、走り出すまでに微妙な時間を要する。大した問題でもないが。
 門から足を踏み出すと、丁度右側から風が吹いてきた。その風につられ俺は右へ向かう事にした。風に背中を押されるよりも、前から突っ切る方が個人的に好きなのだ。
 軽いステップを踏みながら、まずは慣らし運転とゆっくりとしたペースで走り出す。気温が低いとどうしても筋肉はぎゅっと縮まって固くなりやすい。そこへいきなり大きな負荷をかけると腱を痛めてしまうのだ。
 冷たく澄んだ朝の空気を一定のリズムを刻みながら吸い込み、白ずんだ息を吐き出す。昔から変わらないこのリズムは、生まれた時から聞いているはずの脈拍よりもずっと聞き慣れている。要は集中の問題だろう。心臓がどういったペースで動いているかなんて興味は無いが、呼吸のリズムは長く安定して走り続ける上で非常に大切な事だ。呼吸が整っていれば現状を維持し続けられるという安心感があり、因って呼吸が正しいリズムを刻めるように意識は向くのだ。
 俺は朝方の澄んだ空気が好きだった。塵の無い空気を自らに取り込む事で、自分の中にある淀みのような物が綺麗に掃除されるような感覚があるからである。そして何より、誰も外にいないこの開放感だ。音に対してそれほど神経質という訳でもないが、どうしても喧騒や人込みはあまり好きにはなれないのだ。
 長い緩やかな坂道を一気に駆け降り、その弾みで走りのペースを上げる。五段階のギアで例えれば、丁度真ん中だろうか。
 坂を降りると海岸線をなぞる二車線の道路に出る。一気に開ける視界の開放感と同時に漂う潮風は、俺を海へと引き寄せる見えない力を持つ。閉塞感しかない住宅街とはまるで違い、坂の天辺から見渡せる内湾は何時見ても絶景である。
 その内湾の更に向こう岸には小さくぽつりと灯台が光を放っているのが見える。今日はあそこを折り返し地点にしよう。
 海岸線沿いの道路は時折車の通りがある。ここは港町であるため、近隣の漁港に出入りする業者の車や長距離の輸送トラックがよく行き交った。俺のすぐ横を擦れ違い様に不快な排気ガスを吐き出すその乗り物。俺はあからさまに顔をしかめてみせるものの、トラックの運転手にそんな俺の心境が伝わるはずも無い。まして伝わった所で、何か新しい展開が起こる訳でもない。ただ俺個人が、俺が楽しく走っている時に不愉快なものを撒き散らすな、という非常に自分勝手な憤りを覚えて終わりである。
 不意に反対側の歩道から濃霧を掻き分けるように一人の老人が現れた。いつも年齢にそぐわない派手なジャージを着込んでいる、この近辺でたまに見かける馴染みの顔だ。俺は特に親近感も無いのだが、向こうは数少ない共通の趣味を持った人間だと思っているのだろう、顔を会わせた時は決まって笑顔で挨拶を投げかけてくる。
「おはようございます!」
 やはり老人は朝から生き生きとした明るい笑顔で挨拶を投げかけてきた。多分、俺を共通の趣味を持った仲間か何かと勘違いしているのだろう。別段仲間意識など持っていない俺にしてみれば面倒なだけであり、俺もまたいつものように軽く会釈をして返した。
 俺が走るのは大会で勝つためでも健康作りのためでもない。高尚な意識もなければ、健康を不安視するならばそれより先に止めるべきものがある事を知っている。俺が走るのはそんな複雑な理由ではなくて、ただ好きだから走っているだけ、つまり趣味なのだ。ただし、たとえ趣味が共通していたとしても、肩を並べて馴れ合うつもりは更々無い。俺は一人で自分勝手に走り込む事が好きだからだ。
 なだらかな海岸沿いの道路を、ひたすら灯台を目指して突き進んだ。
 走っている時、俺はよく物思いに耽っていた。走っている時は周囲の音から隔絶されるため、自分の世界に浸りやすい奇妙な環境が形成されるからなのだと思う。ランナーは皆、孤独な戦いを強いられているのと同じ理屈だ。
 皆が誉めてくれるから。
 俺が陸上界へ飛び込んだのは、そんな安易な理由だった。生まれつき人より長く速く走る事が出来たからなのか、俺にとっては当たり前の走りを誰もが驚愕し賞賛を惜しまなかった。何故、俺はみんなから褒められるのか、本当の意味で理解した事はなかったから、俺は非常に安易な気持ちでこの世界へ飛び込んだ。けれど、そこに俺の求めていたものは無かった。あるのは、押し付けがましい期待と、非情な勝敗の構図だ。俺の思想など一分の入り込む隙間もない。
 陸上に未練があるから、こうして未だに走り続けている訳ではない。人は俺の生活を矛盾していると思うだろう。走る、という行為は彼らにとって自己鍛錬の一環だが、俺もこうして毎日のように走り続けているものの、タバコを欠かした時も一日としてないからだ。本気で走る事を目指すなら、少なくともタバコは止めるべきだ。でもそれは、あくまで勝敗と記録が全てのフィールドに立つ人間の考え方である。好きで走るだけの俺には全く興味が無い。
 走る事は自分の一部だから、この現状はただ元に戻っただけにしか過ぎない。そして、人は走る時必ず一人だ。走るという事は、周囲の雑音から隔絶され、気が遠くなるほどの自問自答を繰り返しながら、足を前々へと踏み出す作業だからである。トラックを走るのもそれは同じで、どれだけの歓声や野次を受けてもそれらは決して届かない。誰の声も聞こえないフィールドに自分を苛め抜いた末に立ち、たった一瞬の栄光に縋るのがどうして面白いのか。ここまで来れば、後はもう価値観の話だろう。やたら価値観の話を持ち出す奴はただの馬鹿だ。
 程よく暖まった体がじわりと汗ばんで来る。丁度良いピッチの上がり方だ。ここまで体がほぐれれば、後は力尽きるまでとことん走る事が出来る。
 熱く柔らかい足の裏で勢い良く体を蹴り出す。そのまま数秒間、まるでスプリンターのような勢いで道路を駆け抜ける。突然酸素の供給を断たれた心臓は驚いたように暴れ始める。それが限界まで近づいた時、俺はペースを戻し惰性で流す。酸素を与えられた心臓はミルクを与えられた子供のように、途端におとなしく静まって行く。完全に静まり切ったのを確認し再び体を蹴り出す。
 そんな事を繰り返している内に、目的にしていた折り返し地点の灯台までやってきた。
 まるで人気の無い寂れたこの場所には、何故か一つだけ自動販売機がある。海沿いに相応しい青の塗装が施されているのだが、いつも潮風に吹かれているせいか錆付きが酷く古臭さが否めない。けれど商品棚や窓口は意外と綺麗に掃除がされていて、買う事に躊躇いは感じなかった。こんな所で一体誰が買うのだろうか、と思ったのだけれど、案外俺のような人間が他にもいるのかも知れない。
 俺は胸ポケットから予め忍ばせておいた小銭を取り出してスポーツ飲料を買った。
 海を眺めながら喉を鳴らして飲み干す。空っぽの胃袋に冷たく染み渡っていくのが心地良かった。わざわざ金を出して買うほど喉が渇いている訳ではないのだけれど、走りに出た時はこうして必ず休憩を取るのが自分のルールだ。必要云々ではなく、する事に意味があるのである。水分補給は効率的に行わなければならないなんて、そんなつまらないルールを誰が決めたのだろうか。そういう管理はかえってストレスの原因になる。メンタルな要素が強い競技でストレスがどれだけ足を引っ張るのか少しは考えるべきであって、何より一番信じられないのはそれでも全く疑わずに従う連中だ。
 あの頃の俺は本当にどうかしていたと思う。
 誰の声も届かない薄茶色のトラックを走る事に何の意味があっただろうか。誰よりも速く走る事が出来たとしても、得られるのは更なる重圧と一方的な期待だ。まして、栄光などという形の無い不確かなものなど尚更興味が無い。
 俺は陸上界から追放された人間だが、それでも高校に入った時は陸上部からの誘いが無い訳でもなかった。一度不祥事を起こした人間でも、何かしら得られるものはあるだろうと思っていたのかも知れない。だが俺は断った。俺にはもう、陸上という世界に対して執着は無く、噛り付いてまで得たいものも無いからだ。
 そんな俺を周囲は、あたかも走る事を捨ててしまった落伍者ように見て評する。でも俺はあえて反論はしない。彼らの言う所の『走る』という行為を捨てたのは紛れも無い事実だからだ。
 走る事は、俺の喜びだ。
 走る事で俺の体は喜び出す。呼吸の刻み方、筋肉の収縮、汗の配分、どれを取っても知り尽くした自分の一部である。それらを全て併せて、初めて俺という存在が成立するのだ。なのに、組織化されたそれは俺の前にレールを引き、俺を構成するものを一つずつ奪い取っては管理しようとする。俺はたまらなく嫌だった。まるで俺から走る喜びを奪い取られるような気になるからだ。
 やっぱり、走るのは良い。好きだ。いや、愛していると大げさな表現でさえ躊躇わない。
 価値観の相違とか、そんな話をすればキリが無い。けれど、はっきりと言えるのは、あのトラックを走るのは俺である必要は無かったという事だけだ。人々が求めるのはスターの記号である。必ずしも俺である必要性は無い。
 さて、もう一走りしようか。
 俺は空になった缶を見つめ、そっと海を見やるもののそのまま踵を返して走り始めた。
 別に相田湊の言葉を思い出した訳じゃない。ただ、世の中には海にゴミを捨てる事に躊躇いを持つ人間と持たない人間がいて、俺はたまたま前者だったというそれだけの話だ。